雑記帳(W)                       

 

川上純平         2009・4・23〜

 

 

2009年4月23日(木)

    

世界中の多くのキリスト教会にとっての喜びの日であるイースター(イエスの復活を祝う日)を4月12日に迎えました。イースター、復活の日が来るということをキリスト教会は幾つかの興味深いイメージでとらえてきました。たとえば、果物のザクロ、アネモネの花、勝利の旗を持った神の子羊、フェニックス(不死鳥)等で、また「白」という色で表わしたりしました。鶏の卵やその卵から孵るひよこのイメージもあります。それは新しい誕生、再生を意味します。教会、特に教会学校では子供たちと共に卵をゆでて、その卵に色や飾りをつけたり、その卵を隠して捜すゲームをしたり、礼拝後に人々に配ったりします。

近日には私が今います日本基督教団奥羽教区北西地区(青森県津軽地域)の諸教会・伝道所・教会関係施設の集まる会が日本基督教団弘前教会で行われます。この弘前教会はかつて日本基督教団成立において中核の一つとなったメソジスト教会という教派の総本山的存在でもありました。この弘前教会は津軽伝道を行ない、藤崎教会や五所川原教会等の日本基督教団に属する津軽地方の幾つかの諸教会・伝道所設立に寄与しました。メソジスト教会は18世紀後半にイギリスで生まれ、アメリカで発展したプロテスタントの教派の一つですが、日本におけるメソジスト教会の創始者的存在とされているのが本多庸一です。彼は1872年に日本で最初のプロテスタント教会である日本基督公会(後の日本基督教会横浜海岸教会)で日本に来日していたアメリカの改革派教会の宣教師ブラウンとバラから植村正久、井深梶之助、押川方義らと共に横浜バンドの一人として洗礼を受けました。また日本のプロテスタント教会の礎となった人々には横浜バンド、弘前バンド、熊本バンド、札幌バンドといったように「団」という意味で「バンド」という名称が付けられたグループに属していた人が多いです。本多庸一は伝道に奔走するかたわら、自由民権運動にも参加し、国会開設等、政治運動にも積極的に関わり、後に青山学院院長、日本メソジスト教会初代監督となりました。彼は藤崎教会と同じ1886年に津軽に建てられたキリスト教主義学校である弘前学院の創立者であり、またアメリカ・メソジスト教会の宣教師であったジョン・イング(彼は「りんご」を津軽にもたらした人でもありました)はまだキリスト教主義学校ではなかった東奥義塾に英語教師として招かれ、東奥義塾の教員と生徒がイングから洗礼を受け、それによって1875年に本多庸一を初代牧師として弘前公会(日本基督教団弘前教会の前身)が創立されました。東北最初のプロテスタント教会の誕生です(もっとも本多庸一自身はキリスト者になってから1873年に青森県の藤崎で最初の東北伝道を行なったとされています)。後に東奥義塾は弘前学院と並んで津軽地域でも有数のキリスト教主義学校となりました。

 弘前教会の礼拝堂は青森県重要文化財に指定された洋風ゴシック建築です。今の時期、弘前公園の桜の花が満開ということもあって、弘前の街も多くの人々で賑わいそうです。

 日本基督教団奥羽教区諸教会の若い方々の集まりが5月に行われるため、弘前市近くの山あいにある宿泊施設の見学にも行ってきました。そこからは津軽の地域では山岳信仰の対象ともなっている岩木山がよく見渡せるので写真に撮ってきましたが、山の頂上付近にはまだ雪が積もっていました。その施設の周辺には「つくし」が生えていて、鳥の鳴き声だけが静かに聞こえていました。

先日、私は「人間と信仰(特にキリスト教信仰)について」という拙い文章を『キリスト教神学のページ(T)』に載せました。現象としてのキリスト教信仰を全体的に把握することは不可能かもしれませんが、教会との関連で述べることは神学的には重要であり、可能です。今回、載せた内容が完成した全てのものではありませんが、一応、区切りをつけて書いたものです。内容はどちらかと言えば、教義学的な視点で述べた傾向が強いものになりました。教義学は、たとえば「教会について」述べたものを「教会論」、「キリストについて」述べたものを「キリスト論」というように、それぞれを区分して考え述べる神学の部門の一つです。ですから特に教義学の序論における「信仰について」述べたものに近いです。より本をたくさん読んで研究すべきものであると思いました。

先月には五所川原教会で教会関係の方の結婚式が行われました。キリスト教における結婚式も礼拝に属します。素朴な雰囲気の結婚式でした。私は5月には日本国憲法について考える集会にも参加する予定です。自宅のプランタには葱の種を播きましたが、1週間ほどで芽が出てきました。今年度も主日礼拝説教や聖書研究祈祷会等の奉仕を始めとして忙しくなりそうですが、教団諸教会・教会関係学校施設を覚え感謝しつつ、野菜作りも行っていきたいと思います。

 

 

2009年5月28日(木)

    

