キリスト教について                         川上純平(2010年3月15日)

 

キリスト教は、多くの場合、今から2000年前に地中海沿岸にあるパレスチナ地方のユダヤの地(現在のイスラエル)ガリラヤでその生涯を過ごしたイエスを「キリスト(救い主)」として信じる一神教で、経典として特にプロテスタント教会においては旧約聖書と新約聖書の正典が用いられている。一方、ローマ・カトリック教会東方正教会においては旧約聖書外典や使徒伝承をも用いる(ちなみに同じ一神教のユダヤ教は旧約聖書のみを用い、イスラム教はコーランの他に旧約聖書と新約聖書も用いる)。「正典」という言葉は、キリスト教信仰の「基準」「規範」となるものという意味であるが、そもそもはギリシア語で「真っ直ぐな棒」や「物差し」を意味する「カノーン」に起源を持っている。旧約聖書はユダヤ教において紀元前から紀元1世紀末までに既に正典が決められていたが、キリスト教においては紀元4世紀に教会の公会議で旧約聖書44巻、新約聖書27巻が正典とみなされ、旧約聖書に関して後にプロテスタント教会においては39巻のみが正典とされるに至った。

イエス自身はユダヤ教徒であり、ユダヤ教の会堂(シナゴーグ:ユダヤ教の礼拝堂であり、同時に学校である)で教育を受け、旧約聖書の神を人格的な神として信じ、その神の愛と神の国を説いたが、十字架上で死んだ後に復活したイエスに出会った弟子たちやパウロらによって教会が成立し、「キリスト(救い主)」とされた。このイエスの言葉と行ないを土台とするキリスト教が広められ、イスラエル周辺諸国、小アジア(現在のトルコ:ヨーロッパから見ればこの地域から日本までがアジアとされる)・ギリシア・ローマ等を経て、世界中に伝えられた。

キリスト教がヨーロッパに伝えられたことによってローマ・カトリック教会の基盤が出来上がった。最初は迫害に遭っていたキリスト教は4世紀にローマ帝国の国教と認められることによって、国家、政治と結びついたものとなった。聖書も正典が決められ、公会議によって「正しいとされた教義」(※この場合の教義は個々人が信じる信仰ではなく教会によって定められた信仰内容)が決められ、その一方で、異端とされた教義は排斥され、そこから東方教会が生まれた。ローマ・カトリック教会の頂点には教皇が立ち、教会が荘園や土地、財産を所有、大聖堂や修道院を建て、聖歌が作られ、キリスト教はローマ・ギリシア文化と並んでヨーロッパ精神の土台ともなった。しかしながら、相次ぐ財産、地位、土地をめぐる抗争及び戦争、異端審問等もあり教会は堕落の道をたどった。

そのような状況の中で、16世紀には宗教改革がドイツのマルティン・ルターによって始まり、聖書を土台とする信仰によってのみ人は救われるとされ、聖職者の言葉で記されたラテン語聖書をドイツ語に訳し聖書を民衆が読むことのできるものにしようとした。彼の影響はスイス・フランス、そしてイギリス等、ヨーロッパ各国に伝わり、宗教改革を行なった者たちは「プロテスタント」と呼ばれた。一方、ローマ・カトリック教会は全世界への宣教を行ない始め、日本にもフランシスコ・ザビエルによって伝えられた。

イギリスからアメリカに渡ったプロテスタンはアメリカ建国の土台となり、教会を建てるだけでなく、政治・法律・経済・文化・教育等に影響を与え、フランスでもプロテスタント・キリスト教の影響もあってフランス革命が起こり、人権が尊重され、信教の自由、民主主義が認められるようになった。このプロテスタントは19世紀にアメリカの宣教師たちによって日本にももたらされ、それによって起こった日本のプロテスタント諸教会は現在の日本基督教団につながっている。

キリスト教においてキリスト教神学は特にギリシア哲学を始めとする西洋哲学の影響も受けて発達すると同時に、キリスト教神学は西洋哲学の発達にも大いに貢献した。一方、人間の理性が重んじられることによる科学の発達はヨーロッパで産業革命をもたらし、資本主義の発達と相まって労働、公害、福祉の問題と、それへの関心が起こり、特にアメリカでは黒人差別の問題にキリスト者も関わるに至った。20世紀に入り、二度にわたる世界大戦は多くの死者を出し、悲惨な結果に終わった。そこには良心的なキリスト者による平和運動やカール・バルトディートリッヒ・ボンヘッファーらによるナチスに対する抵抗運動等もあったが、キリスト教を含む宗教と科学が戦争に賛同したり、利用されたりした。

