雑記帳(]W)

 

川上純平         2019・4・2〜

 

 

2019年4月2日(火)

 

先日、キリスト教神学のページ(T)」に20世紀スイスの神学エミール・ブルンナーについての概説を載せました。彼は神学者カール・バルトを理解するにあたっての重要な神学者の一人でもあります。このサイトの中でも、しばしば登場する神学者なので追加して紹介説明文を載せた次第です。

そのカール・バルトを紹介したDVDディスクが昨年12月に新教出版社から発売されました。『カール・バルトの愛と神学』というタイトルのDVDディスクで、カール・バルトの神学と生涯を映像と関係者らの証言等で構成し、紹介したものです。カール・バルトがDVDで紹介される時代になったわけで、情報化社会と科学技術の進歩に驚かされますが、カール・バルトの生の声や映像等に触れることも出来ます。

同じ昨年12月に「ATD旧約聖書註解双書」の翻訳出版が『ATD旧約聖書註解4 民数記』の出版によって完結しました。このシリーズは、そもそもはドイツ語で記された旧約聖書の註解書のシリーズで、1949年にその出版が開始されました。既に1973年から開始された「NTD新約聖書註解双書」の翻訳は1980年に終了していますが、こちらは第一次世界大戦後にドイツで出版が開始され、「ATD旧約聖書註解双書」同様、何度か内容が改訂されています。「ATD旧約聖書註解双書」の翻訳は1980年に開始されたそうで、「NTD新約聖書註解双書」と共に、今まで自らが仕えてきた、また仕えている教会・伝道所等での礼拝説教や聖書研究等の際に用いてきましたが、国内で聖書を読む人の中で、プロテスタント教会の牧師を始めとして様々な人々が用いてきた註解書シリーズの一つです。現在、既に聖書についての新しい研究がなされたこともあり、様々な註解書が翻訳され、また執筆されて出版されていますが、このATDNTDの註解刊行会38年間の翻訳作業に感謝したいと思います。

2月11日はキリスト教会の暦では「信教の自由を守る日」です。それで、この日には地区で二つの集会を行いました。一つは北西地区社会委員会主催で講師に坂口聖子氏(日本基督教団宮古島教会牧師)をお招きしての午前の集会です。教会の礼拝形式で行われました。講演では自衛隊基地問題を抱え込んでいる現場でのキリストにある平和を求めての取組みを聞くことが出来、良い刺激と学びの時となりました。もう一つは午後に文化施設で行われた他の団体との共催での集会です。同じ講師により。沖縄の宮古島で、危険、かつ健康被害等、様々な意味で悪い影響を与える自衛隊軍事基地の建設に日本政府が躍起になっていることが話され、それまではそうでなかった場が軍民両用の場にされたり、憲法上、保障されるべき宗教的な場、自然環境、生活資源、平和がつぶされたりしてしまっている現状であるということで、これに対する取り組みを他人事としないことを思わされました。

昨日4月1日(月)に新しい「元号」が発表されましたが、これは天皇代替わりに伴い「元号」が変わるということです。そもそも「元号」は中国で使われていたものだそうで、現在、中国では使われていません。多くの国ではやはり「西暦」が用いられているようです。

今から七十年前の第二次世界大戦終結によって、「昭和天皇」が「人間宣言」を行い、天皇自らが自分は神ではないとし、戦後、「日本国憲法」によって民主主義の時代が始まりました。しばしばキリスト教会が「天皇制(天皇を中心して国の制度を整えるということ)」を批判する理由は、例えば、「大嘗祭」が「日本国憲法」に抵触するのではないかという問いがあること等以外では、かつての第二次世界大戦に関わりのある日本の国家としての政策(宮城遥拝や神社参拝の強制、キリスト教会で戦争を讃美する礼拝を強制したこと)との兼ね合いでの批判であることは言うまでもありません。それは「信教の自由」の保障とキリスト者の社会倫理として「平和」を重んじるということです。

3月17日(日)には教区主催の「東日本大震災八年を覚える礼拝」が地区の教会で行われ、これに出席し、そこで語られた説教により八年前の出来事を想い起しつつ、聖書に基づいて今を生きることについて考えをめぐらしました。

