雑記帳(T)                       

 

川上純平         2003・12・29〜

 

 

 

2003年12月29日(月)

 

今日、『キリスト教神学のページ(1)』『修士論文 カール・バルトの教会論におけるイエス・キリストの現実存在 −その意義と問題点−』Web版を更新、脱稿しましたが、もともとの原稿(本文だけでも、20字×20行の原稿用紙75枚、150ページ)は1995年に私が手書きで書いたものです(子供の時から手書きで書く習慣がついていたので)。

その当時、たいていの学生は、修士論文をワープロあるいは、パソコンで書いていたので、あえて手書きで書いたのは私だけでしょう。もっとも、提出する際、論文を審査するために3冊提出しなければならなかったので、あとの2冊は原稿をコピー機でコピーしたものを提出しました。また、参考文献の本の多くが日本語に訳されたもので、原書のドイツ語と照らし合わせながら、読んだものです。

しかし、数十年前は、ほとんどが日本語に訳されていなかったので(訳されていたとしても、英訳)、ドイツ語で読まなければならない本のほうが多かったようです。また、コピー機もなく、3冊とも(全く同じ内容のものを)手書きで書いて提出したそうです。

 

 

2004年1月6日(火)

 

今日、ジーザス・ネットワークJesusnetworkというインターネット上のメーリング・リストで、「クリスマス休戦−『塹壕のクリスマス』」という話を読ませていただきました。これは、1914年に第1次世界大戦中のフランスでイギリス軍とドイツ軍が休戦してクリスマスを祝ったことについての話で、実際にあったことです。

1983年12月5日にイギリスのロックミュージシャンである元ビートルズのポール・マッカートニーはPIPES OF PEACEという曲(及びアルバム)を発表しましたが、この曲のミュージック・ビデオに、この「クリスマス休戦−『塹壕のクリスマス』」の話を用いて話題になりました(このことを特集した冊子としてザ・ビートルズ・クラブが現在発行している「月刊 THE BEATLES 1984年8月号〈BCC出版〉」があります)。

ポール・マッカートニーは、反戦や平和についての歌を何曲か歌っていますが、たとえば、1972年の「アイルランドに平和をGIVE IRELAND BACK TO THE IRISH」や1982年の「タッグ・オブ・ウォーTUG OF WAR」「エボニー・アンド・アイボリーEBONY AND IVORY」、がありますし、1990年発表の「リバプール・オラトリオ」では自らの子供時代の思い出を込めて「戦争と平和」について歌っています。また、1979年には国連主催の「カンボジア難民救済コンサート」に出演するなど、同じ元ビートルズでも、ジョン・レノンとはまた一味違った観点から反戦や平和について考えているようです。その音楽面が特に魅力であるポール・マッカートニーが「クリスマス休戦−『塹壕のクリスマス』」をどのように考えているのか興味深いものがあります。

 

 

2004年2月11日(水)

 

 今日は、一般には「建国記念日」とされていますが、第2次世界大戦中キリスト教会も含めて、すべての人に神社参拝が強制されたことから、キリスト者はこの日を「信教の自由を守る日」としています。

この日、私は「国のために命を捨てますか?戦争と人権を考える2・11市民の集い」という集会に参加しました。この集会では、ある弁護士の方から「改憲と戦争への道をゆるさないために 憲法を生かして平和を創る」という題で講演を聞き、最後に「違法・不法なイラク侵略戦争に反対し、米英両軍のイラクからの撤退を求めるとともに、自衛隊イラク派兵を許さない運動に、国内外の仲間と連帯して取り組んでいく。」という内容の決議を参加者全員で行ないました。

 ところで、この集会の講演でよく言及された人物の一人にアメリカのジョージ・W・ブッシュ(Bush)大統領がいますが、同じ「ブッシュ」でも、綴りの異なるエーバーハルト・ブッシュ(Busch)という人がいます。

