「シュライエルマッハー(シュライアマハー)について」 

川上純平

初版:20101031

改訂第一版:20171116

                                                                                                

・フリードリッヒ・ダニエル・エルンスト・シュライエルマッハー(シュライアマハ―) 

Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher17681834

 

 

〈生涯〉

 

ドイツの神学者、哲学者。1768年、プロイセン王国ブレスラウ(現在のポーランドにあたる)で改革派教会(カルヴァン派教会)の軍隊付き牧師の子として生まれる。しかし、その父親が敬虔主義のヘルンフート兄弟団(モラヴィア兄弟団)に移ったことをきっかけとして、1783年、ニースキーにあるヘルンフート兄弟団の学校に入学。卒業後、バルビーにある同兄弟団の神学校で過ごし、敬虔主義の影響を受けるが、インマヌエル・カントの哲学を知り、1787年、ハレ大学神学部に入り、啓蒙主義、特にカント哲学、またプラトンやアリストテレスらの古代ギリシア哲学の影響を受ける。1790年から東プロイセンのドーナ伯爵家の家庭教師の職を経験した後、牧師になるための国家試験に合格。1796年にベルリンの慈善病院付き牧師となり、シュレーゲル兄弟やノヴァーリスのようなロマン派文学のサークルに加わる。1799年に代表作の一つ『宗教論 宗教を侮辱する人々の中の教養ある人々への講演』を執筆し、また1800年に後年の「倫理学」についての萌芽的な側面を持つ『独語録(独白録:モノローゲン)』を執筆する。シュライエルマッハーはこの『独語録』において「個性」と「想像力」を重視している。

 1804年、プロイセン王によりハレ大学教授として招かれ、同大学付属の牧師も兼ねる。大学では神学、哲学、倫理学を教え、プラトンの著作をドイツ語に翻訳し、同時に新約聖書解釈学についての研究を行なった。このことがきっかけとなり、哲学者ディルタイにも影響を与えた近代解釈学がシュライエルマッハーによって成立することになった。1805年には彼の思想を理解するにあたって重要な書物とされる『クリスマスの祝典 ‐一つの対話』が執筆される。しかし、1806年、ナポレオンの軍隊により大学は閉鎖され、後、1808年にベルリンの三位一体教会の説教者として招かれる。以来25年間、そこで説教を行なった。

1810年にはフリードリッヒ・ヴィルヘルム3世によるベルリン大学創設に加わり、初代の神学部長(1815年には学長)に就任。組識神学だけでなく、歴史神学実践神学、哲学をも教えた。同じ1810年には『神学通論』(初版:1830年には再版)を出版している。この頃にルター派と改革派との合同教会である「プロイセン合同教会」の設立に尽力。1813‐14年の解放戦争では説教によってナポレオンに抵抗。1821年には、カルヴァン以後に初めて記されたプロテスタント組識神学の大著、シュライエルマッハーの教義学である『キリスト教信仰(信仰論)』を出版(第2版は1830年に出版)した。1824年から27年にかけては教会の自律的権利を主張して礼拝形式についての問題に取り組んだ。1834年、死去。

 

 

〈神学〉

 

 シュライエルマッハーは『宗教論』において「宗教の本質」を「直観と感情」であるとし、それは「無限なるもの(宇宙)を受け入れる感性」であるとした。(1)その土台にはロマン派文学、スピノザ、ライプニッツ等の影響と合理主義及び正統主義への反発が見出される。しかし、特に、彼はこの書で、当時の知識人を批判しつつ、カント哲学の強い影響を受けながらも、明らかにカントとは異なる神認識について述べており、そこにはヘルンフート兄弟団に代表される敬虔主義の影響が色濃く反映されている。(2)

さらに『キリスト教信仰(信仰論)』において、彼は「宗教」を「敬虔さ(Frömmigkeit)」という観点から考え、それを「我々が我々自身で絶対的に(全く:schlechthin)依存しているとして意識することであり、それは同じ意味であるが、神と関係するものとして意識することである」とし、その依存の意識を「人間性質の本質的要素」、「本質的に人間性に属している」もの、としている。(3)また「敬虔さ」は主体的で実存的な関わりであり、キリストは敬虔が完全な形で実現した、人を罪から救い出す「救いの原型」であり、救いはキリストに基づく絶対依存の自己意識の創造であるとした。彼は『信仰論』において宗教改革の精神にあるキリスト論を継承してもいる。(4)