東日本大震災による福島第一原発放射能事故のために福島県の一部の地域の方は他県に避難しなければならなくなったわけですが、避難解除された地域に戻って来て居住する方々が様々な苦しみや課題を抱え込んでおられ、あの大震災から八年経ちましたが、キリスト者(クリスチャン)としては「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)」等の働きにもありますように、祈りに覚える必要があることを思わされます。

それで福島第一原発放射能事故のために日本各地に避難した人々が訴訟を起こしていますが、2月から3月にかけて立て続けに裁判が行われ国や東京電力に対する判決が下され、その多くは避難した人々に賠償を求める判決になっていますが、中には避難した人々側が敗訴する裁判もあることを覚える必要があります。

最近、世界規模で海に漂う「微細プラスチック破片」(海洋マイクロプラスチック)が問題となっています。海の中の生物による食物連鎖を通して、最終的には人体にも入っていることが報告されています。つまり、最初は、海に漂う比較的、大きめのプラスチックのゴミにすぎないものが、強い波や太陽光線等によって細かく砕かれ、海の中の「微細プラスチック」破片となり、それを小さな生き物が餌と間違えて吸収し、それを小魚が吸収し、さらにそれを大きな魚介類が食べ、最終的に鳥類やオットセイ等の哺乳動物や人がそれを食することで体内に入り、汚染が広がっているというのです。旧約聖書の創世記に基づくキリスト教社会倫理における「保全」という観点から自然を守らなければならないことを考えさせられます。

今は「受難節」ですが、4月21日(日)には「イースター(復活日)」が到来します。(「イースター(復活日)」については雑記帳の「2012年4月30日(月)」の項目を参照)です。これは主イエスの死からの甦り(復活)を記念し、これを喜びお祝いするためにキリスト教会で礼拝を行う時です。今、藤崎教会は、昨年が「藤崎伝道開始145年」の年であったこともあり、「藤崎伝道開始150年」に向けての歩みを続けています。この地域にあっての確かな伝道を行っていくということです。そのために、この教会の信徒だけでなく、北西地区や奥羽教区、教区外、町の人々からも協力を得て、行われています。

今年の冬も「雪かき」に励みました。時にはマイナス10度の中を雪かきすることもありますが、津軽では、今週、本格的な春の暖かさが到来するようで、津軽では年によってはゴールデン・ウィーク当たりでも雪が降る年もあります。逆に雪が少ないと、農作物に良くない影響が出ます。ちなみに、今年、青森県の観測地点で最も深く雪が積もった青森市酸ヶ湯では2月に積雪の深さが439cmを記録したそうです(「気象庁のホームページ」〈http://www.jma.go.jp/jma/〉)。4月から八甲田の一部では「雪の回廊」も登場します。

今年度も主なる神の恵みと祝福がありますように。

 

 

2019年7月1日(月)

 

先日6月18日に最大震度6強の地震が東北及び北陸を始めとする東日本各地を襲い、またここ数日、九州で豪雨被害が発生、これからも各地に台風等が懸念されます。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

ここ数ヶ月間に様々な出来事がありましたが、それについて自分が思ったこと等を含めて以下に記させていただきます。

今年3月に『カケスだより 第75号』(日本基督教団仙台北教会発行の通信誌)に自分がかつて仙台北教会に通い、東北学院大学の神学生であった頃の教会生活等を記したものを載せていただきました。この教会は旧組合教会(会衆主義教会)の系列に属する教会で、そもそも創設者たちは新島襄が仙台に同志社の分校を建てた時に、その教職員であった人たちが信徒であったわけですが、その人たちによって1887年に建てられた教会です。そのこともあり、この教会の歴代牧師は同志社大学神学部出身の牧師です。

