論文「『ヘブライズム的キリスト教』と『へレニズム的キリスト教』について」川上純平

20071128

                                         

〈目 次〉

第1章 ヘブライズムとへレニズム

第2章 ヘブライズム的キリスト教とへレニズム的キリスト教

第3章 考察と展望

結 論

参考文献表

 

 

 序

 

新約聖書の使徒言行録6章1節に、「ギリシア語を話すユダヤ人(へレニスト)」と「ヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)」が登場する。このユダヤ人キリスト者たちの二つのグループは、最初は一つの教会に属していた。それはイエス・キリストが復活した後、聖霊降臨(ペンテコステ)の時に成立したとされているエルサレム教会である。

しかしながら、このエルサレム教会からキリスト教の他の教会が出来たとされている。以下に述べることは、この「ギリシア語を話すユダヤ人(へレニスト)」と「ヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)」の教会、あるいは、それによって出来た教会に関することである。(1)

ここに登場する「へレニスト」と「ヘブライスト」という言葉の語源は「ヘブライズム」と「ヘレニズム」にある。

本論文では、まず「ヘブライズム」と「ヘレニズム」について述べ、次にヘブライズム的キリスト教とへレニズム的キリスト教について表を用いながら述べ、考察した後、結論を導き出したいと思う。

 

第1章 ヘブライズムとへレニズム

 

「ヘブライズム」と「ヘレニズム」という言葉は、あまり聞きなれない言葉かもしれない。

「ヘブライズム」とは、旧約聖書に記された思想で、旧約聖書の時代にパレスチナ地方で起こったものである。その思想は旧約聖書で述べられている神がイスラエルの人々を自分の民として選び、契約を結び、律法を与え、罪の中から救いに導く主であるというところに特徴がある。

「ヘレニズム」とは、「紀元前4世紀後半のアレクサンドロス大王の東方遠征の結果、地中海沿岸地方に生まれた共通の文化圏」を指し、「ギリシア風」「ギリシア語風」「ギリシア文化」「ギリシア思想」等の意味を持つ。(2)そこでは、世界共通語としてのコイネー(口語体)・ギリシア語が話され、最高善を探求するプラトンやアリストテレス、禁欲的でロゴスを根源とするストア派の哲学、太陽神を崇拝する神秘主義的宗教であるミトラ教、快楽ではなく、心の静かな精神の状態を求める快楽主義、悲観主義的で真理は存在しないとする懐疑主義、皇帝崇拝、無神論などが存在した。また、初期キリスト教の歴史において、教会に非キリスト教的なギリシア文化が影響を与える現象を「ヘレニズム化」と呼ぶ場合がある。(3)

この二つの思想的・文化的土台は、ヨーロッパ思想の二大源流となっている。

 

第2章 ヘブライズム的キリスト教とへレニズム的キリスト教

 

「ヘブライズム的キリスト教とへレニズム的キリスト教」とは、先に述べた「ヘブライズム」と「ヘレニズム」それぞれに強い影響を受けた、あるいは、それらをも土台としている、二つのタイプの原始キリスト教会(最初の教会成立から紀元1世紀頃までの教会)のことである。

新約聖書の使徒言行録6章1節に登場する「ギリシア語を話すユダヤ人(へレニスト)」がヘレニズム的キリスト者であり、「ヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)」がヘブライズム的キリスト者である。

この二つの宗教思想的概念が、新約聖書、キリスト教を理解する上で欠く事のできない概念であることは言うまでもないことであるが、それではこの二つはどのように違うものなのであろうか。曖昧な部分もあるが、以下にこの二つの違いを表に表わしてみた。

 

表「ヘブライズム的キリスト教とへレニズム的キリスト教」

 

ヘブライズム的キリスト教

ヘレニズム的キリスト教

成立場所(※ab

「ヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)」たちによって、パレスチナ地方、特にエルサレムで成立。

 

「ギリシア語を話すユダヤ人(へレニスト)」たちによって、エルサレムで成立したが、それはパレスチナ以外の場所で生まれ、ギリシア語を母国語とするユダヤ人キリスト者たち(ステファノ他)のグループがいたということを意味し、その後、ヘレニズム的キリスト教の教会は、アンティオキア(※c)を始めとして、地中海沿岸のギリシア、小アジアに建てられるようになった。ちなみにヘレニズム的異邦人キリスト教はここに含まれる。

中心人物

ペトロ

パウロ

使用言語

ヘブライ語(アラム語)

ギリシア語(コイネー)

指導的立場にある者の数とその役割

イエスの弟子である使徒12人(伝道)