 そのエーバーハルト・ブッシュ氏は、ドイツの前ゲッティンゲン大学神学部教授であり、また、現代を代表するスイスの神学者の一人カール・バルトは、絶対主義者ではなく、自由で、生き生きとした、キリスト中心の相対主義者であることを記した、バルト神学の状況関連性について考えるにあたって重要な一冊である『カール・バルトの生涯』の著者でもあります。そのエーバーハルト・ブッシュ氏は、2002年10月に来日し、12日に「9・11以後の神学の課題」(南 吉衛訳『福音と世界 2003年1月号』所載 新教出版社 22〜27頁。)という題で講演を行なっています。その講演を読んでみると、「キリスト教神学の課題は。9月11日以降のあらゆる混乱にもかかわらず暗い運命が世界を支配するのではない、ということをますます想起することである。」(24頁)「私たちを取り巻いているのは、私たちの善なるものをすべて破壊しようとする悪ばかりだと思いこむ。もし私たちが自分で自分を助けなければ滅びてしまう。これがどうやら破壊的で自己破滅的な過激派(自爆者)の論理であったらしい。しかし、アメリカ政府もまた、この同じ論理に陥る危険に面していないだろうか。」(25頁)「なぜこの日付(9月11日)が(事件の一部始終をテレビで見た全世界の)何百万の人々にとっては重要な日付でなかったかを私たちが理解した時に初めて、この日付は本当に重要なものとなるだろう。」(26頁)「教会の政治的神奉仕は、政治の領域で教会が担わなければならない政治的な見張り役の中にある。」(27頁) とあるように、同じ「ブッシュ」でも、「キリスト教」というものの考えが様々なものであることから、アメリカの「ブッシュ」氏とは、かなり異なる考えを持った人であることがわかります。しかし、「ブッシュ」氏は、おそらく名前(正確には名字)だけでも、それぞれに間違えられたことはないでしょう。

 

 

2004年8月17日(火)

 

 昨日、休暇をとる事ができたこともあり、国会前(国会議事堂の建物の裏にあたる)にて2004年8月2日より行なわれている「沖縄の辺野古にある美しいサンゴ礁の海を破壊して米軍海上基地を建設しようとすることに反対する座り込み」に参加する時間がとれました。私はお昼頃から数時間程度、参加しました。この日は、20人程の座り込みでしたが、先日(8月13日)の普天間基地近くの沖縄国際大学での米軍ヘリコプター墜落事故の件もあり、太鼓を叩きながら、アピールをし、メッセージを書き、ビラ配りが行なわれた、熱気のある集まりとなりました。

また、この日はアメリカ大使館前での抗議運動が行なわれました。数少ない人数での運動ですが、通りを歩く人の中には立ち止まって関心を持ってくださる方もいました。

早く海上基地建設が白紙撤回されることを願ってやみません。

 

 

2004年11月3日(水)

 

 今日は、10月23日(土)に起こった「新潟県中越地震」支援ボランティアとしてキリスト教会関係の数名の方々と共に新潟県川口町へ行ってきました。地震から1週間以上が経過していましたが、マスメディアの報道では知ることのできない地震の爪痕があちこちに残っていて、避難生活を余儀なくされている、特に高齢者を始めとする方々の声を聞き、自分たちが、その場でできることを考えながら、生活の支援を行ない、日帰りのボランティアでしたが、大変有意義な時を過ごすことができました。今回のボランティアを通して、そもそもボランティアというものを理解していただくことがいかに大切かということを始めとして、様々なことを学ぶことができました。

そして、これからも「新潟県中越地震」支援ボランティアは必要とされています。

 

 

2004年12月18日(土)

 

今年も、この慌しい時期、クリスマスが近づいていますが、今日は、キリスト教会の方々と共に「キャロリング(信徒の方々の家々を回ってクリスマスの讃美歌を歌うこと)」に行って来ました。

そもそも、クリスマスの起源は紀元4世紀頃にさかのぼると言われていて、キリスト教が当時のローマ帝国によって国の宗教として認められた頃、12月25日はローマの風習としてローマの暦で太陽神(太陽の神)を祭る日でした。太陽を拝むという風習は、かなり昔から世界中にあって、こういった形態は原始宗教と言われているものなのでしょう。このような異教の風習に対してローマのキリスト教徒たちはその12月25日を太陽ではなく、旧約聖書マラキ書3章20節にある「義の太陽」に象徴される「まことの光、イエス・キリスト」の誕生を祝う日に決めました。それから、その日がイエス・キリストの誕生日と言われるようになって、それ以来、しばしばイエス・キリストを表すシンボルとして太陽が描かれることもあったと言われています。

また、クリスマス(英語で書けば、Christmasちなみに、Xmasという綴り方の“X”という文字は、いわゆる英語のアルファベットの「エックス」ではなく、ギリシア語アルファベットの「キィ」という文字である)という言葉自体は「キリストChrist”(救い主)」を意味する「クリスト(ギリシア語のΧριστος ヘブライ語では“メシア”)」という言葉と「礼拝」を意味する「マス」、つまり、「ミサ(カトリック教会で言うところの礼拝)」という言葉が一緒になって出来た言葉で、「クリスマス」という言葉を直訳すれば、「キリスト礼拝」という言葉になります。