戦後、多くのキリスト教会は、第二次世界大戦の罪責を反省しつつ、世界教会協議会(WCC)を始めとするエキュメニカル運動(世界教会運動:全世界のキリスト者の一致を回復しようとする教派を超えた運動)やリタージカル・ムーブメント(礼拝刷新運動:礼拝を新しくし古代の礼拝の再発見・復古させること)等に力を入れ、環境破壊や平和問題等、この世が担う苦しみを共に担うこと、他の諸宗教との対話を行ない、「解放の神学」のように中南米・アフリカ・東南アジア等の第三世界の視点でのキリスト教が勃興する一方で、アメリカの福音派の大教会(メガチャーチ)等を別にするならば、信徒の減少を始めとする教会内の問題にも取り組むに至っている。キリスト教は、現在、世界で最も多くの人々が信じている宗教である。2008年現在、キリスト教徒の数は世界総人口の66億人に対しておよそ22億人(全体の33.4%)と言われている(『ブリタニカ国際年鑑 2009年版』、2009年)。

キリスト教の教義(信仰内容)は、詳細は教派・神学・個人によって様々に異なるが、例えば「聖書は神について証しする神の言葉であり、旧約聖書においては神が歴史の中でイスラエルの人々を救いへと導くこうとしたことと預言者によって人々を救うイエス・キリストの誕生が預言されていることが記されている。新約聖書の福音書においては言葉と行ないによって神の国を宣べ伝えたイエス・キリストが十字架に架けられて殺されることによって人間の罪を許し、それによって神の愛を示し、死んだ後、復活し、イエス・キリストの弟子たちを始めとして人々に聖霊(神の霊)の働きが起こり、それによってイエス・キリストを信じる人々がキリスト教会を作り、その歴史が始まったものとされている。新約聖書におけるパウロの手紙では教会はキリストの体であるとされ、教会は終わり(終末)の時を待ち望み、終わりの時には神の国、神の救いが完成する」(これは筆者が試作したものであり、これに限定されない)とされるものである。

キリスト教は2000年にわたるその歴史の中で多くの教派、神学思想を生み出してきており、それは多様性に満ちている。それぞれの信仰内容や神学思想に基づく倫理(道徳とは異なる)も生み出されてきたが、それも様々なものがある。新約聖書を研究する多くの学者の見解では、イエス自身はキリスト教という宗教を作ることを望んだわけではないということになっているが、それもキリスト教の多様性の一部に過ぎない。

キリスト教の教派は大別してプロテスタントカトリック東方正教会に分かれる。特にプロテスタントは詳細に分かれ、この三大教派とは別の少数の教派も存在するが、そこにはものみの塔、モルモン教、統一協会、オウム真理教等の新興宗教団体は含まれない。

多くの場合、キリスト教徒は、日曜日を主日とし、多くの場合、教会において礼拝を行なっている。礼拝は神に対して行なうものであるが、礼拝の形式も教派や地域によって様々に異なる部分を持つ。また日曜日以外でも聖書を読んだり、祈る時を持つ信仰生活を行なうことが勧められている。キリスト教の歴史においてはキリスト者として政治・経済・文化(思想、芸術)等の分野において優れた活躍をする者だけでなく、人権問題や差別問題、社会事業、教育・福祉・医療等の問題等、イエスに従いつつ社会の底辺で携わる者も多く輩出している。現代において、信教の自由としてキリスト教諸教派の、また個々人の信仰が尊重されなければならないと同時に、キリスト教会は全てが聖書の神において一つであることと、この世にありつつ国家とは異なるものであること(国民は国家そのものではない)が望まれている。

 

 

〈参考資料〉

 

・『キリスト教大事典』、教文館、1991年〈改訂新版第10版〉。

・『岩波キリスト教辞典』、岩波書店、2002年。

『ブリタニカ国際年鑑 2009年版』、ブリタニカ・ジャパン、2009年。

 

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