「ディートリッヒ・ボンヘッファーの思想‐特にカール・バルトとの関連で」  

 

川上純平

改訂版 2008年5月13日

(初版 2007年8月15日)

 

第2章 バルトとボンヘッファーについて

 

(1)バルトの影響と両者の共通点

 

ボンヘッファーがバルトの著作に初めて触れたのは1924年頃であり、戦後のバルトについてボンヘッファーは知らないわけであるが、ボンヘッファーがバルトから学んだことは大崎節郎氏によれば、「徹底的にイエス・キリストにおいてすべての事柄を考えていくこと」と「理論と実践の不可分性」であったとされている。(4)

そして、この二つの事柄は、初期バルトが自らの神学を構築していく時、苦闘し、発見したものでもあった。実際、この二人の神学者は、イエス・キリストに集中し、方法論において「キリスト論的集中」という立場をとり、ベルトールト・クラッパート氏が言うように相関的でも、抽象的でもなく状況連関的に生きた。(5)

また森 平太氏が言うように、ボンヘッファーもバルトも、ドイツの教会と国家だけでなく、勝利者側の、そして、自分自身の「罪責」について考えていたということは重要なことではないだろうか。(6)それは彼らの信仰と神学に基づく行為であろう。

ボンヘッファーは初期バルトが行なった「宗教批判」に関しては、晩年に至っても高く評価したとされている。(7)

 

(2)ボンヘッファーによるバルト批判

 

一方、ボンヘッファーによるバルト批判であるが、大崎氏は、『聖徒の交わり』『行為と存在』、その他の講演において、初期ボンヘッファーが初期バルトに対して「カント哲学ないしは新カント学派との親近性」「ロマン主義の危険」を持つものとして批判している点について言及している。またボンヘッファーが「宗教」「感激、体験、敬虔、感情、回心」等を主張しかつ、初期バルトの主張だけでは正しい神学的思惟成立は不十分であるとしている点があることを指摘し、初期ボンヘッファーは初期バルトと共に立ち、同時に、距離をおいて批判を行なったとしている。(8)

そして、重要なことは、もし初期のボンヘッファーが「神の啓示への固執と現実性への情熱」を持っていたのなら、そもそも初期バルトのキリスト論はどのようなものであったのかということを踏まえて、ボンヘッファーにおいて初期バルトのキリスト論はどのように理解されていたのかということになるのではないだろうか。(9)

しかし、ボンヘッファーによるバルト批判の中でも最も重要なものは第2次世界大戦後の神学と教会に多大な影響を与えた『獄中書簡』にある。この『獄中書簡』の中で、ボンヘッファーは彼の思想における重要な概念をいくつか述べている。それは「この世性」(これは世俗的に生きるということではなく、イエス・キリストの死と復活に対する認識が常に「今、ここで」行なわれているというような意味での深いこの世性のことである。)(10)

「成人した人間の無宗教性」「成人した世界」(これは人間が子供から大人になるように、後見人のような宗教的な神なしに生きていくということを、本当の神が望んでいるということであり、この世は、そのようなものになっているということである。)(11)「聖書の非宗教的(無宗教的)解釈」(ルターやカール・バルトの影響によって考え出されたもので、信仰は聖霊によるものであるゆえ、肉によるものである宗教とは異なるものとして厳密に区別し、神が人間の生活の只中において、あの世(天国)的なものとして存在するものとした)(12)「他者のための教会」(ここで言われている「他者のための教会」とは、教会が多数者となって、この世に対して影響力を持つということではなく、少数者として他者のために存在するイエス・キリストを指し示し、十字架の下に立って、この世に仕える教会であるということである。)(13)等である。

そして、この『獄中書簡』においてボンヘッファーは「啓示積極主義者(啓示実証主義者)」としてバルトを批判したのである(14)ボンヘッファーの言う「啓示積極主義」とは、バルトが宗教批判を行なった点は評価するが、非宗教的(無宗教的)解釈を行なわなかったため、結局のところ、教会の伝統と教義に留まり、非宗教的(無宗教的)な一般の人々には何も語っていないのと同じことになってしまったとするものであるが、しかし、バルトはそれに対しては同意していない。(15)また、なぜ、ボンヘッファーが『獄中書簡』でバルトを批判したのか、そして、ボンヘッファーの『獄中書簡』におけるバルト批判について、当時の告白教会の、またスイスに戻ったバルトが立たされていた状況をボ

