レポート「『敬虔主義』とは何か?‐特に『ドイツ敬虔主義』(M,シュミット著、小林謙一訳
〈教文館、1992年初版〉)を中心にして考えたこと」
川上純平
2013/11/12
・序
「敬虔」とは「宗教における主観的側面」を示す言葉で、「へりくだって神に自己をゆだねる態度をいう」(石井次郎著「敬虔」『キリスト教大事典』1991年〈改訂新版第10版〉)。もちろん、ここで言われている「敬虔」はキリスト教的な意味で用いられる「敬虔」である。それでは「敬虔主義」とは何か。「敬虔主義」という言葉の意味は二種類あり、ドイツに限定する場合と他の国々を含める場合である。ここでは狭い意味での「敬虔主義」つまり「ドイツ敬虔主義」について考えたい。「ドイツ敬虔主義」、それは、キリスト教の歴史、特にプロテスタント教会史のある時代における一時的な現象に過ぎないものではなく、後の時代への影響を含めて歴史の中でキリスト教を理解する上で重要な出来事の一つであった。
今回、「敬虔主義」とは何かを考えるにあたって特に『ドイツ敬虔主義』(M,シュミット著、小林謙一訳〈教文館、1992年初版〉)を読み、それを中心にして述べさせていただくこととした。『ドイツ敬虔主義』は新たに分かってきた研究内容の一部を含めて記したものだが、著者が述べているように読者がより一層「敬虔主義」に関心を持って研究することを願って(M,シュミット著、小林謙一訳『ドイツ敬虔主義』、1992年〈初版〉、2頁。以下『ドイツ敬虔主義』と略す)記されたものである。またこの本の訳者が「訳者あとがき」で述べていることであるが、「敬虔主義」についてはトレルチやディルタイの評価は、もちろん現代神学者であるバルトやティリッヒでさえも正しい知識によって評価しているとは言い難い面があるとされる。現在、「敬虔主義」についての研究は進められ続けている。私個人としては、それまで自分が知らなかった新たな発見が出来て、興味深かったと思う。
・「敬虔主義」とは何か?
「敬虔主義」は17世紀、ドイツに始まり現在まで世界各地で続いているキリスト教の、特にプロテスタントの運動の一つである。その特徴は、聖書に基づく宗教的体験による個々人の教会生活の変革、実践を強調することによる社会への伝道、社会福祉等への貢献、信徒を中心とし、エキュメニカルへとつながる新しい自発的な集会やキリスト教団体を生み出したこと等にある(常葉謙二著「敬虔主義」『CD−ROM版 世界大百科事典・年鑑・便覧』、1998−2000年〈第2版〉、以下『敬虔主義』と略す)。この運動の最盛期となったのは17、18世紀とされる。この本『ドイツ敬虔主義』の著者は敬虔主義には旧と新があり、啓蒙主義を境にして17、18世紀の古敬虔主義と19、20世紀の新敬虔主義に分けられるとする(『ドイツ敬虔主義』、276頁)。つまり、二つの違いは啓蒙主義の影響を受けているか否かということになる。古敬虔主義は創造的で騒々しさを伴い、革命的であるとされ、新敬虔主義は保守的な印象を与えるとされる。
敬虔主義者の中には自らをルターの宗教改革と同一視している者もいるが、ルターの精神的遺産の相続人を自称する人たちである「ルター派正統主義」と敵対してもいる。敬虔主義でルターの宗教改革を強く主張している人々とルター派正統主義とでは全く異なる事は言うまでもない。
敬虔主義が時代を通して一貫して語っていることは「再生」であり、それは聖書に基づく宗教的体験による。また「新しい人間」、「新しい人類」、「人間変革」による完全な「世界変革」が根本的なテーマであり、その源泉は原始キリスト教に辿ることが出来るとされる(同書、277頁)。
敬虔主義の創始者フィリップ・ヤーコプ・シュペーナーの場合、「再生」は罪人である人間が根本的に変えられる、聖書が示す意味での「再生」であり、それは「誕生」とも呼ばれた。それは信仰を持つ者が神の本性に与ることになるという約束ゆえに「完全」という目標を持つものであった。その影響はフランケ、ツィンツェンドルフらによって新たな展開を見せるに至った。