 今月はインフルエンザの流行や北朝鮮の核実験等に怯えたり、映画『天使と悪魔』が話題になったりした月でありましたが、「ペンテコステ(聖霊降臨日)」を5月31日に祝う月でもあります。ちなみに“ペンテコステ”という言葉はギリシア語で「50日目」という意味で、もともとはイスラエルの農耕祭であったものが、旧約聖書でモーセが律法を授かったユダヤ教の祭りとなり、その祭りの時に弟子たちに天から聖霊が降ったことをキリスト教会は祝うものとなりました。この日は神の力によって教会が生まれたことを感謝して過ごします。

先日、「カトリックとプロテスタント」という文を「『キリスト教神学』のページ」に載せました。自らの属する教派であるプロテスタント教会と同じ源流を持つローマ・カトリック教会について述べましたが、プロテスタントという教派の多様性が根源において同じものから派生していることを認識することも必要なようです。「プロテスタント」と言えば、今年は宗教改革者ジャン・カルヴァン生誕500年です。日本でもカルヴァンについての多くの催しものがなされ、何冊かの本が出版されています。カルヴァンの影響の強さを物語っています。他にも今年は、プロテスタント日本伝道150年記念の年だそうですが、イギリスの宣教師ベッテルハイムが琉球伝道を始めて163年でもありますから、163年前を日本プロテスタント伝道が最初になされた年として位置づける方々もいます。

また今年はシナイ写本が発見されて150年、ダーウィン『種の起源』発表150年、ケンブリッジ大学創立800周年、ジョン・スミスによるバプテスト教会創立400周年、フランス革命勃発・人権宣言採択220年、アメリカ合衆国憲法制定・初代大統領就任220年、日本聖書協会創立130周年、イギリス人宣教師によるアイヌ伝道130年、哲学者ハイデッガー生誕120年、メソジスト教会によって建てられた関西学院創立120周年、ルーテル神学校創立100周年、四国学院創立50周年、沖縄キリスト教団と日本基督教団との合同40年、ベルリンの壁崩壊20年等でもあります。

 5月3日の憲法記念日には「日本国憲法」について講師の方の講演を聴き、「国民主権」「人権尊重」「平和主義」等日本国憲法の草案は日本人によるものであること、軍事力で平和は作れないことを含めて、それとの関連で「これで良くなるはずだ」という錯覚からその場しのぎ的な対処法が生まれてしまうこと等、この憲法を活かし用いていくべきことを考えさせられました。

 5月5日から6日にかけて、日本基督教団奥羽教区の青年の集まりに参加しました。講師の方のお話は、今の若者たちがイエスに出会うことはどれほど大切で、本人にとって喜びであるか、そして、それが感謝につながるという内容でした。感慨深くお聴きしました。お話の後はゴスペルソングを歌ったり、ゲームをしたり、親交の時も過ごしました。少子化の時代でありますが、イエスによる救いを必要としている方がいることは変わらないようです。

 5月26から27日にかけて、教区総会に出席しました。主に「伝道」について考えさせられた総会ですが、特に日本基督教団の憲法に値する「教憲」と規定である「教規」について、「聖餐」について、「差別問題」への取り組みについて、教区同士の助け合いについての意見等をお聴きしました。何人かの方に久しぶりにお会いしました。また思いを新たにさせられもしました。感謝の時でした。 

五所川原教会の教会学校では、最近、プランタで野菜を育てています。神が人も植物も育てて下さることを感謝し、お祈りして植えました。もしキャンプまでに野菜が収穫できれば、皆でキャンプの食事に用いたいと思っています(?)。自分もプチトマトを種から育てていますが、芽が出るのに時間を要しました。これから暑くなりますから、日差しをつけてあげようかと思っています。6月には同志社神学部を卒業した牧師及び会衆派教会(組合教会)に連なる牧師たちの東日本の研修会に出席します。

 

 

2009年6月28日(日)

    

 先日、「東日本同信伝道会」という同志社神学部を卒業した牧師及び会衆派教会(組合教会)に連なる牧師たちの東日本の研修会に出席しました。今回は、講師として日本聖書神学校で教鞭をとっておられる礼拝学研究者の今橋朗先生からお話をお聴きしました。以前、群馬県にいた時にも集会でお話をお聴きしたことがありますが、今回は「なぜ礼拝について考えるのか、礼拝において何が重要なのか」ということを中心にお聴きし、特に私は“ミュステリオンμυστήριον(奥義、神秘)”という言葉が重要であると思いました。それは、「恐れ」というものが付随する「超越的なものに対する感性と命を受け取ること」です。「聖餐」については、未受洗陪餐の問題よりもむしろ、「聖餐」というものそのものが様々な課題を抱えたものであるということもお聴きしました。他にもご出席なさっておられた何人かの牧師からも質疑や発題がなされ、礼拝が共同体の形をとっているか、神の方から人間に対して表わされたものとなっているか等、考えさせられるものがありました。

 ところで、私が住んでいる五所川原では、太宰治生誕100年の催しがなされています。太宰治は聖書も読み、キリスト教から影響を受けたにもかかわらず、救われず入水自殺した作家です。しかし、その作品は今でも多くの人々に読み継がれています。私もこの機会に作品に触れてみようかと思います。

 6月28日の今日、沖縄は梅雨明けしたそうですが、こちらは気温が20度以下に肌寒い日が続いたり、30度にもなる暑い日があったり、変化に富んでいます。教会学校で植えた野菜たちは実をつけ始め、毎日の水やりがかかせません。皆さんも体調を崩さないように暑い夏を乗り切りましょう。