彼は神学それ自体を、共同の経験における批判的な省察による学問であり、かつ「実証的な学問」とし、それはキリスト教会の指導や管理において必要なものであり、「哲学的神学」、「歴史神学」、「実践神学」の三つの領域に分けられ、かつ統合されたものとして考えた。(5)キリスト教の教義については、それを敬虔な意識、宗教感情について敬虔さを伴って考えた結果のものであるとし、聖書については、解釈学的考え方を導入し、特に新約聖書に取り組み、イエスを歴史上に生きた一人の人間として考え、後の「史的イエス」研究に影響を与えている。また彼は人間にとって宗教は必要なものであるとし、さらにそこからキリスト教を最高の宗教であるとすることによって、後の「比較宗教学」にも影響を与えている。(6)

 シュライエルマッハーは「近代神学の父」と言われるが、彼はリッチュル学派を始めとする19世紀のプロテスタント神学だけではなく、さらに、その後の神学にも大きな影響を与え、哲学、解釈学、倫理学、美学、教育学、心理学に対しても重要な足跡を残している。そして、それらの学問の土台となっているのは彼の信仰であった。彼の神学は汎神論でもなければ、主観主義哲学に基づくものでもないのである

現代神学者において、ルドルフ・オットー、パウル・ティリッヒルドルフ・ブルトマンとその弟子たち、ヴォルファルト・パネンベルクらにはシュライエルマッハーの影響が顕著である。それに対して、カール・バルトやエミール・ブルンナーらはシュライエルマッハーから影響を受けつつも、一時、強く批判的となった。

特にカール・バルトは、当初、シュライエルマッハーを重要な神学者とみなし、これに傾倒した。しかし、『ローマ書』(第2版)を執筆した頃には、シュライエルマッハーとその影響下にある19世紀のプロテスタント神学について宗教を人間的な可能性としたり、世界のあらゆる出来事を神の行為と考える能力として讃美すべきものであるとしたりすることを批判した。(7)『教会教義学』においてもバルトはシュライエルマッハーが「教義学」についての基礎づけに関して、倫理学の命題によって特徴付けていることを批判している。(8)

しかし、後年になると、カール・バルトはシュライエルマッハーの神学に従うことはなかったが、それに対する評価を変えている。(9)

これらにはシュライエルマッハーに対する批判と、その理解にはシュライエルマッハー自身が何を言おうとしているのか理解しがたいということもあるのかもしれない。

ただ「一般的な神意識」と「キリストへの特別な関係」を別のものとする彼の考え方(10)はある疑問が残る。その疑問は、言うまでもなくキリスト教と他の諸宗教は同じものではないか等ということではない。そうではなく、むしろ、そこでは他の諸宗教の信仰心や人間の持つ信仰心が、聖書の神に対する人間の信仰とどのように関係するのかが曖昧にされ、「キリスト教」という宗教の絶対化につながりやすい面を持つことになるのである。(11)もっとも、キリスト教信仰において、聖書の神、キリストの存在が他の神々とは異なる、特別のものであるという考え方は当時のプロテスタント教会の敬虔主義や正統主義的な信仰において自明とされているものであるが。こういったことの背景には歴史的な限界があるのかもしれない。

また「自然現象を神の行為によるものとする」あるいは「人間の状況が内的宗教経験を表現している」というような主張にも、先ほど述べたことと、さらに神の啓示、創造論における人間の位置づけ、人間と信仰心という観点から疑問は残る。(12)

彼の神学は「宗教的感受性の内容」において「批判的知性」を「理解しそれにより適切な形を与えるための方向転換」であるとも見なされている。(13)彼がキリスト教信仰と学問の関係性の問題点を明示したことも評価されるべきなのかもしれない。

シュライエルマッハーについては今も研究が行われ続け、彼の著作は新版全集として今も刊行中であり、他の神学者たちについての研究にも影響を与えている。(14)

 

 

〈参考文献〉

 

 

・F.シュライエルマッハー著、高橋英夫訳『宗教論 宗教を軽んずる教養人への講話』、筑摩書房、1991年。 

  Über die Religion. Reden an die Gebildeten unter ihren Verächtern.Hg. von Hans-Joachim Rothert. (= Philosophische Bibliothek. Band 255), EA.der Edition,Felix Meiner Verlag, Hamburg,1958.

・シュライエルマッハー著、加藤常昭訳『神学通論』、教文館、1962年。

Kurze Darstellung des theologischen Studiums,2.Aufl, 1830,3.Aufl, Leipzig,1910.

Schleiermacher, Friedrich, Der christliche Glaube nach den Grundsätzen der Evangelischen Kirche im Zusammenhange dargestellt (1830/31) herausgegeben von Martin Redeker, Nachdr. der.7.Aufl,Walter de Gruyter, Berlin, 1999.

