雑記帳(Ⅻ)                       

 

川上純平         2017・5・15〜

 

 

2017年5月15日(月)

 

築地市場移転問題、森友学園関連の問題、政治家の不適切な言動、「共謀罪法案」等が問題となる中、アメリカによるシリア爆撃がなされ、北朝鮮とアメリカの緊張関係が高まってミサイル発射や軍事演習が行われたり、また韓国とフランスでは大統領選挙が行われたりするという国際情勢の中にあって、キリスト者(キリスト教徒)には聖書の御言葉を土台として社会の問題に関心を持つ信仰生活が促されています。

3月17日には福島第一原発事故で群馬県に避難した方々が東京電力と国に損害賠償を求めた訴訟で、前橋地方裁判所は東京電力と国にその責任があるものとし、損害賠償の支払いを命じる判決を言い渡しました。

5月3日の憲法記念日に行われた「5・3市民集会」では『食と農の未来を考える』と題して農民作家の山下惣一氏による講演がなされました。この集会は北西地区社会委員会が他の団体と共催で毎年行なったもので、私もその準備に関わりました。山下氏からは日本の国は家族が生活出来る小規模農業に力を入れるべきであり、小規模農業を支持するのは日本政府が平和憲法である日本国憲法九条を改正しようとするのに抗うことと同じで大変大切なことであるというお話がなされました。憲法九条を守り、農家を応援することが大切であることを思わされました 。

藤崎教会では「ステンドグラス」が会堂窓に設置され始めました。これは教会の信徒関係者の方がご家族を亡くされた(キリスト教では「召天された」と言う)ことがあって教会に献品して下さったものです。聖書やキリスト教に関する象徴(シンボル)を図案に用いて、4月の「イースター」(巷では飾り付けたゆで卵等を並べるパーティーのイメージが強いようですが、そもそもはキリスト教会の暦で、救い主イエスの甦りを共に喜びお祝いする日です)に取り付け始め、6月の「ペンテコステ」(天から神の力である聖霊が祈っている人々に降り、教会が誕生し、世界への宣教が開始されたことを記念する日)に全て設置される予定です。

最近、宗教改革500年関連の書物として『義認と自由 宗教改革500年 2017(ドイツ福音主義教会常議員会編、芳賀力訳)』(教文館、2017年)を読みました。これは今年2017年の宗教改革500年記念祭を念頭に置きつつ記された基調文書で、「プロテスタント教会内の相互理解の果実であり、その相互理解を深めるためにさらに引き続いて貢献しようとしている」〈10頁〉書物で、同時にエキュメニカルな対話を行ったり、宗教間対話に言及したりして記された書物です。宗教改革者が「神が正しい信仰を呼び起こす」〈25頁〉と理解していたことを始めとして、ドイツのマルティン・ルターが始めた宗教改革の信仰理解やその精神についてまとめて記されています。改めてこれらのことについて理解を深めることが出来ました。既にキリスト教界では「宗教改革500年」の様々な行事やイベントが計画され、また既に行われているようです。

また5月上旬に青森県下北半島の風間浦に行って来ました。1875年に京都に同志社大学を創立した新島襄がアメリカに渡る際に北海道の函館から船で出発したわけですが、函館に行く際に嵐のために風間浦の温泉に一泊したのがきっかけとなり、今では風間浦に新島襄寄港記念碑が建てられ、毎年、同志社から関係者がそこに集まり、記念行事が行われたり、風間浦の小中学校と同志社との交流が行われたりするまでになっています。新島襄がアメリカへ旅立った時に、彼が求めていたものはアメリカの土台となったキリスト教であり、そのキリスト教に基づく教育でありました。もちろん、彼は聖書と良きアメリカ人の信徒たちとの出会いや大学と神学校での学び等を通して、そのことを学んだわけです。確かに最初は新島襄も黒船等を見て、アメリカに驚いたわけですが、彼は日本を強い軍事国家にするためにアメリカで学んだわけではなかったのです。

