「パウル・ティリッヒについて」   川上純平  2002年

 

 

 

 

 

ティリッヒ Tillich, Paul(1886−1965)

 

アメリカのプロテスタント神学者,哲学者。ドイツのシュタール・ツェッデル(現在のポーランド)においてルター派教会の牧師の子として生まれ(1886・8・20)、ベルリン、テュービンゲン、ハレ(彼はここでマルティン・ケーラーから影響を受けている)などで神学ならびに哲学を学び(1904―07)、ブレスラウ大学よりシェリングの研究によって哲学博士の学位を受けた(11)。牧師となるが、第一次世界大戦中には従軍牧師となり、その戦場のあまりの残酷さに精神的に苦しめられ、兵隊との接触から大衆と教会の遊離を痛感し、戦後は宗教社会主義の運動に参加、キリスト教とマルクス主義の相互批判を経た総合の立場を理論的に展開しその理論的指導者となった。

彼の初期の著作は主としてこのドイツ宗教社会主義運動に基礎づけを与えるために生まれたと見てよい。その理論構築から生まれたのが〈充満の時〉を意味する〈カイロス〉や、創造的かつ破壊的な力を意味する〈デモーニッシュ(ドイツ語 dämonisch 『悪魔的な、デーモンの』の意味。そもそもは、ギリシア語の“δαιμων”『ダイモーン、悪鬼』に語源がある。)〉等新約聖書の用語の、歴史哲学と社会哲学における概念化である。そこからさらに〈プロテスタント時代の終焉〉という時代認識とともに、永続的なる真理としての〈プロテスタント原理〉の主張がなされ、批判力としてのみならず文化形成力としてのプロテスタンティズム論を展開。カント協会では「文化の神学の理念について“Über die Idee einer Theologie der Kultur」と題して講演を行ない(19)、『カイロス“Kairos”』(全2巻、26‐29)、『宗教的実現“Religiöse Verwirklichung”』(29)等を出版。このような論陣を張りつつ、ハレ大学私講師(16)、ベルリン大学私講師(19‐24)、マールブルク大学神学教授(24−25)、ドレスデン大学およびライプチヒ大学宗教哲学教授(25−29)を歴任。

ナチズムの台頭に直面しつつ〈他律的〉かつ〈デモーニッシュ〉な全体主義と、〈自律的〉であるが空虚で無力な自由主義をともに超える〈神律的〉文化を提唱した。それは「宗教は文化の実体であり、文化は宗教の形式である」との主張を根本とするものである。フランクフルト大学哲学教授(29−33)の頃、ナチズムを公然と批判したためヒトラー政権によって大学職を追放され、神学者ラインホールド・ニーバーの招きもあってアメリカに渡り(33)、帰化(40)。ニューヨークのユニオン神学大学の〈哲学的神学〉の教授となる。

第二次世界大戦中はヨーロッパからの移民、亡命学者、とくにユダヤ人の救済援助のために努力し、終戦後、以来22年間、ユニオン神学大学で講座を担当、停年退職(55)とともに招かれてハーバード大学の〈ユニヴァシティー・プロフェッサー〉、ニーバーと並ぶアメリカの代表的な神学者、宗教思想家となる。この間『境界に立ちて“On the Boundary”』(36)、『プロテスタントの時代“The Protestant Era”』(48)、『地の基震い動く“The Shaking of the Foundations』(48)、『存在への勇気“Courage to Be』(52)、『新しき存在“The New Being』(55)、『信仰の動態“The Dynamics of Faith”』(57)、等を出版。来日は(60)。その後も「永遠の今“The Eternal Now”」(63)、道徳的行為の宗教的基礎Das religiöse Fundament des moralischen Handelns」(63)、「究極的なものを求めて-現代青年との対話“Ultimate ConcernDialogues with Students”」(65)等を出版。

東洋の宗教と文化に目を開かれ、『文化と宗教“Theology of Culture”』(日本での講演集、62)出版後、日本で学んだこと及び宗教学者ミルチャ・エリアーデとの共同研究もあってシカゴ大学の最終講義で「将来の神学は東洋の宗教史との対話の中で生まれる」とした「宗教史の神学」を構想したが、未完に終わった(65)。その講義後、心臓発作が原因で逝去(65・10・22)。死後、出版された『近代プロテスタント思想史“Perspectives on 19th and 20th Century Protestant Theology”』も重要である。