 

 

2009年7月30日(木)

    

 先日、『キリスト教神学のページ(T)』に日本基督教団藤崎教会で行なった礼拝説教を載せました。聖書箇所はマタイによる福音書です。私の場合は日本基督教団の聖書日課に従って礼拝説教の聖書箇所を決定しています。この聖書日課は日本基督教団内の多くの教会で用いられていて、日本基督教団の教会暦に従ったものになっています。

 7月24、25日に日本基督教団五所川原教会の教会学校では、山沿いにある宿泊施設を借りて夏のキャンプを一泊二日で行なってきました。今回は「平和について」をテーマとして、第2次世界大戦中の広島・長崎の原爆や沖縄戦、核兵器の恐ろしさや今でも沖縄辺野古では米軍基地建設反対の座り込みがなされていること等を二日間かけて子供たちに教え学びました。今回からキャンプのプログラム作成や食事作りにも子供たちが加わることになり、真剣な表情でお手伝いしてくれました。

 ところで、昨日メールで「オバマ大統領の核廃絶に対して日本の政治家が反対している」との連絡があり、動画投稿サイトである“youtube”でそのことについてのメッセージが述べられているということでしたので、ここにリンクを貼っておきます。第2次世界大戦中の広島・長崎の原爆や沖縄戦、核兵器の恐ろしさについては子供たちでも知っているのに情けない話です。

 今年は梅雨がなかなか明けず、連日、大雨の日が続いている地域が今もあります。水害も多く発生しました。これも自然の凶暴さであると思います。ここ五所川原はまだ教会学校で育てた野菜は少しですが、食べ頃になっていたので、いくつかキャンプの時に皆で感謝して収穫していただきました。でも、雨の日が長く続き、一部は実がなってもなかなか大きく育たなかったり、病気になったりで難しいものがあります。家で育てているトマトは実が赤くなるまでに育ちましたが。人間は自然の中にあり、人間以外の自然は人間と異なるものですが、両方とも神によって造られ、保たれているゆえに、守らなければならない。神の子イエス・キリストは、自然のあるこの世に、あらゆる被造物(生き物)に「救い」を与えるためにやって来られたと信じるキリスト教信仰があり、そのように展開される組織神学的理解があります。こういった信仰や理解もキリスト者によって異なるものでしょう。

 五所川原市では、今は準備段階にありますが、8月上旬から「立佞武多(たちねぷた)」という、20メートル以上もある山車が町中を練り歩くお祭りです。その起源には諸説があるようですが、山車はなかなか見応えがあります。

 8月は特に「平和」について考える時です。私は8月には、ここ津軽の地区の牧師たちの一泊の教師会に参加したり、論文のために東京へ調べものに行ったりする予定です。皆さんはこの夏休みをどのようにお過ごしになるのでしょうか。

 

 

2009年8月30日(日)

    

 日本の8月は、選挙運動が過熱化し、インフルエンザが猛威を振いつつある日々でしたが、今月は津軽の地区の諸教会及び伝道所とキリスト教主義学校の先生方の一泊研修会に参加し、同志社大学神学部教授の原誠先生にお話をお聞きしました。原先生は日本プロテスタント・キリスト教史がご専門です。先生の祖父は日本基督教団藤崎教会の出身で、1986年の藤崎教会創立100周年記念事業でもご講演に来られ、今回は、それ以来の久しぶりの津軽だったそうです。教師会の前日にも諸教会の集会でご講演なさいました。教師会で、先生は特に「日本のキリスト教の歴史的特質」と「日本基督教団合同」を中心にキリスト教史の立場からお話下さいました。「教会が歴史の現実の中にどのように立つか」「キリスト教の福音の本来の使命」について考えさせられました。原先生を始め、このためにご尽力下さった方々に感謝したいと思います。

また私は休暇をとって東京まで論文の参考資料集めに行ってきました。なかなか目にすることのできない本等を調べることが出来ました。そのようなこともあれば、悲しいこともあり、今月8日に同志社神学部名誉教授石井裕二先生が78歳で召天されました。先生は組織神学がご専門で他部門の諸科目をも教えておられ、私の論文の主査もして下さいました。先生の下で学ばれた数多くの方々がご活躍されていることを思い、先生の天国での祝福と、地上に残されたご遺族の方々に神からの深い憐れみと慰めが豊かにあることを祈ります。

今日、『キリスト教神学のページ(T)』にレポート「『哲学的神概念の受容 ‐初期キリスト教神学の教義学的問題として』(ヴォルフハルト・パネンベルク)を読んで」を載せました。パネンベルクのその論文自体は「ドイツのあるプロテスタントの組織神学者による教理史についての一つの見解」でもあります。聖書の内容それ自体にも「実存」等の哲学的要素はあるわけですが、ある時代の神学における哲学的要素はどのようなものか述べられたものです。果たして何の思考も価値観も前提としないキリスト教信仰というものがあるのか、またそのキリスト教信仰だけが唯一の絶対的に正しい信仰なのかということも考えさせられました。このレポートを召天された石井裕二先生を覚えて捧げたいと思います。