ンヘッファーがどこまで知りかつ理解していたのか等について、いくつかの意見がある。(16)

このこととの関連で言うと、戦後のバルトの教会論から明らかになったことであるが、バルトは「啓示積極主義者」ではないであろう。なぜなら、バルトは神の啓示が現れる場所としての「教会」の具体的な場所を指定しているわけではないからである。バルトは聖霊の働きがある所に教会があると語るのみである。(17)

 

(3)両者の差異について

 

ボンヘッファーによるバルト批判と、それに関連する事柄とはボンヘッファーとバルトとの思想的な違いも関係しているのであろう。ボンヘッファーとバルトとの思想的な違いは、ボンヘッファーがドイツのルター派の伝統に育ち、(18)カール・バルトはスイスのカルヴァン派の伝統に育ったことも影響しているのかもしれない。

しかし、森野善右衛門氏によれば、それは「教会」についての考え方であるとされる。ボンヘッファーはバルトの「神の言葉の神学」を具体的なこの世における「教会」の場所とそのあり方の問題にまで考え進めようとしたのである。(19)一方、大崎氏によれば、その違いは「現実性の可能性についての理解」であり、先に述べたこととの関連で言うと、そこにはボンヘッファーのバルトに対する誤解もあるわけであるが、それはボンヘッファーによるバルト批判と深く関係している(20)

さらに、クラッパート氏は二人の著述の「形式的な」違いに着目し、バルトがボンヘッファーと違い、現実と関連させる叙述をあまり行なわないことについて、バルトは「時代史的な具体化」との関わりを慎重にし、「決断」を読む者に任せ、その「自由」を先取りしたいとは思わなかったからであるとしている(21)

ところで、バルトはボンヘッファーの『服従』を高く評価し、(22)後にボンヘッファーの死について良心の呵責に苦しんだとも言われている。(23)

ボンヘッファーがナチスに対して抵抗して行なったことは当時の教会の状況におけるボンヘッファーの決断によるものであるが、そのことに関するボンヘッファー自身の思想については『倫理』において詳しく述べられている。しかしながら、『倫理』は当時のそれらの状況におけるボンヘッファー自身の決断を論理的に説明したものとして執筆されたわけではなく、「キリスト者の生き方」を指し示したものであり、また、ボンヘッファーの決断は「キリストに従う」ことによるものであった。(24)

ボンヘッファーがナチスに対して抵抗したこと自体は問題ないが、抵抗の仕方に問題があると言えるかもしれない。しかし、当時のドイツの、そして、教会におけるボンヘッファーの置かれた特別な状況もあり、(25)ボンヘッファーの「状況倫理」との関係で簡単に答えを出すことのできないものであるのかもしれない。

そして、言うまでもなく、ヒトラーが戦争を始めなければ、あるいは、ユダヤ人迫害がなければ、ボンヘッファーは悲惨な最期を遂げる必要はなかったのである。

以上、見てきたように、ボンヘッファーはバルトの影響を受けながらも、これを批判して独自の道を歩み、「ドイツの人々と共に生きる」という決断によって、彼なりの全く問題がないわけではない仕方でキリストを証ししようとしたと言えるのではないだろうか。

 

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(4)     大崎節郎著、「ボンヘッファーとバルト」『福音と世界‐42巻第2号』1987年 14頁参照。(以下『ボンヘッファーとバルト』)と略す。バルトとボンヘッファーの関係については、エーバハルト・ベートゲ著『ボンヘッファー伝 2』雨宮栄一訳、1973年(初版)、2005年(オンデマンド版)8‐28頁においても述べられている。(以下『伝記 2』)と略す。