7人(伝道、食事の世話と教会運営)(※d

旧約聖書の律法に対する態度

 

 

 

 

律法を守る〈ルカ16章17節、使徒言行録2章46節〉。

 

律法を守らない

(ステファノ:律法それ自体ではなく割礼と神殿祭儀律法を批判〈使徒言行録6章13節〉)

(パウロ:律法を救いの道とするということと律法が異邦人に対して有効であるということを批判〈ローマ4章10節、ガラテヤ2章7節〉)

ユダヤ教との関係(※e

ユダヤ教の一分派と思われていた。

ユダヤ教とは異なる宗教。

 

伝道対象地域と伝道対象者(※fg

主にパレスチナ〈ユダヤ教世界〉のユダヤ人

主にパレスチナ以外〈多神教世界・異教世界〉の異邦人(外国人)

キリスト理解(※h

救い主であり再臨する主イエスは人の子、ダビデの子であることが強調されている〈マルコ10章47節、13章〉。

救い主である主イエスが唯一の神の子であり、万物の支配者として高く挙げられた方であることが強調されている〈フィリピ2章6‐11節〉。 

教会理解(※i

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イエス・キリストによって導かれる、新しい終末論的救いの契約による共同体である神の民〈使徒言行録3章25節〉。

教会での聖霊体験〈使徒言行録2章17節〉、洗礼〈同2章38節〉や共同の食事(パン割き)〈同2章42節〉等はユダヤ教からの離反と深く関わりのある事柄である。

基本的にはヘブライズム的キリスト教の教会と同じ理解に立つが、@救われた者全てによる全世界への宣教、A自由な形式による礼拝、Bキリストの救いを倫理の基礎とすること、C教会に加わることと救いにあずかるための洗礼と食事(愛餐)の中で行われた聖餐D教会内の役割を聖霊の賜物に応じたものとすること等に特徴がある。

後にパウロは教会を「キリストの体」と考え、さらに後の教会もパウロの考え方を受容しつつ、職制(※j)を確立していった。

病の「癒し」を行なった者(※k

 

使徒たちが行なった(使徒言行録3章1‐10節、5章12‐16節、9章40、41節)

賜物を持つ者が行なった(Tコリント12章28節)

 

〈表注〉

a.使徒言行録の記述だけが原始キリスト教会の全貌を明らかにしたわけではない。使徒言行録6章の内容の出来事が起こる以前に、ヘレニズム的キリスト教は存在したと言われている。また、パレスチナにおいては、エルサレム以外にガリラヤにおいても異邦人伝道を考慮した教会が初期にあったと考えられている(マルコ3章7‐12節)。さらに、シリアのダマスクス(ダマスコ)においてもヘレニストによって建てられた教会があったとされている(使徒言行録9章、22章、26章)。

b.紀元80年代に書かれたマタイによる福音書は、シリアのユダヤ人キリスト者の作である。また、マタイの教会にはユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の両方がいたと思われる。

c.使徒言行録11章19節以下に登場するアンティオキア教会は、最初はシナゴーグというユダヤ教の会堂を使用して集会が開かれており、ユダヤ人と異邦人の混合教会であった。異邦人キリスト教徒にとって、神が人々を救いに導くこと、自らが終末的共同体に属しているという意識はシナゴーグや教育によって与えられたものである。また、パウロも、アンティオキア教会の指導者バルナバ(パウロの教師)も、エルサレムの信徒たちとの結びつきを保っていた。(4)

ちなみに、アンティオキアにおいて、はじめて「キリスト者」という名称が現れ始めた(使徒言行録11章26節)。これにより、ヘレニストたちはユダヤ教とは完全に訣別したが、ガラテヤ2章11節以下にあるように、ヘレニズム的異邦人キリスト教徒とへレニズム的ユダヤ人キリスト教徒が一緒に食事を摂っている時に、へレニズム的ユダヤ人キリスト教徒であるペトロは、パレスチナ的ユダヤ人キリスト教徒がやって来ると、彼らを恐れて一緒に食事を摂るのをやめようとしたということがあった。

d.使徒言行録6章1‐6節において、選ばれた「7人」は、聖霊を与えられた説教者として振舞っており、「食事の世話」はしなかったのであろうとも言われている。ちなみに、この箇所において、原始キリスト教会に生じた問題は「夫をなくした女性」の世話に関することだけだったと記されているが、そうではなく、また、「日々の分配」とは日常的な協力関係のことだったのではないかとも言われている。(5)