 私が属する五所川原教会では「永眠者記念礼拝」を執り行いました。これは五所川原教会関係の方々で既に天国に召された方々を覚えての礼拝です。その方々は教会における信仰の先達の方々でもあり、この礼拝は信徒の家族・親戚の方々が集まりやすい夏休みの時期を利用して行なわれました。

今月は水害・不作・地震等に見舞われた月でもありました。特に大雨は農家の野菜に大打撃を与えました。そして、それと共に問題なのは、人間による自然環境の破壊とそれがもたらす人間への影響なのではないかと思います。それは人間によるものであるという意味で戦争と同じなのではないでしょうか。戦争は人が亡くなるということの悲しみや苦しみだけでなく、虚しさや罪意識等をも与えます。

特に私たちが属する日本基督教団はかつて、1967年に第2次世界大戦について戦責告白を行いました。それは戦時中、戦争に対して加害者であり、被害者であったという認識を持ってのことです。天皇を神とし、アジアの人々に多大な傷や痛み、苦しみを負わせるに至りました。そして、現在に至っています。まだ戦後補償は様々な意味で完結してはいません。

 来月、私は同じ地区のキリスト教主義学校の授業でもお話をする機会が与えられ、また教区の集会等に参加する予定になっています。皆さんはどのような夏をお過ごしになったのでしょうか。

 

 

2009年9月26日(土)

    

 先日、『キリスト教神学のページ(T)』に「私と『キリスト教』との出会い(キリスト教主義学校聖書科授業より)」を載せました。これはキリスト教主義の高校での聖書科授業でお話させていただいたものです。言うまでもなく、礼拝説教とキリスト教主義学校の聖書科(宗教科)授業は異なります。キリスト教主義学校の聖書科授業の場合は、特にキリスト者でない生徒や学生を対象に聖書やキリスト教、それらに関わる事柄と精神について理解を深めたり、体験したりするのが目的です。今回はキリスト教を知っているはずのキリスト者でもキリスト教の知らない部分をキリスト教の聖地でもあるイスラエルで体験したという話でした。本で知るのと、実際に訪れるのとは大違いで「ここでイエスが人々に話をしたのか」等、様々な意味で驚きと感動と喜びの連続で、考えさせられることが多いものでした。

ところで、その内容には「イスラエル」という言葉が深く関わっています。「イスラエル」とはかつて聖書の舞台となった地域であり、現在の国の名前であり、旧約聖書に登場するイスラエル民族のことであり、キリスト教会についての概念において用いられる等様々な意味を持つ言葉です。私たち日本人には馴染みがないゆえにあまり知られていない言葉ですが、聖書との関わりで重要なものであることには違いありません。ただ、この「イスラエル」という言葉が、もし仮に現在のイスラエルの人々だけを意味するとか、民族意識であると理解される時に、それは国家主義的なものになり、戦争を正当化するものとして、三大宗教の聖地までもが、政治利用されかねないものがあります。それが、現在の国としてのイスラエルと周辺のパレスチナ地域の諸国との関係に表れています。これらの国々が和解・平和に至るように祈っています。

今月は教区の二つの集会に参加しました。一つは「伝道」について講演を聞き考える集会で、とある教区から夫婦で開拓伝道に励む牧師先生を招いてお話をお聞きし、伝道が神の業であることを学びました。もう一つは「社会問題」についての集会で、特に名古屋高等裁判所におけるイラクへの自衛隊派遣が日本国憲法に反するという訴訟(この訴訟に賛同する署名運動に参加することによって私も含めて多くの方が関わってきたと思います)に中心的に関わり勝訴した池住義憲氏の講演と「六ヶ所村核燃再処理工場問題」「性差別問題」「統一協会問題」等のお話をお聞きしました。特に池住氏の講演での「おかしいと思ったことは訴え、最後まであきらめないこと」「他者の生命を奪うことに加担させられない権利である平和的生存権」という言葉が印象に残りました。

また今月は選挙によって自民党中心の政権が民主党中心に移りました。国民の、特に、弱い立場に立たされている人々の声がどう反映されていくかということがあると思います。

 今年は、農家のリンゴの出来栄えは良さそうで、様々な色彩のリンゴが実ってきています。これからが収穫の時期です。家では今月から「冬菜」を種から植えて育て始めました。果たしてどんな感じになるのでしょうか。秋は教会行事も多く、喜びの多い季節です。季節の移り変わりの時期であり、体調にも注意が必要です。

 

 

2009年11月1日(日)

    

 先日、五所川原で映画『鶴彬(つるあきら) こころの軌跡』(神山征二郎監督作品)の上映会が行なわれました。これは戦時中に反戦的な内容の川柳を発表することで反戦活動を行ない逮捕され病死した石川県出身の「鶴彬」こと「喜多一二(きたかつじ)」の生涯をたどった映画でした。五所川原市で行なわれている「憲法九条」の学習会が主催した上映会で私も少し手伝わせていただきました。他の地域でも上映されたみたいです。この映画を通して少しでも多くの人々が戦争と平和について考えようになることを願ってやみません。

沖縄の米軍基地移転問題はかなり以前から問題であったわけですが、それは日本政府とアメリカ政府の軍隊についての認識の問題でもあります。日米代表者が沖縄の米軍基地のある町、米軍基地建設がなされようとしている町の人々の声を聞きつつ、話し合いをすることが求められています。