・ジェームズ・デューク、フランシス・S・フィオレンツァ著、松井 睦、上田 彰訳『シュライエルマッハーの神学』、ヨベル、2008年。

 On The Glaubenslehre - Two Letters to Dr.Lücke, The American Academy of Religion,1981.

・B.A.ゲリッシュ著、松井 睦訳『シュライエルマッハー 近代神学の父』、新教出版社、2000年。

 A Prince of The Church, Schleiermacher and the Beginnings of Modern Theology, Fortress Press, Philadelphia, 1984.

・増渕幸男著『シュライアーマッハーの思想と生涯 遠くて近いヘーゲルとの関係』、玉川大学出版局、2000年。

・水谷誠著「フリードリヒ・シュライエルマッハー ‐研究の現状と方法論的諸問題‐」『基督教研究 第65巻第2号』(同志社大学神学部、基督教研究会、2004年、66‐86頁)。

・ギュンター・メッケンシュトック著、川島堅二訳「シュライアマハーの宗教理論における平和戦略」、川島堅二著「エキュメニカル運動の基礎としての『感情』 ‐シュライアマハー神学の現代的可能性」、チェ・シンハン著、水谷誠訳「ヒューマニズムの視野から見たシュライアマハーとアジアの諸宗教 ‐宗教的育成と自己開発」、『基督教研究 第68巻第1号』(同志社大学神学部、基督教研究会、2006年、63‐99頁)所載。

・カール・バルト著、吉村善夫訳『カール・バルト著作集14 ローマ書』新教出版社、1994年(第1版第7刷)。

Der Römerbrief,2.Aufl,1922,6.Abdruck, München,1929

・カール・バルト著、井上良雄訳『カール・バルト教会教義学 神の言葉T/1』、新教出版社、1995年(第1版第1刷)。

Die Kirchliche Dogmatik,T.Bd,Die Lehre von Worte Gottes Prolegomena ur Kirchlichen Dogmatik,1.Teil(T/1.),Zürich,1942.

・ゴッドシ―編、古屋安雄訳『バルトとの対話』、新教出版社、1965年。

Karl Barth’s Table Talk, ed. John D. Godsey, Oliver and Boyd, Edinburgh, 1963. 

・カール・バルト著、加藤常昭、蘇光正訳「第2部 シュライエルマッハーとわたし」(ユルゲン・ファングマイアー著、加藤常昭、蘇光正訳『神学者カール・バルト』所載)日本基督教団出版局、1971年(初版)。

 Nachwort zu: Schleiermacher-Auswahl, hg. von H. Bolli, Siebenstern Taschenbuch Verlag, München und Hamburg,1968, SS. 290-312. (Abk. Schleiermachernachwort).

・カール・クーピッシュ著、宮田光雄、村松恵ニ訳『現代キリスト教の源泉2 カール・バルト』、新教出版社、1994年(第1版)。

Karl Barth in Selbstzeugnissen und Bilddokumenten, Hamburg,1971.

・エーバーハルト・ブッシュ著、小川圭治訳『カール・バルトの生涯 1886‐1968』、新教出版社、1995年(第2版)。

Karl Barths Lebenslauf Nach seinen Briefen und autobiographischen Texten,4.Aufl, München,1987.

・『キリスト教大事典』、教文館、1991年〈改訂新版第10版〉。

・『キリスト教人名辞典』、日本基督教団出版局、1986年〈初版〉。

・『現代キリスト教神学思想事典』、新教出版社、2001年〈第1版〉。

Alister E. McGrath (ed.), The Blackwell Encyclopedia of Modern Christian Thought, Blackwell Publishers, 1993

F.L.Cross and E. A. Livingstone (ed.), The Oxford Dictionary of The Christian Church, Third Edition, Oxford University Press, 1997.

・『岩波哲学・思想事典』、岩波書店、1998年。

 

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(1)  F.シュライエルマッハー著、高橋英夫訳『宗教論』、1991年、42、44頁。

(2)   ちなみに『宗教論』の第1版と第2版以降とでは使用されている言葉がいくつか異なっている。増渕幸男著『シュライアーマッハーの思想と生涯 遠くて近いヘーゲルとの関  係』、2000年、109頁。以下『シュライアーマッハーの思想と生涯』と略す。

