「人間と『不安障害(神経症)』―キリスト教信仰との関係で― 」 川上純平

 

初版     20001117

改訂第一版 2012/ 1/19

改訂第二版 2021/12/29

改訂第三版 2022/ 1/22

 

目次

 

 

 1.「不安障害」の原因

 2.「不安障害」の療法

3.「不安障害」と「キリスト教信仰」との関係

4.結論

 

 

 

「不安障害」(Anxiety disorderは心の病の中で最も代表的な精神疾患の一つであり、様々な症状を表わす。しかし、かつてこの精神疾患は「神経症」(Neurosis)と呼ばれ、現在、この「神経症」という用語は使用されていない。

そもそも「神経症」という名称は19世紀の名称であり、この精神疾患は後に1994年に出版された『DSM‐W 精神疾患の分類と診断の手引(アメリカ精神医学会編、高橋三郎、大野 裕、染矢俊幸訳、医学書院、2001年第1版第10刷)』(以下『DSM‐W』と略す)(1)に記されたように『不安障害』という項目と幾つかの他の『精神疾患』の項目に分類されるようになったが、これが2020年に出版された『DSM‐5® 精神疾患の分類と診断の手引(アメリカ精神医学会編、高橋三郎、大野 裕監訳、医学書院、2020年第1版第6刷)』(以下『DSM‐5』と略す)では『不安症候群/不安障害群不安障害』という項目とさらに他の幾つかの『精神疾患』を示すものとされるようになっている。つまり『DSM‐5』では『DSM‐W』における『不安障害』という分類項目が『不安症候群/不安障害群不安障害』という名称に変更されたが、そこには「全般不安症/全般性不安障害」は、もちろん「社交不安症/社交不安障害(社交恐怖)」、「パニック症/パニック障害」、「広場恐怖症」等が属し、それまで『不安障害』に属するとされた「強迫性障害」、「外傷後ストレス障害」、「急性ストレス障害」等は他の『精神疾患』に分類されてしまっている。またそれまで『不安障害』に含まれておらず、ICDで『神経症』として取り扱われている「離人症」や「解離性障害」等、そして、ジークムント・フロイトが確立した『神経症』の概念に含まれる「(心気症等、病気不安症等)の身体症状症」、「抑うつ障害の一部」は別の『精神疾患』として取り扱われている。(2)

それゆえに、従来の「神経症」概念を念頭に置きつつ、以下に、この精神疾患全体を「不安障害」と記述する。本来、「神経症」という病名は、その病気自体が身体における神経そのものではなく、「脳」に原因のある病気とされてもいるので、「神経症」という名称は不適切な名称であり、2020年現在、「神経症」という病名も医学用語としては用いられていない。

現代日本社会において多くの人々がかつてないような生活上の極端な変化を含む様々な状況にあることにより、「不安障害」になる可能性を持っている。また「不安障害」と「キリスト教信との関係で、従来、様々な観点から、多くの事が語られ、それらは何らかの形で「不安障害」治療に関わろうとしてきた。しかし、「不安障害」の原因は、意外なことに、はっきりしていないことが多い。と言うのも、この病は人間の「脳」が深く関わっているからである。「脳」が人間の心にどれだけ深く関わっているかは、日本でも出版されたリタ・カーター氏の『脳と心の地形図 思考・感情・意識の深淵に向かって(藤井留美訳、養老孟司監修、原書房、1999年)』(3)を読んでも分かることであろう。「脳」についての研究が最近になって格段に進歩してきており、また「脳」について様々なことが分かってきたことは確かであるが、しかしながら、未だに分かっていない部分も多いのが実状であろう。なぜなら、「脳」は医学的な研究対象としては非常に難しいからである。また同時にそれだけ興味深いものでもあろう。

「脳」についての研究が活発になされる以前、「不安障害(神経症)」についての研究は心理学、精神分析の立場、とりわけフロイトと彼の影響を受けた人々の立場からなされたものであった。かつて欧米においては「不安障害」を治療するにあたっては、この立場による療法が主流であった。また「不安障害」は様々な症状が出る場合が多いが、病院の精神科や心療内科での幾つかの検査や診察等によって初めて正式に診断され、療法としては多くの場合、「薬物療法」、「認知行動療法」、「森田療法」等が行われているようである。

 

1.「不安障害」の原因

 

「不安障害」の原因は、前述したようにはっきりとしていないが、環境、脳、遺伝子、ストレス、性格等が考えられるだろう。環境とは、もちろん、家庭環境や仕事場の環境、学習環境等、生活環境全般である。脳は脳の内分泌物質、脳内神経伝達物質、例えばモノアミン類に属するセロトニン(5−HT)という物質とシナプス、受容体による神経細胞の電気活動、情報伝達、扁桃体や灰白質が「神経症」発生の原因に深く関わっているとされている。(4)ストレスについては、人間に対する、特に心理的ストレスが心の病に深く関わっていることを改めて述べる必要はないだろう。(5)性格については「森田療法」やフロイトの「精神分析」、その他の立場でも言われていることである。