青森市から風間浦へと向かう道では風力発電用風車を何回か目にすると同時に、横浜町では名産の「菜の花」が畑一面に黄色の花を咲かしているのを目にしました。ちょうど最盛期でした。横浜町では少し変わった「菜の花ソフトクリーム」や「菜花(なばな)ソフトクリーム」、コリコリとした食感のナマコの入った「なまこアイス」、風間浦では海苔の香りがする「ふのりアイス」があるそうです。またこの時期、太宰治の好物でもあった「クリガニ(トゲクリガニ)」が5月上旬まで出回ります。藤崎のリンゴの花も見事に咲きました。しかし、リンゴも細やかで忍耐強い手作業が必要です。私たちは、農家の方々、農作業に携わる方々に神からの癒しと力が与えられますように、自然災害に遭いませんように、素晴らしい実りの秋となりますようにと礼拝で祈っています。

 

 

2017年7月20日(木)

 

先日、『カール・バルトにおける神論研究 神の愛の秘義をめぐる考察』(稲山聖修著 キリスト新聞社 2017)を読み終わりました。本書は著者がカール・バルトについて記し、同志社大学神学部に提出した博士論文に著者自らが修正等の手を加えた著作です。この著作の主題と内容の関係について神学史、カール・バルトの教義理解、キリスト教会との関連で様々なことを考えさせられました。カール・バルトが、人は如何にキリスト教が語る神を認識するのかということを考えた時に、そこにバルトが神によるものであると意図したにもかかわらず、神によるものではなく、人間的なものが入っていることも考えられます。カール・バルトの神学がどこまで聖書的であるのか、また聖書学との関係が重要であることは言うまでもありません。また「プロテスタント主義」についての記述(4174)については、これらの研究が最近になって見直され始めていることが反映されています。日本では一時は別としてこれまでこの分野での研究があまりなされて来なかったのは、それまで観念的なバルト神学の影響が強かったためでしょうか。バルトが思う以上にバルトへのシュライエルマッハーからの影響は強いのではないかと思います。カール・バルトの神学はそのままではなく、それを土台としつつ、キリスト教会をめぐる様々な状況で実存的に苦境しつつ、奉仕に励むのに役立てることが出来る神学であることを思わされました。

G. C Berkouwer(ベルコーウェル:英語読みなら“ベルクーヴァー”)の The Triumph of Grace in the Theology of Karl Barth: An Introduciton and Critical Appraisal”「カール・バルトの神学における恵みの勝利:紹介と批判的評価」(1956年)を外国の古本屋からインターネットで入手しました。カール・バルトの神学を研究するにあたっては必読の書籍です。

 6月19日、20日に『東日本同信伝道会研修会』が宮城県仙台市で行われ出席しました。これは同志社大学神学部を卒業、または組合教会に連なる牧師及び信徒の東日本支部会の研修会で、今回の主題は「会衆主義教会の宣教の広がり」でした。「会衆主義の『内的必然性』」と題して一條英俊氏(日本基督教団札幌北光教会信徒)による講演がなされました。特にカール・バルトが会衆主義について記した言葉、ディートリッヒ・ボンヘッファーの『獄中書簡集』、熊野義孝、海老名弾正の言葉等が用いられていました。カール・バルトは「会衆主義」を高く評価しているわけですが、これについては、カール・バルトが会衆主義のキリスト教会の礼拝に出席する等して本当に会衆主義を理解していたのかという問題、またバルトにおける教会と社会の差異についての理解及び神学との関係が考えられるのではないかという感想を持ちました。また発題として二人の方から主にキリスト教会が行う社会福祉施設や事業の分野の実践的な取組み等についてお話をお聞きし、その後、懇親を深める時を持つことが出来ました。研修会の後はオプションとして「日本キリスト教団東北教区放射能問題支援対策室いずみ」及び「仙台食品放射能計測所いのり」を見学させていただいて、お話をお聞きしました。2011年の福島第一原発放射能事故によって危険な放射能が拡散されたために、被曝した人々に今後も様々な病気が発生することが懸念されています。その取組みが大切であることを思わされました。

