「部落差別とキリスト教会(特に日本基督教団)の取り組み」について     

川上純平    2002年     

 

 

 

1.部落差別とは

 

「部落差別」とは、部落出身者に対する差別のことを言うが、ここで言われている「部落」とは、単に地方の村や町、集落一般のことを指す呼称ではなく、東北から九州にいたるまでの全国各地において,都市、町、農村、漁村等を問わず、ある特定の差別意識によって差別された集落のことを言う。「ここに部落差別はない」と言われている場合、後で部落差別のあることが分かる場合がある。

現代における部落差別の内容は、就職差別及び結婚差別が主なものであり、冤罪事件である1963年の狭山事件についての再審が行なわれていないということも部落差別を含んでのものであろう。言うまでもなく、この事件は部落出身者が犯人であるという当時の警察側のでっち上げに基づく。

部落差別の起源は16世紀末から17世紀にかけての封建的身分制度によるものであると言われているが、一方では、それよりも以前、室町時代の14世紀から15世紀頃までにその起源を見定める説もある。つまり、7、8世紀に日本が中国の律令制を取り入れた際、国民は「良民」と「賎民」に分けられた。「賎民」とされた人々は律令制が廃止された後も、権力者たちが宗教的(仏教あるいは神道的)な「ハレ」と「ケガレ」の考え方を利用し、死んだ動物の皮を扱う人々を「穢れている(けがれている)」人々「賎民」として差別したということに起源を見定めるということである。ちなみに、中世において「賎民」とされた人々は、河川敷で生活させられ、その当時の文化であった「能楽」や社寺の庭園を造った人々であった。それゆえ、部落差別の起源がいつ頃の、何によるものなのかは明確にする必要があるであろう。

部落差別に対する取り組みを「部落解放運動」と言い、行政や教育の分野では、しばしば、部落差別に関わる社会問題が「部落問題」「同和問題」とも言われた。この部落差別が、江戸時代における士農工商による差別によって制度として確立したことは疑いの余地はない。その頃、部落の人々は、士農工商の下に位置する「えた、非人」という差別的蔑称で呼ばれたのであった。その頃の部落差別は、特に「農」の人々に優越感を与えるために、作られたものでもあった。全ては政治的に「武士」を一番上に置くためのもので、それ以外、つまり「農工商」はどうでも良かったのだろう。それは、当時の幕府による犯罪と言ってよいかもしれない。さらに天皇を頂点とした制度である天皇制それ自身によって、また天皇制を差別構造として用いる者たちによって部落差別は強化されるに至った。これは天皇を上とし、士農工商を中に、部落を下と考える図を横にした場合、天皇、部落がそれぞれ、両端になること、つまり、外側、周縁部に置かれている図になることも関係しているのであろう。

しかし、19世紀に入り、「解放令」の公布、キリスト教、民主主義思想、社会主義思想等の浸透により部落解放運動がなされ始め、1922年に部落出身者によって起草された「水平社創立宣言」が生まれた。それは、〈全国に散在する我が特殊部落民よ、団結せよ〉の文言で始まり、〈水平社は、かくして生れた。人の世に熱あれ、人間に光あれ〉で結ばれて、今日ではその観念的な面が反省されながらも、部落差別をなくす意思を明確に表明した部落解放運動の精神的支柱となっている(1)1946年には部落差別撤廃と部落解放を目ざした「部落解放全国委員会」が「水平社」の伝統を受け継いで結成され、1955年に「部落解放同盟」と改称した。

法に関して言うならば、日本国憲法で言われている「人権」は、当事者である国民の側に立つものであり、それを侵害してはならない。

部落差別は明らかに人権侵害であり、部落差別に対しての法的措置はなされなければならない。しかし、部落差別は「論理的に根拠のない感情問題」として発生することもある。(2)それゆえ、様々な面からの取り組みが必要とされる。

部落差別は、いつか自然になくなると思っている間はなくならない。仮になくなったとしても、多くの人々による苦しみを伴い、かつ自らを解放した形での運動や取り組みがなされて、そうなったことを忘れてはならないだろう。部落差別についての無理解は「差別された側にとって差別は命に関わるほどのことであるのに、差別する側は自分の加害の結果について、相手の痛みについて、ほとんどわからないという点」にある。(3)

あるキリスト者で部落差別に取り組んでおられる方の発言で、「部落差別」にはある「呪術的神話的世界観」に束縛されているということがあり、人権教育・啓発教育の必然性があるとも言われている。部落出身の子供たちは部落差別の悲惨さを語るために生まれてきたのではないであろう。そうではなく、憲法によって保障されている権利を持った人間として生きるために生まれてきたのである。部落解放に関わるという時に、たとえば、部落解放同盟に連帯するのではなく、一人一人が行動するということが重要である。また部落解放に関わるということは、部落差別は他の差別とは異なり、特別なものであり、それに反対することが重要であるのだが、人間としての尊厳を尊ぶ、「人権」という点で他の差別問題にも関わることを意味する。

 

2.キリスト教会(特に日本基督教団)の取り組み

 

