雑記帳(]Z)

 

川上純平         2022・9・29〜

 

 

2022年9月29日(木)〈10月7日(金)に一部付加訂正〉

 

ここ数ヶ月はロシアによる「ウクライナ侵略」が未だに終わらない事(ロシア人一般市民が徴兵!)やコロナが再び勢いを付けたこと、またさらには安倍元首相射殺事件とそれに関わる旧統一協会と政治家の繋がりの問題及び国葬問題(憲法違反等)、大型台風による日本各地での被害等、心の中は教会での務めと合わせて息をつく暇もない忙しさの中にあり、また日本と世界の多くの人々の悲しみと戸惑い、不安を自らの事のように思いつつ、日々の牧会伝道生活に励んでいます。主なる神に感謝を持って従って歩むキリスト教信仰に生きています。コロナ、そして、間接的な形でのウクライナ問題に苦しむ方々、台風被害に遭われた方々にお見舞い申し上げ、またお悔やみ申し上げます。

今年5月15日は沖縄が本土に復帰して五十年の記念すべき日であると同時に、この五十年間以前からの様々な意味での沖縄県の米軍基地問題を始めとする戦後処理の問題やさらにそれに伴う沖縄県の人々の生活上の問題、環境破壊問題等を考えさせられる五十年間であることを思わされる日でもありました。沖縄は単なる観光・リゾート地、トロピカル・フルーツや砂糖生産だけでない他の産業があることや、戦後の米軍基地と沖縄の人々の生活、そもそも沖縄県の歴史それ自体に対して沖縄県民以外の人々はどのように理解しておられるかも重要であるわけです。この点での理解が重要です。私も今までに二回ほど沖縄に赴きましたが、やはり南部戦跡やそれ以外の第二次世界大戦の戦跡、また極めて危険な米軍基地が酷いやり方で建設されようとしている辺野古、美ら海水族館、オキナワ・フルーツランド等を見学させて頂いたに過ぎません。他には書籍で得た知識や研修会でお話をお聞きしたりした程度ですが、特に沖縄戦がいかに酷いものであったのかを覚えます。絶滅寸前の「ジュゴン」はもはや直接、沖縄で見ることは出来ず、三重県の鳥羽にある水族館で見たに過ぎません。辺野古米軍基地建設で沖縄の多様な生物層は将来、一体どうなってしまうのでしょうか。南西諸島等の基地建設問題もあります。沖縄は日本基督教団との関係で言うなら、未だに日本基督教団と沖縄教区との関係が様々な意味で課題となっていて、重要であることをつくづく思わされます。

6月25日に同志社大学神学部名誉教授の深田未来生先生が89歳で召天されました(キリスト教ではお亡くなりになることを「召天」と言う)。ご遺族・ご関係者の方々に主なる神の癒しと慰めをお祈りします。深田先生はアメリカ・カリフォルニアでお生まれになり、日本とアメリカでお過ごしになり、ボストン大学神学部、クレアモント神学大学院に学ばれた後に、1960年にメソジスト教会宣教師として来日され、同志社大学神学部で神学教育に携わると同時に、1971年からは日本基督教団上賀茂伝道所で開拓伝道も始められました。西陣労働センター(現在の京都市民福祉センター)館長を勤められ、2004年に退官されました。私も学生時代、授業、ゼミや修士論文副査指導等でお世話になった先生です。私も牧師志望の他の神学生同様、深田先生の「説教学」(実践神学)のゼミで神学生でありながらも礼拝説教を作り、他の神学生の前で説教をさせていただき、指導を受けたことを覚えています。