敬虔主義は既に習慣のようなものに変えられてしまっていたキリスト教を真剣に再興し、国家や政府等の権力に対する人々の意識を変えた。そして、それらは近代人の意識に結び付いたものとなった。敬虔主義は教会のないキリスト教を望んだわけではなかったが、キリスト教のない自由な宗教性、無関心への道を辿ってもいる。つまり、キリスト教の真理に対する問いかけをなおざりにしてしまった(同書、287頁)という側面も持っているのである。さらに「政教分離」も敬虔主義の功績であり、聖書の個人的応用、牧会的話し合い、同時に讃美歌や神学、哲学へ貢献しているともされる。
・その歴史
この本『ドイツ敬虔主義』はドイツ敬虔主義の歴史の源泉について全体的には16世紀ドイツの宗教改革、三十年戦争後の状況、無神論と神秘主義に遡ることが出来ることを語っている。その一方で、この本の一部でもふれられてもいるが(同書、35頁以下参照)、ある人はオランダ改革派、つまり、ジャン・カルヴァンの影響によるものと主張する(佐藤敏夫著「敬虔主義」『キリスト教を学ぶ人のために』〈武藤一雄、平石善司編〉、1988年〈第3版〉、181頁)。またこの本『ドイツ敬虔主義』の中では既にルターの中心に敬虔主義に向かような動機と要素があったとされ、特にルターは「悔い改め」により新しい人間となることを説いたとされる(『ドイツ敬虔主義』、23頁)。しかし、敬虔主義は宗教改革の完成を主張したために、同じルターに遡る「ルター派正統主義」と対立するに至った。
1555年に平和の取り決めである「アウクスブルク宗教和議」の結果、プロテスタントとカトリックが同一地域内に存在し、どちらかを選ぶ権利が住民に与えられるようになったが、次に「三十年戦争」が勃発した。そこでは軍事力で教派を潰すこと等できず、「どの教派も他の教派の存在を考慮に入れなければならなくなった」(同書、16頁)。
この頃、イギリスでは政府があらゆる宗教団体に対する包容主義政策をとることとなり、制度としてのヨーロッパの教会は失墜、社会生活の秩序でもなくなった。それは教会が単なる雰囲気を醸し出し、それを味わうものに過ぎなくなったということであった(同書、17頁)。またフランス生まれの無神論とスペイン生まれの純粋な内面性を特徴とする「神秘主義」が登場した。「神秘主義」は神的絶対者との「神秘的合一」を基礎的な宗教体験とするもので、キリスト教では、例えば、パウロやルターのように、自らの内で信仰によってキリストと一つであると体験することを強調する立場である(今井晋著「神秘主義」『キリスト教を学ぶ人のために』〈武藤一雄、平石善司編〉、1988年〈第3版〉、183‐190頁)。神秘主義との関係では16世紀後半から17世紀前半に活躍したヨハン・アルントも敬虔主義に強い影響を与えている(『ドイツ敬虔主義』、27頁)。
これらは正統的キリスト教にとって脅威であったが、「敬虔主義」が生まれたのは、このような状況であり、ルター及びこの無神論と神秘主義が多分に影響を与えている。
また、しばしば、この頃のルター派正統主義はルターの宗教改革を形骸化したとされるが、ルター派正統主義の神学は敬虔さを養う文学も生み出し、讃美歌の分野では牧師パウル・ゲルハルトが活躍し、讃美歌の歌詞の神学的な深みと言葉の美しさはバッハの音楽的な表現力や旋律等に影響を与えていると言われている。またこの時代に正統主義に対する批判も多く行われたが、同時に正統主義が敬虔主義的態度を受け入れる動きもあった。その頃に起こった「三十年戦争」によって信徒には「十字架と苦難、自己批判と精力的な建設意欲」、「制度化された形での謙遜」が信仰生活の中心を占めるようになった。同時に興隆しつつあった敬虔主義は歴史的な現実にある「人間の重荷に対する関係」について考え理解しようとする方向へと向った(同書、61頁)。三十年戦争の悲惨な体験が厳しい罪意識を生み出し、それがルターの復興に結び付き、「敬虔主義」が起こったとも言えるかもしれない(「敬虔主義」)。