 5月14日に北西地区教育委員会主催の研修会が日本キリスト教団青森松原教会で行われ、「だから教会はズレている」という講演タイトルでキリスト新聞社の松谷信司氏にお話をしていただきました。このタイトル、私は変わった面白いタイトルだなと思いました。しかし、講演の中で話されたことは普通のお話で、現代のキリスト教会が行う伝道や宣教は昔とは変わらない部分と部分的に昔とは違う部分があるということを思わされました。

5月23、24日に2017年度の「奥羽教区定期総会」が行われ、「共謀罪法案」に反対し廃案を求める声明が出されました。また私は2016年度で「教区性差別問題小委員会」委員を辞めることになりました。4年間、このような活動に関わらせていただいたことを感謝します。ちなみに今後、この「小委員会」は教区機構改正に伴い、教区宣教部に属する「協力員 性差別問題」と名称を変えて活動を続けていくそうです。教区の歩みに主なる神の祝福をお祈りします。

5月23日、6月15日に「共謀罪法案」が国会で強行的に可決されました。宗教者はもちろん、様々な立場の人々が反対しているにもかかわらずです。確かにテロ活動や犯罪は恐ろしいものがありますが、「思想及び良心の自由・信教の自由・集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」等が蔑ろにされる可能性があると懸念されているのです。今後、同法の廃止の方向が良いのではないかと思わされています。

6月5日にJR東京駅構内丸の内方面にイスラム教の礼拝所が作られました。国際化と共に2020に控えたオリンピックを考慮してということもあってのことですが、興味深いことです。今後、「一神教」(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)に対する日本人の関心の持ち方が変化していくことを望みます。少し前ですと、「一神教」と言えば、テロを起こす人々及び植民地政策を行う人々の宗教、環境破壊・戦争の火種というようなスケープゴート的な冗談にならない冗談も言われた時も一部ではありましたが、つまり、差別と偏見もありましたが、その意識も徐々に変化していくのではないかと思います。

「加計学園問題」は最終的にどうなるのでしょうか。また6月6日に茨城県大洗町日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで、放射能被曝事故があったとされています。これにより、これからの原発及び再処理工場の再稼働中止、放射能に対する見解の変更等が必要とされているように思います。

藤崎教会では既に6月に「子供の日・花の日合同礼拝」で子供と大人の合同礼拝を行いました。礼拝後、子供とお花を持って高齢者施設を訪問し、また遠足に向かいました。7月末、教会学校では「夏の集い」を予定しています。今回のテーマは「平和」です。8月には「平和聖日礼拝」(今年は「日本基督教団戦責告白」発表50年の年)、「召天者記念礼拝」(キリスト教ではお亡くなりになることを「召天」と言う)、「五能線沿線三教会合同礼拝」(JR五能線沿線にある日本基督教団に属する三教会〈藤崎教会、五所川原教会、木造教会〉の合同礼拝)を行う予定です。

ここ数日、九州北部及び日本各地で豪雨による被災、雹、猛暑等の異常気象による事象が発生しています。被災された方々に主なる神の慰めと癒しをお祈りします。異常気象は人間による環境破壊も原因とされています。これからもこの問題を観念的にただ考えるだけで終わりではなく、実際に解決していくことが必要であることを思います。

東北より南の地域では、もう梅雨の明けた地域もあります。北東北はもう少しで梅雨が明けます。ただ5月から6月は「季節錯誤」が発生しやすい季節です。特に5月、6月頃は関西や関東なら春から夏にかけての季節、春の暖かさから初夏、夏の暑さへと徐々に移行する季節であるわけですが、こちらでは5月なら関西や関東で言うところの4月の気温・気候、6月なら5月の気温・気候で、5月上旬にタンポポが咲いたりするわけです。5月や6月は、時に秋や冬への兆しを感じさせるような気温の日もあるので、特に関東や関西のような東北より南の他県から来た人は5月や6月頃の出来事が記憶としては別の季節の出来事として覚えられているということがあり得るのです。自然を様々に受けとめることが出来るので、これは面白いと思います。