ところで、旧約聖書に記された「神」、又はキリスト教における「神」は、しばしば一般的に「恐怖」、「恐れるべき存在」と思われていることがありますが、しかし、「畏敬の念を持つ」という漢字を記す時に使われる「畏れる」という言葉があります。これは、昔の日本語で「かしこまる」と記す漢字を使います。ですから、この二つの「おそれる」という言葉は違う意味の言葉なのです。おそらく、これらの事について、世の中では、二つは同じものであるという誤解があるのではないでしょうか。日本の場合、自然と神々が一つになっている「多神教」世界ですから、これは当然かもしれません。しかし、キリスト教のような「一神教」が指し示す世界とは明らかに異なる理解です。それゆえに「神」という言葉を使っても、それらはまるで別のものを表すのです。それで「畏れる」という言葉、これは「かしこまる」と読むわけですが、これは、特に旧約聖書に記された主なる神を畏れるということです。これはキリスト者が礼拝をする時の態度、主なる神を信じる者の態度と関係しています。もし古代イスラエルの人々が自分たちにとってただ恐いものを怖れていて、それを神と呼んでいたとするなら、果たして一神教は存在したでしょうか。

また最近、『キリスト教史(全4巻)』(ウィリストン・ウォーカー著、ヨルダン社)を購入しました。学生時代に初めてこの書籍と出会い、図書館で借りてレポート作成等のために読んだこともある書籍です。これは海外でもキリスト教史の標準的な教科書として一定の評価を得ています。キリスト教通史関係の書籍は幾つか出版されていて、著者の歴史観や思想等によって多少の違いがありますが、このような歴史書には客観的な視点とキリスト教信仰に対する理解が求められることは言うまでもありません。

プロテスタント教会の牧師観とは何かについては幾つかの理解があり、「牧師」は司祭や神父のような「聖職者」ではなく、「教職者」、「教師」とされています。牧師は礼拝を司り、伝道(宣教)を行い、信徒を始めとする人々に配慮する牧会を行い、説教や教育等によって人々を導く者ですが、基本的な立場は救い主である主イエスにおいて現わされ、今も聖霊という形で信仰を持つ者と共に存在する、主なる神に仕える存在です。「牧師」という概念それ自体が宗教改革時代以後に確立したわけですが、聖書を土台として確立した存在でもあります(旧約聖書詩編23編、新約聖書マタイによる福音書18章12−14節、ヨハネによる福音書21章15節、使徒言行録20章28節、コリントの信徒への手紙T14章4節等)。同時に牧師には古くから「清貧」、「質素な生活」、「簡素で飾らない服装」のイメージがありますが、これは現代では変化してきていると言えるのではないでしょうか。牧師という務めは主なる神からその人に与えられた務めであり、聖書と信仰を重視し、「教会と国家」の関係もあり、教会に対してだけでなく、この世に対しても発言する務めを与えられてもいます。

6月17日に11年前の「東日本大震災」による東京電力福島第一原子力発電所事故で各地に避難した人々が国と東京電力に損害賠償を求めた集団訴訟で、最高裁判所は国の責任としない判決を言い渡しました。あの大震災以後の現実における様々な問題はまだまだ終わっていないことが明らかになっていますが、これはその氷山の一角に過ぎません。主なる神による慰めと希望を祈ります。

私が今、牧会している太田八幡教会では長く休会していた「聖書の学びと祈りの集い」、「子どもと大人の合同礼拝」、「教会学校」を再開し、教会公式ホームページも立ち上げました。また「日本基督教団関東教区定期総会」、「日本基督教団総会(9月27日〜29日)」も無事終わり、今、秋と冬の教会諸行事準備の時を過ごしています。

環境破壊による地球温暖化が進み、日本でのサンゴ礁の北限が上昇するのを始めとして、それまでより南の地域でしか見られなかった生き物の北限地帯が北上しています。また台風がさらに巨大に強力になっています。そもそも主なる神による創造は祝福の中にあったこと、人の罪とそこからの救い、またその信仰理解から考えられることを吟味していきたいと思います。皆様に主なる神の守りと祝福を祈り、またコロナウイルス感染とウクライナ侵略両方の完全終息、旧統一協会と政治家の繋がりの問題解決を祈ります。

 

 

2023年1月25日(水)

 