「『敬虔主義』は真正の原始キリスト教的価値、なかんずく『完全』をめざす努力に見られる原始キリスト教的活力、愛と単純と力 ‐神秘主義的スピリチュアリズムのなかで重んじられた‐の重要性を再発見し、しかも伝統とのつながりを守り、既存の正統主義教会の枠のなかになおとどまり、意識的にルターをひんぱんに引用し、しかもルターを自分の目的のために利用する知恵をもっていた。このように敬虔主義は、革命的であると同時に保守的でもあった。しかし全体として、その心は革命の側に傾いていた」(『ドイツ敬虔主義』、18頁)。
もっとも敬虔主義が明確に敬虔主義として始まったのは17世紀のドイツ敬虔主義の創始者フィリップ・ヤーコプ・シュペーナーの著書『敬虔なる願望』(1675年)による。彼は聖書そのものが教会生活を導くのでなければならないということ、信徒の生活、信徒の権利と課題が特に重視されるべきであるとした。シュペーナーのこの著書は「教会改革案の基本方針」とされている(川中子義勝著「敬虔主義」『岩波キリスト教辞典』、2002年)。
19世紀に敬虔主義は自分たちの殻に閉じ込もった保守的勢力になり、啓蒙主義を基礎とした自由主義と敵対するようになって、やや力を失ったが、「敬虔主義は元来、世界的・超教派的現象で」(『ドイツ敬虔主義』、13頁)あるゆえに、ドイツだけでなく、イギリス、ロシア、北欧、アメリカ等にも伝わり、様々な形で展開されるに至った。
・代表的な人物及び運動
以下は『ドイツ敬虔主義』(M,シュミット著、小林謙一訳〈教文館、1992年初版〉)の記載順に従って述べることにするが、「ドイツ敬虔主義」の代表的人物として、まず17世紀に活躍した「敬虔主義」の創始者フィリップ・ヤーコプ・シュペーナー〈1635年‐1705年〉が挙げられる。彼については先ほども少しふれたが、1675年にこれにより敬虔主義が始まったとされる書物『敬虔なる願望』を出版しており、これは原始キリスト教の共有財産制を愛の表現として強く推奨した書物であった。彼は牧師館で「コレギア・ピエタティス」〈敬虔の集い:真に回心した聖徒の共同体〉という名の集会を開いて、聖書を共に読み、それは一般庶民の集いでもあった。彼は貧しい人々への牧会の仕事にも力を注いだ。彼にとって「原理的・組織神学的関心を結びつけた神学が目標であった。」(同書、90頁)ともされるが、例えばそれは説教と思想の関わりと考えられたとされる。彼はドイツ敬虔主義の故郷の一つであるハレ大学創設にあたって大変尽力し、ルター研究、超教派的働き、宗教教育に力を注いだとされる。このシュペーナーの影響を受けたのはアウグスト・ヘルマン・フランケ〈1663年‐1727年〉であった。彼は学問と信仰の間の実存的苦悩に苦しむ中で死んだ理性ではなく、心の「再生」によって生きた認識に到達するという回心を経験した(金子晴勇著「フランケ」『岩波キリスト教辞典』、2002年)。孤児院を始めたことで,彼は当時の社会福祉に貢献、プロイセン・ドイツの国民教育にも影響を与えた(常葉謙二著「フランケ」『CD−ROM版 世界大百科事典・年鑑・便覧』、1998−2000年〈第2版〉)。彼は敬虔主義を世界的に知らしめ、明確な輪郭を与えたとも言われる(『ドイツ敬虔主義』、130頁)。フランケはツィンツェンドルフ伯、メソジスト派の創始者ジョン・ウェスレーに影響を与えたとされる。またフランケの子アウグスト・ヘルマン・フランケとハレの孤児院はアフリカやインドにまで至る外国伝道及び内国伝道〈そこには社会福祉事業をも含む〉を始めたという意味で、その源泉ともなっている。シュペーナーに傾倒し、「神秘主義的スピリチュアリズム」の影響を強く受けた敬虔主義者にゴットフリート・アルノルト〈1666年‐1714年〉がいる。彼は「初期敬虔主義最大の学者」(同書、41頁)として多くの書物を書き記した。彼はどの敬虔主義指導者よりも「神秘主義的スピリチュアリスト」であったとされる。彼は既存のキリスト教会の歴史を堕落の歴史とし、異端とされた人々を積極的に評価しようとも試みた。彼は『卑しいセクト主義、すなわち教会と聖餐式に行くことについての解明、ならびに正しい福音主義的教職と正しいキリスト教的自由について』〈1700年〉において礼拝で聖餐式に与るに際しての「心のあり方」を問題としてもいる(同書、145頁)。また彼はキリスト教の真理性の「証明」は歴史的に行われるものであるとして信仰の意識の中へ歴史学を取り入れ、シュライエルマッハーらに大きな影響を与えたとも言える。