それゆえに、本来、イエス・キリストは12月のこの時期に生まれたというわけではなく、「クリスマス」はキリスト教会で祝うものだったのです。

 

 

2005年8月7日(日)

 

昨日、8月6日(土)は、広島に原子爆弾が落とされて、60年という日であり、マスメディアの多くが「平和」についての特集を組んでいましたが、私は近隣のキリスト教会の方々と共に、戦時中、群馬県内にある朝鮮人や中国人の方々が強制連行され過酷な状況の下で酷使され、命を落としていった、そのような現場を一つ一つ見て回り考え学ぶ時を持つことができました。

様々な資料による調査によれば、戦時中、日本に強制連行された朝鮮人や中国人の方々の数は最低でも91万人であると言われています。

そのうち、群馬県内では7千人の人々が、連れて来られ、多くの場合、鉱山、土木工場、軍需工場などで働かされ、中には、山の岩盤をくりぬいて工場を建設させるという過酷な労働のため何人もの方が命を落としていった場所もありました。実際、洞窟のようなその場所を見学してきましたが、暑い日、その中は、ひんやりとして涼しかったのですが、冬の寒さは想像を絶するものだったろうと思われます。また、結局は、建設工事中に敗戦をむかえたため、完成しなかった場所があったり、とあるお寺では遺骨を本堂内の須弥壇裏側に置いたり、ある場所では、亡くなった方々のために慰霊碑や追悼碑が建てられていたり、と様々ですが、そういったものを見て、このような悲劇は二度と繰り返してはいけないということを考えさせられました。

 

 

2006年1月24日(火)

 

 つい、先日、ある二人の新進気鋭のキリスト教神学者・聖書学者の方々のお話を聞く機会がありました。その中である先生は「ファンダメンタリストFundamentalist」「ファンダメンタリズムFundamentalism」についてのお話をされました。「ファンダメンタリスト」という言葉は、日本語に訳せば、「原理主義者」という意味で、どちらかと言えば、「イスラム原理主義者」、しかも、「テロを起こす過激派で危ない人々」というイメージを持つ人が多いのではないかと思いますが、そもそもは、1920年代に、あるキリスト教の教派的立場に立つ人々のことを指す言葉でした。その人々は、聖書を文字どおりの神の言葉とし、自由主義的な立場を誤っているとする人々で、特に政治的な態度を表す人々ではなかったのですが、現在では、その立場に立つ人々の中から、特に「福音派」と呼ばれる人の中から「宗教右派」と呼ばれる人々が特にアメリカで政治的にも強い勢力にもなってきています。そして、その先生は、自由主義的立場に立つ人々は「国家と教会」の関係について真剣に考えておらず、自由主義が持つ「個人主義」の問題点に対する福音派の批判に対して答えることができていないとしています。そして、最後に教会は「土着化」されるべきであるということで、地域の共同体に関わりを持ち、貢献することで、その問題を克服することができるのではないかとおっしゃっていました。

 もう一人の先生は、旧約聖書の出エジプト記に登場するモーセについて、現代思想家のジャック・デリダとエドワード・サイードの考え方を述べながら、モーセはエジプトで奴隷にされていたイスラエルの人々を神に遣わされて導き出した人であるわけですが、モーセはイスラエル民族の中でも、言わば、よそ者とされているレビ族の出身で、しかもエジプトで育てられたゆえに、エジプト人であるとし、それゆえに、自らの歴史を失っていたわけですが、しかしながら、神によって自らの実存の場所を見定め、自らが何者かをあらためて位置づけ、共感する者に変えられていくことによって、イスラエルを指導していく者となりました。先生はモーセが「許せない者を許す神」「人がその神の名を名付けることができないものとしての神」によって変えられ、しかも、敵対していた、あるいは、かつてイスラエルの人々を支配していたエジプトの出身者、非ユダヤ人であり、異質な者でありながらも、イスラエルの人々の共同体、ユダヤ教の共同体を作っていた、そこにモーセがエジプトやアラブ的な他のアイデンティティの影響によって、より広大な和解空間を目指した、様々なものが混じりこんでいて、そして、そのことで苦しみながら神と共に生き、他のアイデンティティに語ることができたのだということをとおっしゃっていました。