(3)   Schleiermacher, Friedrich, Der christliche Glaube nach den Grundsätzen der Evangelischen Kirche im Zusammenhange dargestellt (1830/31) herausgegeben von Martin Redeker, Nachdr. der. 7.Aufl. 1999, Erster Band., S.23.41以下Der christliche Glaubeと略す。『現代キリスト教神学思想事典』、276頁。以下『神学思想辞典』と略す。その依存の感情は情緒的なものでも、神秘的に考えられることでもなく、存在論的なもの、直接的な自己意識である。『シュライアーマッハーの思想と生涯』、230頁。

(4)  B.A.ゲリッシュ著、松井 睦訳『シュライエルマッハー 近代神学の父』、2000年。56頁。以下『シュライエルマッハー』と略す。もっとも、同書、87頁におけるゲリッシュのシュライエルマッハーについての主張を、同書、113頁にある「人間の活動性」についての文章に照らし合わせて言うならば、人間の意識が絶えず神を探し求め、神を意識しているわけではないゆえに、人間の行う全てのことを神の行為とするのには無理があろう。

(5)  シュライエルマッハー著、加藤常昭訳『神学通論』、1962年、11、13、24頁。ジェームズ・デューク、フランシス・S・フィオレンツァ著、松井 睦、上田 彰訳『シュライエルマッハーの神学』、2008年、11頁。以下『神学』と略す。

(6) 『神学思想事典』、277頁。詳しくはシュライエルマッハー著、加藤常昭訳『神学通論』、1962年参照。ちなみにシュライエルマッハーにおいては「教義学」は「歴史神学」に含まれるとされる。

(7) カール・バルト著、吉村善夫訳、『カール・バルト著作集14 ローマ書』、1994年(第1版第7刷)、269、307頁。カール・バルトの19世紀プロテスタント神学批判の根底には、それまでバルトが学んだ神学だけでなく、また文化プロテスタンティズムが結果として第1次世界大戦へと結びついたことだけではなく、バルトが牧会を行なったザーフェンヴィルの教会と教会を取り巻く状況も関係していたのかもしれない。カール・バルト著、加藤常昭、蘇光正訳「第2部 シュライエルマッハーとわたし」(ユルゲン・ファングマイアー著、加藤常昭、蘇光正訳『神学者カール・バルト』所載)、1971年(初版)、90‐92頁。以下『シュライエルマッハーとわたし』と略す。もっとも、シュライエルマッハー自身は、いわゆるナポレオン戦争の際は別にして、教会と国家が結びつくことを望んではいなかった。『シュライアーマッハーの思想と生涯』、109、163、164、219、224頁。

(8) カール・バルト著、井上良雄訳『カール・バルト教会教義学 神の言葉T/1』、1995年(第1版第1刷)、75頁。)

(9)  たとえば、ゴッドシ―編、古屋安雄訳『バルトとの対話』、1965年、32、41、42、61、62頁においては、バルトがシュライエルマッハーを評価したり、その神学は自らの神学と対立するものではないとしたりしている。他にも『シュライエルマッハーとわたし』、88、126‐134頁。『シュライエルマッハー』、26頁。『神学思想事典』、278頁。カール・クーピッシュ著、宮田光雄、村松恵ニ訳『現代キリスト教の源泉2 カール・バルト』、1994年(第1版)、186頁。エーバーハルト・ブッシュ著、小川圭治訳『カール・バルトの生涯 1886‐1968』、1995年(第2版)、706頁。等を参照。

(10)  Der christliche Glaube, Erster Band, S.74『シュライエルマッハー』、86頁。

(11)  ちなみに、この「キリストへの特別な関係」という考え方はリッチュル学派を経て、カール・バルトの神学における「キリスト論的集中」の概念に影響を与えることになる。

(12)  Der christliche Glaube, Erster Band, S.278,279 u.a.『神学』、20、21頁。

(13) 『シュライエルマッハー』、45頁。

(14)  ちなみにシュライエルマッハーについての最近の研究としては、たとえば、ギュンター・メッケンシュトック著、川島堅二訳「シュライアマハーの宗教理論における平和戦略」、川島堅二著「エキュメニカル運動の基礎としての『感情』 ‐シュライアマハー神学の現代的可能性」、チェ・シンハン著、水谷誠訳「ヒューマニズムの視野から見たシュライアマハーとアジアの諸宗教 ‐宗教的育成と自己開発」、いずれも『基督教研究 第68巻第1号』(同志社大学神学部、基督教研究会、2006年、63‐99頁)に所載等の研究があり、現在のシュライエルマッハー研究とその研究の方法論については、水谷誠著「フリードリヒ・シュライエルマッハー ‐研究の現状と方法論的諸問題‐」『基督教研究 第65巻第2号』(同志社大学神学部、基督教研究会、2004年、66‐86頁)等を参照。