18世紀における「敬虔主義」の代表者としては、まずツィンツェンドルフ伯ニコラウス・ルートヴィッヒ〈1700年‐1760年〉とヘルンフート兄弟団が挙げられるであろう。「ヘルンフート」とはザクセン選帝侯の子であったツィンツェンドルフが名付けた「主の守り」を意味する言葉であり人名ではない。これは1722年にモラヴィア兄弟団が対抗宗教改革による信仰的な意味での難民として移住を求めたので、ツィンツェンドルフが自分の領地の一部を彼らに与えたことに始まり、これが後のヘルンフート兄弟団となり、正式には1727年に創立され、そこでは聖書を「日々の聖句(ローズンゲン)」という仕方で読むことが好まれるようになった。この兄弟団はハレをモデルとしているとされる(イーモン・デュフィ著、佐柳文男訳「敬虔主義」『キリスト教神学辞典』、2005年〈新装版〉、Eamon Dufffy “Pietism” in:Alan Richardson and John Bowden〈ed.〉, A New Dictionary of Christian Theology, 1983.)。彼は1737年にこの兄弟団の監督となり、後、ザクセンから追放されたが、ヨーロッパやアメリカにも伝道するに至った。彼は神学、特にキリスト論〈キリストの受難と死に力点を置く〉にも貢献し、神秘主義的なスピリチュアリズムに対抗しつつ、啓蒙主義時代の影響を受けている。彼の神学は「血と傷痕の神学」、無学な者のための「心の神学」であるとされる。そこには神秘主義と正統主義ルター派両方の影響が見られる(『ドイツ敬虔主義』、165頁)。彼はまた神学校をも設立し、宗教において感情を強調したことは神学者シュライエルマッハーに影響を与えている。シュライエルマッハーはヘルンフート兄弟団からも影響を受けているが、同兄弟団はジョン・ウェスレー、ノヴァーリス、キルケゴール、レッシングやヘルダーにも影響を与えた。彼は生涯をかけて2000編もの讃美歌も残している〈例:讃美歌21−503〉。
ドイツ南部のバーデン・ヴュルテンベルク州において展開された敬虔主義を「ヴュルテンベルク敬虔主義」と言うが、ここからベンゲルやエティンガーが輩出された。ヨーハン・アルブレヒト・ベンゲル〈1687年‐1752年〉はイェーナやハレでフランケらの影響を受け、ヴュルテンベルク敬虔主義の聖書主義的性格を確立したとされる。彼の新約聖書研究の成果は『新約聖書の道案内(グノーモン)』〈1742年〉として出版され、これは本文批評学的研究の先駆けともされる(青野太潮著「ベンゲル,ヨーハン・アルブレヒト」『キリスト教人名辞典』、1986年〈初版〉)。また世界終末予言を年代的に計算し執筆したとされる『諸時代の秩序』〈1741年〉は注目を集め、これによりキリストの再臨を説く者が登場し、騒ぎを惹き起こして、彼の汚点ともなってしまったが、彼自身は冷静な人物であった。彼は聖書注解に関してジョン・ウェスレーと、メソジスト教会に多くの影響を与えている。フリードリッヒ・クリストフ・エティンガー〈1702年‐1782年〉はツィンツェンドルフとヘルンフート兄弟団の研究を行ない、教会の聖職者として務め、ユダヤ教のラビからカバラを学び「神智論(theosophia)」を唱えた人物である。彼はライプニッツ、ヤーコプ・ベーメ、フランス女流神秘主義から影響を受け、思想家スヴェーデンボリの研究も行っている。エティンガーの思想はヘーゲル、ヘルダーリン、シェリング、神学者リヒャルト・ローテ、20世紀の神学者カール・ハイム、カール・ホル、信仰覚醒運動のヨハン・クリストフ・ブルームハルト及びその子クリストフ・ブルームハルトらにも影響を与えた。
