レポート:川上純平「アウグスティヌスの教会論研究」

1995 124

〈同志社大学神学部大学院神学研究科博士課程前期 講義 キリスト教史研究T 

講師:土肥昭夫『アウグスティヌスの神学思想』〉

 

 

序論

本論

 一.回心からドナティスト論争以前頃まで

 二.ドナティスト論争と『エンキリディオン』において

 三.『神の国』において

 四.アウグスティヌスの教会論の問題点

結論

 

 

 

序論

 

 西方古代教会最大の教父アウグスティヌスの教会論について論じる際に、彼の歴史的・社会的・実存的状況について考察することは重要なことであるが、今という現代に生きる我々が完全にその状況を把握することは、もちろん不可能である。また、不可能であるからと言って、それらを全く無視するわけにもいかない。

 本論文では、アウグスティヌスの当時の歴史的・社会的・実存的状況と彼の思想とを関連させ、彼の生涯をたどりつつ、彼の教会論について述べてみたいと思う。そして、そこには、彼の教会論の変化が見受けられるかもしれないし、一貫した態度が見受けられるかもしれない。しかし、いずれにしろ、彼を動かしていたものが、古代カトリック教会の伝統であり、それを通しての神の恵みであることがわかるであろう。そして、それと同時に、アウグスティヌスの神学にエキュメニカルな要素もあることがわかるであろう。

 

本論

 

一.回心からドナティスト論争以前頃まで

 

 アウグスティヌスは、その主著『告白』において、すでに教会について述べているのであるが、そもそも、アウグスティヌスの回心は、彼のマニ教に対する失望、アンブロシウス、新プラトン主義の影響によるものであり、また、アウグスティヌスの母であるモニカが古代カトリック教会のクリスチャンであったことも関係していると思われる。

 アウグスティヌスは『告白』第十三巻において、創造が教会の建設を予示するものとしてなされ、また、あらゆる時に先立つ予定における、キリストにおいて教会が神によって作られた、としている。(1)ここには、予定論的な考え方が既に現れている。そして、ヘンリー・チャドウィックによれば、回心まもないアウグスティヌスは教会を堕落した人間を救うための共同体として考えていた、(2)と言う。これらの事から、アウグスティヌスの神学がこの頃すでに確立し始めていた事がわかる。アウグスティヌスの回心とは、古代カトリック教会への回心であり、回心した時から、397‐400年頃に『告白』を記した頃まで、そして、それ以後も、古代カトリック教会への信仰が彼の神学の土台となっていたことを忘れてはならない。よって、『告白』を記す以前の彼の教会論も古代カトリック教会の伝統にあるのであり、それを次に述べてみたいと思う。

 それを明確に示しているものとして、彼が393年に「ヒッポ信条」を講解した『信仰と信条』及び397、398年の『キリスト教の教説について』があげられるだろう。

 そもそも、「ヒッポ信条」というのは、部分的にこそ異なるものであるが、現在多くの教会で使われている「使徒信条」ときわめて似ているものである。アウグスティヌスは『信仰と信条』において「聖なる教会、公同の教会を信じる」(3)としている。そして、そこでは異端や分派に対してどう反論すればよいか、ということも述べている。アウグスティヌスの聖書解釈であり、信仰論である『キリスト教の教説について』では、使徒の教えを重視し、教会を「神の体、キリストの花嫁」(4)とし、教会には鍵が与えられている、とする。(5)この考え方は、後のローマ・カトリック教会によって作り出された司教の裁治権に根拠を与えたものでもあった。

 

二.ドナティスト論争と『エンキリディオン』において

 

 ここでドナティストがどのようなものであったか詳しく述べる必要はないであろう。よって、ここではアウグスティヌスがドナティストに対してどのような発言をしたかを述べることに限定したいと思う。