部落差別の対象であった「部落」にキリスト教が伝えられたのは、日本にキリスト教が伝えられて、まもなくしてからのことであったのだが、キリスト教会として部落に伝道を行ない始めたのは、19世紀に日本にプロテスタントが伝えられてからのことであった。その時、キリスト教の福音が部落差別からの解放を説くものとして部落の人々によって受入れられたが、部落差別の本質に対する 取り組みは、まだなされず、逆にキリスト者自身の差別体質が問われ続けた。特に1950年以降、教会が部落差別に取り組み始めると同時に、キリスト者による部落差別事件が数多く起こった。

そのこともあって、1958年に日本基督教団第10回教団総会で西中国教区から部落問題に取り組むよう建議案が出され、教団内の有志が結集し、「部落解放キリスト者協議会」が発足。1975年になって、ようやく「日本基督教団部落差別問題特設委員会」が設置され、1981年に「日本基督教団部落解放センター委員会」(部落解放センター)が設立された。日本キリスト教協議会も1976年に「部落差別問題特別委員会」を設置。1992年にはおよそ82日間、全国600教会、約2500名が参加して「部落解放全国キャラバン」が行われた。1997年には部落解放センターが日本基督教団の諸委員会、北海・沖縄教区に呼びかけて「反差別合同協議会」も開催した。

 2000年には「日本基督教団部落解放方針」が常議員会で可決され、その具体化へ向けての歩みが進められている。その具体化として2004年には1975年7月14、15日に「日本基督教団部落差別問題特設委員会」が設置されることによって部落差別問題への取り組みが始まったことから、7月の第2主日を「部落解放の祈りの日」として覚えることとした。

キリスト教会が部落解放に関わるにあたって、「教会とは何か」を問う場合がある。キリスト教会は、イエス・キリストの教会であるゆえに、聖霊の働き、イエス・キリストの名によって集められたキリストの身体であり、旧約聖書ではイスラエルという形で既に表わされたものである。それは終末論的に生き、「聖徒の交わり」としてこの世に存在する神の救いの共同体である。

 それゆえに、教会はこの世の問題に関わるものである。それは、イエスがかつて被差別地域であったナザレから神の国を伝えたように。しかしながら、教会において部落差別の問題はあまり理解されていない。それゆえ、これからも多くの教会が部落差別の問題に取り組み、部落差別から解放されることが望まれている。

それは信仰の問題でもある。信仰には「人間が人間としてお互いに人権を尊重し合って生きていく」ことが関わっている。(4)それは単に聖書の解釈が異なるから部落差別は自分とは関係がないということではなく、「教会」とは何か、イエス・キリストとはどのようなお方かということ、神が人間に対して自由に関わるということと関係する。

 しかしながら、部落差別の問題は、本で読んだ知識や人づてに聞いた話では、到底理解できないばかりか誤解の原因となりかねない。部落差別の現場に足を運ぶこと、部落解放関係の集会で、実際に差別を受けた人の話を聞くこと、共に語り合うこと、共感することの方が大切であることは言うまでもない。そうすることによって、はじめて理解できるものである。

 私も神学生時代から、他の神学生たちに誘われて、実際、部落に足を運んで話を聞いたり、教会関係者による部落差別についての学習会に参加したり、日本基督教団の教師になった後も、諸宗教の部落解放に携わる方々の集まりに参加したりもした。1981年に「同和問題に取り組む宗教教団連帯会議」が結成されたわけであるが、仏教者で部落差別への取り組みを行なっている方々は、自らの宗派の指導者の教えに反するということで取り組んでおり、また、正しい仏教の教えから照らし合わせて見てもおかしいということで取り組んでいるということであった。そこで私が感じたことは、部落差別がいかに陰惨で酷い差別であるかということと、部落差別を受けた人で部落解放に取り組んでおられる方は明るい方が意外と多いということであった。これからも部落差別に反対することの重要性を感じている。それによって自らが変革されていくということもあるのであろう。

 

 

〈参考文献〉

 

・菅 孝行著「現代の部落差別と天皇制」『チャペル・アワー講演集3 差別と人権を考える』、同志社大学宗教部、1988年。

・土方 鉄著「被差別部落」『現代日本の偏見と差別』、新泉社、1990年、117‐140頁。

・東岡山治著「被差別部落」『総説 実践神学U』、日本キリスト教団出版局、1993年〈初版〉、320‐354頁。

・吉田和子・宮田誉夫・宇野稔他著『部落差別問題QA』、日本基督教団部落解放センター編、1998年。

・東岡山治著『盥の水を箸で廻せ』、中川書店、2000年。

・『日本キリスト教歴史大事典』、教文館、1988年。

・師岡 佑行・横井 清著「被差別部落」川村善二郎著「部落解放同盟」『CD-ROM版 世界大百科事典・年鑑・便覧』〈第2版〉、日立デジタル平凡社、1998−2000年。



(1)   師岡 佑行・横井 清著「被差別部落」『CD-ROM版 世界大百科事典・年鑑・便覧』、日立デジタル平凡社、1998‐2000年〈第2版〉。

(2)   吉田和子・宮田誉夫・宇野稔他著『部落差別問題QA』日本基督教団部落解放センター編 1998年。4頁。

(3)   同書、12頁。

(4)   同書、19頁。