また気候はその地域の人々の気質を育みます。例えば、「じょっぱり」とは北東北の人々の気質を表す言葉です。その意味は良くも悪くも「頑固に意地を張ること」ということですが、この気質が津軽地域の生活・文化の様々な事柄に影響を与えてきたと思われます。津軽のキリスト教の場合、それは信仰生活の内容と結びついているということです。偶然にも、そのような信仰生活になるわけです。それから、例えば、冬の間、雪の中で生活しなければならないということから来る忍耐強さも雪深い地域の特質の一つで、そのような地域では忍耐強い信仰生活が当たり前であるとされます。気候や歴史がこのような気質を育んできたのではないかと思われます。良い勉強になります。

津軽では既にリンゴの実が大きくなり始めています。今回、5月末に私はリンゴの実すぐり指導及び作業に参加させていただきました。りんごの花が散る頃から6月末頃まで行う「実すぐり(摘果)作業」です。良い品質のリンゴを残すためのもの、リンゴ畑で指導を受けながら行わせていただきました。なかなか難しいものがありました。農家の方々に主なる神の守りと祝福があるようお祈りします。

暑さが厳しくなります。お体ご自愛下さい。自然災害が少しでも少なくなりますように。

 

 

2017年9月14日(木)

 

最近読んだ本で興味深かったのはフェイス・バウアーズ氏が記した『知的障碍者と教会 驚きを与える友人たち』(片山寛・加藤英治訳 新教出版社 2017)です。これは多くのキリスト者が持っているとされる「知的障碍者」に対する偏見について、またキリスト教会による「知的障碍者」に対する取組みがキリスト教会に良い影響を与えたことについて実例を踏まえて述べた本でもありますが、同時にそこには社会的な政策が関わっているということも忘れてはならず、キリスト教会が地域でどのような存在であるべきかを考えさせます。もし仮にキリスト教会が単なる「能力主義」あるいは「知性主義」の集まりであるなら、この本は「そもそもキリスト教会とは何か」を考えさせる一冊となるかもしれません。同時に私たちが知的障碍者による主体的信仰や彼らが行う聖書のみ言葉への聴従、その個人個人によって異なるものであるという課題を今後も考えなければならないことは言うまでもないことです。

北村慈郎牧師について、裁判後も「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」による集会が行われ、北村慈郎牧師の免職撤回と聖餐について議論を行う場を設けるための取組みが行われています。ちなみに同会の通信第19号では前回、「7月20日(木)」の記述で少し触れた一條英俊氏の講演が掲載されています。

夏期休暇中に日本キリスト教会横浜海岸教会を会堂見学のため訪問しました。この教会は1872年に日本で最初に創立されたプロテスタント教会です。会堂を建てる際の完成予想図等を見せていただきましたが、当初は現在より奥に長めの会堂を建てる計画だったようで、東日本大震災後に補強工事を行い、建物として強化されたそうです。またその後、兵庫県にある日本基督教団神戸教会も会堂見学のため訪問しました。こちらは1874年に創立された西日本最古のプロテスタント教会で、会衆派教会〈組合教会〉最古のキリスト教会でもあります。創立140周年を記念して製作された美しい絵葉書(写真葉書)をいただきました。隣接する幼稚園と共に地域に根差した宣教がなされているようです。その間、東京では古書店で神学関係の書物を購入し、京都では京都市立美術館別館前の部落差別に対する取組みとして重要な「全国水平社創立の地の碑」を訪れることも出来ました。

8月中旬に当教会の玄関に白バラが咲きました。毎年、咲く花ですが、白いバラは宗教改革者マルティン・ルターの紋章でもあります。今年は宗教改革500周年です。同時に白バラは「聖母マリア」を意味し、第二次世界大戦中に学生を中心に反ナチス運動を行ったグループは「白バラ抵抗運動」と呼ばれました。一部、「宗教的象徴」とも言えますが、偶然とは言え、興味深いものがあります。