 アウグスティヌスによれば、ドナティストたちは自らを「真の公同教会(ecclesia Catholica)、しみも傷もないキリストの花嫁、聖なる教会」(6)と見なすが、そこには「救いの『客観性』」(7)がない。教会におけるサクラメントは「キリストに属し、聖職者の個人的な所有物ではない」(8)ゆえに、サクラメントの有効性は執行者の資質によるものではなく、教会の資質によるものである。そして、ただカトリック教会だけが、キリストのからだであり、その外にいる人たちは聖霊を持っていないのであり、(9)ドナティストの中にいる人殺しは聖なる者でないのである。もちろん、アウグスティヌスの言うカトリック教会は、後のローマ・カトリック教会そのものを指すのではなく、(ある意味でその前身ともなった、)古代カトリック教会であり、「唯一にして、聖なる、公同の、使徒的教会」という言葉にもある(どこにおいても同じであるという意味での)「公同の教会」である。よって、ここにはエキュメニカルな要素さえうかがわれる。つまり、教会はキリストを主として告白し、頭なるキリストに連なっている意味で同じであり、「しみがないわけではない。」(10)のである。

 しかし、我々はここでアウグスティヌスの教会論を悪用して、つまり、教会が棄教しようが、背教しようが、何をしようがかまわないものとして、現代において道徳的に退廃しきった教会をそのままの状態で良しとするわけにはいかないであろう。むしろ、アウグスティヌスの考え方に従うならば、アウグスティヌスが、聖職者や平信徒の過失を憂鬱なものとして捉えていたゆえに、(11)そのようなことが起こらないよう、神の目に照らして気をつけていくべきであろう。教会は、聖霊で満たされ、人格的で、愛の共同体である必要があるのである。

 420年頃、政府の高官ラウレンチスのために書かれた『エンキリディオン』においては、教会が、聖霊である神によって創られた聖徒たちによって構成されたものであり、聖霊のゆえに、罪の許しがなされる場であり、それと同時に、この地上にある教会は天上の教会とは異なるものであり、世の終わりに天上の教会を知ることができる、(12)としている。

ここで興味深いことは、アウグスティヌスが、聖徒の生活に罪がないわけではなく、その罪は悔い改めによって許される、(13)としていることである。おそらく、アウグスティヌスの念頭に、先ほど述べたドナティスト論争の発端となった、背教、棄教した後、教会に戻ってきた教職者たちのことがあったのかもしれない。あるいは、アウグスティヌスが説教し、牧会していた教会の信徒たちや、異端とされたドナティストたちのことが彼の念頭にあったのかもしれない。

いずれにしろ、ここでは教会を通して働く、神の恵みが(アウグスティヌスの恩恵論が信仰論との関連で一貫していなかったとしても、)アウグスティヌスに神学的基盤となっていたことを否定することはできない。アウグスティヌスにとって罪や神の恵みについての問題は回心以前から彼の念頭にあったのである。

 

三.『神の国』において

 

 413−426年頃に書かれた『神の国』(de civitate Dei)は、そもそも410年の西ゴート族によるローマの略奪があったことから、ローマ人がキリスト教を非難したことに由来する。アウグスティヌスはこれをスケープゴートであるとして『神の国』を書いた。

 『神の国』においては、教会は、キリストと共にその聖徒たちが支配しているキリストの王国、天の王国であり、(14)ローマにおいて、『聖別された場所』であり、教会が国家を支配することはなく、(15)「教会の形成はただ神の創造的介入によってのみ遂行される」(16)のである。また、教会は、ある程度までは、神の国と同一視され、ローマはサタンによってとらえられた頭であるが、教会は神の国の先鞭である、(17)とされている。この事は、当時の国家によるキリスト教迫害が実際にあったことを比喩的に我々に伝えている。

 アウグスティヌスは、「二つの愛が二つの国を造ったのである。すなわち、神を軽蔑するに至る自己愛が地的な国を造り、他方自分を軽蔑するに至る神への愛が天的な国を造ったのである。」(18)とし、地の国と神の国は対立しているのだが、最終的には、地の国が神によって存在性を与えられているゆえ、神の支配の下にあってその目的につかえ、教会をキリスト教の伝播に用いるようになる時、神の国が勝利する、と言っている。