e.使徒言行録24章5節においては、パウロが「『ナザレ人の分派』の首謀者」であるとされている。これは「ヘレニズム的キリスト教」が「ヘブライズム的キリスト教」と誤解されている一つの例である。

f.ヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者とギリシア語を話すユダヤ人キリスト者は思想的に対立したが、どちらも迫害された。しかし、使徒言行録5章17、40節、8章1‐3節において、どちらも迫害されているように描写されている箇所は、実際にはギリシア語を話すユダヤ人キリスト者のみが迫害されたものであるとも言われている。(6)

g.パウロはキリスト者になる前に、ヘレニズム的なキリスト教会からキリスト教について知識を得ていた。

h.ヘブライズム的キリスト教では、ヘブライ語で「救い主」を意味する「メシア」という称号が、ヘレニズム的キリスト教では、ギリシア語で普通名詞である「クリストス」という言葉になり、これは、日本語読みで「キリスト」という固有名詞、「イエス」を「救い主」として信じる人々にとっての「イエス」の称号となった。また、ヘレニズム・キリスト教においては、「天の神の使者」という概念が取り入れられることによって、「イエス」の人格が背後に後退させられる危険が生じた。それは、「イエス」を超自然的存在(バプテスマに おいて神の霊を与えられたこと、処女降誕)である神の子、キリストの先在(キリストが天地創造以前に存在したということ)として表現されたものでもあった。

i.新約聖書学者ハンス・コンツェルマンは、この二つのキリスト教の違いは、「キリスト論」「神礼拝の形態」「霊の意義づけ」「聖礼典(サクラメント)の理解」「教会についての考え方」「機構、律法に対する態度」であるとする。(7)

j.しかしながら、果たしてパウロが語った職制についての言葉に本当に正しく従っているかということと、どのような職制が正しいのかということもある(Tコリント12章28‐31節、14章27‐40節、エフェソ4章11‐16節、Tテモテ2章7節)。

k.「病の癒し」はイエスが神の国の到来の徴として行なったことに基づくものであるが、後の時代においては、修道院において医学が教えられることはあったが、特にプロテスタント教会において「病の癒し」は行なわれず、医療は公共的なものとなっていった。

 

 

上の表を見てもわかるとおり、成立年代に関しては、それぞれ30‐40年頃であろうが、詳細に特定することはできないし、聖書の記述自体の史的信憑性を問うという研究もなされている。

また基本的には同じものであるにもかかわらず、ヘレニズム的キリスト教はヘブライズム的キリスト教を母体としながら、結びつきを保ちつつ、地域によって、その発展の歴史によって異なった要素を多く含むようになっていった。

ヘレニズム・キリスト教の背景として、そこには、同時代の思想・文化としての哲学・啓蒙思想、ストア派の「自然神学」、道徳主義、倫理学・教育学、市民的モラル、グノーシス、自由主義などが存在し、またキリスト教の教えが、異教的ヘレニズム用語によって理解された。(8)たとえば、ローマ6章4節にある「洗礼」についての言葉は、死んで再び生き返る神の運命に与るというヘレニズムの密儀的概念が「洗礼(バプテスマ)」を解釈する為に導入されて成立したものに拠っている。(9)

それゆえに、ヘレニズム・キリスト教は、非歴史的な神秘宗教へと変化する傾向があったが、しかし、旧約聖書、イスラエルと救いの歴史と結びつきによって、その危険性から免れることができた。(10)

また、興味深いことに彼らからイエスについての伝承がギリシア語に翻訳され、そこから福音書が生まれたのである。

 

第3章 考察と展望

 

上の表から、「教会とは何か」「キリスト教とは何か」だけでなく、「伝道とは何か」「イエスが行なった運動(宗教活動)の意味と後の教会の伝道活動との関係について」も改めて考えさせられる。

イエスは、幼少よりユダヤ教から多くの影響を受けながらも、律法について批判と「神の国」についての伝道を行い、その対象をイスラエルに限定していた。そして、その伝道は奇跡や神の国での祝宴の先取りである「パン割き」、たとえを用いての説教を含んでおり、それは、十字架と復活によって一つの区切りとなった。また、ペトロの場合も、対象がイスラエルに限定しているという意味で同じであったが、教会の形態も伝道内容も、それは既にイエスの行なったものとは、かなり異なるものとなっていた。

後に、ヘレニストたち、パウロによって「イエス・キリストについての福音」を宣べ伝える異邦人伝道がなされるようになった。パウロも、そもそもは熱心なユダヤ教徒であったが、回心後、ユダヤ人にもギリシア人にも力強くイエス・キリストについての証しを行なった(使徒言行録19章10節、20章21節、Tコリント1章24節)。

