「聖書」について

川上純平

      

初版:2010年 3月16日

改訂第一版:2017年10月29日

改訂第二版:2022年 5月10日

 

キリスト教にとってキリスト教信仰の土台は基本的に「聖書」である。「聖書」はキリスト教徒(キリスト教信徒)にとってキリスト教信仰(聖書の証する主〈しゅ〉イエスを救い主〈すくいぬし〉として信じるということ)生活の糧(支え:人が信仰生活を行う上で必要な神の言葉であるということ)であり、規範(規定するもの)でもある。それは「聖書」そのものが信仰の対象ではなく、つまり「聖書」を神として信じるのではなく、主なる神について証しする書物であり、それゆえに人々は「聖書」を信仰の土台として生きてきたことを意味する。

キリスト教で用いられる「聖書」はユダヤ教やイスラム教でも一部が使われているが、キリスト教の各教派によって用いられている「聖書」はそれぞれ異なる。ローマ・カトリック教会東方正教会においては旧約聖書外典や使徒伝承をも用いるのに対して、プロテスタント教会は旧約聖書39巻と新約聖書27巻の計66巻の「正典」のみを用いている(参照「聖書の各文書とその内容」)。「正典」はキリスト教信仰の「基準」「規範」となるものという意味であるが、そもそもはギリシア語で「真っ直ぐな棒」や「物差し」を意味する「カノーン」という言葉に起源がある。その事はこれが正しい聖書の文書の内容であると決められたということでもある。ちなみに紀元397年の「カルタゴ会議」で「正典」とされた時には「外典(例:エノク書)」が含まれていたゆえに、旧約聖書は44巻、新約聖書は27巻が「正典」とされたが、宗教改革者マルティン・ルターによって生まれたプロテスタント教会は旧約聖書正典を39巻とした。もっとも現代の教義学において正典規準は(1)キリストを推し進めていること(2)使徒もしくは使徒の弟子に由来するもの、使徒の時代に根ざす「証言」であること(3)聖霊の内的自己証示(神ご自身が正典を正典として保証されるという事実)があることとされている(ハンス・ゲオルク・ペールマン著、蓮見和男訳『現代教義学総説 新版』、2008年〈第1版第1刷〉、110頁)。

「聖書」という言葉は「聖なる書物」という意味の日本語である。英語では「聖書」を「バイブルBible”」と言うが、この言葉の語源はギリシア語で「書物」を意味する「ビブリアbiblia”」にある。そもそも「ビブリア」とは紙の原料となるパピルスという植物の茎の髄部分を意味した。

「旧約聖書」の「旧約」とは古い契約」を意味するが、旧約聖書は大部分がヘブライ語で書かれている。一方、「新約聖書」の「新約」とは「新しい契約」を意味し、コイネー・ギリシア語(紀元前4世紀後半頃から紀元6世紀頃まで用いられたギリシア語)で書かれている。なぜ聖書が「契約」と呼ばれるのかは、旧約聖書において神と人間が契約を交わしたが、人間はそれを守ることが出来ず、旧約聖書エレミヤ書31章で預言され、新約聖書において神の子であり、救い主であると信じられた主イエスの十字架とそれに対する信仰が神と人間との新しい契約であるとされたことによる。これらの「契約」は、それぞれヘブライ語では「誓い」を意味する「ベリート」、ギリシア語では「遺言:死によって効力が生じる約束」を意味する「ディアテーケー」という言葉であるが、どちらも「約束を義務的に守る」という意味合いを持っている。それゆえに、この「契約」は「雇用」の意味での「契約」とは異なる。これは聖書の神と人間との「約束」と言い換えることが出来るかもしれないが、それは神によって一方的になされ、神によって破棄されることのない「契約」である。

旧約聖書は、紀元前の時代、数千年前の時代に古代イスラエル及びその周辺の中東地域において、人から人へと語られ、記されたもので、そこには主にヘブライ語で「ヤハウェ」や「エロヒーム」、「アドナイ」と呼ばれる旧約聖書の神が人間を救いに導くために語られた言葉と行なわれた出来事が記されているが、同時にその神に対する人間の信仰と神に聞き従わない人間の行為両方についても記されている。そこに記されている文学形式は様々であるが、歴史において古代イスラエルの人々をお救いになる一人の神のお働きが記されていると言うことも出来る。現在、日本や他の諸外国において多く用いられている旧約聖書の底本となったものはヘブライ語で記された旧約聖書であるが、それは現在、国家としての「イスラエル国」において話されている現代ヘブライ語とは幾分異なっている。

