『キリスト教信仰と精神分析』           川上純平     2006・7・18

 

 

 

 

「キリスト教信仰と精神分析」は、関連性を持っていると言われているが、それはどういうことであろうか。

オーストリアの精神分析学者ジークムント・フロイトを始めとする人々は、キリスト教信仰と神経症は重複する

部分を多く兼ね備えているとし、フロイトにいたっては「宗教」と「神経症」を同一のものとして見ている。(1)

  言うまでもなく、「精神分析」はフロイトが神経症の治療を行っている中で発見したものである。そして、キ

リスト教信仰と精神分析が関連性を持っているという時、それは何も「神経症」のみにおいて関連性があると言

われているのではない。また、そもそも現代において、精神分析は「神経症治療」のみに行なわれるものではな

く、人間一般の心理は言うに及ばす、社会分析や現代思想との関連で扱われるものとなっている。

 それでは、「キリスト教信仰と精神分析」について考える時、そこにどのような意味があり、また、問題点が

あるのであろうか。それについて土居健郎は、その著書『信仰と甘え』において興味深い発言をしている。(2)

土居は、信仰生活において心理的葛藤がある場合、その信仰生活が歪んだものになるとしており、人間の心理

的状態が信仰に影響を与えると考えている点に立つ。同時に、たとえ、キリスト教信仰を持っている精神分析医

であったとしても、人間を正しいキリスト教信仰に導くことができるとは限らないとしており、フロイトとは異

なる立場をとっていることがわかる。(3)

 また、これとは異なる立場もある。それは、宗教は原始的な精神医療であったという立場である。新約聖書に

おいて、イエス・キリストが病人を癒したということの中に、精神的に病んだ人々も癒したということが含まれ

ているということや、そもそも宗教というものが、悩んでいる人を救おうとしたところから始まったとしている

ことによる。(4)

 しかしながら、この立場はフロイトの言うところの「宗教と神経症」についての考えを批判することとの関連

で言うと、宗教=精神医療ではない、あるいは、限らないということにならないだろうか。なぜならば、キリス

ト教信仰も含めて、宗教には、それ以外の要素や内容が、その成立当初から多分に含まれているからである。そ

して、また、この場合の宗教が先か、精神医療が先か、という問はナンセンスであろう。

 さらに、フロイトの立場を批判するなら、宗教=神経症ではないであろう。それは、宗教には神経症的ではな

い要素が多分に含まれているからであり、そもそも、もし、宗教=神経症ならば、宗教に心の病も癒す精神医療

的な要素が含まれているという説が成り立たなくなるからである。

 むしろ、キリスト教信仰は、十字架上のイエス・キリストにおける罪の許しを中心とする人間存在全体の救い

と密接に関連し、その救いは全被造物の救いとも関連する。そういった意味で、キリスト教信仰は、もはや「精

神分析」の中には納まりきれない独自のものであり、(5)人間を含んで神によって造られた全被造物の救いとい

うものと関わることから、現実に根ざしたものであるということができるのである。

  キリスト教信仰と精神分析は、それぞれ異なるものであると同時に、関連性を持っている。そして、もし、キ

リスト者の心理状態に精神分析が行われるなら、また、心病んだキリスト者に別の精神医療的な助けがあるなら、

それは同じものを異なる観点から見ているという点でも必要なものであろうし、キリスト教信仰に矛盾するもの

ではないのである。

 

 

 

 

 

 

〈参考文献〉

 

 

・エーリッヒ・フロム著『精神分析と宗教』谷口隆之助・早坂泰次郎訳、東京創元社、1996年〈第31版〉。

Fromm,Erich.Psychoanalysis and ReligionNew HavenYale University Press1950

 

・土居健郎著『信仰と甘え』、春秋社、1990年初版。

 

・河合隼雄著『河合隼雄のカウンセリング入門』、創元社、1998年〈第1版〉。

 

・石井裕二著『癒し/医療とキリスト教 ―歴史的概観と検証の試み―』(基督教研究 第62巻第2号所載)、

同志社大学神学部基督教研究会、2001年、137164頁。



(1)エーリッヒ・フロム著『精神分析と宗教(谷口隆之助・早坂泰次郎訳、東京創元社、1996年〈第31版〉原書名はFromm,Erich.Psychoanalysis and Religion  New HavenYale University Press1950)』、16頁参照。

(2)ちなみに、土居は、この著作において、日本人の多くが甘えることを信じることと同一視しており、それを超えなければ、日本人キリスト者は真の意味でのキリスト者にはならないとしている。土居健郎著『信仰と甘え(春秋社、1990年初版)』、35、36頁参照。

(3) 同書、13頁、41〜43頁。

(4)  河合隼雄著『河合隼雄のカウンセリング入門(創元社、1998年第1版)』、92頁以下参照。

  また、医療の起源が宗教や呪術にもあることは多くの学者たちが支持している。ちなみに石井裕二『癒し/医療とキリスト教 ―歴史的概観と検証の試み― 〈基督教研究 第62巻第2号所載〉(同志社大学神学部 基督教研究会 2001年3月)138頁は、聖書と現代社会において健康者と病者についての認識は異なるものであるとしながらも、聖書が病気や癒し、生と死、人間存在の意味について問いを発し、現代の医学と医療においても、病気や癒し、生と死、人間存在の意味についての一定の理解が働いているゆえに、哲学または神学が関連しない医学・医療はないとしている。

(5)   キリスト教信仰の基本的な考え方である「十字架上のイエス・キリストにおける罪の許し」も精神分析では解釈しきれないものであろう。