間違えやすい聖書用語・キリスト教用語集

                  (川上純平 2008年11月作成/2012年11月更新)

 

聖書用語・キリスト教用語の中には、それと同じ、あるいは、同じような「文字」「発音」のこの世の言葉があって誤解されたり、キリスト教に起源のある言葉でこの世では意味の異なるものとして使われたりしている言葉がありますので、以下にそれを記しておきます。

ア行

キリスト教で言う「愛」は、多くの場合、人間の「恋愛」等の「愛」ではなく、ギリシア語の「アガペー」の「愛」を意味する。それは聖書において神、特にイエスによって表された他者本位的かつ無条件的な「神の愛」を示す。

癒し

この言葉は、英語ではHealingヒーリング)”、あるいはTherapy(セラピー)”と言うが、キリスト教における「癒し」は、いわゆる、「ヒーリング・ミュージック」、「癒し系キャラ(他人を心理的に和ませる人柄)」、「アロマセラピー」といった類のものではなく、新約聖書においては、主にイエスとその弟子たちが身体的・精神的な病を治療したことに起源を持つ。イエスの時代、パレスチナ地域では病気は罪に対する神の裁き及び悪霊によるものとされていたゆえに、イエスの治療行為は神の国の到来及び悪霊に対する神の勝利を意味した。

永遠の生命

聖書における「永遠の生命」とは肉体的な意味で生命が無限に持続することでも、クローンを生み出すことによって肉体を保持させることでもない。それは神の救いと関わりがあり、現在の自らの命は永遠なる神によって終わりの時に与えられるものが先取りされたるものとして認めることやイエスが受けた苦しみと復活を含むイエスによる救いの出来事を示している。

 

「エウアンゲリオン」

この言葉はギリシア語である。日本のあるアニメーションに「エヴァンゲリオン」というタイトルの作品があるが、正しい発音は、「エウアンゲリオン」(あるいは「ユーアンゲリオン」)である。また、この言葉は、その作品を示すものではない。

この言葉は、もともとは「良い」を意味するギリシア語の「エウ(ユー)」と「知らせ」を意味するギリシア語の「アンゲリオン」に由来するが、「皇帝礼拝」で用いられ、「軍隊の戦勝の知らせ」や「その知らせに対する報酬」、「皇帝の出現と共に到来する救いの知らせ」等を意味するものとして使われた。

それに対抗して旧約聖書ではヘブライ語で「布告する」を意味する「ビッサル」、「良い知らせ」を意味する「ベソーラー」に該当する。それは「旧約聖書の神がこの世を支配する」ということを告げる使者を示している。

新約聖書では「イエスの宣教と生涯」「イエスの宣教の内容」という「良い知らせ」を意味するようになった。

キリスト教では聖書に記されているように「イエスによって神の救いがこの世に表されたこと」を意味する。なお日本語では「福音」(英語の“Gospel〈ゴスペル〉”)という言葉に訳されているが、後に、この言葉は「福音書」という意味も持つようになった。

カ行

監督

これは映画監督や現場監督のことではない。新約聖書のギリシア語「エピスコポス」(英語の“Bishop〈ビショップ〉”)という言葉の訳で「執事の上位」〈別項「執事」を参照〉、「長老」と同等のものとして教会を統治し、健全な教えを伝える役割を担う者のこと。北欧・ドイツのルター派教会、メソジスト教会等で用いられるが、カトリック教会や東方正教会等では「司教」「主教」と呼ばれる。

祈祷

キリスト教において、この言葉は、神道における「祈願」の行為や心に何かを念じるということではなく、人格的な神との対話を意味する。

聖書においては「主の祈り」をはじめとして、様々な祈りの形態が記されているが(列王記上第8章23‐53節、詩編第3編、マタイによる福音書6章9‐13節、26章39節、ルカによる福音書23章34節、使徒言行録2章1節等)、それはイエス・キリストを通して神に語りかけることであり、聖霊によって導かれる神との深い人格的交わりである。それは聖書に基盤を持ち、神への崇敬の念を表わし、自らの罪を告白し、神に願い求め、神を讃美して、感謝し、他者のために執り成し(それは他者と自分自身両方が神の前で許しを請う行為である)、神の前に黙すること等を意味する

献金

これは政治用語ではない。旧約聖書においては神を礼拝する神殿のために献金が捧げられ、また新約聖書のコリントの信徒への手紙T16章においては困窮の中にある教会に対する援助として献金が集められた。

キリスト教においては、初代教会の聖餐式において、パンとぶどう酒を神に奉納する際に、お金や品物が奉納され、それが後で貧しい人に分配されるようになったことに由来する。後に品物はお金に変えられていった。現代のキリスト教会においては礼拝式において神に自らの生活を捧げる信仰を表したものとして行なわれ、教会運営その他に用いられていくようになった。

サ行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サービス

これは「給仕」「勤めること」等を意味する、一般的な意味での英語の“Service(サービス)” や和製英語の“アフター・サービス”のことではない。

日本のキリスト教では、この“Service(サービス)”という英語を「礼拝」「奉仕」と訳している。それは基本的には「神を礼拝する」「神に仕える」ということである。なお、それはイエスが神と人に仕えた(その中心はイエスが多くの人にとっての贖いとなったことである)ゆえに、キリスト者が神と人とに仕えることを意味する。