 二人の先生方のお話を聞いて、私は、ある共通点があることに気付きました。それはキリスト教信仰というものが、人間がこの世で生きていく時に神と共にあることを信じていくというような当たり前とされていることが、純粋にただそれだけで生きていくということを否定はしないけれども、そのことが意味するところは、この世における様々な条件や状況という中にあってこそ、それを行なうことに意味を持つようになるということでした。非常に有意義な機会を与えられたと思います。

 

 

2006年5月5日(金)

 

昨日、日本聖書協会主催の国際聖書フォーラムにて、「聖書と美術(信と美)」について講師のある先生から興味深いお話を聞くことができました。

それは、キリスト教(特にプロテスタント)の歴史の中で美術は、あまり重要なものとはされず、そこには偶像崇拝の禁止、美術が世俗的なものであるとされたからということがあった。実際、多くのプロテスタント・キリスト教会は視覚芸術性に関して乏しさがないことを否めず、そこでは、「意味と形」とが分離してしまっているとさえ感じられかねない。ところが、聖書は美術について多くのことを語っている。コロサイの信徒への手紙1章16節では、この世のすべての物は御子であるイエス・キリストにおいて造られたとし、教会の頭であるイエス・キリストが個人的な救い主にとどまらず、すべてのことに関心を持つ方として記されている。創世記1章においては、創造された物を神がご覧になり、良いもの(美しいもの)としたこと、神に似せて造られた人間に創造性が与えられていることが語られ、出エジプト記31章では、芸術的な仕事が神からの委託でなされていることになっている。マタイによる福音書6章においては鳥よりも価値のある者としての人間がイエスによって語られている。さらに、聖餐式洗礼式は、霊的な現実を目に見える形で知らせるものである。キリスト教の大切なメッセージの中に「見ることのできるもの」は多い。「美」は聖書に記されている。美が神のごとく、崇められる必要はないが、捨て去る必要もない。美術という物質は魂が込められて、初めて精神的存在となる。もし、教会がこの世界の文化に無関心であれば、この世の文化は世俗的なものになっていくであろう。文化は福音を内在しこそ、前進していくものである。文化と福音は優劣をつけるものではないが、文化のゆえに、人々は福音を受入れることができる。美術は聖書に土台が据えられており、神が価値を置いているものであるゆえに、美術によってキリスト者はキリスト者自身の価値観を表現すべきである。そして、この世との橋渡しを美術によって行なっていくことができるのではないだろうか、イエス・キリストが神とこの世との仲介者であったことを忘れてはならない、ということをおっしゃっていました。

 私は、所属する教会がプロテスタント教会であり、美術があまり重要なものとはされなかったことと、そこには偶像崇拝の禁止、美術が世俗的なものであるとされたからということがあったゆえに、今まで、このようなこと、「聖書と美術(信と美)」について考えなかったわけではなく、むしろ、非常に気になっていましたが、あまり考えることができませんでした。しかし、このことに疑問を持たなかったわけでもありませんでした。

 また、そのようなことについての神学が、それまで全くなかったわけでもありませんでしたが、あまり重要視されませんでした。ですから、このような神学の基礎的な土台が組み立てられていくのは、むしろ、これからなのかもしれません。やや荒削りでしたが、大変示唆に富み、考えさせられる内容だったと思います。

 

 

2006年6月13日(火)

 

 先日、諸教会の集まりで、「部落解放研修」として、とある部落に研修へ赴きました。「部落差別」は、その起源が江戸時代あるいは、その前後にあり、あってはいけない差別であるわけですが、たとえば、それはどのように差別がなされたかと言うと、居住地に関して、住みにくい土地、大雨の際には水浸しになるような土地、河川敷のような場所が選ばれ、部落内の道も舗装されず、細く複雑に曲がりくねった道がいくつもあって、すぐに行き止まりになっているような作りがなされているというものです。

今回、私が行ってきた場所は、河川の堤防近くにある部落で、河川の左右に堤防が作られているわけですが、右側と左側の堤防の高さが異なり、河川が増水すると、高さの低い堤防の方から、つまり、部落側から増水したその土地に水が溢れ出すようなことになってしまっており、しかも、土地が水浸しになっても、経済的な裕福な人は船を持っていたり、高台に建物を築いてあったりして、そこに避難することができましたが、そうでない人たちは、水害の犠牲にならざるを得なかったという歴史があったとのことでした。現地の人々の証言もあってその一部を垣間見ることができました。