10月は同じ地区の伝道所・教会、私が属する五所川原教会で礼拝説教及び聖書研究祈祷会を担当させていただきました。特に10月4日は日本基督教団の暦では「世界聖餐日・世界宣教の日」で、その日、礼拝の中で聖餐式を執行させていただき感謝しています。

明日からは東北地方の同信伝道会(同志社神学部を卒業した東北地方在住の教師及び会衆派教会〈組合教会〉に連なる教会の教師と信徒の集まり)の研修会に行ってきます。同志社神学部から先生を招いてお話を聞き、また久しぶりに出会う方々もおられます。

 私は、今、「日本の会衆派教会(組合教会)」についての論文を書いていますが、11月中には完成させます。その歴史は極めて複雑であることがわかり全ての資料を集めて読んでいたら、際限がないので、そろそろ切上げてウェブサイトに載せようと思っています。これはある意味で私自身の精神的なルーツ探しでもありました。

枯葉が舞い始めました。気温が最低で5度以下になり始めましたが、庭のプランタに初夏に植えたトマトの苗も育った後、枯れ始めていますが、まだトマトが実り赤く色づき始めています。「冬菜」は肥料をやったり、殺虫剤をまいたり一苦労ですが、すくすくと育ち、葉の大きさは15センチほどになっています。またこちらでもインフルエンザが流行っております。これだけの流行は環境破壊が原因であるとも言われています。7日には五所川原教会と付属保育園合同のバザーがあり、29日からはクリスマスへ向けてのアドベント(待降節)に入ります。アドベントは教会にとっての暦の始まりでもあります。

 

 

2009年11月29日(日)

    

 先日、「キリスト教神学のページ(T)」に拙論ではありますが、論文「日本の会衆派教会(組合教会)の歴史 その源流と発展(2)アメリカン・ボードの日本伝道から現代まで」を載せました。厳密に言えば、「日本の会衆派教会」と「組合教会」は言葉の意味としては全く異なるものであるはずなのですが(なぜなら、日本の会衆派教会はそのルーツであるイギリスやアメリカの会衆派教会とは全く異なるものであるから)、歴史上存在した教会としては同じものです。新島襄と組合教会との関係や今までに同志社神学部では会衆主義について教えていたのか、会衆派の言う「自由自治」と同志社神学部のリベラルなものの考え方との違い等、まだまだ深く探求できる部分もあることでしょう。

 11月上旬には仙台で東北地方の同信伝道会に属する教会・関係学校施設の教師・信徒のための研修会があり、それに出席しました。同志社神学部から神学部長の水谷誠先生を招いて特に自分たちが属する教会の教派的源流をたどり、それがプロテスタンティズムにあるという内容のお話で、特にマルティン・ルターがヴォルムス勅令に先だって述べた演説における「良心」という言葉が印象に残りました。

 ところで、今年はかつて私が副牧師をしていた日本基督教団今治教会の創立130周年の年でした。それを記念した冊子を先日いただき感謝しつつ読ませていただきました。また今年はアメリカン・ボード宣教師のグリーン来日140周年、かつて私が伝道師をしていた日本基督教団鳥取教会の伝道開始130周年、組合教会三元老の一人小崎弘道による日本基督教団霊南坂教会創立130周年でもありました。来年の2010年はアメリカン・ボード設立200周年、新島襄召天120年、日本基督教団鳥取教会創立120周年の年です。他にも来年はドイツ・ベルリン大学創立200周年、東京YMCA設立120周年、日韓併合100年、マザーテレサ生誕100周年、賀川豊彦召天50年、日米新安全保障条約発効50年、グスタボ・グティエレス『解放の神学』執筆40周年、ドイツ統一20周年の年です。それぞれ様々な催し等がなされるのではないでしょうか。

今月7日には五所川原教会と付属保育園合同のバザーが行われ、インフルエンザ流行のため参加者が少なかったものの好評であり、特に子供たちが自主的に参加していたのが良かったと思います。まだまだ青森県では他の都道府県同様、インフルエンザが流行っていて、学級閉鎖を行なっている学校さえもあります。12日は弘前のとある教会で「核燃問題学習祈祷会」が行われ、礼拝を行なった後、再処理工場問題に取り組んでいる牧師の講演と写真展があり、国が権力によって六ヶ所村で再処理工場に反対する人々の声を無視して建設に着工しようとする貴重な写真等も見せていただきました。21日には青森にて「九条の会」の事務局長の小森陽一氏(東京大学教授)の講演をお聞きし、「かつて政治家が戦争を推し進めようとした事実を忘れることなく国民が主権者となり声を上げていくことが大切であること」を学びました。

 最近、入手した本で興味深かったのは『日本におけるカール・バルト 敗戦までの受容史の諸断面』(新教出版社 2009年)でしょうか。この書物は戦前から同志社神学部や東京神学大学、関西学院神学部等だけでなく国立大学においてもカール・バルトに関する神学書は読まれていたにもかかわらず、戦時中、日本の神学者たちがナチス・ドイツに抵抗したバルトの神学を歪曲してしまったことについての研究書で、そこにバルト神学自身の難解さや社会の状況があったとしても、日本の教会と神学者の責任もあるということが述べられ、一読の価値があります。

