「実存主義とキリスト教」                      2001年 川上純平

 

 

 

◆「実存主義とキリスト教」の関係について説明していただきたいのですが。

◇はい、まず「実存主義」は、19世紀の哲学者キルケゴールやニーチェをその祖としていますが、ドイツの哲学者カール・ヤスパースの『世界観の心理学』と哲学者マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』を、その出発点としている哲学で、20世紀にマルクス主義と並び代表的な哲学的立場の一つとなったものです。

そして、この「実存」という言葉は、そもそもは「本質」に対立する概念として用いられ始めた表現ですが、たとえば、マルティン・ハイデッガーでは、自分自身の存在に関心をもつ現存在(“Dasein”現実存在)としての在り方をいいます。また「実存主義」は人間の本来的なあり方をその(認識・行為の担い手としての)主体的な実存に求め、人間の「実存」の意義を強調する哲学です。

この実存主義は、人間の自由と責任を強調し、人間が死に向かう存在であるにもかかわらず、その人間の個人の生命を世界にあって唯一の重要な存在とし、それに関与していこうとするものでありますし、制度や組織の中にあって自分の生き方を創り出す主体性の誠実さを求めるものでもあります。

自分の立場をはっきりと「実存主義」と銘打っているのはフランスのJ.P.サルトルとその一派だけだと言われたこともありますが、普通にはヤスパースの「実存哲学」とハイデッガーの「実存論的哲学」をも含めて考えられています。

そして、「実存主義とキリスト教」との関係は、ルターやアウグスティーヌスから、さらに聖書にまでさかのぼります。しかし、思想史上「実存主義とキリスト教」との関係が唱えられているのは、キルケゴールであり、そこから実存主義に強く影響を受けたキリスト教神学者の名前、それをあげると、きりがありませんが、たとえば、ルードルフ・ブルトマン、エルンスト・フックス、ゲアハルト・エーベリングパウル・ティリッヒ、初期のカール・バルトといった人たちの名前をあげることができるでしょう。そういった人たちが特に実存主義とキリスト教信仰の関係を考えたのです。

  そのキリスト教信仰はどういったものかとおおまかに言いますと、私たちは現代の日本社会に生きています。もしかすると、あまり聖書やキリスト教とは無関係に生きることができるかもしれません。しかしながら、キリスト教信仰というものは、今、ここで、私という人間がイエス・キリストにおいて現われた神を信じるというものです。それは、2000年前にパレスチナで生きた神の子イエス・キリストが、その時、そこで、実に私を救うために、私たちを救うために愛をもって生き、私たちの罪のために十字架にかかり、死んだ後に、復活して、再び私たち人間の前に現われ、そして、今、聖霊(神の霊)の力によって自分が生かされている、そのことを信じる、と決断するということです。それは信じることによって、自分自身が抱え込んでいる、死、罪、不安といったものから解放され、この歴史の中で希望を持って生きることができる、生き方を変えることができる、他者と共に生きることができるようになるということです。

◆「実存主義とキリスト教」との関係は神学者によって異なるものなのですか?

はい、たとえば、ブルトマンとバルトでは全く異なります。二人はそれについて論争をしています。実存主義とキリスト教の関係は様々にあります。「実存」「実存主義」というものの概念、解釈が様々に異なるということもありますし。バルトやブルトマン等の「神の言葉の神学の提唱者(弁証法神学者)」、ティリッヒ以後の現代の神学者でも「実存主義」と関係のない神学者はいないと言うこともできます。

「神学と哲学を分離して神学の純粋性を保持せんとすることはそもそも不可能な企画と言わなければならない。事実、神学は常に何らかの哲学との密接な関係の下で形成されてきた。古代教父(※オリゲネスを含む)たちはストア等の古代の哲学、殊に新プラトーン主義の影響下にその神学を形成した。アウグスティーヌスも決して例外ではない。トマス・アクィナスはアリストテレースの、D・Fr・シュトラウスも、Ph・K・マルハイネケ、F・C・バウアあるいはA・ビーダマンらもヘーゲルの、A・リッチュルは特にカントの、(※初期のK・バルトはキルケゴールの)、Fr・ゴーガルテンはグリーゼバハの影響を受けている。R・ブルトマンの実存論的解釈も初期ハイデガーの哲学と無関係ではなく、J・モルトマンの神学はブロッホの、・パネンベルクの神学もヘーゲルの、プロセス神学もホワイトヘッドの哲学を抜きにしては、恐らく理解不可能である。

  しかし、そのことは神学と哲学のしなやかな調和や単純な総合を正当化するものではないであろう。」(大崎節郎「信仰の思惟―教義学序説」『教義学とは何か』日本基督教団出版局 1987年初版 55、56頁)

昔から神学は哲学と共に成長し、その逆も然りで、そもそも哲学なしの神学、神学なしの哲学というものはあり得ないものなのです。しかも、その関係は複雑なのです。

◆そうですか。わかりました。今日はどうもありがとうございました。

◇ありがとうございました。

 

 

注)※の付いた括弧内は筆者の付加です。上記の文章は筆者が「実存主義」と「キリスト教」との関係について、インタビュー形式の文章で説明したものです。

 

戻る