 しかし、だからと言って、我々は現在の国家に対して無批判であるべきではなく、むしろ、アウグスティヌスの考え方に従うならば、国家の課題が、内的にも外的にも、平和を確立することであり、教会の目標は神の国であるゆえに、(19)教会が神の国となるその日まで、もし、国家が間違った方向に歩み出したならば、神の目に照らして、批判すべきであろう。国家には、永遠の平和を得るための神への愛が必要なのである。

 

四.アウグスティヌスの教会論の問題点

 

 アウグスティヌスの教会論において問題となる事は、一つは彼の思想の一貫性であり、もう一つはその有限性である。それでは、まず初めに彼の思想の一貫性について見ていきたいと思う。

 何度も書いたことかもしれないが、アウグスティヌスは、使徒的伝承を正しく伝えていると言われている古代カトリック教会の伝統に従って生きた。そういった意味では、一貫していたと言えるかもしれない。

 しかし、アウグスティヌスの全生涯における著作物の中の教会論に言及している部分を見ればわかるとおり、その時に初めて書かれた言葉で、それ以後には存在しない、又は意味を変えた言葉が存在する。例えば、天上の教会と地上の教会が異なるものとされている言葉もあれば、(天上の教会を神の国と見て、)神の国は教会とある程度まで同一視される、という言葉もあるのである。ここでは、そもそも、天上の教会と神の国は同じものであるかという問題もあるが、もし、同じものでなかったとしても、天上の教会について書かれている文がそれ以後、存在しない事からやや曖昧なものとして理解される問題があるであろう。そのような意味で、アウグスティヌスの教会論は必ずしも一貫したものではなかったのではないだろうか。

 次に有限性について見てみたい。アウグスティヌスは教会について述べる際、信条を使用したが、その信条は、現在、我々が使っている「使徒信条」ではなく、それに似た「ヒッポ信条」や「ニカイア信条」だった、と言われている。アウグスティヌスにしてみれば、それらの信条は正しい信条なのであるが、残念ながら、現代においてそれらの信条を、全ての教会が使用しているわけではない。ここにアウグスティヌスの時代的・社会的有限性がある。なぜならば、教会の信条は「公同の」信条でなければならないからである。

    

結論

 

 以上、見てきたように、アウグスティヌスの教会論は、教会概念に曖昧な部分があったり、ヒッポの信条という限定地域においてのみ有効な信条をもとに講解している部分や、また、本論では述べなかったが、ギリシア語よりもラテン語、北アフリカよりもローマへの依存等に見られるように、ある程度、時代的、社会的に制限されていたり、そのことがアウグスティヌスの神学の問題点と関連しているかもしれない。

 しかし、当時のキリスト教会において、アウグスティヌスほど多くの本を書き、発言し、行動し、神学のみならず、哲学、文学、その他の諸領域に影響を与えた人物も他にはいないのではないだろうか。回心から、ヒッポの司祭、司教へ、そして、ドナティスト論争やペラギウス派論争、『神の国』執筆に至るまで。ここに、彼が古代教会最大の教父と言われる所以があるのである。

 彼の教会論は、ローマ・カトリック神学の土台となった。もちろん、そこには彼の神学をある意味で誤解して使用し、教会法や教職制度を正当化させる土台となった部分もあった。しかし、ローマ・カトリックに対抗した宗教改革者たちにも、影響を与えた部分があり、ドナティスト論争においても見られたように、エキュメニカルな要素さえ彼の神学には含まれていたのである。

 彼は、神によって予定されており、その三位一体の神である聖霊によって創られ、キリストの体として存在し、カトリック教会のシンボルである、唯一にして、聖なる、公同の、使徒的教会、愛の共同体として、神の国、天上の教会になる終わりの時まで、罪の許しを求め、平和を得るために神への愛を必要とする国家との関係の中で生きていく教会について、その生涯における個々の状況に応じて、神の目に照らして考えようとした神学者なのであった。