パウロが言うように、「ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと」イエス・キリストを信じて救われる者となることには変わりがない(Tコリント12章13節、ローマ1章16節、10章12節)。しかしながら、パウロが言う意味での「宣教」あるいは「伝道」とは、どのようなものであったのであろうか。それは現代においてどのように理解されるものなのであろうか。

パウロにとって「宣教」は神によるものであり、それによって神は人々を救おうとされたのであり(Tコリント1章21節)、異邦人にも福音を語るために自分は神によって選ばれ召されたと語る(ガラテヤ1章15,16節、使徒言行録9章15節、10章42節、ローマ15章18‐20節)。また、ユダヤ人がイエス・キリストを拒否したということがパウロにとっての異邦人伝道の前提となっており(ローマ11章11節)、さらに、エルサレムの使徒たち、バルナバとの話し合いが、異邦人伝道への決断につながった(ガラテヤ2章1節以下)。しかし、それは歴史的必然性だったのであろうか。

ここで重要なことの一つは、キリスト教という宗教が「歴史的な宗教」であり、そして、また、時代だけでなく、地域によっても異なる面を見せる宗教であることである。

このことは、我々、日本人にとっても極めて重要なことである。言うまでもなく、我々は、少なくとも、16世紀(フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝える)までは、キリスト教的土壌とほとんど無関係に生きてきた。同時に、16世紀以降、現代になっても、聖書や教会に関して言うなら、それらは一般社会において大変よく理解され受け容れられているわけではなく、どちらかと言えば、曖昧にされ、かつ理解されてはいない。

そして、新約聖書を読む時、原始キリスト教が時代、地理的・社会的状況に影響を受けるものであることと、それらのことを照らし合わせることができるのである(全てがそうであるわけではない。なぜなら、パレスチナ、ギリシアや小アジアのキリスト者と、日本人キリスト者とでは、様々な面で全く異なるからである。)。

また、そのようなことがあるにもかかわらず、その中で最も重要なもの、キリスト教信仰の本質というものが現代に至っても、少数であっても理解され、受け容れられていることにも耳を傾けるべきであることは言うまでもない。

キリスト教は二つの意味で「歴史的な宗教」であろう。一つは、人間の歴史の中で伝えられ、時には過ちを犯しながらも、かつ本質に立ち戻り、発展する宗教であるということである。もう一つは、神が人間を救いへと導く歴史の中にある宗教であるということである。そして、我々は、その誕生から現代に至るまでの教会において、そのように信じるのであり、そのことは聖書を源泉にして信仰を確立していくものであるということと、二つの歴史が実は接点を持つ時があるということと共に忘れてはならないことであろう。

 

結 論

 

イエスが始めた宗教的活動は、イエスの十字架上の死と復活の後、聖霊の働きによって、「キリスト教」という名の宗教を生み出し、さらに、そこから教派的・思想的多様性を生み出すに至る。

それは、まず「原始キリスト教」と呼ばれるものとして現れた。その原始キリスト教はおおまかに二つの流れである「ヘブライズム的キリスト教」「へレニズム的キリスト教」という形をとった。二つは基本的な部分は同じであるが、言語を始めとして違いがあり、また理解において異なるものを持っている。それは「歴史的宗教」であるキリスト教のわずかな一部分にすぎない、しかし、この原始キリスト教の流れは、後の時代のキリスト教にとって極めて重要なものとなっていった。

そして、そこには「歴史」というものが生み出すところの必然性、つまり、影響、矛盾、衝突、分裂、結合等様々なものが含まれており、それは原始キリスト教会の場合は(他の場合もそうであるが)、その時代・地域における関係、あるいは、それらからの影響による場合が多い。

同時に、原始キリスト教会が本来担っているものにもよるのであろう。そのことの前提には神が人々を救いに導くということと、そのことを宣べ伝える伝道が神によってなされるということがある。

もちろん、そうであるからと言って、原始キリスト教会の形態に関して、様々な部分が「イエス」の行なった運動と、かけ離れていることは問題であることに変わりがない。

そのような問題点を孕みながら、ヨーロッパ思想の二大源流と深く関わる、この原始キリスト教の二つの流れは、現代に生きるキリスト者にとっても多くのことを物語っていることは言うまでもない。

 

(参考文献表)

 

『新共同訳聖書』、日本聖書協会、1987年。

・ルドルフ・ブルトマン著、川端純四郎訳『ブルトマン著作集6 イエス・原始キリスト教』、新教出版社、1992年〈第1版〉。

 Das Urchristentum im Rahmen der antiken Religion, 4.Aufl., Zürich,1976.