 また、それとは別の機会に、神学について考える研修会で講師の先生から、神学というものが権力に妥協することなく、民衆と共に歩むことにその活力があり、民衆の解放に役立つ神学であるということを考える機会を持つことができました。そして、そこには信仰を持つ者の実存があるということも合わせて、実践神学について良い示唆を与えられました。

 

 

2006年7月17日(月)

 

 今日、元精神科医で、現在は大学教授をされているとある方に「教会と心病む人々」についての講演を聴き、話し合うという集会に参加することができました。教会という所は心病む人々の病そのものを治す機関ではありませんが、しかしながら、心病む人々が教会に来て、もしそこに居場所があるなら、そのことがどれほど重要なことであるか、ということと、「心病む人々」の訴えを聞き、寄り添うことによって「人間とは何か」ということがそこからわかってくる、ということをドストエフスキーやポール・トゥルニエ、ジョン・バニエといった人たちの言葉も引用しながらお話しされるのを聞くことができました。

 私たちは「心病む人々」と聞くと、「弱い」というレッテルを貼り、「駄目な人」とみなしがちなのかもしれませんが、そこで必要とされるのは「劣った人間に何かをしてあげよう」ということよりも、むしろ「共感する眼差し」だそうです。そして、そこから「出来ること」をしていくことが重要なようです。講師の先生が、「自分は病気にならなければ、ある大切な出会いを経験することは出来なかった」というある方の話を泣きながら話されていたのが印象的な会でした。

 

 

2006年8月5日(土)

 

 今日は、大変暑い日でしたが、この時期になると、毎年ある集会として昨年に引き続き「平和」について考える集会があり、近隣の幾つかのキリスト教会の方々と、第2次世界大戦中に韓国・朝鮮人の人たちが強制連行されて過酷な労働を強いられた場所を訪れ、お話を伺ってきました。そこは、1000メートルほどの山の奥深くにある谷あいのひんやりとした場所で、戦争中、兵器を製造するための「鉄鉱石」を発掘する「鉄山」跡及びその鉄鉱石を運ぶための線路跡を見学させていただきました。冬の極寒の中で昼夜の別なく労働を強いられた事やトロッコにのせた鉄鉱石もろとも谷底に落下したり、栄養失調で亡くなった方々いたりしたことなどをお聞きすることができました。そして、残念なことに、現在、付近の人々の反対運動にもかかわらず、その場所にダム建設が進められており、強制連行された韓国・朝鮮人の人たちが作った線路が一部水没することになってしまいます。

 これらは、全て戦時中に国家が戦争遂行の目的で作らせたものです。私たちは、このような場所を訪れることによって、かつて強制連行された韓国・朝鮮人の人たちに未だになすべきことを行っていないことや「平和」について改めて考え、それを守ることの大切さを感じることができました。

 

 

2006年8月19日(土)

 

 先日、同志社大学名誉教授の竹中正夫先生が逝去されました(キリスト教ではお亡くなりになることを「天に召された、召天された」と言う)。先生は1925年に北京でお生まれになり、京都大学経済学部、同志社大学神学部、エール大学大学院で学ばれ、同志社大学で教鞭をとられ、ハーバード大学客員教授として招かれるなど海外でもご活躍になり、1996年まで同志社大学神学部教授として、特にキリスト教倫理学(組織神学に含まれる科目で、聖書に示されたキリスト教信仰の視点に立って、個人的・共同的な自己の検討をする学)を教えておられましたが、他にもアジアのキリスト教美術、キリスト教と社会や労働の問題についても関心が深く、その方面でも極めて実践的にとり組まれました。また、その後は、聖和大学理事、神戸女学院理事、アジア・キリスト教美術協会名誉会長、財団法人日本クリスチャンアカデミー理事長などを歴任されました。日本基督教団正教師でもありました

先生から多くの方々がその影響を受けたことを思いつつ、天国での祝福と、地上に残されたご遺族の方々に神からの深い慰めがあることを祈ります。

 

 

2006年9月3日(日)

 

先日、1週間ほど前、私の学んだ大学で先輩の方々と後輩たちが親睦と交流を深める同窓会を兼ねた研修の時を持つことができました。その会では久し振りに会う方々や新しい方々とお会い出来て、非常に良かったのです。

また、そこでは日本のプロテスタントキリスト史がご専門の先生に特に「会衆派」についてのお話をしていただきました。

「会衆派」というのは、キリスト教のプロテスタントの教派の一つでスイスの宗教改革者カルヴァンの影響にあり、私の属する教派なのですが、詳しいことは、「会衆派(組合教会)について」というページを見て下さい。