三位一体

これも政治用語ではなく、伝統的なキリスト教の言葉で、父なる神、子なるキリスト、聖霊が三つでありつつも、一つであることを意味する。それはキリスト教の神は三つの位格を持つが、本質的には同じであるという存在のあり方を意味する。ちなみ「三位一体」は英語で“Trinity(トリニティ)”と言う。現代のフェミニスト神学においては「父なる神」という表現を用いず、神を女性として表現している神学者もいる。

執事

これは、日本で鎌倉時代から江戸時代にかけて存在した職務や、しばしばフィクション作品に登場する、洋風の屋敷に仕え、事務や家事を取り仕きる初老の男性のことではない。

もともとはギリシア語の「ディアコノス」という奉仕する者、食卓で給仕する者を意味する言葉に起源があり、新約聖書に登場するキリスト教会の様々な役割を担う者(たとえば、聖書を朗読する、人を見舞う等)を示す。それはイエスが仕えた方であったということに由来する。

後にそれがキリスト教会での職務となり、現在でも、「執事」と呼ぶ教派もあるが、助祭、輔祭等とも呼ばれる。

使徒

これは、日本のアニメーション作品「エヴァンゲリオン」に登場する主人公たちが闘う、宇宙から来たとされる敵のことではない。

この言葉は、旧約聖書の「使いの者」「遣わされた者」という言葉に起源があるが、新約聖書では「福音」〈別項「エウアンゲリオン」を参照〉を宣教する者の意味で主に使われ、基本的にはキリスト教会における職務の一つであり、彼らは十二弟子とされてもいるが、パウロが自らを使徒と考えていたということもあり、不特定多数ともされている。

昇天

これは、人が最高の気分を味わうということではなく、新約聖書においてイエスが復活した後、神によって天にあげられたことを示す。

 

 

 

 

 

信条

 

 

 

 

 

キリスト教における「信条」は「自分は禁酒禁煙を信条としている」という単に自らが固く守っている態度を表すのではない。

「信条」をラテン語で「シンボルム」と言うが、その語源はギリシア語の「シンボロン」にある。この言葉は敵と味方、あるいは商人の間で相手を識別することに、その由来のある言葉である。

キリスト教会では、これはキリスト教信仰の告白を定まった形の文にしたものを意味し、代表的なものに「使徒信条」がある。同じ信仰を告白する者の共同体であることが、キリスト教における、この言葉の由来に関係している。

 

スコラ

 

これは「スコラ学」や聖歌を歌うための学校である「スコラ・カントルム」等のように中世キリスト教の学問や文化に関して用いられた言葉であり、キリスト教においてはそれ以外の意味はない。

「スコラ」とはラテン語で中世の「学校“schola”」を意味し、「スコラ学」とは、教会教父と呼ばれた人々の神学とギリシア哲学に起源を持つもので、特に中世ヨーロッパにおいて信仰と理性、神学と哲学を調和、統合させた立場を意味する。

説教

これはいわゆる叱る場合の「お説教」や仏教寺院で行われる説法的なものとは異なり、キリスト教の礼拝における「説教」のことで、説教者が神の言葉を語る、あるいは神の言葉を取り次ぐことを意味する。それは聖書を土台としたもので、イエスが語った言葉や聖霊によって語られた言葉、神の愛を現代的に語ることを意味する。

洗礼

これは「何かの影響を多大に受ける」という意味ではなく、キリスト教会への加入を表す儀式の一つで、礼拝において行なわれる。またその際、信仰告白が行なわれる。

 

 

 

 

 

 

 

タ行

 

 

 

これは、キリスト教においては、法律を破ったという意味での、一般的な罪よりもむしろ、人間そのものが罪人であるということや、聖書の神に対する背反を意味するが、またキリスト者としての倫理に背いたということも罪としている。

伝道師

これは「自分の好きなもの」や「自分が他人に伝えなければならないと思っているもの」について相手に影響を与えるほど熱心な人のことではない。

キリスト教においては、イエスを信じていない人、キリスト教信仰を持っていない人に対して、イエス、キリスト教信仰を語り、伝え、信仰の道へ導く人、福音を宣教する人のことを言う。

奴隷

「奴隷」はキリスト教では「給仕」「勤めること」という意味や鎖につながれた雇われた人のことではない。

新約聖書でパウロは「奴隷」を罪の中にある状態とし、そこからの解放を説き、イエスが神に対して僕として従ったように神(イエス・キリスト)の「奴隷」になることを語っている。

それゆえにキリスト教では「奴隷」の存在は否定されている。確かに聖書において社会的な身分としての「奴隷」は登場し、イエスもパウロも社会的身分としての奴隷の解放を積極的には語っていない。しかし、旧約聖書出エジプト記はイスラエルの人々の先祖がエジプト人の奴隷であったことからの解放を神の救いの働きとしている。新約聖書においてイエスは「主人」と「奴隷」の関係を「旧約聖書の神」と「人間」の関係を語る際に喩えとして用い、パウロは一方で奴隷是認を語っているが、同時に神の前で全ての人間は平等の存在であるとしている。キリスト教の歴史においても奴隷に関して解放が説かれ、そのように行われた。