「敬虔主義」の中にはラディカルな立場を取る者もいたが、この立場が「良心の自由」を社会全般に広げる道備えの役を果たしたり(同書、235頁)、アメリカ、ペンシルヴァニアのクウェーカー教徒ウィリアム・ぺンに影響を与えたりしたとされる(同書、236頁)。また「スピリチュアリズム」(これは救いの個人主義、自分の魂の配慮を強める働きをする敬虔主義の立場)が「敬虔主義」の運動の中で一つの特徴的立場となった。一方で、この「敬虔主義」に対して批判を行なった者もいた。特にルター派正統主義者がそうであったが、その批判内容は「敬虔主義」が教会や大学をなおざりにし、世俗的で、聖書的キリスト教を駄目にするというものであった(同書、239‐243頁)。その後、「敬虔主義」は形を変えながら、展開され、19世紀の「内国伝道」「新敬虔主義的覚醒運動」を生み出すに至る。この頃、敬虔主義の道徳的主張が啓蒙主義者のカントやゼムラーにまで引き継がれ(同書、248頁)、敬虔主義はキリスト教信仰の意味を立証し、キリスト教的人格を打ち出し、救済事業において実行しようとした。それが「内国伝道」である。特に「病人看護」が行われ、「ディアコニー(奉仕)」運動が生まれた。また施設事業が国家の施策への刺激を与えるものとして行われた。さらに1872年からフリードリッヒ・ボーデルシュヴィング〈1831年‐1910年〉が「慈愛の家」ベテルをてんかん患者のための施設として始め、これは様々な社会事業へと発展していった(同書、253頁)。19世紀に行われた「新敬虔主義的覚醒運動」の中心には個人的信仰があり、これは完全な「回心」によるものとされた。そこから大覚醒運動説教者が生まれ、その後の敬虔主義は教会性を明確に強調する保守的な態度を示すようになり、信仰告白を厳格・忠実に守る北米ミズーリの福音主義ルター派教会が中心とされるようになった。また19、20世紀に信徒による制度に捕らわれない自由な福音宣教が行われ始めたが、これは古敬虔主義の影響によるものであった(同書、264頁)。ここから現代の教会再一致運動〈エキュメニカル・ムーヴメント〉の先駆けが生み出されたが、当初、争いを避けられず、それにはアメリカ・イギリスによる神学的不明瞭さにも責任があったとされる(同書、265頁)。またそれらの影響下でアメリカではドワイト・ライマン・ムーディー〈1837年‐1899年〉らによる大都市での伝道集会が行われた。
このように「新敬虔主義」は様々な運動を生み出したが、これは同時に、その当時の学問的神学に対する不信をも生み出し、自由主義神学に対抗する思想ともなった(同書、270頁)。特に保守的な立場の新ルター派や古敬虔主義の影響の下にある大学では「聖書主義」という独自の学派が形成されたが、これはエティンガーの影響によるものである。この立場の代表的人物としてアドルフ・シュラッター〈1852年‐1938年〉、また現代神学者パウル・ティリッヒ〈1886年‐1965年〉に影響を与えたマルティン・ケーラー〈1835年‐1912年〉が挙げられるだろう。20世紀に入り、現代神学者ルドルフ・ブルトマン〈1884年‐1976年〉とその弟子たちも、特に「神の国」概念、「要求、約束、自己の経験、未来への勇気、成就したものへの感謝」等の概念に見られる新敬虔主義の影響を受けている(同書、274頁)。
ブルームハルトとその息子の「神の国」思想はヘルマン・クッター〈1863年‐1931年〉、レオンハルト・ラガツ〈1868年‐1948年〉に影響を与え、さらにカール・バルト〈1886年‐1968年〉、エミール・ブルンナー〈1889年‐1966年〉、エドゥアルト・トゥルナイゼン〈1888年‐1974年〉ら20世紀の弁証法神学者たちは第1次世界大戦前に彼らから影響を受けている。ちなみにカール・バルトは晩年に「敬虔主義」に関心を示している(エーバーハルト・ブッシュ著、小川圭治訳『カール・バルトの生涯 1886‐1968』、1995年〈第2版〉、636頁)。
また敬虔主義は様々な文学・芸術・哲学にも影響を与えているが、フランケが政府権力の意思決定に影響力を行使し、ヘルンフート兄弟団が農民解放を導入するよう提言したように世俗生活にも重要な影響を与えている。(『ドイツ敬虔主義』、283、284頁)。敬虔主義は会話文化や手紙文化を生んだが、ただ造形芸術に対する積極的関係はなかった(同書、286頁)。
・まとめ