『こころの友 11月号』(日本キリスト教団出版局)に当教会歴代牧師で、目が不自由であった藤田匡の漢詩屏風が掲載される予定です。藤田匡は目が見えなくなる前の12歳の時に筆で屏風に漢詩を書き、目が不自由になった後、本多庸一や当教会の信徒たちに導かれ、洗礼を受け、献身するに至りました。

ところで、藤崎町では8月に「藤崎ねぷた」と呼ばれる祭が行われ、夕方に町の中を山車(だし)が通りますが、当教会の前も通ります。「ねぷた(地域によって呼び名が違い「ねぶた」とも呼ぶ)祭」は青森県津軽の夏の風物詩の一つです。そもそも「ねぷた」は、農業における病気や害虫、天候不順等のような厄災を除けることや神道や仏教における穢れ等の不浄を祓い清めることにその源があるとされている祭です。

ちなみに神道に「罪」や「穢れ」という言葉がありますが、これはキリスト教やユダヤ教で言うところの「」や「穢れ」とは異なるもので、宗教学的には興味深い話かもしれません。キリスト教やユダヤ教の場合、これらはヘブライ語やギリシア語で記された聖書の言葉がドイツ語や英語や中国語に訳され、さらに、それらが日本語に訳された時に用いられた「当て字」に過ぎないものですから、意味が異なる言葉なのです。例えば、聖書に記された「主」という言葉は、ヘブライ語の「ヤハウェ」(「ヤーウェ」)、「アドナイ」等を日本語に訳した言葉ですが、これは「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」(旧約聖書出エジプト記20章8節)という言葉と関係があり、旧約聖書の人々は神様に呼びかける時、この「主」という言葉を使うのです。この「主」はギリシア語の「キュリオス」という言葉の訳でもあり、英語では“Lord(ロード)”と言います。この言葉は「主(あるじ)」や「御主人(ごしゅじん)」とも訳せる言葉なのですが、聖書ではこのような意味合いではなく、「私〈あるいは〉私たちは救い主(すくいぬし)であるこの主(しゅ)なる神様だけを信じ仕えます」という意味合いで神様を呼ぶ言葉です。特にキリスト教で「主(しゅ)」は「イエス・キリスト」を意味する言葉で、ローマ帝国が人々に「皇帝崇拝」を強制した時代にあってはキリスト教迫害との関連で大変、重要な言葉でした。

10月に弘前で映画「母 小林多喜二の母の物語」が上映されます。プロレタリア文学作家小林多喜二の母親を扱った映画です。「思想及び良心の自由・信教の自由・集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」等が、その当時はなかったことと現代社会を照らし合わせて考えるのに良い映画かもしれません。

7、8月に予定していた夏の教会関係諸行事は全て無事に終了しました。私は8月下旬に「弘前YWCA平和集会」にも出席し、山田清彦氏(核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団事務局長)による講演『どうなっているの?六ケ所村核燃サイクルの現状』をお聞きしました。私たちがこれからもますます関心を持たなければならない課題であることを思わされました。9月末には隣接する藤崎幼稚園の運動会が行われ、また日曜日には「地区講壇交換」が行われます。この日は津軽の諸教会・伝道所の牧師がそれぞれこの同じ地区内の別の教会・伝道所で、つまり、いつも日曜日に礼拝を行っているのとは違う教会・伝道所で礼拝説教を担当します。

10月には奥羽キリスト教センターチャペルで行われる「脱原発講演会」に出席し、『福島の今』福島第1原子力発電所の爆発事故に伴って 〜原発訴訟から見えてくるもの〜」と題して、池脇美和氏(福島原発告訴団事務局長、福島原発刑事訴訟支援団事務局長)による講演をお聞きする予定です。また、同所にて二日間かけて行われる「奥羽教区社会問題セミナー」にも出席します。今回は特に「教団戦責告白から50年」を覚えてのセミナーとなります。「日本基督教団戦争責任告白」及びそれに関わる事柄について学びます。

