論文『礼拝論 ‐キリスト教会における礼拝について‐』

川上純平 改訂版 2012/08/06初版 2007/10/12 

 

 

第3章 現代における礼拝の可能性と問題

 

(1)礼拝の可能性について

 

現代における礼拝の可能性としては、いくつかのことが挙げられるが、それらは、礼拝に集うできるだけ多くの人々が聖書で語られている神に出会い、イエス・キリストを想い起こして、その救いを認識し、心から神に祈り、感謝、讃美し、共に交わるということを念頭におくと同時に、現代において、教会の礼拝が何をなすべきなのか、また何が期待されているのか、ということであるが、同時に、そこには神学・思想の発展、時代状況の変化等が関係している場合も多い。

たとえば、20世紀に入り、「キリストによって教会は一つである」とするエキュメニカル・ムーヴメント(世界教会運動)によって、様々な教派の礼拝に遭遇する機会が増え、それまでの自らの伝統的な教派の形式だけでなく、多様性を認めつつ、共通部分について教派を超えた一致を目指すような式文に基づく礼拝が、一部ではあるが、特に戦後になって目覚しく発展しているということがある。

あるいは、音楽の発展とヨーロッパ以外の教会に目が向けられたことに伴い、いわゆるゴスペル・ソング導入に代表されるように、それまで讃美歌に使われていた伝統的なクラシック音楽やヨーロッパ、アメリカの民謡以外の音楽形式を取り入れた讃美歌が、ここ数年目立ち始めているということである(例:『讃美歌21』、日本キリスト教団出版局、1997年)。讃美歌によって、年齢層による礼拝の受け止め方の違いはあり、礼拝自体の印象に与える影響は大きいかもしれない。もちろん、それらは直ぐに礼拝で使用されるとは限らないものであるかもしれないし、新しい讃美歌を歌う時には配慮も必要とされるということもあるが、このことは将来的に考えると重要なものとなる。

また、さらに「教会とは何か」を考える時に、教会の概念を、従来の教理に縛られることなく、「この世界全体がキリストのものである」(1)というボンヘッファーの言葉に代表されるように、この世との連帯性という考え方を取り入れるということがある。教会がこの世において神の救いの担い手となるのは、礼拝を通してである。(2)

たとえば、日本キリスト教団に所属する各地の教会の礼拝の中で、自然災害で被災された方々を覚えて、地域の人々と共に祈るという形での祈り、あるいは、部落差別を覚えての礼拝式文を取り入れたり、さらには、教会外の方を含む合唱団に礼拝で讃美歌やキリスト教音楽に基づく歌を歌っていただいたりするというような形、あるいは、日曜日に教会とその付属施設合同でバザーを行なった場合の礼拝など、地域に根ざした教会の宣教(伝道)に基づく礼拝が見受けられる。

これらとの関連で言うなら、最近、子供との合同礼拝も教会によっては目立ち始めている。子供が大人ともども神の恵みの中で育まれるという教育及び宣教は重要であろう。また高齢者への配慮も重要であるかもしれない。多くの場合、人間は誰でも年老いると、体の障害や心の変化等によって礼拝に出席しにくい、あるいは、礼拝に出席しても、耳が聞こえにくい、長時間座ったり、立ち上がったりするのが辛い等ということがある。礼拝は人間の感情に左右されないかというと必ずしもそういうわけではないということもあろう。教会側からの配慮が必要とされる。同時に、それは全ての人が神の恵みに招かれているということを教会が示す時でもあることを忘れてはならないということをも意味する。現代の日本が高齢化社会であるということもあって、これらのことはますます重要となってくるであろう。

 

 

 

 

 

 



(1)    エルンスト・ファイル著『ボンヘッファーの神学 解釈学・キリスト論・この世理解』日本ボンヘッファー研究会訳、2001年〈第1版〉、217頁。

(2)  『礼拝の本質』、21頁。