その経歴にも表されているように、彼は神学と哲学との境界線上を歩んできた。彼は、一方においては、啓示と理性とを峻別することによって、啓示の意味内容はそれを受取る理性の可能性を一切排除するような仕方で提示することができるとする超自然主義的神学1)を否定し、人間の歴史的実存から発生する諸問題と聖書的シンボルの中に含まれた真理とを問いと答えとの関係において把握しようとした。それは、人間の歴史的存在は存在の根底(ground of being)との本来的一致を失った実存として破れた存在であり、同時に、その存在の根底によって支持され、それに参与しているという弁証法的関係によって神の啓示からの答えが与えられるとしているということでもある。彼はいかにして人間は救われるのかという問いを追求しようとしたとも言われている。

ティリヒの思想の特色は,このように異なる領域の境界に立って弁証法的な道を創造的に形成することにあり、それは神学と哲学,宗教と文化,存在と実存、観念論とマルクス主義等のような相関関係の神学的立場、「呼応の方法」(Method of Correlation)と呼ばれたものであるが、それは大著『組織神学“Systematic Theology”』3巻(1951‐63)に体系化された。これは カール・バルトの『教会教義学』に匹敵する神学であるとされる。

ティリッヒのこのような神学思想形成には、ドイツ観念論者、特にF.W.J.シェリングや実存主義哲学の祖であるセーレン・キルケゴール、マルティン・ハイデッガー、また宗教社会主義やカール・バルトを始めとする神の言葉の神学(弁証法神学)等の影響があるが、それだけでなく、彼がその中で育ってきたルター派教会の伝統及び彼独自の深い洞察力と強靱な思索力によると言える。彼はキルケゴールなどの実存主義を紹介しつつフロイトの精神分析を高く評価し、神学と実存哲学,宗教と心理学の協力・総合の道を開き、エーリッヒ・フロム、ロロ・メイと親しくなることによって、特に実存心理学と牧会心理学にも貢献した。彼の影響は政治理論、仏教や神道にも及び、彼の著作は宗教と文化との関係、歴史哲学、倫理、経済、科学、教育、芸術、時事批評に関するものなど多岐にわたる。

 

 

 

 

・ティリッヒの著作の翻訳書・邦語研究書としては以下のものがある。

 

◇翻訳書

 

『組織神学』第1巻 「序論」「理性と啓示」「存在と神」谷口美智雄訳(新教出版社 1990年)

 

『組織神学』第2巻 「実存とキリスト」谷口美智雄訳(新教出版社 1969年)

 

『組織神学』第3巻 「生と霊」「歴史と神の国」土居真俊訳(新教出版社 1984年)

 

『近代プロテスタント思想史』佐藤敏夫訳(新教出版社 1976年)

 

『信仰の本質と動態』谷口美智雄訳(新教出版社 1961年)

 

『存在への勇気』谷口美智雄訳(新教出版社 1954年)

 

『地の基震い動く』後藤 真訳(新教出版社 1951年)

 

『ティリッヒ博士講演集・文化と宗教』高木八尺編訳(岩波書店 1962年)

 

『愛、力、正義』谷口美智雄訳(新教出版社 1957年)

 

『新しき存在』土居真俊訳(新教出版社 1958年)

 

『神の存在論的探求』土居真俊訳(理想社 1961年)

 

『永遠の今』茂洋訳(新教出版社 1965年)

 

『究極なものを求めて』茂 洋訳(新教出版社 1968年)

 

『文化の神学』茂 洋訳(新教出版社 1969年)

 

『平和の神学 1938‐1965』芦名定道監訳(新教出版社 2003年)

 

『宗教の未来』大木英夫・相澤 一訳(聖学院大学出版会 1999年)

 

『芸術と建築について』前川道郎訳(教文館 1997年)

 

『ティリッヒ著作集』全13巻(白水社 1978−1980年)

 

第1巻「大衆と精神」「社会主義的決断」他 古屋安雄・栗林輝夫訳

 

第2巻「道徳的行為の宗教的基礎」他 水垣 渉訳

 

第3巻「哲学と運命」「カイロスとロゴス」他 大木英夫、清水 正訳

 