おそらく、これらのことが複雑に関わって「不安障害」が起こると思われる。それゆえに「不安障害」とは器質的な原因による病気ではなく、心因性の病気である等とは必ずしも言いきることが出来ない。

それでは「不安障害」の療法には、どのようなものがあるのかを次に述べてみたい。

 

2.「不安障害」の療法

  

前述したとおり、「不安障害」の療法は様々である。またこの療法を行えば、「不安障害」が確実に治る、あるいは治らないと言うことは出来ないだろう。なぜならば、個人個人によって、「不安障害」の状態・治療法の適否は異なるからである。しかしながら、それらの療法を試してみる価値はあるであろうし、それは、精神科医や心療内科医、臨床心理士、精神分析家等の専門家たちと相談しながら行っていくものであることは言うまでもない。それでは以下にその療法の名称を記す。

   まず通常、総合病院の精神科及び心療内科外来で「不安障害」の治療法としてなされる「薬物療法」や「簡易精神療法」がある。それ以外としては「催眠療法」、そして、そこから生まれた、いわゆる「精神分析」、さらにそこから派生した、それぞれの「精神分析」や「ユング心理学」の立場からの「遊戯療法」、「箱庭療法」、「芸術療法(絵画療法・音楽療法等)」、「バイオフィードバック法」、「集団療法」、「家族療法」、「心理劇」、様々な「カウンセリング」、「実存分析」、「現存在分析」、「フォーカシング」、「イメージ療法」、「催眠分析」、「交流分析」それらとの関係で、一方で「認知行動療法」、「行動療法」、「暗示療法」、「自律訓練法」、「筋弛緩法」、「認知療法」、「ゲシュタルト療法」、「内観療法」、「作業療法」、「レクリエーション療法」、「読書療法」、「休息療法」、「森田療法」、カール・ロジャースの「クライアント中心療法」、また「環境調整」などが挙げられるであろう。

しかし、また最近では自分で独自の治療法を生み出す人もおり、眼球を左右に運動させることによって「不安障害」の症状が軽減するとされたり、(6)祈ることによって不安障害の症状が和らいだりするというような例もある。

 

3.「不安障害」と「キリスト教信仰」との関係

  

「不安障害」と「キリスト教信仰」との関係については、従来いくつかの観点から様々に言われてきた。たとえば、ジークムント・フロイトを始めとする「精神分析学」の観点、「ユング心理学」から発展した「宗教心理学」の観点、「牧会カウンセリングの観点、それとの関係で率直にキリスト教信仰と医学的・自然科学的なものの見方を結びつける観点、「実存分析」・「現存在分析」的な観点、それとの関係でロロ・メイパウル・ティリッヒ(7)等の「キリスト教神学」的な観点、また、「森田療法」と「禅」との関係から、おおまかに「宗教」との関係という点で捉えた観点もあるかもしれない。そして、現在においてこれら全てが行なわれているわけではない。

しかし、特にフロイトの「精神分析学」の観点を別にすれば、それぞれの観点はキリスト教信仰が「不安障害」治療に何らかの形で関わるもの、あるいは関わっていたのが実状である。(8)

またこれらのことに人間そのもの、人間の存在の問題が深く関わっていることは言うまでもない(「不安障害」の存在について、人間はどこまで理解することが出来るのだろうか?)。(9)

なお「信仰があれば、不安障害にはならない」等という考えを今日、もはや誰も支持しないであろう。それについては、「2.不安障害の原因」の項で述べたとおりである。むしろ、信仰を持った者が「不安障害」になった場合、「なぜ信仰深い自分が不安障害になったのか?」という点から、さらにより信仰生活を深めていく人もいるであろうし、ある牧会カウンセラーにいたっては「不安障害」を「神の恵み」であるとしている。もちろん、それは病気としての「不安障害」になることが素晴らしいことであると言っているのではない。むしろ、それは「不安障害」になることのマイナス面をどう見るかということである。「不安障害」による苦しみの中で自らの人生と「聖書」が証しする神、自らと神との関わりがどのようなものであるかを考えることを示している。もっとも、「不安障害」の場合、「不安障害」になって症状に苦しめられている時と症状が良くなっている時とでは本人の考え方が異なるということがある。さらに何をもって完治したとするのかということで意見が異なる場合もあろう。しかし、「キリスト教信仰」においては基本的には病の中にあって神が共にいて下さると信じることが大切であるとされている。