「クリスマス」を無事終え、新しい年を迎えました。今朝は、私が今、住んでいる所では今季一番の寒さの到来かと思いましたら、明日の朝はさらに厳しい寒さの朝を迎えるそうです。私が住んでいる建物は特に被害は出ませんでしたが、昨日24日夕方の強い風で建物が少し揺れたような感触がありました。それほど強い風でしたが、既に全国各地で寒さや雪、暴風等のために様々な被害が出ています。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。二年以上前、青森県にいた頃、日によっては一日に三度、雪かきをしたことを思い出します。群馬県のこの地域では雪がほとんど降りませんし、降っても少量です。これ以上、各地で被害が出ないことを祈るばかりです。

 先日、「キリスト教史年表(Y)」のページを更新し、「2022」分を追加しました。コロナ禍による苦しみが終息を見せない中で、軍事侵攻や暴力的な襲撃事件が発生する、その背景は政治・経済にある2022年は象徴的な年でありました。その一方で、日本の文化的な側面が様々な形で世界に受け入れられ、スポーツ界も飛躍の年であったとも言えます。キリスト教会については過去とどのように向かい合い、またどのように将来を見据えていくのか、そのために今何を行うのかを考えさせ、行っていく年であったとも言えます。

 ところで、今年2023年は様々な意味で記念すべき年でもあります。フランシスコ会修道会が認可されて800年、ツヴィングリがチューリッヒの宗教改革を行ない、再洗礼派が誕生し、フランスでも宗教改革運動が起こり500年、哲学者であり、神学者であるブレーゼ・パスカルが生まれて400年、ボストン・ティーパーティー(茶会)事件が起こり250年、新島生誕180年、ペリーが日本の浦賀に来航して170年、アメリカで奴隷解放宣言が宣言され160年、ドイツで文化闘争(ビスマルク対カトリック教会)起こり、パリに宗教学校(パリ大学新教神学部:ソルボンヌ神学校の前身)が創立され、アメリカで禁酒運動が行われ、日本でキリシタン禁令の高札が撤去され、メソジスト派の宣教師ロバート・サムエル・マクレーが来日し、植村正久がバラより洗礼を受け、日本最初の長老派教会である東京基督公会創立(後の日本基督教団新栄教会)が創立され150年、「アメリカ婦人バプテスト外国伝道協会によって日ノ本女学校(日ノ本学園の前身)が創立され、ドボルザークが黒人霊歌風の旋律を使用した『交響曲第5番〈新世界から〉』を発表し130年、ドイツの新約聖書学エルンスト・フックスが生まれ、ブルームハルト没、アメリカで「社会的福音」が提唱され、聖学院神学校(「聖学院」の前身)が創立され、「日本YMCA同盟」(日本キリスト教青年会同盟)が成立し120年、エルンスト・トレルチ没、『時の間』誌発刊され、マルティン・ブーバー『我と汝』が執筆され、「インド・ビルマ・セイロン・キリスト教協議会」が組織され、「日本基督教連盟」が成立し、『基督教研究』が同志社大学より発刊され、ネパールが独立し、関東大震災が起こり、朝鮮人が虐殺され100年、ジャン・ポール・サルトルが『存在と無』を出版し、日本救世軍に解散命令がなされ、日本できよめ教会(ホーリネス系教会の一派)が解散し、日本でセブンスデー・アドヴェンティスト、聖公会、カトリック教会に迫害がなされ、日本基督教神学専門学校(後の東京神学大学)が創立され、波多野精一が『時と永遠』発刊し、第2回日本基督教団総会で「皇軍将兵に対する感謝決議」「愛国機献納」を可決し80年、エルンスト・ケーゼマンが論文『史的イエスの問題』を執筆し、日本基督教会が「日本基督教会信仰の告白」を制定し、国際基督教大学が創立され、日本でテレビ放送が開始され70年、ティリッヒが『永遠の今』を出版し、キング牧師がワシントン大行進を組織し、「私には夢がある」演説を行ない、ケネディ大統領が暗殺され、「全アフリカ教会協議会」が設立され、反アパルトヘイト団体「キリスト教研究所」が設立され、「フィリピン・キリスト教協議会」が発足し、日本基督教団が台湾長老教会と相互の伝道協力と推進のために協約を結び、日本基督教団が国民の祝日に関する一部改正法案に反対し、「狭山事件」で、部落差別による冤罪により石川一雄さんが逮捕され60年、ベトナム和平協定が成立し、第4次中東戦争起こり、「東アジア・キリスト教協議会」がバンコクで開かれ、「韓国キリスト者宣言(73年神学宣言)」がなされ、「第1回日韓教会協議会」がソウルで開催され、アジア学院(東南アジア農村指導者養成所)が創立され、熊本地裁が水俣病訴訟で患者側全面勝訴の判決を行ない50年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がガリレオの地動説を有罪としたことを誤りと認め、フェミニスト神学者エリザベス・シュスラー・フィオレンツァが『彼女を記念して −フェミニスト神学によるキリスト教起源の再構築』を執筆し、エキュメニカルな合意文書である『リマ文書』が提出され、「日本放送伝道協議会」が発足して40年、アメリカで「ブランチ・デビディアン」事件が起こり、アメリカで世界貿易センタービル爆破テロが起こり、「原子力行政を問い直す宗教者の会」が宗派を超えた100名の人々によって発足し、日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同問題に関する協議会が行われ、日本基督教団と「スイス・プロテスタント教会連盟」との宣教協議会が行われ、日本基督教団に「新部落解放センター」が設置され、日本で「公害対策基本法」が廃止され、「環境基本法」が公布され30年、イラク戦争が起こり、ヒトゲノム(人間の遺伝情報の総体、約30億の塩基対のDNA)の塩基配列解読が完了し、同志社大学神学部・神学研究科が「一神教学際研究センター」(CISMOR)を設立し、日本で個人情報保護関係5法が公布され、日本で有事関連法が成立し20年、そのような年です。