4月15日にフランス、パリにある「ノートルダム大聖堂」が大火災に見舞われました。この大聖堂は「フランスの象徴」ともされ、ユネスコ世界遺産ですが、13世紀に建てられた、このゴシック建築が悲しい目に遭った知らせを受け、バチカンのローマ法王(教皇)は、もちろん日本を含む各国の政治家たちが悲しみを露わにしたことは記憶に新しいことです。「プロテスタント」という教派を生み出す元となった運動を起こしたドイツの宗教改革者マルティン・ルターが、現代の時代に生きていたら、その立場は少し違うのかもしれませんが、「これはこれ」で別の問題です。この大聖堂での礼拝等の集会は一体どうなるのかと心配になります。一日も早い復興が望まれます。

5月3日の「憲法記念日」には日本基督教団奥羽教区北西地区社会委員会他共催で「2019年第30回憲法と民主主義を考える『5・3市民集会』」が行われ、『あなたの知らないアオモリ基地最前線』という講演題で斉藤光政氏(東奥日報社編集局論説編集委員)を講師に招いて米軍基地であり、自衛隊基地でもある青森県の三沢基地、その基地に配属されている戦闘機等についてお話をお聞きしました。ちょうど4月に航空自衛隊の最新鋭ステルス戦闘機F35Aが海に墜落した事故があったばかりで、このような危険極まりない基地は必要ないことを思わされました。

またこの時期、5月の連休の10日間、マスメディアは皇室の人たちの趣味等を含めて知らなくても良い情報を多すぎるほど流し、それで溢れかえっていたことを思います。嫌というほどの皇室に関しての情報の洪水があったわけですが、最も重要なことは一体何であったのでしょうか。ちょうど、その頃、「天皇制」や「元号」等についての集会も全国各地で行われ、以前から言われていることの一つに「天皇には基本的人権がないのではないか」ということがありますが、この問題について5月1日には京都で集会が行われる等、戦前から続く問題、制度的なものを含め、様々な問題を含んでいることが指摘されています。

5月上旬には弘前市にあるアメリカのメソジスト伝道本部が設計したとされる東奥義塾外国人教師館を見学し、その後、本多庸一のお墓(弘前市にあるお寺の中の墓地にありました)を見てきました。ちなみに本多庸一の墓は東京にもあります。今度はそちらの方も訪れようと思います。

5月22日には、とある政治家による「部落差別発言」がなされ、これはその政治家の方の認識不足ゆえのものでしょうか。その政治姿勢等を非常に疑問に思います。これについては現場研修や体験を含めた学習が必要であることは言うまでもありません。

6月上旬には「東日本同信伝道会」の研修会が群馬県安中市で行われ、これに出席しました。講師に菅根信彦氏(日本基督教団神戸教会牧師)をお招きして、60名近くもの参加があり、久し振りの顔合わせで有意義な研修会でした。

6月に陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」配備計画を巡り、秋田県での防衛省調査にミスがあったり、地元説明会に出向いた防衛省担当者が居眠りしたりしたことが問題となりました。これについて防衛省から謝罪がなされたりしましたが、そもそも陸上配備型迎撃ミサイルシステムを配備するということそれ自体に対する懸念等の問題が残されています。

6月26日に菅原喜重郎氏(日本基督教団柴宿教会員)が92歳で召天されました。先日、「東北同信伝道会」の小西望氏(日本基督教団仙台北教会牧師)からご葬儀等についての案内メールをいただきました。菅原氏は同志社大学神学部を卒業された方で、ノルウェーに留学後、岩手県東山町長や衆議院議員等を歴任され、「東北同信伝道会」にも熱心に出席しておられました。私も氏の著書『西洋哲学要史 西洋哲学史要・波多野宗教哲学(時間論)素描』(キリスト新聞社)を買い求め、お話をしたこともありましたが、難しい哲学のお話で、こちら側がほとんど聞く側に回ったことを思い出します。ご遺族・ご関係者の方々に主なる神の癒しと慰めをお祈りします。

6月28日に熊本地方裁判所で国のハンセン病隔離政策によってハンセン病患者の家族の方々が犠牲になり、国に責任のあることが認められました。これからも偏見とそれによる差別の問題に取組むことの大切さを思わされています。