 

4.結論

 

このように「不安障害(神経症)」は脳における複雑な機能障害であり、その原因は様々に言われている。「精神医学」の歴史の中では「心理学的研究」や「精神分析」が多く貢献したものでもあるが、これにも限界があり、現在では「脳医学」の分野からの研究が重要とされている。しかしながら、「脳医学」が病に苦しむ人間のためにあることや「医療倫理」から逸脱することがあると、これも問題となる事は言うまでもない。

「キリスト教信仰」との関連においては、その受け止め方の違いで、療法が様々にあることや完治の定義の違いから個々人それぞれのアプローチが必要なものとされるのであろう。しかしながら、基本的にキリスト教信仰においては、人の生と存在が無駄なものではなく、それを包み込む神の恵みが大前提とされており、神が共に苦しみ、それを担って下さることを覚えることも重要なものとされている。

 

 

 

〈参考文献〉

 

・エーリッヒ・フロム著、谷口隆之助・早坂泰次郎訳、『精神分析と宗教』、東京創元社、1996年〈第31版〉Fromm,Erich. Psychoanalysis and Religion, Yale University Press, 1950.

・アメリカ精神医学会編、高橋三郎、大野 裕、染矢俊幸訳、『DSM−W 精神疾患の分類と診断の手引』、医学書院、2001年〈第1版第10刷〉

American Psychiatric Association. (ed),Diagnostic Criteria From DSMW,1994. 

アメリカ精神医学会編、高橋三郎、大野 裕監訳、『DSM‐5® 精神疾患の分類と診断の手引』、医学書院、2020年〈第1版第6刷〉

American Psychiatric Association. (ed),Desk Reference to the Diagnostic Criteria From DSM5®,2013.

・樋口正元著『神経症を治す 薬物療法から森田療法までQ&A』、保健同人社、1995年。

・小此木啓吾、深津千賀子、大野 裕編『心の臨床家のための精神医学ハンドブック』、創元社、1998年〈第1版〉。

・リタ・カーター著、藤井留美訳、養老孟司監修『脳と心の地形図 思考・感情・意識の深淵に向かって』、原書房、1999年 Carter, Rita.Mapping The Mind. 1998.

・藤倉恒雄著「テイリッヒの『牧会心理学』への貢献」『パウル・ティリッヒ研究』、聖学院大学出版会、1999年。

・仙波純一著「こころの化学信号ネットワーク―脳の神経化学」、尾崎紀夫著「こころの病や人格と遺伝子」『こころの科学 第100号 特別企画 脳と心』、日本評論社、2001年、55‐62頁、100‐107頁。

斎藤正弘著『神経症を治す本』、健友館、2002年〈第1版〉。

・『心理学辞典 CD-ROM版』、有斐閣、1999年。

・『精神医学事典』、弘文堂、2001年。

・『有斐閣 現代心理学辞典 LogoVista電子辞典版」、有斐閣、2021年。

Anxiety disorderFrom Wikipedia, the free encyclopedia. https://en.wikipedia.org/wiki/Anxiety_disorder

  Generalized anxiety disorder”From Wikipedia, the free encyclopedia.https://en.wikipedia.org/wiki/Generalized_anxiety_disorder

 

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(1)  これについてはアメリカ精神医学会編、高橋三郎、大野 裕監訳、『DSM‐5® 精神疾患の分類と診断の手引(医学書院、2020年〈第1版第6刷〉)』を参考に、それまでの診断基準について述べる必要がある。この本は原書名がAmerican Psychiatric Association.(ed),Desk Reference to the Diagnostic Criteria From DSM5®,2013.である。“DSM”とはアメリカ精神医学会(APA)の精神疾患の診断・統計マニュアルである“Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders”の略称であり、精神疾患の理論や治療について幅広く共有出来るようにするために作られた診断概念または診断基準の一つである。DSM-T(1952),DSM-U(1968),DSM-V(1980),DSM-V-R1987DSM-W(1994),DSM-W-TR2000)と改訂を重ね、最も新しいものは2013年に発表されたDSM-5である。第3版に至り,症状に焦点が当てられ、操作的診断基準が設定され,また多軸評定システムが採用されたこともあり,アメリカ国内のみならず世界的に非常に広く用いられるようになった。操作的診断とは,臨床像の記述により各精神障害を定義し,複数の特徴的病像が認められるかどうかで診断を下す方法であり,診断の客観性・公共性を高めることができる。多軸評定システムでは,(1)臨床的障害,(2)人格障害・精神遅滞,(3)一般医学的状態,(4)心理社会的および環境的問題,(5)機能の全般的評定,の五つの側面から生物・心理・社会的に評定を行うとされる。DSM-WはDSM-V-R1987)を改訂したものであり、さらにDSM-5はDSM-Wを根本的に変更したものではなく、科学的な知見を可能な限り中立的に検討し作成されている。(熊野宏昭著DSM」『心理学辞典 CD-ROM版』、有斐閣、1999年。小此木啓吾、深津千賀子、大野 裕編『心の臨床家のための精神医学ハンドブック』、1998年〈第1版〉、100‐104頁。桑原斉著「DSM」『有斐閣 現代心理学辞典 LogoVista電子辞典版』、2021年)