ハ行

バイブル

これは「自分にとっての必読本」という意味を持つ言葉ではない。英語で“Bible”と表記し、キリスト教で言う「聖書」、旧約聖書と新約聖書を意味する。ちなみに新約聖書において「聖書」と言えば、旧約聖書を示す。

ハレルヤ

これは音楽家ヘンデルのオラトリオ『メサイア』に収録されている有名な楽曲であるため、しばしば、その作品名のことであると誤解されたり、あるいは歌謡曲等で日本語の「晴れる」という言葉に引っ掛けて使われるため、天気や気分についての日本語の断定的な表現と誤解されたりすることがある。

これは旧約聖書が書かれたもともとの言葉であるヘブライ語の言葉であり、「神を誉め讃えよ」という意味を持っている。旧約聖書の詩編に数多く登場し、歴史的にキリスト教の礼拝でも多く使われてきた言葉である。

復活

この「復活」はキリスト教では、イエスの「復活」を表すゆえに「あの人が再びあの仕事を始めるそうだ」というような意味で使われる言葉ではなく、またイエスの「復活」は死体が墓の中から起き上がって歩いたというような形で生き返ったということではない。

新約聖書でパウロはイエスを信じる者がイエスの「復活」に連なって、復活するということを言っているが、これも肉体的な意味での「復活」ではなく、罪からの「救い」ということとの関連で理解されなければならない。

イエスの復活は、神の愛が人間の歴史の中に現れたものとして、自らの思いを超えたものとして理解される。

奉仕

別項「サービス」を参照

マ行

ミッション

Missionミッション)”という英語のこの言葉は一般的には「任務」「使命」と訳されるが、キリスト教においては、同じ言葉を用いても意味は異なり、また「伝道」「宣教」という言葉に訳されることが多い。

新約聖書においてイエスは神からこの世の救いという使命を持って派遣され、人々に「神の国」についての宣教を行い、キリスト者もイエスの福音〈別項「エウアンゲリオン」を参照〉を人々に伝え、イエスを信じる道へと招くように促されているとされる。

なお日本ではキリスト教主義学校を「ミッション・スクール」という言葉で表現することがあるが、この言葉は、もともとキリスト教の伝道のために創設された学校を意味した。

ラ行

律法

これは一般的な意味での「法律」ではなく、旧約聖書のモーセ五書そのもの、あるいはそこに記された「十戒」を始めとする「律法」を意味する。

この律法に背くことは罪〈別項「罪」を参照〉なのであるが、キリスト教においては、この律法は神が人間をその創造の際に祝福し、人間と契約関係を持ったということが背景にある。またイエスによって、イエスを信じることによって律法は完成するとされるため、律法が「福音」〈別項「エウアンゲリオン」を参照〉との観点で理解されなければならない。

聖書の中には「悪霊」という言葉があるように「霊」という言葉はいくつか見られるが、聖書、またキリスト教界において「霊」とは多くの場合、「聖霊(神の霊)」を意味し、それは「祖先の霊」、「幽霊」、「精霊」ではない。

「聖霊」は、旧約聖書ではもともとヘブライ語の「ルーアッハ」に語源があり、この言葉は「風」「息」を意味する。それは「神の息」を示し、旧約聖書の創世記においては、それによって土から造られた人間に魂が吹き込まれたとされる。新約聖書においてはギリシア語で「プニュマ」と言い、これは「ルーアッハ」と同じ意味を持つ言葉である。新約聖書の使徒言行録では、これによってキリスト教会が出来たとされている。

 

 

〈参考文献〉

 

・『キリスト教大事典』、教文館、1991年〈改訂新版第10版〉。

・『岩波キリスト教辞典』、岩波書店、2002年。

・『キリスト教神学事典』、教文館、2005年(新装版)

 A New Dictionary of Christian Theology, SCM Press,1983.

・『新聖書大辞典』、キリスト新聞社 1971年〈第1版〉。

・『旧約聖書神学辞典』、教文館、1995年〈第3版〉。

・『新約聖書神学辞典』、教文館、1991年〈初版〉。

・『ギリシア語新約聖書釈義事典T』、教文館、1993年。

Exegetisches Wörterbuch zum Neuen Testament.Hrsg.von Horst Balz und Gerhard Schneider,Band1,2.,verb.aufl.Stuttgart,1992.

・『ギリシア語新約聖書釈義事典U』、教文館、1994年。

Exegetisches Wörterbuch zum Neuen Testament.Hrsg.von Horst Balz und Gerhard Schneider,Band2,2.,verb.aufl.Stuttgart,1992.

・『ギリシア語新約聖書釈義事典V』、教文館、1995年。

Exegetisches Wörterbuch zum Neuen Testament.Hrsg.von Horst Balz und Gerhard Schneider,Band3,2.,verb.aufl.Stuttgart,1992.

・『キリスト教組織神学事典』、教文館、1992年〈第5版〉。

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