 庭では、先日、雪が降り、少し積もりましたが、溶けてしまいました。この時期に教会では「収穫感謝日」礼拝〈「収穫感謝日」については「雑記帳 2007年11月29日(木)」の項目を参照〉を終え、農業を営む信徒の方々から頂いたりんごを始めとする果物や野菜をあちこちに配ったり、それでケーキを作ったりしていますが、今日から教会の暦の上で「アドベント(待降節)」に入りました。

「アドベント」は、もともとはラテン語で“adventus(アドヴェントゥス)”と言い、11月30日に最も近い日曜日から12月25日まで、あるいは12月25日の4週前の日曜日から12月25日までの期間を言います。その起源は4、5世紀頃のフランスやスペインにあると言われています。この期間はイエス・キリストの降誕を祝う準備をするということだけではなく、救い主であるイエス・キリストが再び来られるという再臨の喜びの時とされるようになりました。かつては復活日(イースター)の際に洗礼式が執り行われることになぞらえてイエス・キリストの顕現日(公現日:1月6日)に行われる洗礼準備のための期間として断食も行なわれていたそうです。

キリスト教会ではクリスマスを神の子イエス・キリストの誕生を祝う時としています。皆さんはどのようなクリスマスをお過ごしになるのでしょうか。

 

 

2009年12月27日(日)

    

 先日、「キリスト教神学のページ(T)」に「カール・バルトについて」を載せました。これは1995年、私が神学生時代にゼミの発表のために作成したものに手を加えたものですが、特に彼の生涯をコンパクトにまとめたものです。12月9日はバルトが天に召された日でありますが、それを記念して載せることにしました。バルト神学の全体像は、最近の研究によってバルト解釈がかなり変わってきたということもあり、未だに捉え難い部分があるように思います。それだけ彼の神学が難解であるのでしょう。最近、バルト神学についての入門書としてエーバーハルト・ブッシュ著『バルト神学入門』(新教出版社)が出版されました。この本はバルト神学についてよくまとめられている本ですが、神学の基礎的な知識がないと読み込ませないので、バルト神学について初めて触れるなら、例えば、エーバーハルト・ブッシュ著『カール・バルトの生涯』(新教出版社)や大島末男著『カール=バルト』(清水書院)、五十嵐喜和編『キリストに捕らえられて 現代に呼びかけるカール・バルトの神学』(教文館)等が良いのではないかと思います。

ところで、最近、私の気になっていることに環境破壊と地球温暖化の問題があります(もし仮に核燃再処理工場が地球温暖化を食い止めるのに役立つものであるとしても、それ以上にその工場には危険な要素が満載であるという事実もあります)。同志社大学神学部教授の小原克博先生は私のこのウェブサイトと相互リンクして下さっていますが、現在、アメリカのカリフォルニア大学に客員研究員として留学なさっています。その小原先生が『福音と世界 2008年1月号』(新教出版社)の中で「キリスト教は環境問題に対して何ができるのか?」という題でお書きになっておられます。その中で先生はアメリカの福音派が環境問題に関心を持ち、取り組み、リベラル派や主流派、つまり、日本で言う日本基督教団に属しているような諸教会、バプテスト、メソジスト、会衆派、長老派等が神学的論議や執筆はするが、あまり行動を起こしていないのではないかという発言をなさっており、日常生活の中で、たとえば、使わない電気のスイッチを切るとか、自動車ではなく自転車を使うというように、一人一人が行なっていくことが大切であると思わされています。こういった問題は教団全体としてはどうなるのでしょうか。神学的創造論が抽象的思弁に終わるなら、それこそ何の意味があるのでしょう。

 「クリスマス」の起源については雑記帳の「2004年12月18日(土)」の項目を参照していただきたいのですが、ここ五所川原教会でもクリスマスは12月20日の日曜日(プロテスタント・キリスト教会では「日曜日」を「主日、聖日」と言う)の礼拝と礼拝後の祝会(食事会)、23日の近所にあるショッピングモール街での「キャロリング(子供たちを含めておよそ25名で讃美歌数曲を合唱)」、24日の夜に行なわれるクリスマス・イヴ(イヴは英語の「イヴニング」の略)の「キャンドル(ライト)・サービス(燭火礼拝:その起源は5世紀のローマ・カトリック教会のミサにあり、闇の中にある光としてのイエス・キリストの誕生が象徴とされる)」が、それぞれ行なわれました。クリスマスは世界中のキリスト教会で守られたことでしょう。世の中では「クリスマス」は、本質的な意味では「クリスマス」、つまり、「キリスト礼拝」ではないのかもしれませんが、一般的行事として行なわれるものにさえなっています。

私の属しているアマチュアの合唱団が、今回も県のコンテストに出場し、モンテヴェルディの曲を合唱して昨年に引き続き「金賞」(全体で16位中4位)をいただきました。半年以上、練習して来ましたが、ちょうど、20日のクリスマス礼拝と同じ時に行なわれたので私は参加できませんでしたが、良き指導者と団員に恵まれた合唱団なのではないかと思います。

