「ディートリッヒ・ボンヘッファーについて

    ‐その生涯」  

 

2007年 川上純平

 

 

 

 

 

 

第1章  神学生としての学び

 

ディートリッヒ・ボンヘッファーDietrich Bonhöffer:1906‐1945)は、

第2次世界大戦後より今日まで世界のキリスト教会において多大な影響を与え続けてい

るドイツのルター派教会の牧師、神学者である。

彼は、精神病理学と神経学教授(精神医学者)であった父カール・ボンヘッファーと

プロイセンのカルクロイト伯爵の家系に生まれた母パウラ・ボンヘッファー(旧姓フォ

ン・ハーゼ)の間の6番目の子として、1906年2月4日、ブレスラウ(現在、ポー

ランドのブレツワフ)に生まれた。

1912年、父カールがベルリン大学精神神経学教授として招聘されたため、一家で

ベルリンに転居することとなった。ベルリンはドイツにおいて学問を学ぶには最良の場

所であった。

15歳で神学を学ぶ決意を固めたディートリッヒ・ボンヘッファーは1923年から

27年まで、テュービンゲン大学、ベルリン大学のそれぞれの神学部で、カール・ハイ

ム、アードルフ・シュラッター、アードルフ・フォン・ハルナック、ラインホルト・ゼ

ーベルク、アードルフ・ダイスマン、カール・ホル、ハンス・リーツマンたちの下で学

んだ。

また、この頃、ローマにも留学し、教会について考え始めるに至り、さらに、当時、

『ローマ書』を出版し、「神の言葉の神学」を提唱していた神学者カール・バルトの著

作に触れることによって、1927年、21歳で博士論文『聖徒の交わり ‐教会の社

会学に関する教義学的研究』(Sanctorum Communio. Eine Dogmatische Untersuch-

ung zur Soziologie der Kirche)を完成させた(出版は1930年)。この論文では、

「教会として実存するキリスト」が主題であった。この本をバルトは「一つの神学的奇

跡」と評価している。(1)

1928年からスペインのバルセロナで牧師補を務め、1929年、ベルリン大学神

学部に戻り、ヴィルヘルム・リュトゲルトの見習い助手となる。1930年7月、牧師

になるための神学試験に合格した後、大学教授資格論文『行為と存在 ‐組織神学にお

ける超越論哲学と存在論』(Akt und Sein. Transzendentalphilosophie und Ontologie

in der systematischen Theologie)によって教授の資格を得る(出版は1931年)。

この論文は特にハイデッガーとバルトを研究、批判し、神の啓示の具体性について考察

したもので教会が「人間の精神的行為と神の存在」を一つにするものとして述べられて

いる。

1930年9月、ボンヘッファーはドイツの神学者としてアメリカの倫理学に触れて

みたいという思いからニューヨークにあるユニオン神学校に留学し、ラインホールド・

ニーバーの教えを受け、「社会的福音」、ウィリアム・ジェイムズやジョン・デューイ

の「行動主義」、禁酒令や不景気、ハーレムにおける黒人問題等について学び、平和主

義、特にフランスから留学していたジャン・ラセールからは山上の垂訓における平和の

戒めに対する服従について学び、バルトを誤解している人々に対して講演も行なった。

また帰国前にガンディーの政治的かつ平和主義的な考え方をその本場で学ぶためにイン

ド旅行を計画していたが、これは実現しなかった。(2)

1931年7月、ボンヘッファーは初めてカール・バルトと出会い、神学的議論を深

め、協力関係を持つようになる。8月よりベルリン大学私講師に就任。9月から世界教

会運動の一つ「世界連盟」のケンブリッジ会議に出席し、さらに「世界教会青年部」書

記の一人に選ばれる。10月にはベルリン、シャルロッテンブルクの工科大学の学生た

ちのために牧師となり、11月、按手礼(牧師任職式)を受けてベルリンの労働者地区

であるヴェディング地区の堅信礼クラス(信仰告白をしてキリスト者になるための教会

で行なう教育)を受け持つにいたる。

 

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(1)   野善右衛門著、「ボンヘッファー」『キリスト教組織神学事典』1992年、315頁。また森野善右衛門氏は、『聖徒の交わり』において述べられている「キリストの代理」の思想が後に登場する「他者のための教会」の概念の源流であると述べている。森野善右衛門著、「キリストの形成るまで ‐ボンヘッファーの教会理解と今日の課題」『告白と抵抗 ボンヘッファーの十字架の神学』、2005年、103、104頁。(以下『キリストの形』)と略す。ディートリッヒ・ボンヘッファー著、『聖徒の交わり ‐教会の社会学のための教義学的研究』大宮 溥訳、1963年、120頁参照。

(2)    ボンヘッファーはスペインのバルセロナから帰国する際もアジア的な信仰的敬虔性を体験してみたいという思いからインド旅行を試み、また1935年にも非暴力的抵抗運動を学ぼうとロンドンからインド旅行を計画し、その時、ガンディーからの個人的な招待状をもらったにもかかわらず、全て実現しなかった。エーバハルト・ベートゲ、レナーテ・ベートゲ著、『現代キリスト教の源泉1 ディートリッヒ・ボンヘッファー』宮田光雄・山崎和明訳、1992年、48‐50、86頁。ちなみに、この論文の「第1章 生涯」の部分に関しては基本的にこの本の叙述によっている(以下『ボンヘッファー』)と略す。