雑記帳(]X)

 

川上純平         2020・6・9〜

 

 

2020年6月9日(火)

 

終息に向かいつつも、未だに世界中で「新型コロナウイルス」が感染者を出し、そのために多くの方々が苦しみの中にあることを覚え、主なる神の癒しと守りがありますようお祈りします。また医療関係者を始めとして、これに取り組む方々にも主なる神の守りがありますようお祈りします。

3月13日に国会で制定された「新型インフルエンザ等対策特別措置法」改正に先だって、「『信教の自由』を侵害する新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する宗教者緊急声明」(リンク先:「宗教者九条の和」のサイトページ)が日本キリスト教協議会(NCC)から送られてきました。これは「NCC東アジアの和解と平和委員会」と「平和を実現する宗教者ネット」が中心となって作成したもので、今回の特措法改正のように確かにコロナウイルスに対する政策が必要なのですが、しかし、「緊急」という言葉で、日本政府の態度が人権侵害や学校生活を含む日常生活・社会の混乱をもたらし、さらに憲法9条改正の恐れや信教の自由の侵害につながっていくのではないかとの危惧を持つ諸宗教者がおられ、その方々がこの声明に賛同されました。そこには日本基督教団を含むキリスト教の方々だけでなく、他の幾つかの諸宗教者も含まれています。立憲主義、民主主義がないがしろにされてはならないでしょう。

他にも先日、明らかとなりました沖縄辺野古護岸工事が完成前に打切りになっていた問題、六ヶ所村核燃再処理工場が審査に合格したとされていますが、懸念事項がある問題、イージス・アショア秋田県候補地の問題があり、そして、一方で人種差別に反対するアメリカでの大規模デモは、今後、アメリカ社会と国際社会にどのような影響を与えるのか考えさせられます。

今年の2月に、私は「キリスト教神学のウェブサイトの「キリスト教信仰と精神分析」を更新しました。これを最初に記したのは2006年のことでしたが、これは宗教を「妄想である」とか、「心理学の一部、脳の機能の一部の働きに過ぎないものである」とした見解や誤解に対して、「それは違うのではないか」とする一人のキリスト者の証しとして記したものを、さらに改訂したものです。

さらに、また先日、同サイトの「キリスト教とキリスト教神学」を更新しました。キリスト者(クリスチャン)がキリスト教信仰を深めるためには勉強も必要かもしれませんが、それは、いわゆる総合大学の神学部や神学大学や神学校等で教えられ、研究されている「キリスト教神学」ではなく、キリスト教会で説かれている、いわゆる、礼拝の守り方、聖書の読み方、聖書研究会で話される内容等、教会生活や信仰生活のための知識や技術的なものに過ぎません。一方、牧師等を含めてキリスト教会の「教師」と呼ばれる務めに就くためであるとか、キリスト教会が正しく機能しているかを問うたり、自己検証したりするための、あるいは、学問としての神学研究のための「キリスト教神学」があります。キリスト教では教会を造り出したのは「聖霊」(主なる神の力で、キリスト教信仰の土台とされている)であるとされていますが、これらは全て「聖霊」の働きだけで出来るものではありません。「キリスト教神学」について学んだり、考えたりするには「理性」が必要です。「理性」とは何かについて、またこの言葉の意味については、このサイトよりも辞典や哲学関係等の他のサイトを読んで学ぶ方が良いかと思います。もちろん、このサイトにおけるキリスト教信仰もキリスト教神学も、いわゆる「グノーシス主義」ではありません。

コロナウイルスについて、前回、少し記させていただきました。国や地域によっては第2波が早くも到来しているとされています。コロナウイルスは私たちが考えていた以上に、様々な悲惨な影響を与えています。徐々に元に戻りつつありますが、元の生活にもう完全な形では戻ることが出来ないとする意見もあります。

自然環境や生物とコロナウイルスと人との関係、それに関する諸問題については、インターネット上でも幾つか文献や資料を読むことが出来るようになってきました。しかし、あり得ない事ですが、もし、人が自然を含めて全ての事に関して便利さと欲望だけを追求し、さらに自らの忍耐力を無くしてしまったら、どのような社会が出来上がるのでしょうか。キリスト教では人間が根本的に深い存在であるとされていますが、その内実は、規則や法律に照らして、と言うよりも、主なる神との関係で、宗教的な意味で罪深いということです。それは人間が限界のある存在であるとか、主なる神に背を向ける存在であるとか、主なる神をも隣人をもキリスト教的な意味で愛さないというような意味ですが、今後、人がどのように生きていくかを考える時、ウイルスや病気等、人間の脅威となるものと対決したり、克服したりする事が必要ですが、それに対して根本的に取組むとはどういうことなのか考える事も必要です。当たり前のことかもしれませんが、人が自然から物を獲得したり、自然を利用したりする際は、自然や環境の構造やサイクルについて、人がそれを扱う時に、自然と人間にどのような影響を与えるか、科学及びそれ以外の学問の視点で考えなければならないと同時に、それらを土台として新しくされたものが必要となります。それは経験や学習、物事の区別(例:危険か、危険でないか)、取決めや法律の作成等ですが、それらを提示し、伝え、人々を啓蒙する事等も必要とされます。今後、その分野の優れた方々の活躍が期待されます。

5月の末、私が所属する日本基督教団の公式サイトに新型コロナウイルス感染拡大に伴う『緊急事態宣言』の解除にあたって(第四信)」が載せられました。これを読むと、特に会堂での礼拝が出来る状態に戻りつつあることが分かります。本質的に礼拝は場所よりも自らが本当に主なる神と向かい合って礼拝しているか(お祈りを行うだけでも礼拝です)という事が重要ですが、しかし、未だに会堂で礼拝を守ることの出来ない教会・伝道所があることを覚え、お祈りします。ちなみに同サイトには「『外国人ヘイト』による人権侵害に抗議する声明」も載せられました。これは「日本基督教団」という名称が使われたからではなく、キリスト教信仰に基づく声明です。外国人の方々が人間であるゆえにコロナウイルスで被害を受けているにもかかわらず、なぜ、そのような人々に対して人権侵害を行なうのかという疑問が生まれます。