(5)  ベルトールト・クラッパート著、「時代の現実との関連における神学」バルト=ボンヘッファーの線で クラッパート教授来日特集 新教コイノーニア15村上 伸訳、1996年(第1版)、12〜20頁(以下『関連』と略す)。ちなみに寺園喜基著、「線と方向としてのバルト=ボンヘッファー」『途上のキリスト論 「バルト=ボンヘッファー」の今日的意味』1999年(第1版)、161〜164頁はバルトとボンヘッファーを結びつけるものについて述べているが、バルトとボンヘッファーのその発言の背景には、当時彼らが置かれた状況、ドイツの教会、ユダヤ人迫害等があったことは言うまでもない。(以下『線と方向』)と略す。

(6) 森 平太著、「バルト=ボンヘッファーの問題再考の試み –ブッシュから刺激と示唆を受けて」『ボンヘッファー研究 NO.19』2002年、49頁(以下『研究』)と略す。

(7)  大崎節郎著、『カール・バルトのローマ書研究』1987年、162頁(以下『ローマ書研究』)と略す。大崎節郎著、「バルトとボンヘッファー(T)」『東北学院大学論集‐教会と神学‐第15号』東北学院大学学術研究会、1984年、23頁(以下『バルトとボンヘッファー』)と略す。『書簡』193、231頁。

(8 『バルトとボンヘッファー』1−48頁。なお同論文 15頁においては、1928年頃のボンヘッファーには「民族主義的ドイツ人としての一面」があったことも指摘されている。

(9)  これらのことに関しては『ローマ書研究』455‐457頁、476頁‐486頁も参照。

(10) 『書簡』260頁。ちなみに森野善右衛門氏は『キリストの形』109頁において、ボンヘッファーが『教会の本質』において既に「この世性」について語っていることについて「教会のこの世性とは、教会についての純粋の理想を思い描くことを断念するということで、いわゆる『世俗的』教会ということとは何の関係もない」としている。

(11)  ボンヘッファーはこれを哲学者ヴイルヘルム・ディルタイ(1833‐1911年)に由来するものとしている。『神学』322頁。エーバハルト・ベートゲ、レナーテ・ベートゲ著、『現代キリスト教の源泉1 ディートリッヒ・ボンヘッファー』宮田光雄・山崎和明訳、1992年、181頁。ちなみに『線と方向』167‐170頁においては、『関連』18‐20頁で述べられた「ボンヘッファーの『成人した世界』についてバルトは誤解している」という点に対する反論がなされている。

(12)   戦後、ボンヘッファーを最初に研究した神学者の一人であるゲルハト・エーベリンクはブルトマンの弟子でもあったが、解釈学的観点からボンヘッファーの「聖書概念の非宗教的(無宗教的)解釈」という研究を行なった。しかも彼は生前のボンヘッファーの牧師研修所で学んでいたのである。本論文でしばしば引用される『ボンヘッファーの神学 解釈学・キリスト論・この世理解』の著者エルンスト・ファイル氏がボンヘッファー神学の厳密な研究をすることになったのもエーベリンクとの出会いがきっかけであった。『神学』369‐372頁参照。ちなみにベートゲは、ボンヘッファーは「服従」を執筆した後は「解釈学」を行ないたいと考えていたと述べている。エーバハルト・ベートゲ著『ボンヘッファー伝 3』雨宮栄一訳、1974年(初版)、2005年(オンデマンド版)75、259頁。(以下『伝記 3』)と略す。

(13)  『キリストの形』124、128頁。『書簡』273、275頁。しかし、これらのことは既存の教会によってなされるものなのであろうか。先に述べたように「他者のための教会」というボンヘッファーの教会概念は『聖徒の交わり』にその源を持ち、彼の神学が展開されていくに従って、その教会概念も基本的なものは同じであるが、発展している。最初は教会の主であるキリストが、次にこの世界の主であるとされていき、さらに、教会がキリストに似たものとなる、キリストを反映するものであるとされていくのだが、同時に、キリストの現実が具体化される場所として世界は存在するものであるという方向にも発展しており、もし、そうなら、この世それ自身は教会ではないということがボンヘッファーの思想においてはどのように展開されているのかということから生じる問題もある。それは、たとえば、「見える教会」という意味で教会の礼拝において信徒に対して語られる「説教」というものが必要ないとか、それが「他者のために存在していない」ということではない。なお『神学』364頁参照。