エドゥアルト・シュヴァイツァー著、佐竹 明訳『新約聖書における教会像』、新教出版社、1984年〈2004年

オンデマンド版〉。

  Gemeinde und Gemeindeordnung im Neuen Testament, 2.Aufl., Zürich,1962.

ハンス・コンツェルマン著、田川建三・小河 陽訳『新約聖書神学概論』、新教出版社、1974年。

  Grundriß der Theologie des Neuen Testaments, München,1967.

フェルディナント・ハーン著、越川弘英訳『新約聖書の礼拝 初期教会におけるその形を尋ねて』、新教出版社、2007年。

  Der urchristliche Gottesdienst, Stuttgart,1970.

ヴェルナー・ゲオーク・キュンメル著、山内 眞訳『新約聖書神学 イエス・パウロ・ヨハネ』、日本キリスト教団出版局、

1999年〈第版〉。

  Die Theologie des Neuen Testaments nach seinen Hauptzeugen, JesusPaulusJohannes, 2.Aufl.,Göttingen,1972.

ハンス・コンツェルマン著、田中勇二訳『原始キリスト教史』、日本キリスト教団出版局、1999年〈第3版〉。

  Geschichte des Urchristentums, 3.Aufl.,Göttingen,1976.

『旧約新約聖書大事典』、教文館、1989年。

 Biblisch-Historisches Handwörterbuch.Hrsg.von Bo Reicke und Leonhard Rost, Göttingen,1966-1979.

・『新約聖書神学辞典』、教文館、1991年初版。

・『ギリシア語新約聖書釈義事典T』、教文館、1993年。

  Exegetisches Wörterbuch zum Neuen Testament.Hrsg.von Horst Balz und Gerhard Schneider,Band1,2.,verb.aufl.Stuttgart,1992.

・藤代泰三著『キリスト教史』、日本YMCA同盟出版局、1979年。

・茂泉昭男著『教会史 上』、日本基督教団出版局、1988年(9版新装版)。

『岩波キリスト教辞典』、岩波書店、2002年。

 

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(1)  「ヘレニスト」という言葉について言えば、「ヘレニズム的ユダヤ教(使徒言行録9章29節)」のことも意味するとされているが、ここではキリスト教についてのみ使用することとする。また、「ヘレニズム的異邦人キリスト教」「へレニズム的ユダヤ人キリスト教」「パレスチナ的ユダヤ人キリスト教」という区分の仕方を従来のものとしながらも、それぞれの個々の状況をその特殊的歴史性において考察することが重要視できるかもしれない。Gerhard Delling+勝村弘也、佐藤研著「ヘレニズム的ユダヤ教」、『旧約新約聖書大事典』、1989年。しかしながら、ここでは使徒言行録6章1節に登場する、「ギリシア語を話すユダヤ人(へレニスト)」と「ヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)」がどのようなものであったかを考察することが目的なので、先に述べたような三つの区分の仕方を避けて、二つの区分にすると同時に、その区分の仕方に当てはめることのできないものも視野に入れている。

(2)  川村輝典著「ヘレニズム的キリスト教」『新約聖書神学辞典』、1991年初版

(3)  萩野弘之著「ヘレニズム」『岩波キリスト教辞典』、2002年第1刷

(4)   フェルディナント・ハーン著、越川弘英訳『新約聖書の礼拝 初期教会におけるその形を尋ねて』、2007年、79頁。以下『礼拝』と略す。ハンス・コンツェルマン著、田川建三・小河 陽訳『新約聖書神学概論』、1974年、37頁。以下『神学概論』と略す。

(5)   『礼拝』、89頁。

(6)   エドゥアルト・シュヴァイツァー著、佐竹 明訳『新約聖書における教会像』、1984年〈2004年オンデマンド版〉、70頁〈注〉35。ハンス・コンツェルマン著、田中勇二訳『原始キリスト教史』、1999年〈第3版〉、89頁。『神学概論』、36頁。

(7)    『神学概論』、37頁。

(8)   ルドルフ・ブルトマン著、川端純四郎訳『ブルトマン著作集6 イエス・原始キリスト教』、1992年〈第1版〉、370、371頁。

(9)   ヴェルナー・ゲオーク・キュンメル著、山内眞訳『新約聖書神学 イエス・パウロ・ヨハネ』、1999年〈第3版〉、319頁。

(10)   『神学概論』、37頁。