コロナウイルスの影響で日本基督教団奥羽教区及び教区内にある北西地区(青森県津軽地域の教会・伝道所・関係学校・関係施設・関係団体等の集まり)の諸集会が延期・中止になっています。北西地区に属する藤崎教会では毎週、日曜日の礼拝や月一回の教会学校、毎週、木曜日の祈祷会(お祈りする会)等は続けて行っています。4月には「イースター(復活日)礼拝」(「イースター(復活日)」については雑記帳の「2012年4月30日(月)」の項目を参照)、5月には「聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝」(一般的なキリスト教理解での「聖霊降臨日(ペンテコステ)」については雑記帳の2012年5月30日(水)の項目を参照)を会堂で行なうことが出来ました。しかし、藤崎教会で予定していた諸行事の中には中止になったものもあります。教会に隣接する藤崎幼稚園も今年度の歩みが始まりました。毎朝、子供たちの楽しそうな声が幼稚園から聞こえてきます。同時に、やはり行事で中止になったものもあります。ちなみに、この度、学校法人藤崎キリスト教学園藤崎幼稚園の公式ホームページが出来ました。

また今回、北西地区ではインターネットで地区内の諸教会・伝道所の礼拝説教を一回だけですが、配信することになりました。それぞれの教会・伝道所が「コロナウイルス感染防止策」のために礼拝や集会等を行い難くなっていることと、そのこともあって地域の人々にそれぞれの教会・伝道所をアピールするためのものです。下にその総合サイトをリンクしておきます。(https://www.youtube.com/channel/UCDU7P6uAgFRCrZk_I8iu1aw/videos?view=0&sort=dd&shelf_id=0

6月9日に藤崎教会でも撮影が行われました。私が礼拝説教を担当させていただき、北西地区書記の伊丹秀子牧師(日本基督教団黒石教会)がそれをスマホで撮影して下さって、YouTubeに載せて下さったのですが、会堂には教会役員の方も来て下さいました。この場を借りて感謝します。今日、さっそくその動画が二つYoutubeに載せられました。ここにリンクしておきます。(説教1説教2)。

さらに国の内外のキリスト教会・伝道所で、「コロナウイルス」による様々な苦しみ、困難の中で、工夫しながら、取組みがなされていることを覚えます。他の諸宗教でもそのようです。

 5月上旬に牧師館前の庭に可愛らしい「たんぽぽ」が咲きました。その後、同じ場所に今度は「シロツメクサ」の花が咲き始めました。これは「シロクローバー」とも言い、たいていは三つの葉を付けます。「クローバー」の葉には他にも様々な意味合いがありますが、かつて、キリスト教会はこれを用いて「三位一体」を説明しました。また四つの葉が付いたものは、キリスト教の象徴である「十字架」を表すとされたそうです。

ちなみに、先日6月7日(日)に行われた主日礼拝はキリスト教会の暦で「三位一体主日礼拝」と言います。この礼拝は日本基督教団の諸教会・伝道所だけでなく、世界中の教会・伝道所で祝われている礼拝です。この日は旧約聖書の中で主なる神がイスラエルの人々に自らのお働き、救いのお働きを示された出来事を始められ、それが新約聖書に記された「ペンテコステ(聖霊降臨日)」の出来事で完成し終えられたということが関係しています。ですから、「三位一体主日礼拝」は、主なる神のお働き、つまり、救いのお働きの完成をお祝いする主日であるのです。

それで、この「三位一体」は、英語で“Trinity(トリニティ)”と言います。最近では「マトリックス(生み出すもの)」というタイトルの映画がありました。それは、人の頭の脳の中に構築された世界を扱った、随分と話題となった映画でしたが、この映画で、この言葉が使われたりしました。この「三位一体」は三つで一つであるということですが、これが、しばしば誤解されて、三つのものを一つにまとめて、一つのセットにして、力強いものとなった、という意味で使われることがありますが、そもそも、この「三位一体」という言葉に、そのような意味はありません。

この「三位一体」という言葉は、「キリスト教」の教え、キリスト教信仰の言葉で、聖書が語る主なる神のあり方を表したものです。もちろん、聖書それ自体に、はっきりと「三位一体」について説明した箇所等は記されていません。キリスト教会が聖書全体を読んで成立させた信仰告白や信条の文言の一つです。一人の神が三つの在り方で表されているということですが、キリスト教の礼拝で最初と最後に歌う「讃詠」や「頌栄」の歌詞の中にも、この「三位一体」を表す言葉が記されています。主なる神がそのお働きを完成されたこと、主なる神が「父・子・聖霊」の三つで一つの存在であることを覚え、お祝いするのが、この「三位一体主日」であるわけです。

ところで、礼拝等で讃美歌を歌っていますが、日本基督教団出版局発行の「讃美歌21」の577番はシリアの讃美歌がメロディーに使われているそうですが、原曲が具体的にどのような曲なのか定かではありません。これについてどなたかご存じの方はおられるでしょうか。 

気象庁によると、青森県津軽地域の今年の1、2月の気候は暖冬で、異常気象でした。今年の夏も暑くなると言われています。農作物が無事、収穫出来るようになる事をお祈りします。皆様、熱中症になったり、冷房によって体の調子を崩されたりすることのないようご自愛下さい。ご健康が守られますようお祈りします。

 

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