使徒信条《ラテン語と日本語訳》
作成:川上純平
初版:2008/2/5
改訂第一版:2023/6/5 |
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Symbolum Apostolicum Credo in Deum Patrem
omnipoténtem, Creatórem cæli et terræ, et in Iesum Christum, Fílium Eius unicum,
Dóminum nostrum, qui concéptus est de
Spíritu Sancto, natus ex Maria Virgine,
mórtuus, et
sepúltus,descéndit ad ínferos, tértia die
resurréxit a mórtuis, ascéndit ad cælos, sedet ad déxteram
Dei Patris omnipoténtis, inde ventúrus est
iudicáre vivos et mórtuos.
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使徒信条 我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。 主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、 ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、 死にて葬られ、陰府にくだり、 三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、 全能の父なる神の右に坐したまえり。 かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん。 我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、 聖徒の交わり、罪の赦し、 身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。アーメン。 |
「使徒信条」は「使徒信経」とも言い、「古ローマ信条(紀元4世紀頃に成立したとされている)」に由来するもので、全世界にある多くのキリスト教会における共通したキリスト教信仰の基本的な告白となっており、それらの教会の礼拝においても唱えられている「信条」である。カトリック教徒が祈りの一部としてこれを用いることがある。 この信条は紀元7世紀頃にカール1世の時代の典礼統一に伴い、南ガリアで成立したが、一時期、12使徒に由来するとも言われ(現在、その説は完全に否定されている)、この名称が付いた。 古代教会の代表的な「信条」としては他に「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」等があり、(古代教会の諸信条をまとめて『公同信条』とも言う。『公同』は「普遍的な、共通の」という意味で、「全世界どこの教会においても信じられている同じ信仰であること」を意味する)、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」の内容は教義的であるのに対して、「使徒信条」はより古い素朴な初期の教会の信仰を反映している。 しかしながら、聖書において告白されている「信仰告白」は「キリスト論的」(使徒言行録2章36節、ローマの信徒への手紙10章9節、マルコによる福音書8章29節)であるのに対して、「使徒信条」は三位一体論的である。「使徒信条」の基礎となった「古ローマ信条」は、洗礼を受ける者に対して教育を行なう際に、キリスト教信仰の内容を伝えるものとして成立し、告白されたものであったが、その内容は地域によって異なるものでもあった。それはまた三位一体的洗礼告白にキリスト論的告白が挿入されることによって成立したとされている。一方、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」は東方教会、西方教会両方において、6世紀から、つまり「使徒信条」以前から「古ローマ信条」と共に洗礼を受ける者の「信仰告白」として用いられていた。「使徒信条」が普遍的な信条となった背景にはゲルマン・ヨーロッパ統一帝国の形成とフランク王国の教会が帝国の教会として発展したということに起因するとも言われている。 ところで、聖書は人間の信仰に基づき、人間の手によって書かれた神の言葉であるが、聖書でさえそうであるとしたら、その聖書を土台とした信仰に基づき、人間の手によって成立したある一つの「信条」が絶対的なものであるはずはなく、それが時代的・地理的制約を免れるはずもなく、「信条」がキリスト教信仰の対象になって良いわけもない。さらに「信条」がキリスト教の信仰生活や行為と切り離されたものになってはならないことも言うまでもない。 ちなみに、“sanctórum
communiónem”(「聖徒の交わり」)の語句は南フランスの「使徒信条」の断片に見られるもので、教会における人間、一人一人が罪人であるにもかかわらず、キリストの十字架により神と和解し、聖霊の働きにより洗礼を受け、聖なる者とされ、「キリストの体」であることによって希望をもって共に喜び、共に泣き、お互いに仕えあい、主なる神に祈る者たちであること等(ローマの信徒への手紙12章9−21節、コリントの信徒への手紙T12章12−26節、エフェソの信徒への手紙2章14−22節等)を意味する。“descéndit ad ínferos”(「陰府(よみ)にくだり」)の句は古代の世界観が反映されたもので、この地上の世界は天と地下の間にあり、天には天使が、地下には悪魔がいて、死んだ人間は一時的に、この地上と地下の間にある「陰府、黄泉、冥土」の世界に行くことを示す。ここではイエス・キリストが人間の罪を背負って苦しまれ死なれたこと、イエス・キリストの救いの光が届かない場所はないことを意味する。“inde ventúrus est iudicáre vivos et mórtuos”(「かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん。」)の句は、「イエス・キリストが神の右の座から生きている者と死者を裁くために来られる」と言い直すことができるが、これは、人間の罪深さとそれに対する神と神の子イエス・キリストの十字架上での罪の赦しという勝利、その全能性と荘厳性、神の正しさが明らかにされることを意味しており、「世界最終戦争」を意味するものではない。 |
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〈参考資料〉 ・カール・バルト著、安積鋭二訳、『カール・バルト著作集8 われ信ず 使徒信条に関する教義学の主要問題』、新教出版社、1983年〈第1版第7刷〉、227−398頁。
Credo.Die
Hauptprobleme der Dogmatik,dargestellt im Anschluß an das Apostolische
Glaubensbekenntnis.1935,2.Aufl.,1935.München. ・カール・バルト著、井上良雄訳、『カール・バルト著作集10 教義学要綱』、新教出版社、1989年〈第1版第6刷〉、1−200頁。 Dogmatik im
Grundriß im Anschluß an das apostolische Glaubensbekenntnis.1949,2.Aufl.,München. ・大崎節郎著『神の権威と自由』、日本基督教団出版局、1982年。 ・石井裕二著『基本信条』(講義:キリスト教教化学研究T『実践神学概論』の講義資料)、同志社大学神学部、1994年。 ・『キリスト教組織神学事典』、教文館、1992年〈第5版〉。 ・『岩波キリスト教辞典』、岩波書店、2002年。 ・Markschies,
Christoph:Apostles’ Creed.Pages 332−333 in Religion Past & Present.
Encyclopedia of Theology
and Religion. Vol. 1. 2007, Leiden / Boston : Brill(Original Edition:Apostlicum, in:Religion
in Geschichte und Gegenwart. Handwörterbuch für Theologie
und Religionswissenschaft.
Bd. 1, 4, völlig neu bearbeitete Auflage. 1998, Tübingen.) |