第4巻「宗教哲学の二つの道」「聖書の宗教と存在の問題」他 野呂芳男訳

 

第5巻「プロテスタントの時代」他 古屋安雄訳

 

第6巻「信仰の本質と変化」他 大宮 溥訳

 

第7巻「文化の神学の理念について」他 谷口、竹内、木下、田辺訳

 

第8巻「現在の宗教的状況」他 近藤勝彦訳

 

第9巻「生きる勇気」「愛、力、正義」 大木英夫訳

 

第10巻「境界に立ちて」他 武藤一雄、片柳栄一訳

 

別巻1「地の基震い動く」「新しい存在」「永遠の今」 加藤常昭訳

 

別巻2「キリスト教思想史」T 大木英夫、清水 正訳

 

別巻3「キリスト教思想史」U 佐藤敏夫訳

 

◇研究書

 

土居真俊著『ティリッヒ』(日本キリスト教団出版局 1960年)

 

茂 洋  著『ティリッヒの組織神学の構造』(新教出版社 1971年)

 

茂 洋  著『ティリッヒの人間理解』(新教出版社 1986年)

 

藤倉常雄著『ティリッヒの『組織神学』研究』(新教出版社 1988年)

 

土居真俊著『キリスト教と佛教』(法蔵館 1989年)

 

藤倉常雄著『ティリッヒの神と諸宗教』(新教出版社 1992年)

 

茂 洋  著『ティリッヒ神学における存在と生の理解』(新教出版社 2005年)

 

近藤勝彦著『歴史の神学の行方』(教文館 1993年)

 

量 義治著『緊張・哲学と神学』(理想社 1994年)

 

笠井恵二著『二十世紀キリスト教の歴史観』(新教出版社 1995年)

 

芦名定道著『ティリッヒと弁証神学の挑戦』(創文社 1995年)

 

ウィルヘルム=パウク・マリオン=パウク著『パウル・ティリッヒ』 T生涯 田丸徳善訳(ヨルダン社 1979年)

 

大島末男著『人と思想 135 ティリッヒ』(清水書院 1997年 第1版)

 

ジョン=ドウァリイ著『ユングとティリッヒ』久保田圭伍訳 (大明堂 1985年)

 

マイケル=パーマー著『パウル・ティリッヒと芸術』野呂芳男訳(日本キリスト教団出版局 1990年)

 

『パウル・ティリッヒ研究』組織神学研究所編(聖学院大学出版会 1999年)

 

『パウル・ティリッヒ研究2』組織神学研究所編(聖学院大学出版会 2000年)

 

 

 

 

〈参考資料〉

 

 

・大島末男著『人と思想 135 ティリッヒ』、清水書院、1997年〈第1版〉。

芦名定道著「ティリッヒ 二十一世紀へのメッセージ シリーズ20世紀神学の総決算4『福音と世界 2000年4月号』、新教出版社、2000年、18‐23頁。

・土居真俊著「ティリッヒ」『キリスト教大事典 改訂新版』、教文館、1991年〈改訂新版第10版〉。

・土居真俊著「ティリッヒ」『キリスト教組織神学事典』、教文館、1992年〈第版〉。

・「ティリヒ,パウル」現代キリスト教神学思想事典』、新教出版社、2001〉。

Christoph Schwöbel Tillich, PaulinAlister E.McGrath (ed.),The Blackwell Encyclopedia of Modern Christian Thought, Blackwell Publishers,1993

・寺園喜基著「ティリッヒ」『岩波哲学・思想事典』、岩波書店、1998年。

・古屋安雄著「ティリヒ」『CD-ROM版 世界大百科事典・年鑑・便覧』、日立デジタル平凡社、1998‐2000年〈第2版〉。

・芦名定道著「ティリッヒ」『岩波キリスト教辞典』、岩波書店、2002年。



1)     ティリッヒが、カール・バルトの神学を「超自然主義的神学」としたことは有名である。ちなみに、大崎節郎「『カール・バルトのローマ書研究』(新教出版社、1987年)」105〜116頁は、ティリッヒはバルト神学の「プロテスタント的根本原理」(protestantisches Grundprinzip)の面を晩年まで評価したが、バルト神学とティリッヒの神学は、最初から根本において異質のものであったとしている。