その先生は、そもそもプロテスタントの教派(特に、改革・長老教会、メソジスト教会、会衆教会等)は、各個人の信仰は聖書が証する神の前で主体的に決断されたものであるゆえ、国家に優るものであり、また国教会のような一つの地域に一つの教会というあり方に対して批判を行なうものであるということが福音理解に含まれているとし、一方で、日本におけるプロテスタント教会は、歴史的に国家を超えていないのではないか、それゆえに、日本基督教団の信仰告白も信仰が国家を超えたものであるということを前提としていないのではないだろうかということ、それは日本にプロテスタントの教派が伝えられた時に、それが幕府側の下級藩士、当時の知識人階級に武士道に似たものとして受入れられ、しかも、日本の宗教的・文化的伝統であるアニミズム(原始宗教)、神道、天皇制などの「重層的多元構造」を克服しなかったためであること、現在は地域の共同体に期待されない、保守的なものとして理解されているのではないかというということをおっしゃっていましたが、しかしながら、オーストラリアやアジアのタイ、ラオス、ベトナムの教会の取り組み、またドイツの神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーが言う教会は「他者のために存在する」ことなどを参考にし、特にそれぞれの地域の人々の魂の呻きや嘆き、苦しみを自らのこととして聞き、応え、仕えていかなければならないとし、同志社の創立者、新島 襄の葬儀の時に掲げられた「自由教育自治教会両者並行邦家万歳」という言葉で講演を閉じられました。

講演の後に質疑応答がなされ、第2次世界大戦中に南方戦線で亡くなった日本の教会の牧師たちが軍属として靖国神社に祀られていることについて質問があり、戦時中、信徒が兵隊に送られて行った時に反対の声を上げる者はあまりなく、そのようなことに反対する信仰を形成する神学もなかったのではないかという答えがなされたのが印象的でした。

私は戦時中に、戦争に反対したキリスト者たちがごく僅かながらいたことも念頭に置きながら、私たちがこれから行っていくべきことについて大いに考えさせられました。

 

 

2006年10月17日(火)

 

 昨日、キリスト教会の「信仰告白」について、とある先生にお話を聞く機会がありました。それは特に私が属している「日本基督教団」の信仰告白についてのお話でした。

先生によると「日本基督教団」には「日本基督教団信仰告白」というものがありますが、そもそも、キリスト教会の信仰告白は、イエスをキリスト(救い主)として信じるという主体的行為により自から告白するものであり、また、イエス・キリストに対する信仰理解の普遍性によって告白するものですが、それはキリスト教会の歴史において様々に告白されてきたものでもあります。

「日本基督教団」は特に日本のカルヴァン派を中心とした日本のプロテスタント・キリスト教の教会が集まって出来た団体です。歴史的にカルヴァン派の諸教会は、世俗的な権威や国家が定めた信仰を拒否する「対峙」の教会であり、そこから諸教会が一致するということがなされてきたのに対し、日本基督教団は、そのような部分に関して、第2次世界大戦中、国家に対する「対峙」を欠いた一致を1941年に行い、1954年に信仰内容に関して最大公約数的に出来上がった「日本基督教団信仰告白」を制定、1967年には第2次世界大戦に賛成したことについて「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(戦責告白)」を行いました。しかし、その告白はイエス・キリストを主権者としていないことや、そもそも、日本基督教団の成立自体が教会としての主体的決断を曖昧にしてしまったものであったということ等から、現在、私が属している日本基督教団関東教区で、その当時の「戦責告白」を不十分なものとし、「罪責告白」の作成を目指しつつ歩んでいるということでした。

先生のお話を聞いて、日本基督教団の諸教区が取り組んでいる課題がこれから教団全体に反映していくことが重要なのではないかと考えさせられました。

 

 

2006年11月23日(木)

 

 今年は、第2次世界大戦終了後、「日本国憲法」が公布されて60年にあたる年ですが(1946年11月3日公布、1947年5月3日施行)、今日、私は憲法学・法政策論・平和論を専門に研究されている先生に、「憲法」とは何かというお話を聞く機会を与えられました。また、最近、「平和憲法」である「憲法9条」を改正しようとする(実際には「改悪をしようとする」)ことについて様々に語られていたり、一部の政治家の方々が戦争に向けて新しく「憲法作り」(立憲主義への挑戦とも言える)をしようとしているということがよく言われていたりするということもありますが、そのことも含めてお話を聞きました。