ここ津軽では12月中旬に雪が数十センチ積もり、風が強くブリザードのような雪も舞いましたが、今ではまた溶け始め小康状態にあります。野菜は外では育てられないので玄関で育てたりしています。今後も雪はたっぷり降ってくれることでしょう。もっとも昔は今よりたくさん雪が降ったそうですが。

今年は、政権交代やオバマ大統領ノーベル平和賞(アフガニスタン問題)、なかなか回復しない経済的不況、沖縄米軍基地問題、愛媛県の2009年度歴史教科書採択取消訴訟等を覚えながらの一年間でもありました。2009年も残すところあとわずかですが、来年の皆様の歩みが神の祝福の中にありますようお祈りしています。

 

 

2010年1月30日(土)

    

 2010年も早くも1ヶ月が過ぎ去ろうとしています。先日、私は「キリスト教神学のページ」の「カトリックとプロテスタント」の項目の文章内に「東方教会」についての一文をリンクして載せました。「東方教会」については日本ではあまり知られていないのかもしれませんが、特に東方正教会の系譜に関しては、同志社を創立した新島襄が箱館(函館)から日本を脱国する際に出会ったのが東方正教会(ロシア正教会)の司祭ニコライであったり、文学者ドストエフスキーが思想的に影響を受けたり、キリスト教なのに礼拝でお香を焚いたりと興味深い側面があります。特にギリシア、トルコ、ロシア、東欧諸国等の宗教を研究する上では重要な教派で。東方教会のネストリウス派は日本に初めて伝えられたキリスト教でした。その文章にも書いたことですが、東方教会の神学はキリスト教神学における信仰についての体系化があまり行なわれなかったとされ、そのこともあってキリスト教神学の分野においては、現代においてもあまり研究がなされず、どちからかと言えば、中世以前に活躍した「ギリシア教父」と呼ばれた人たちのイメージが強いのではないかと思われます。

 ところで、日本ではあまり馴染みのない話ですが、キリスト教会の暦ではクリスマスは実は12月から1月6日までとなります(!?)。詳しくは雑記帳の「2007年12月26日(水)」をご参照下さい。

他の地域もそうだったのでしょうが、昨年の年末から今年の年始にかけては数年ぶりの大雪となり、一日に朝、夕、二回にわたって雪かきをしました。2月に入ってもまた多く降るようです。雪がたくさん降ると、どうしても部屋にこもりがちとなります。五所川原教会の教会学校の分級では、雪を使って雪すべりのような遊びをしたり、雪の中に物を隠して宝捜しをしたりする予定もあるそうです。

私は、来月は津軽にある日本基督教団所属の諸教会が集まる2月11日の集会(信教の自由を守る日の集会)に出席し、その後、中旬から下旬までは昨年同様、太平洋にありますミクロネシア連邦ポナペ島へキリスト主義学校建築ボランティアに参加します。私がこのボランティアに参加するのは今回で最後となります。ミクロネシアは19世紀にアメリカの超教派宣教団体アメリカン・ボードが宣教を行ない、戦前から日本基督教団の旧教派の一つである組合教会の牧師たちが宣教を行なった所でもあります。年間平均気温27度、湿度80%ですから、炎天下の中での蒸し暑い作業になると思われます。健康に留意したいと思いますが、例年の今頃は乾季でほとんど雨が降らない日が多いはずが、今年は雨の日が多いそうです。それは環境破壊が原因であると言われています。

今月に起こったハイチでの大地震は阪神淡路大震災を思わせるものでした。今も救援・支援活動がなされています。皆さまも何らかの形で支援して下さればと思います。さらに先日は秋葉原殺人事件の裁判初公判が行なわれました。この事件の裁判についてのニュースを通して伝わってくることはこの事件では人間にとっての大切な何かが欠けているのではないかということではないでしょうか。

次から次へと様々な事件や出来事が起こる昨今ですが、祈りつつ強く歩んでいきたいものだと思います。

 

 

2010年2月28日(日)

    

今月の26日(金)に、先月、お知らせしましたミクロネシア連邦ポナペ島でのキリスト主義学校の男子寮建築ボランティア、通称「ポナペワークキャンプ」から帰って来ました。今回も三隊に分かれての参加で2週間ほどのものでしたが、私が参加した第三隊目でした。隊長は春名康範先生(関西セミナーハウス活動センター所長)で、キリスト者の奉仕活動として重要なものとなりました。その間の日曜日にはポナペのキリスト教会の子供たちにお話をしたり、歌を聞かせたりもして交流の時も持つことが出来ました。礼拝でのポナペの方々によるアカペラ(伴奏なし)の讃美歌合唱の美しさには毎回、心震わされます。私個人は今回の参加が最後となりますが、ワークキャンプ自体はこれからも行なわれるそうです。

ところで、ポナペのキリスト教は19世紀にアメリカから伝えられたわけですが、ポナペの人々のそれまでの宗教的価値観には偉い人に従うという習慣があり、それがキリスト教の神にとって変えられた感があるのだそうです。それまでポナペでは精霊(聖霊ではない)信仰が盛んであったようですが、現在では島の人口のほとんどの人がキリスト者となっています。そこでは教会が重要なものとなるわけですが、ポナペの教会は日本の教会とは違い、「コミュニティ・チャーチ(地域共同体に根ざした教会)」です。もちろん、日本においてもキリスト教の教会が地域に根ざす教会を目指しているということがあるわけですが、ポナペの場合は、例えば選挙演説が教会で行なわれることもあるのだそうです。所変われば、様々に違うというわけで、そこに信仰的実存があるかないか、礼拝に集うことは単なる習慣となっているからなのかどうかまではわかりませんが、キリスト教の多様性を思わされました。