「新共同訳聖書」を含む日本語訳旧約聖書及び他の諸外国においても用いられている旧約聖書においては五書(創世記から申命記)、歴史書(ヨシュア記からエステル記)、詩歌(ヨブ記から雅歌)、預言書(イザヤ書からマラキ書)の順序で全39巻が記されているが(参照「聖書の各文書とその内容」)、現在も用いられているユダヤ教のヘブライ語聖書においては、この順序は異なり、律法(創世記から申命記)、預言書(ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、12小預言書〈小預言書は12巻で一つとされる〉)、諸書(詩編、箴言、ヨブ記、雅歌、ルツ記、哀歌、コヘレトの言葉、エステル記、ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記、歴代誌上・下)の配列で、全25巻となっている。この順序はヘブライ語聖書がマソラ学派(ヘブライ語聖書の本文の正確な読み方を研究した学派で紀元710世紀に活躍した)によって定められたものであり、彼らが律法の神聖性を強調したからであるとされる。日本語訳を含む多くの諸外国の旧約聖書の順序はそれがヘブライ語聖書からの訳であるにもかかわらず、ヘブライ語からギリシア語に訳された時に出来上がったとされる(「旧約聖書」『新聖書大辞典』、1971年〈第1版第7刷〉)。

一方、新約聖書は紀元30年頃にユダヤ(現在のイスラエル国)のガリラヤ地方で神の国と神の愛を宣ベ伝えられ、人々を癒され、十字架に架けられて殺され復活された(甦られた)、イエス・キリストの言葉と働きを記した「福音書」、キリスト教会が誕生し、イエス・キリストの弟子たちとパウロ及びその仲間たちが使徒として伝道したことを記録した「使徒言行録」、使徒パウロとパウロの名を使った教師・信徒たちが各地域の諸教会や信徒に宛てて記した「手紙」、ヨハネの黙示録のような「黙示文学」等、全27巻で構成されており、およそ紀元50年代から2世紀初めにかけて執筆したとされている。新約聖書成立が文書として成立するに至るまでは口頭伝承(口伝え)やギリシア語以外の言語を含む写本によってイエス・キリストの言葉と行ない及びパウロの手紙等が伝えられたが、最終的に新約聖書がコイネー・ギリシア語で書かれた一冊の書物として出版されたのは16世紀になってからのことである。「新共同訳聖書」を含む日本語訳新約聖書及び他の諸外国において用いられている新約聖書は、現在、出版されているコイネー・ギリシア語で書かれた新約聖書(ネストレ・アーラント版等)を底本としているが、順序において大した違いはない(参照「聖書の各文書とその内容」)。初代キリスト教会においては、新約聖書が成立する以前は旧約聖書のみが聖書としてユダヤ教の会堂であるシナゴーグの礼拝等において読まれていたが、新約聖書の福音書が編纂され、パウロの手紙等が執筆されるに至り、それらが様々な場でのキリスト教の礼拝において用いられようになった。

聖書の解釈に関しては古代から現代まで様々な解釈及び方法論が適用されてきた。最初は古代ギリシア文学に対する態度と同じように比喩的表現や文法に着目した解釈が行なわれたが、一方で、聖書はその成立当初から人間に対して信仰を与える霊的な書物であり、そのような意味で神の言葉として読まれてきた。特にそれがキリスト教会との関係で考えられ、礼拝で読まれてきたのである。それとはやや異なり、聖書の一文字一文字が神によって人間の手を用いて記されたとされる逐語霊感説も古来から存在し、後のキリスト教原理主義(ファンダメンタリズム:根本主義)の支えとなった。さらに学問の発達とキリスト教信仰の多様性により、聖書をその時代における新しい他の諸学問や思想的・哲学的立場から解釈する試みがなされるようになり、本文それ自体に対する批評等も活発に行なわれ、人間の執筆したものであることが強調されるようになった。聖書が執筆された当時の、あるいはさらに、それ以前の口頭伝承時代におけるイスラエルの思想的背景や心理学的状況等も考察されるに至り、現代から見た古代の中東地域における一つの古典として読まれてもいる。キリスト教神学においては、それとキリスト教信仰や聖書学以外の神学諸学科との関わりも重要な焦点となる。

聖書は世界の歴史における様々な場で読まれ、多くの人々に影響を与えた書物である。「聖書協会世界連盟」によると、2008年現在、旧新約両聖書は全世界で2800万冊頒布されている(Website:http://www.biblesociety.org/index.php?id=21)。全世界での発行部数は諸説あるが、数十億冊以上と言われ、世界で最も多く読まれている書物である。聖書はこれからも様々な読み方がなされつつ、かつキリスト教信仰の源泉であるのであろう。

 

〈参考資料及びサイト〉

 

・「旧約聖書」『新聖書大辞典』、キリス新聞社、1988年〈第1版第7刷〉。

『ギリシア語新約聖書釈義事典T』、教文館、1993年。Exegetisches Wörterbuch zum Neuen Testament.Hrsg.von Horst Balz

und GerhardSchneider,Band1,2.,verb.aufl. Stuttgart,1992.

・大貫隆著「正典」『岩波キリスト教辞典』、岩波書店、2002年。

・ハンス・ゲオルク・ペールマン著、蓮見和男訳『現代教義学総説 新版』、新教出版社、2008年〈第1版第1刷〉。 Abriß

der Dogmatik, Sechste,verbesserte und erweiterte Aufl.,Chr.Kaiser/Gütersloher Gerd Mohn, Gütersloh,2002.

United Bible Societies”(http://www.biblesociety.org/

 

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