そもそも「日本国憲法」は、外国からの押し付け憲法ではなく、とある日本人が作った「国憲案」を参考にして「憲法研究会」が草案を作り、それをもとにして出来上がったもので、そこには、「国民主権、平和憲法、人権保障(国家からの自由 例:信教の自由、国家と宗教の結びつきの禁止)」という、変えてはいけないものが含まれていて、さらに国家が暴走しないようにするために作られたものです。それは、私たちが「日本国憲法」と聞くと、「日本国民が守らなければならない大切な決まり」という意味で捉えがちですが、実は、そうではなく、政治家が憲法を破る可能性があるので、「こういうことを国家は行なってはいけない」ということが書いてある、そのような憲法であるということです。

一方、最近、「憲法改正国民投票」ということも、言われていたりしますが、もし仮に「日本国憲法」を変えるなら、「一括に変える」ということを認めてはならないでしょうし、国民が時間をかけて議論し、「憲法とは何か」を理解しなければなりません。

私たちは第2次世界大戦でアジアの人々に対して、筆舌に尽くしがたい数多くの苦しみと悲惨さを経験させた上に、結局のところ、沖縄戦・各都市での空襲・広島・長崎の原爆を始めとして自らに対しても数多くの苦しみと悲惨さを経験させるに至りました。それゆえに、軍隊は必要のないものであること、戦争というものが、必ず自制のきかないものになることを本当は知っているはずです。私たちはむしろ、危機的状況にある人々に対して、武力を持ったり、威嚇したりしないで救助を行なうものである必要があるのではないか、ということを思わされました。

 

 

2006年12月23日(土)

 

 今日は、天皇誕生日でした。宮内庁では恒例の記者会見が行なわれましたが、明仁天皇は、その中で戦争を知らない世代に戦争・戦没者について正しく伝えることが必要であるとしながらも、靖国神社については特に発言はなかったようです。

ところで、先日、群馬県の日本キリスト教団前橋中部教会名誉牧師であり、元原水爆禁止日本国民会議代表委員を始めとして、多くの平和運動に身を投じられた石黒寅亀(とらき)先生が100歳で天に召されました。

先生は1906年(ディートリッヒ・ボンヘッファーと同じ!)に高知県でお生まれになり、神戸中央神学校(アメリカ長老派教会によって建てられた)で学ばれ、各地の教会で伝道師・牧師を歴任されましたが、第2次世界大戦が勃発し、召集され、戦後、戦争に参加したことを罪深い行為であったと悔い、その頃、日本国憲法が公布されたこともあって、牧師の働きと共に反戦運動・平和運動を自らのライフワークとするようになりました。このことについては、先生の著書『わが昭和始末書‐オールドリベラリストの自分史』にも記されています。先生は、また、群馬県平和センター代表委員、フォーラム平和・人権・環境顧問等を歴任され、国連軍縮会議特別総会にNGOの日本代表として参加されたり、また朝鮮半島の「平和と統一のための世界大会」に出席なさったり、靖国・天皇制の問題にも関心を持っておられましたが、特に核廃絶運動に力を注がれたそうです。先生からは、教会関係者は、もちろん、平和運動に携わる多くの方々がその影響を受けたことと思います。

私は、教会の牧師の集まりがある時に、よく先生を車で送迎しましたが、先生は現在の日本国憲法の重要性を始めとして、熱心にお話下さったことを今でも覚えています。「特に若い人たちに頑張って欲しい」とよくおっしゃっていましたが(先生の年齢から見ますと殆ど全ての人が若い人です)、そのことを思いつつ、天国での祝福と、地上に残されたご遺族の方々に神からの深い慰めがあることを祈ります。

 

 

2007年2月11日(日)

 

 今日は一般には「建国記念の日(日本の神話に基づいたもの)」とされているわけですが、私たちキリスト者はこの日を「信教の自由を守る日」としています。そのため、毎年、関連のある集会に参加するわけですが、今年は「靖国には行かない!戦争にも行かない!2・11市民の集い」に行ってきました。これは、教会関係者以外の人も参加する集会でもあります。

 この集会で改めて感じたことは、ここ数年、政府は戦争のしやすいような法律作りを進め、また、人権・思想・信教の自由を認めないような国作りをしようとしていることと、国家がこういった間違った方向へ進もうとしてくことに日本国民として反対していかなければならないということです。