一方、“DSM”が精神疾患のみに関するアメリカ精神医学会の分類であるのに対して“ICD”は全疾患を取り扱い分類している。“ICD”とは「国際疾病分類」(“International Classification of Diseases”)の略であり、世界各国間の死亡および疾病統計に使用される分類で、国際疾病分類としてWHOが所管している。最新のものは2018年に改訂された第11回修正版(ICD-11)で、日本でも厚生省により採用され、“DSM”とは分類等が異なる。(熊野宏昭著「国際疾病分類」『心理学辞典 CD-ROM版』、有斐閣、1999年)

(2)  有光興記著「神経症」『有斐閣 現代心理学辞典 LogoVista電子辞典版』、2021年。小此木啓吾、深津千賀子、大野 裕編『心の臨床家のための精神医学ハンドブック』、1998年〈第1版〉)、160頁。

これらの事には脳についての研究成果が影響を与えている。清水栄司著「不安症群/不安障害群」『有斐閣 現代心理学辞典 LogoVista電子辞典版』、2021年を参照。

(3)   原書名はCarter, Rita. Mapping The Mind.1998. ちなみに私は上記 の本をインターネットのホームページである斎藤正弘氏の「神経症を治すホームページ」で知ったが、私が「不安障害」についてこのホームページから学んだことは多い。なお斉藤氏の著作としては『神経症を治す本(健友館、2002年第1版)』がある。

(4) この神経伝達物質と神経細胞との関連については、たとえば、仙波純一「こころの化学信号ネットワーク―脳の神経化学」『こころの科学 第100号 特別企画 脳と心(日本評論社、2001年)』55−62頁を参照。ちなみに同季刊誌100−107頁所載の尾崎紀夫著「こころの病や人格と遺伝子」においてもセロトニン(5−HT)と不安性障害との関係が述べられている。

   また、脳の中の最大のノルアドレナリン系の核である青斑核におけるGABA(gamma amino butyric acid)系システムの制御機能の障害のような生物学的メカニズムが「パニック障害」に関係しているとも言われている。小此木啓吾、深津千賀子、大野 裕編『心の臨床家のための精神医学ハンドブック(創元社、1998年第1版)』163頁やGeneralized anxiety disorderFrom Wikipedia, the free encyclopedia.https://en.wikipedia.org/wiki/Generalized_anxiety_disorder等を参照。

(5)  もっとも、ストレスは人間が生活していく上で必要なものであり、有益なストレスもあるが、「不安障害」と深く関わるのは、ストレスを処理したり、コントロールしたり出来なくなる状態、あるいは急性的な強いストレス等である。『精神医学事典(弘文堂、2001年)』の「ストレス」の項他参照。

(6)    竹林唯著「EMDR」『有斐閣 現代心理学辞典 LogoVista電子辞典版』、2021年。

(7)  ちなみに、藤倉恒雄「テイリッヒの『牧会心理学』への貢献」『パウル・ティリッヒ研究(聖学院大学出版会、1999年)所載』15〜41頁はパウル・ティリッヒが心理学に対する無理解な批判攻撃や神学と心理学の安易な同一化を戒めていること、「神経症的な不安」と「存在論的な不安」の区別の提示が心理学者の精神病理学についての理解を助けたこと等について述べている。

(8)  もっとも、だからと言って、精神分析学者全てがキリスト教信仰は神経症治療に関わっている、あるいは関わっていないと主張しているわけではなく、その学説も様々であることは言うまでもない。ちなみにフロイトの宗教についての見方を含めて、興味深い考察をしている精神分析学者としてエーリッヒ・フロムの名を挙げるのはおかしくないことであろう。特に彼の『精神分析と宗教(谷口隆之助・早坂泰次郎訳、東京創元社、1996年第31版。原書名はFrommErichPsychoanalysis and Religion New HavenYale University Press,1950)』は一読に値する。またフロイトの宗教に対する考え方についてはこの本の16頁以下参照。

(9)   この「人間と不安障害(神経症) キリスト教信仰との関係で 」は筆者がかつて2000年に書いたものを加筆補正したものである。