今年もこの時期は台風が近づいていますが、既に沖縄等では被害が出ています。今、当教会の庭でも既にブドウが実っています。津軽の農作物に被害が出ぬようお祈りします。また体調を崩しやすい季節でもあります。どうぞ皆様、ご自愛下さい。

 

 

2017年11月12日(日)

 

先日10月22日に「衆議院選挙」が行われ、二つの大型台風が連続して日本列島を襲いました。北朝鮮からのミサイル発射、トランプ大統領アジア歴訪等、様々な出来事が続きました。人はこのような時、平安や安定を求めます。皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

先日10月下旬に「キリスト教神学のページ」の「キリスト教について」、「聖書について」、「キリスト教とキリスト教神学」、「キリスト教神学について」、それぞれ内容を改訂しました。時代によって変えるべきものと、時代が変わっても変えてはいけないものがあると思いますので、幾つか内容を変更しましたが、基本的な部分に変更はありません。

10月に「奥羽教区社会問題セミナー」に参加しました。今年は「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(教団戦争責任告白)」五〇年の年であり、今回このことが中心的なテーマとなりました。およそ70年前、日本基督教団もそうですが、日本のキリスト教会の多くが国家からの圧力により戦争に賛成し、天皇を神として崇拝したという歴史があります。これについて戦後、1967年に日本基督教団は「教団戦争責任告白」を行い、これはキリスト教界のみならず、仏教を始めとする他の諸宗教の「戦争責任」についての表明にも多くの影響を与えたと言われています。「教団戦争責任告白」の中では、第二次世界大戦中に教団が国家に対して見張りの役割を果たさなければならなかったにもかかわらず、それを怠ったことを懺悔しています。現在、日本基督教団に属する全ての教師・信徒の方々がこの「教団戦争責任告白」を支持しているというわけではなく、中には「その当時、キリスト教会には力がなかった。国家の言いなりとなったのは仕方がなかった。」とする方もおられます。およそ70年前のあの戦争とそれに加担した「」、そして「罪」という言葉の理解について、特に信仰との関わりで異なる意見があります。第二次世界大戦中にドイツの神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーはナチス・ドイツへの抵抗運動に参加し、処刑されましたが、彼は「キリストに従うこと」を説き、またこのようなことを語っています。「教会とはまさに、キリストの恵みによって、キリストに対する罪責の認識に導かれた人間の集団である。」(森野善右衛門訳、『ボンヘッファー選集W 現代キリスト教倫理』、新教出版社、1996年(第2版第3刷)、68頁)。またボンヘッファーは、そうでなければ教会は教会でないとしています(同書、同頁)。このボンヘッファーの言葉については森野善右衛門先生(日本基督教団隠退教師、東北学院大学名誉教授)が『福音と世界(2007年3月号)』(新教出版社)に載せられている論文「教団戦責告白の継承と前進」(16‐20頁)で触れておられます。ボンヘッファーのこの言葉は「教会とは何か」ということに結び付く問題です。ちなみに森野先生は、この論文の中で生活(倫理)と信仰(告白)は結び付いたものであるとし(同論文、17頁)、また関東教区が「日本基督教団罪責告白」作成を検討し、これを行っていることに触れ(※2017年現在、日本基督教団関東教区として既にその告白文を完成させ、2013年に行われた第63回日本基督教団関東教区総会でこの告白は決議されている)、その中で「教団戦争責任告白」は罪の告白としては不十分であるとし、特に第二次世界大戦中に日本基督教団が行った罪について第54回日本基督教団関東教区総会(2004年)で提出された総括報告書に、特にキリスト教信仰を貫けなかった罪、アジアの諸教会に神社参拝等を強要した罪、沖縄のキリスト教会を見放した罪、ホーリネス系の教会の受難に際し、主にある支援をしなかった罪等が挙げられていることを述べておられます。これについて詳しいことは『罪責を告白する教会 ‐真の合同教会を目ざして‐』(日本基督教団関東教区「日本基督教団罪責告白」作成検討特設委員会編集、2014年〈2006年に出版された資料集の改訂版〉)をご参照下さい。たとえ、一度、洗礼を受けたキリスト者であっても、主の恵みを想い起すことで、主の恵みに感謝し、自らの至らなさ、人間であるゆえに罪深いということを想い、悔い改めるのです。今回の「奥羽教区社会問題セミナー」でも、やはり第二次世界大戦中に日本基督教団が犯した罪とその悔い改めの告白に関しては「日本基督教団戦責告白」の重要性とそれだけでは不十分であることが指摘され、「日本基督教団第二信仰告白」作成が必要であることも語られました。