 また、先日は「礼拝学」がご専門のある先生からお話を聞く機会がありました。そこでは、キリスト教の礼拝についての歴史と諸問題を中心に「礼拝とは何か?」ということを学ぶことができたわけですが、キリスト教の「礼拝」とは、「復活したイエス・キリストとの出会い体験が今日、ここでも起きているという出来事」で、それは「神の共同体、神の民である教会のなすべきわざ」です。

私がこの先生のお話の中で最も印象に残った話は、一つは「リタージカル“liturgical”」という言葉の理解です。「リタージカル」という言葉は「典礼的」と訳され、しばしば礼拝を改革し、新しくする「刷新運動」という言葉と共に用いられることによって、讃美歌聖書の訳を検討して、新しいものにしたり、何か華やかにしたりするようなイメージがあるわけですが、実は、この言葉の語源は英語で「礼拝」を意味する「リタージー“liturgy”」さらに、ギリシア語の「レイトゥルギア」やヘブライ語の「アボーダー」という言葉にまで遡ります。つまり、それは、「ノン・リタージカルな礼拝」というものは存在しないこと、日本の、特に昔のプロテスタント教会の礼拝がひとつの「リタージカル」なものだった、という話です。もう一つは、キリスト教の教会暦に従ってなされる礼拝の中で最も重要なものは「『説教』よりもむしろ、『聖書朗読』である」という話です。なぜならば、その場合には、朗読される聖書の言葉が「神の言葉」となり、それゆえに、きちんとした「聖書朗読」がなされなければならないからであるというものです。

ローマ帝国によってキリスト教が迫害されていた時代、多くのキリスト教会が皇帝崇拝(ローマ皇帝を神として崇める)を拒否して迫害されながらも、聖書の神だけを神とする礼拝を守ってきました。第2次世界大戦中、日本の多くのキリスト教会は天皇を神とする国家の政策と迫害に負けて、礼拝前に、皇居遥拝を行なってから、礼拝を始め、戦争に賛成してしまいました。このことを繰り返すようなことがあってはならないと思わされました。

 

 

2007年4月17日(火)

 

 今日、夕方、長崎伊藤市長が右翼団体の男性に撃たれて倒れるという事件が起こりました。この事件で長崎市長の安否やなぜ撃たれたのかが気になりますが、私たちがこのような事件で思い起こすことの一つに1990年、元長崎市長であった本島等氏が右翼団体の男性に撃たれたという事があるのではないでしょうか。これは本島元長崎市長が「天皇には戦争責任がある」と発言し、それに対して、右翼団体の男性が行なった事件であったわけですが、ここには明らかに「日本国憲法第19条」「第20条」「第21条」によって保障されている「思想・良心の自由」「信教の自由・国の宗教活動の禁止」「集会・結社・表現の自由」がないがしろにされ、かつ暴力的行為が行なわれていますが、それは、かつての第2次世界大戦の頃の軍国主義的世界観によるもので、このような事件は二度とあってはならないはずのものです。

 ところで、私は2004年から今年の3月まで日本キリスト教団安中教会の教会員であり、また、その教会で協力牧師もしていました。その時に教会関係の多くの方々のお世話になったわけですが、そこには何よりも神がその背後で恵み深く導いておられたということを信じ、感謝しています。

安中教会は、プロテスタントの教派で言いますと、同志社大学の創始者である新島 襄が深く関係する組合教会(会衆派教会)に属していて、この教派はルターやカルヴァンが行なったヨーロッパの宗教改革に起源のある教派です。この教派が持ついくつかの特色の一つに教育、社会福祉、社会問題や平和問題へ深く関心を持ち、それに取り組んできたということがあります。安中教会の場合は、特に教会の牧師であった柏木義円に象徴されるように、廃娼運動への取り組みや戦時中、国家の弾圧に苦しみながらも「非戦」を説いた、そのような教会でもあったのです。それゆえに、ここ数年間のアメリカのイラク攻撃、日本の国家の戦争肯定的な非常に残念な政策、沖縄の辺野古に米軍基地を建設すること等に対して、不十分であったかもしれませんが、反対の声を上げました。また私は忙しい合間に部落差別についての研修や、今も続けられていますが、新潟県中越地震被災支援活動ボランティアに参加したりしました。安中教会は1878年に創立され、今年で130周年を迎えますが、日本で始めて新島襄がキリスト教の伝道を行なってできた教会です(新島襄はアメリカ留学から帰って来た時に宣教師として日本に帰って来ました)。この教会と教派がこれからも、このようなことに関心を持つことが望まれていますし、私もそのようにありたいと思います。

 

 

 

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