 

 

 

 

 

〈参考文献〉

(1)アウグスティヌスの著作

 

・アウグスティヌス著『告白(下)』服部英次郎訳、岩波書店、1976年(改訳)

・アウグスティヌス著『信仰と信条』『信仰・希望・愛(エンキリディオン)』赤木善光訳、「アウグスティヌス著作集」4、教文館、1979年

・アウグスティヌス著『キリスト教の教え』加藤 武訳、「アウグスティヌス著作集」6、教文館、1989年

・アウグスティヌス著『洗礼論』『ドナティスト批判』金子晴勇・坂口ミ吉訳、「アウグスティヌス著作集」8、教文館、1984年

・アウグスティヌス著『神の国(3)』泉 治典訳、「アウグスティヌス著作集」13、教文館、1981年

・アウグスティヌス著『神の国(5)』松田禎二、岡野昌雄、泉 治典訳、「アウグスティヌス著作集」15、教文館、1983年

 

 

(2)アウグスティヌスに関する著作

 

・ヴァルター、フォン、レーヴェニヒ著『アウグスティヌス 生涯と業績』宮谷宣史・森 泰男訳、日本基督教団出版局、1984年

・アルフレート、シントラー著「アウグスティヌスの教会観と現代のエキュメニズム」水谷 誠訳、『基督教研究』第51巻、第1号、47‐63頁、同志社大学神学部内基督教研究会、1989年

・ヘンリー、チャドウィック著『アウグスティヌス コンパクト評伝シリーズ3』金子晴勇訳、教文館、1993年

 

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(1)  アウグスティヌス『告白(下)』服部英次郎訳、岩波書店、1976年(改訳)、215、216頁。 

(2) H、チャドウィック『アウグスティヌス コンパクト評伝シリーズ3』金子晴勇訳、教文館、1993年、50頁。

(3)  アウグスティヌス『信仰と信条』赤木善光訳、「アウグスティヌス著作集」4、教文館、1979年、115頁。

(4)  アウグスティヌス『キリスト教の教え』加藤 武訳、「アウグスティヌス著作集」6、教文館、1989年、44−45頁。

(5) 同書、46ページ参照。

(6)  W、レーヴェニヒ『アウグスティヌス 生涯と業績』宮谷宣史・森 泰男訳、日本基督教団出版局、1984年、141頁。

(7) 同書、142頁。

(8)  H、チャドウィック、前出書、135頁。

(9)  アウグスティヌス『ドナティスト批判』金子晴勇訳、「アウグスティヌス著作集」8、教文館、1984年、471頁。

(10)  アウグスティヌス『洗礼論』金子晴勇・坂口ミ吉訳、「アウグスティヌス著作集」8、教文館、1984年、243頁。

(11)  H、チャドウィック、前出書、178頁。

(12)  アウグスティヌス『信仰・希望・愛(エンキリディオン)』赤木善光訳、「アウグスティヌス著作集」4、教文館、1979年、257−267頁。

(13)  同書、265−267頁。

(14)  アウグスティヌス『神の国(5)』松田禎二、岡野昌雄、泉 治典訳、「アウグスティヌス著作集」15、教文館、1983年、126頁。

(15)  W、レーヴェニヒ、前出書、243、253頁。

(16)  同書、263頁。

(17)  H、チャドウィック、前出書、170,177頁。

(18)  アウグスティヌス『神の国(3)』泉 治典訳、「アウグスティヌス著作集」13、教文館、1981年、277頁。

(19)  W、レーヴェニヒ、前出書、144、253頁。

 

 

本レポートは1995年1月に同志社大学神学部大学院神学研究科博士課程前期における講義「キリスト教史研究T」のレポートとして提出され認められたものである。