今回、同じ会場で「脱原発講演会」も行われ、東京電力福島第一原発放射能事故訴訟についてのお話しをお聞きしました。今年、福島県で行われた検査では、150名程の人に甲状腺ガンがあることが確定していて、福島第一原発放射能事故による「放射線」が原因なのですが、国はそれを認めようとしていないそうです。現在、この「福島原発告訴団」が「福島原発刑事訴訟支援団」へと繋がり、さらなる運動が展開されるということでした。ちょうど10月10日に東京電力福島第一原発事故訴訟の判決が福島地方裁判所で行われ、国と東京電力に賠償を命じる判決を言い渡しました。これで、福島原発訴訟で日本の三つの地域で連続して判決(国や東京電力に責任があるとの判決)が下されたことになります。

また先日、ドイツの国際平和団体で1910年にノーベル平和賞を受賞した「国際平和ビューロー」(IPB)が2017年のショーン・マクブライド平和賞を沖縄辺野古米軍基地建設に反対して座り込みを続けている「辺野古すわりこみ オール沖縄会議」に授与すると決めたということです。ちなみに2017年のノーベル平和賞は「核兵器禁止条約」が国連で採択されるのに貢献した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)に授与されるそうです。先日も沖縄で米軍の大型輸送ヘリコプター墜落事故が発生しました。このようなことが日常茶飯事にならないように祈っています。主イエスを信じるキリスト者が沖縄の米軍基地建設に反対する理由の一つです。

藤崎教会では、9月下旬に会堂窓に寄贈された「ステンドグラス」が全て取付けられました。また今年は「宗教改革五〇〇年」の年で、「宗教改革記念日」の10月31日は少し特別な気持ちで過ごしました。11月下旬には藤崎教会が属する地区の集会があり、地区の今後の歩みを考え、特に今回は信徒の方々に地区の主導的な立場へ関わって頂くことを目指すための会で、宗教改革者マルティン・ルタが万人祭司(これは特権的な身分の否定とキリスト教信仰を持つ各人が直接、主なる神のみ前にあることを意味する)を説いたことを覚え、学びと話し合いの時を持ちました。ちなみにマルティン・ルターの誕生日は偶然にも2日前の11月10日なのだそうで、さらに明日11月13日は神学者アウグスティヌスの誕生日だそうです。アウグスティヌスはカトリック教会にも、プロテスタント教会にも影響を与えた神学者です。

また11月12日の日曜日は大人と子供が会堂で一緒に礼拝を行う「子供祝福式合同礼拝」を行いました。また今後、田畑で取れた農作物を持ち寄り礼拝で献げる「収穫感謝日礼拝」が行われます。来月12月に行われる「クリスマス」(クリスマスを待ち望む準備期間の「アドベント」については記帳の「200911月29日(日)」の項目、「クリスマス」の起源については雑記帳の「2004年12月18日(土)」の項目をそれぞれ参照)に向けての準備も進められています。特に隣接する藤崎キリスト教学園藤崎幼稚園の子供たちは「ページェント〈降誕劇〉」の練習に励んでいます。

私は10月下旬には「同志社校友会・同窓会青森支部総会・懇親会」に出席し、11月上旬には「キリスト教保育連盟奥羽部会」の研修会に参加し、学びと交流の時を過ごしました。幼稚園グラウンドに生えているイチョウの黄色い葉は全て落ちました。農家のリンゴ収穫作業は12月まで行われる時もあります。11月中旬から津軽平野には雪が降るそうですが、収穫の最後まで主なる神の守りがありますようお祈りします。

 

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