現在、私が牧会しています藤崎教会では「イースター(復活日)」、「ペンテコステ(聖霊降臨日)」(「ペンテコステ(聖霊降臨日)」については雑記帳の「2012年5月30日(水)」の項目を参照)を終え、隣接する幼稚園と共に諸行事をこなし忙しい日々を送っています。先日は今年10月頃に出版される岡部一興氏(キリスト教史学会庶務理事)による『長谷川誠三 敬天愛人の信仰と事績』(教文館)のために教会所蔵の写真等を著者に貸出しました。これは藤崎教会創立時のある信徒についての研究書で出版が楽しみです。今年の秋にはこちらで講演会も行われる予定です。また『信徒の友5月号』(日本基督教団出版局発行)で、順番でそのように決まっていることなのですが、日本基督教団奥羽教区の諸教会・伝道所が祈りに覚えられ、藤崎教会にも全国の教会・伝道所から沢山のお葉書、お手紙をいただきました。こちらが知らない教会・伝道所の方々にも祈られていることは、主なる神のお働きでもあり、大変感謝であることを思わされています。

私は今年度、日本基督教団奥羽教区宣教部委員も務めることになりました。教区の諸行事が予定されていますが、主なる神によって決められたものと信じ励みたいと思います。現在、藤崎町ではりんごの「摘果」の作業がなされています。良い実を実らせるために、実の一部を幼いうちに間引く作業です。農作業に当たる方々に主なる神の守りと祝福があるようお祈りします。私も今、牧師館庭のプランタで今年は大豆を育てています。天候不順が気になりますが、8月か9月頃には収穫出来るのではないでしょうか。青森県にも暑い夏がやって来ます。皆様、お体ご自愛下さい。

 

 

2019年9月17日(火)

 

9月上旬に発生した台風15号により被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。早急に被災された地域が復興されることや今後の自然災害に対処できるよう危機管理等、防災について備えることが求められます。

今年7月に「ハンセン病家族訴訟」について政府は控訴の断念を表明し、判決が確定しました。「日本国憲法」でも保障された権利、国民主権が大切であること、以前、私がとある教区にいた時に、かつて「ハンセン病」の方々が入れられていた施設を教会の方々と訪問させていただき、お話をお聞きしたことを思い出しました。人間としての尊厳を取り戻すこと、人権が保障される生活の重要性を思わされます。

8月は、特に「平和」について考える月です。これは、もちろん、他の月は「平和」について考えないということではありません。8月27日に沖縄アメリカ軍普天間飛行場所属の大型ヘリの窓が沖縄の海岸沖に落下する事故が発生し、改めてやはり米軍基地も戦闘機も武器等も危険なものであることを思わされました。聖書が証しする主なる神の「平和」を望みます。

8月から9月にかけては日本と韓国のそれぞれの政府が、これまでにない程、関係を悪化させていることが浮き彫りになりました。一般市民レベルでは友好的な関係があちこちに見られるにもかかわらずです。韓国の政治家の不正疑惑が取り沙汰されていますが、それぞれの国の政治家たちの平和的な話し合いでの解決が望まれます。

8月から9月にかけては日本基督教団奥羽教区北西地区と日本基督教団奥羽教区の両方の研修会があり、これに出席しました。

二つの研修会の両方とも『聖書協会共同訳聖書』(日本聖書協会:以下『聖書協会共同訳』と略す)についての研修会でした。ちなみに『福音と世界(2019年7月号)』(新教出版社)でも「『聖書 聖書協会共同訳』を読む」と題して、『聖書協会共同訳』についての特集を組み、紙面上で『聖書協会共同訳』に対する賛否両論がなされています。