この本『ドイツ敬虔主義』の中でも述べられているように「敬虔主義」はその信仰及び思想について三十年戦争後の状況、無神論と神秘主義の影響もあるが、ルターにその大部分を負っている。「ドイツ敬虔主義」の後に「啓蒙主義」が登場したわけであるが、「ドイツ敬虔主義」は、はるか昔のドイツ・プロテスタント教会のノスタルジーに過ぎないものでも、偏った主観主義的な信仰運動に終わったものでもなかった。その時代、地域、思想家によって幾分異なるが、ルター派正統主義が形骸化されたルターを伝える中で、それとは異なった観点によりルターのドイツ宗教改革に根差し、そこから聖書によって導き出された宗教的経験に基づく「再生」をテーマとし、信仰による行いが推奨された。初期の敬虔主義の信仰や思想が後に受け継がれ実践されているのは興味深い。特に信徒生活の刷新、教会概念の変革、教育・医療・社会福祉への貢献、神学・哲学・文学・芸術の分野等、今に至るまで様々な形で残され生き続けている。私たち現代に生きる日本のキリスト者としては、信仰と行い、聖書の読み方、「国家とキリスト者」の捉え方、敬虔さと表現(芸術的なものを含む)等について敬虔主義との関連で考えることが重要であると言えるのかもしれない。聖書解釈や聖書の研究が発達・展開される中で、敬虔主義的立場からの聖書解釈はどのように継承されていくのか、また「教会形成」という観点では、「敬虔主義」の遺産はどのようなものになるのか考えてみることも必要であろう。もちろん、「ドイツ敬虔主義」をそのまま現代日本のプロテスタント・キリスト教会に持ち込んでも意味がないことは言うまでもない。「敬虔主義」が「知性」や「理性」よりも「信仰」を優先させたと言われる一方で、「敬虔主義」自体に知的な要素が多分に含まれていることも見逃せないことではないだろうか。「敬虔主義」は日本のキリスト教会では、あまり知られていない信仰的・思想的立場であるかもしれない。「敬虔主義」をどのように理解するのかということを含めて、これからも、その研究が前進し、研究成果が日本と世界のキリスト教会に良い影響を与えることを願ってやまない。
〈参考文献表〉
(1)テキスト
・M,シュミット著、小林謙一訳『ドイツ敬虔主義』、教文館、1992年〈初版〉。Martin Schmidt, Pietismus, Verlag W. Kohlhammer
GmbH,1972.
(2)事典及びその他
・イーモン・デュフィ著、佐柳文男訳「敬虔主義」『キリスト教神学辞典』、教文館、2005年〈新装版〉、Eamon Dufffy“Pietism”in:Alan
Richardson and
John
Bowden〈ed.〉,A New Dictionary of Christian Theology, 1983.
・青野太潮著「ベンゲル,ヨーハン・アルブレヒト」『キリスト教人名辞典』、日本キリスト教団出版局、1986年〈初版〉。
・今井晋著「神秘主義」『キリスト教を学ぶ人のために』〈武藤一雄、平石善司編〉、世界思想社、1988年〈第3版〉
・佐藤敏夫著「敬虔主義」『キリスト教を学ぶ人のために』〈武藤一雄、平石善司編〉、世界思想社、1988年〈第3版〉
・石井次郎著「敬虔」『キリスト教大事典』、教文館、1991年〈改訂新版第10版〉
・成瀬治著「敬虔主義」、「シュペーナー」『キリスト教大事典』、教文館、1991年〈改訂新版第10版〉
・常葉謙二著「エティンガー」、「敬虔主義」、「シュペーナー」、「ツィンツェンドルフ」、「フランケ」『CD−ROM版 世界大百科事典・年鑑・便覧』、
日立デジタル平凡社、1998−2000年〈第2版〉
・川中子義勝著「敬虔主義」『岩波キリスト教辞典』、岩波書店、2002年
・金子晴勇著「ツィンツェンドルフ」、「フランケ」、「ヘルンフート兄弟団」『岩波キリスト教辞典』、岩波書店、2002年
・エーバーハルト・ブッシュ著、小川圭治訳『カール・バルトの生涯 1886‐1968』、新教出版社、1995年〈第2版〉。Karl Barths Lebenslauf
Nach seinen Briefen und autobiographischen
Texten,4.
Aufl.,München.1987.