もちろん、記念すべきと言っても、忘れてはならない悲惨な出来事や繰り返してはならないゆえに、忘れてはならない人間の過ちもそこには含まれています。宗教改革に関連する出来事、哲学や神学の分野で重要な書物が出版されたことや部落差別に関連する出来事の年、マスメディア、伝道、神学教育、沖縄、アジアのキリスト教、エキュメニカル、自然災害、朝鮮人差別、環境破壊等がキーワードとして挙げられます。

 ところで、昨年、『オックスフォード・キリスト教会事典(第四版)』A.Louth (ed.), The Oxford Dictionary of The Christian Church.  

Fourth EditionOxford University Press,2022.を購入しました。1957年に最初の事典が出版され、私も1997年以来、購入して来ましたが、今回の第四版で二巻本になりました。このホームページにもこの事典の第三版等が参考文献として載せられている論文等があります。第四版では二巻本になった分ページ数も増え、詳しくなって良いわけですが、その分、重量も増します。日本語で出版されているキリスト教関係・聖書関係の事典も含めてこのような事典類がパソコン等で読める電子事典になれば、有難いとも思います。

 私が所属する日本基督教団が昨年12月に教団としては初の女性の総幹事として網中彰子氏(日本基督教団横浜明星教会牧師)を選任しました。網中氏は日本キリスト教協議会総幹事等も歴任しておられ、今後の活躍が期待されます。

 既に日本基督教団太田八幡教会でも「クリスマス」の諸行事等を終え、新しい年を迎え、宣教に励んでいます。私は相変わらず、忙しい日々を送っていますが、毎週、日曜日の主日礼拝説教や「聖書の学びと祈りの集い」の準備等を通して聖書を如何に読み、解釈し、如何に語るかを考えさせられています。註解書や辞典等を通して読む度に聖書の新しい学びの時となっていることを思わされます。また私は2月に「群馬地区教師会」で発題を担当させていただきます。今から何を発題しようかと考えています。3月3日(金)に行われる「世界祈祷日」はこの地域は太田八幡教会で行われますが、礼拝説教を担当します。それぞれ感謝して奉仕させていただきます。今年の『信徒の友1月号』(日本基督教団出版局)の「日毎の糧」の欄に太田八幡教会の祈りも載せられました。祈りが大切であることを思わされています。

 明日まで続く今季一番の寒さです。皆様もお体お気を付け下さい。今年一年、主の守りと祝福を祈ります。

 

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