8月下旬に「北西地区教師一泊研修会」が行われ、今回、実際に『聖書協会共同訳』の翻訳に携われた小友聡先生(東京神学大学教授、日本基督教団中村町教会牧師)を講師にお招きし、昨年12月に出版された『聖書協会共同訳』について「新しい翻訳聖書をめぐる諸課題」と題してお話をしていただきました。小友先生には、昨年の「奥羽教区教師宣教セミナー」にもお招きし、講演をお聞きしましたが、今回は地区としての研修会ということで、そもそも何ゆえに今回の翻訳がなされ、『新共同訳』等と何が変わったのか、導入等を含めて今後、どのように使われるのかについてお聞きし、話し合う時が持たれました。今回の翻訳は、原典、つまり、ヘブライ語旧約聖書やギリシア語訳新約聖書に忠実に訳したとされています。お話をお聞きして驚かされたのは『新共同訳』も、確かに原典に忠実であるとされていましたが、意外とそうではない箇所が『新共同訳』にあったりするということや『聖書協会共同訳』には新しい研究による発見があって異なる訳になった箇所があるということでした。聖書学等の新しい研究成果等が反映されていることは、大変、素晴らしいことであると思います。また、今回の翻訳では礼拝朗読に相応しい訳とするという目的があったということです。キリスト者にとって礼拝は欠かせないものでありますから、これは重要です。ただ、これには朗読する人の主観もあるのではないかと思います。もし仮に『聖書協会共同訳』が導入されるとしたら、導入までに時間が必要であったり、人によっては今回の翻訳に慣れるまでに時間が必要なのではないかと思ったりもしますが、どうなるのでしょうか。

また9月には「奥羽教区教師宣教セミナー」が行われ、前回は旧約聖書の翻訳についてのお話でしたので、今回は、特に新約聖書の翻訳について、以前、「奥羽教区教師継続教育講座」でお話をして下さったこともある吉田新先生(東北学院大学文学部准教授)をお招きし、「聖書協会訳共同訳について」と題してお話をお聞きしました。吉田先生も『聖書協会共同訳』の今回の翻訳に携われました。原典を参照しつつ、それまでの日本語訳聖書等と比較しながら、今回の翻訳では同じ箇所でどう訳が異なるのか、またなぜそのように訳が異なるのか、伝統や教義学的視点との関係、パウロの贖罪論と十字架について等、興味深いお話をお聞きし、また話し合いがなされました。

キリスト教会で、キリスト教信仰を与え養う「神の言葉」としての聖書を読むことと、学問的に、特にキリスト教会との関係で神学的に聖書について学んだり、研究したりすることとの違いも、今回、改めて考えさせられました。これは単なる情報の違いでも、それぞれ異なるキリスト教信仰を持つということでもなく、「教会と神学」、「神学と教会」という二つの関係に基づくものであり、キリスト教会は礼拝や伝道や牧会等を行うことを中心とする場であり、総合大学の神学部、単科神学大学や神学校は、キリスト教会の牧師やキリスト教主義学校の教師を始めとする様々なキリスト教的な奉仕の機能、役割のために、それらに関わる事柄について客観的に研究したり、それについて教えたりする学問の場であるという違いがあるからです。

そもそも、この二つの違いは「畑違い」であり、また分担の違いと言えるかもしれません。またキリスト教会やキリスト主義学校、総合大学の神学部、神学大学や神学校等を始めとする場以外で、特に生活の場等で、聖書を読む場があるかもしれません。どの場で読まれても、それは自由です。しかし、そもそも基本的には教会と神学が中心となるのではないでしょうか。

さらにこのセミナーでは地区・教区・教団についてのそれぞれの報告と課題も話され、特に「日本基督教団部落解放センター」報告は、「部落差別問題」について取り組むことは、もちろん、他の差別についても理解を深め、取り組んでいくことを促されているものとして受けとめました。

北西地区や奥羽教区では、これからも様々な行事が行われますが、自分も企画等に参加していますが、9月28日には日本基督教団弘前教会で「脱原発講演会」が行われます。今回は講師に山田清彦氏(核燃料サイクル阻止一万人訴訟原告団事務局長)をお招きし、六ケ所村核燃料再処理工場についての現状を始めとしてお話をお聞きします。

10月14日、15日には「教区社会問題セミナー」が行われ、今回は松谷好明氏(日本基督教団隠退教師、元聖学院大学総合研究科特任教授〈ピューリタニズム研究室長〉)に「象徴天皇制の根本問題」等について講演をしていただく予定です。

また北西地区では地区社会委員会主催で11月14日、15日に行われる「大嘗祭」に焦点を合わせた講演会を予定しています。「教区社会問題セミナー」と同じ松谷氏により、特に「象徴天皇制と思想・信教の自由」についての講演をしていただきます。