(14)  『書簡』188、193、231頁。

(15)   エーバーハルト・ブッシュ著、『カール・バルトの生涯 1886‐1968』小川圭治訳、1995年(第2版)、540頁。(以下『生涯』)と略す。

(16)  『ローマ書研究』162頁。『線と方向』166、167頁。『研究』48頁。

(17)  「バルトの教会論」についてこのことに関しては拙論であるが、修士論文「カール・バルトの教会論におけるイエス・キリストの現実存在 −その意義と問題点−」1995年参照。

    ちなみにファイル氏は、ボンヘッファーがバルトを誤解して述べているいくつかの箇所について、ボンヘッファーの意見を自らと同意見としているようである。『神学』307、308、316‐320、337頁参照。

(18)  なみにボンヘッファーの母親及びその先祖には、へルンフート兄弟団、敬虔主義、シュライエルマッハーの影響が強かったようである。『伝記 1』15、37、70‐73、86頁。

(19) 『入門』182‐187頁参照。また、同じ箇所で、森野氏は、ボンヘッファーが「教会」についてバルトよりも先見の明を持って深く考えた神学者であるとしている。

(20)『ボンヘッファーとバルト』21頁。同書においては、後期のボンヘッファーによるバルト批判は初期の頃から根本的な部分は同じであるとされている。15、16頁参照。またファイル氏はバルトとボンヘッファーの差異の方が重要な意味を持つとしている。『神学』311頁。

(21)   『関連』18〜20頁。他にもバルトとボンヘッファーとでは、「自然的なもの」に対する態度が異なるようである。『神学』266頁。『倫理』135頁以下。

(22)   カール・バルト著、『カール・バルト教会教義学 和解論U/3』井上良雄訳、1987年(第1版第2刷)、278頁。『入門』198頁。ちなみに、バルトはボンヘッファーが1933年に出版した『創造と堕落 創世記1−3章の神学的釈義』で論じている「関係の類比(analogia relationis)」という概念を『教会教義学 創造論』で用いている。

(23)   『生涯』332頁。 

(24)   『思想』66‐91頁参照。さらに、ボンヘッファーが『倫理』の中で述べていることは、ボンヘッファーと全く同じように生きることを勧めているということでもない。また、「罪責なき無力なキリスト」(ディートリッヒ・ボンヘッファー著、『聖徒の交わり ‐教会の社会学のための教義学的研究』大宮 溥訳、1963年、120頁〈以下『聖徒の交わり』〉と略す。)に「弟子」として従うということと、成功しないと予測できたナチス・ドイツへの抵抗の仕方がなぜ結びついているのか、なぜ独裁者のために祈るということ、他の方法をとることができなかったのかという疑問点もあるかもしれない。ちなみにイエスの生き方が一般的な倫理とは異なるものであることは言うまでもない。ファイル氏は、どんな神学も生きた実践からかけ離れる可能性があるとし、ボンヘッファーは神学についてその認識を持っていたことを語っている。『神学』374頁参照。

(25)   『伝記 2』326、350、351頁。『伝記 3』118、365頁。エーバハルト・ベートゲ著『ボンヘッファー伝 4』森野善右衛門訳、1974年(初版)、2005年(オンデマンド版)115、130、131、145、146、237、436,437頁。『思想』69、73、87、111頁。ちなみに森野善右衛門著、「ボンヘッファーの平和倫理 ‐その展開と今日の課題」『ディートリッヒ・ボンヘッファー キリスト・教会・世界』、2004年、133頁も参照。(以下『平和倫理』と略す)。

     また、ボンヘッファー自身のナチスに対する批判、当時の状況を表す言葉としては、ディートリッヒ・ボンヘッファー著『ボンヘッファー選集W 現代キリスト教倫理』森野善右衛門訳、1996年、25、26,398、405、408頁を参照。(以下『倫理』)と   略す。

ちなみに、バルトは当時のドイツの状況でのボンヘッファーの態度を肯定的に受けとめている。カール・バルト著『キリスト教倫理 V』村上 伸訳、1964年(第1版)、189‐192頁。さらに『生涯』325頁参照。