また2月11日はキリスト教の教会では「信教の自由を守る日」としています。この日、私は弘前で行なわれた市民集会に参加し、日本YWCAや平和を実現するキリスト者事務局等で重要な役割を担っておられる鈴木怜子氏のお話を聞きました。鈴木氏の父君はかつて日本基督教団議長をなさっておられた鈴木正久氏であり、この方は1967年の「日本基督教団戦責告白」を作成された方でもあります。鈴木怜子氏はそのことにも触れながら、第2次世界大戦中に信教・思想の自由が奪われ、多くのキリスト教会が迫害され、戦争に反対しなかったこと、朝鮮の人々が日本による圧迫に苦しめられたこと、現代の若者に希望を持っていること等を話され、実感を持って聞くことができました。右傾化が進んでいる世の中にあって、このようなことを覚えることは大切です。

2月17日(水)は教会の暦の上で「灰の水曜日」です。この「灰の水曜日」から「受難節(レント、四旬節)」に入りました。「灰の水曜日」の「灰」は主イエスの苦しみと復活を覚える「受難節」の始めに人が最終的には「塵」になることを覚えて「悔い改め」を表す日であることを意味します。そして、「受難節」はイエス・キリストの受難における死と復活を想い起こす時で、福音書におけるイエスの荒野の誘惑に先立つ40日間に及ぶ断食に基づくものです。それは教会の暦では「灰の水曜日」から「イースター(復活日)」までの日曜日を別にしての40日間で、そもそもは紀元2世紀頃、復活日前夜に教会への入信を意味する洗礼を受ける志願者が教会での教育を受け、断食、祈祷して準備したことに由来しますが、7世紀のローマ・カトリック教会がその期間を40日間と定めたのだそうです。

五所川原では数日間、気温が10度以上の日が続き、春の訪れを感じさせましたが、3月に入ってもまだまだ寒い日が続きます。この季節はイエス・キリストの御苦しみ、死と復活を覚えて過ごしたいと思います。

 

 

2010年3月31日(水)

         

先日、「キリスト教神学のページ」に「キリスト教について」と「聖書について」という文章を載せました。これらはキリスト教神学を理解する上での基礎的なものです。「キリスト教神学」について考えるためには広い視野で考えることが必要なようです。聖書学や宗教学を含めて、近年の神学の発達は著しいものがあり、もちろん、中には「キリスト教会とどのような関係があるのだろうか?」と思えるような研究もあるかもしれませんが、聖書あるいはキリスト教という根は同じものであります。「キリスト教信仰」は、たとえ神学でも捉え尽くせない極めて力動的なものですが、「キリスト教信仰」について「キリスト教神学」は役割を持っているのです。

 3月にはここ津軽にある日本基督教団に属する諸教会及び諸教会と関係を持つキリスト主義学校が集う協議会が開かれ、「教会におけるフェローシップ(交わり、分かち合い)」についてお話を聞き、話し合いの時を持ちました。それぞれの諸教会で礼拝において、また集会において、どのように信徒同士の交流を行なっているかということを学び合いました。また今月は同じ地区にある教会学校の子供たちの集まりも行なわれ「音楽」を中心として自分たちで楽器を作り(ペットボトルでマラカスを作りました)それを使って歌を歌いながら演奏して大人も子供も神を讃美する喜びを分かち合いました。それぞれキリストにあって恵まれた時を過ごしました(キリスト者の表現で人間がそこにおいて過ごす時にイエス・キリストが共にいて敬虔深い想いになったり、神に感謝したりすることを表す)。

今週の日曜日である3月28日から4月3日までキリスト教会の暦では「受難週」にあたります。「受難週」については雑記帳の2008年3月17日(月)」をご参照下さい。28日の日曜日には同じ地区にある他の教会・伝道所で「棕櫚(シュロ)の主日」の礼拝説教を担当させていただきました。「棕櫚の主日」は、新約聖書ヨハネによる福音書12章において平和の主、救い主であるイエス・キリストがエルサレムに入城する際に人々が「受難」と「勝利」の象徴である棕櫚の葉(中東やアフリカで育つ植物“ナツメヤシ”の葉のこと)を振って歓迎したことにちなむ日で、受難週の始まりの日とされています。また「イースター(復活日)」の礼拝では日本基督教団藤崎教会で礼拝説教を担当させていただきます。ちなみに来年度から私は日本基督教団藤崎教会担任教師(副牧師)として奉仕することになりました。

青森県は3月下旬でも雪の降る日もあり、まだまだ寒い日が続きます。冬の間、玄関で育てた「冬菜」は3月上旬にいただきました。かなり大きく育ち、甘みを含んだ味になりました。世界では大地震が続いたり、テロがあったり、本当に悲惨な状況にある方々がおられます。そのことも覚えてイースターに向けて歩みたいと思います。

 

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