今年、元号である平成が令和に改元され、また秋の「即位の礼」や「大嘗祭」を控えて、キリスト教信仰を持つ者が天皇制の問題とどのように関わるのか、何が出来るのかを考える、そのような機会として出席したいと思います。

先日は多磨霊園を訪れ、本多庸一、小崎弘道、海老名弾正、植村正久、湯浅治郎、山室軍平、金森通倫、賀川豊彦、徳富蘇峰等、日本のプロテスタント草創期に、またその後の歴史において活動したプロテスタント・キリスト者の方々のお墓を見てきました。かつての日本のプロテスタント・キリスト教の良きものは、今も継承されています。この方々の活動はこの世に対しても大きな影響を与えました。もちろん、何もかもが全て素晴らしいものとして絶賛され、今も続けられているわけではありませんし、先祖崇拝や個人崇拝のようなものではありませんが、信仰の先達に思いを馳せてきました。

藤崎教会では7月29日に教会にあるパイプオルガンのメンテナンスを業者にしてもらい、8月26日から28日にかけては奥羽教区と東京教区北支区の諸教会との交流が行われた際に、これまでに奥羽教区の他の地区への訪問等が行われましたが、今回は北西地区への訪問が行われ、藤崎教会にも東京教区北支区の諸教会の7名の方が訪問されました。これからも単なる会堂見学や教会紹介に終わることのない、その教会の置かれた状況や宣教を理解していただく機会となることを望みます。

今後、藤崎教会では、秋の教会行事として10月の「世界宣教の日」「世界聖餐日」等の礼拝を予定しています。

ところで、昨日、私は「キリスト教神学のページ(T)」の「人間と罪責(特にキリスト教の観点から)」を一部改訂しました。この文章を最初に記したのは、今から十九年ほど前のことでした。その時に記した文章は今から読むと随分と稚拙な文体、表現力であったことを思わされますが、本質的なことは変わっていません。それは「キリスト教とは何か」ということが、二千年以上もの間、歴史上の出来事、様々な意味での新発見や解釈、それに基づく評価の違いが多少はあったとしても、本質的な事は変わらないのと同じです。

牧師館庭のプランタでは、今年は、日本各地で真夏日が多く続き、青森県でも例年以上に30度以上の気温の晴れの夏日が多く続いたため、種から普通に育てていた野菜が枯れてしまいました。一時、断念しましたが、もう一度、種から新しく植え直し、現時点ではかなり育っています。

今年は7月31日が青森県の梅雨明けでしたが、多くの人のお話によれば、青森県の年平均気温は昔に比べ上がってきているようです。そのこともあり、今後、夏に鳴くセミの鳴き声も変わっていくのではないでしょうか。そもそも、日本各地で生息しているセミは地域ごとに種類が異なります。青森県に生息しているセミと関西や関東に生息しているセミとでは種類が異なるのです。今後、日本各地で気温が高くなると、セミの生息地も北上すると思われ、そうなるとセミの鳴き声も変わってくるかもしれません。これらは地球温暖化が原因です。

キリスト教信仰では旧約聖書創世記が語る天地創造の物語の中で主なる神は自らが造られた世界や人間を含む全ての生き物を良しとされ、祝福されたものとして信じられています(もちろん、人間もそれ以外の生き物も全ての生き物が同じ種類とされるということではありません)。それゆえに、人間が主なる神の造られた自然世界を保ち、これを守ることが必要であると考えられています。またキリスト教倫理の観点からは、イエス・キリストによって救われ、キリスト教信仰を持って生きる者は、「環境破壊」が主なる神に対して抗うという人間のから引き起こされたことであると信じられるゆえに、自然の回復を考えたり、実践したりすること等が促されてもいます。気温上昇が農作物に与える影響を懸念します。

9月上旬に藤崎町名産のリンゴをいただきました。今年の初物リンゴでした。大変美味しかったです。

今後も主なる神の守りがあるようお祈りします。皆様、お体ご自愛下さい。

 

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