「ポナペ・ワークキャンプ2009」について              

  2009・8・10  川上純平

 

私は2009年の2月1日から13日まで、日本基督教団に属する教会関係の方々(ポナペ・ワークキャンプ参加者は同志社神学部卒業者や組合教会関係者が多いが、今回は関西学院の神学生も参加)10人程度でミクロネシア・ポナペ島という所にキリスト教主義学校であるオア・クリスチャン・ハイスクール(アメリカン・ボードによるミクロネシア宣教及び日本基督教団教師の荒川義治牧師が宣教師としてポナペ島に赴いた1976年から行われたポナペ・ワークキャンプの働きが土台となって出来たキリスト教主義学校)の建物を建てるという極めて重要な任務の手伝いにボランティアとして行ってきました。私にとっては3回目のポナペ・ワークキャンプ参加でした。

「ミクロネシア」という国を皆さんは、あまりご存じないかと思います。自分もそれほど詳しいわけではありませんが、特徴としてはヤシの木がたくさん生えている南の島のイメージです。位置的には太平洋の、フィリピンよりは東側ですが、ハワイよりもかなり西側の赤道近くになります。そこにミクロネシア連邦という国がありますが、この国は4つの州、ヤップ、チューク(トラック)、ポンペイ、コスラエに分かれ、大小合わせて数百もの島々が集まった出来た太平洋にある国の一つです。東京からミクロネシアのポナペまでは飛行機で行きましたが、グアムで乗り継いで計6時間近くかかります。

その中の「ポナペ島(ポンペイ島)」は州の一つでミクロネシア連邦の首都がある島です。かつてポナペ島はスペイン、ドイツ、日本、アメリカの占領下にありましたが、今は独立しています。島の大きさはおよそ335平方キロメートルほどで、人口はおよそ4万人(ミクロネシア連邦全体ではおよそ11万人)です。赤道の近くにありますから、気候は熱帯性気候で、年間平均気温は27度(四季を通じて降水量が少し異なる程度で気温はたいして変わりありません)、年間平均湿度は80%以上にも及びます。大変蒸し蒸しした所で、洗濯物を干してもなかなか乾かないような環境です。全てを焼き尽くすほどの太陽が照りつけているかと思うと、突然、スコールという大雨が降るような気候の島です。

そこで私たちが行なった作業は、そのキリスト教主義学校の高校生や教職員の方々との共同での建築作業でした。今までに30回以上も行われてきたわけですが、今回のワークキャンプは一か月以上にわたり、合計3回に分けて行われ、私たちはその中の第2次隊として稲垣壬午牧師(日本基督教団軽井沢追分教会)を隊長としての2週間ほどのワーク作業でした。特に私たちが行ったのは学校敷地内での生徒男子寮(1階建て)建設でしたが、そのような気候の中で、まるで水が身体から滴るような汗を流しながら作業を行ないました。鉄筋が打ち込まれコンクリート・ブロック積みがなされた土台に、材木を設置して屋根を取り付ける作業です。私を含めて参加者の多くは普段からハンマーやのこぎりを使い慣れているわけではなく、また3メートル以上もある高い屋根の上を歩くような作業も含まれていました。そのため大変、苦心しましたが、プロの日本人の方も参加しており、その方の指導もあって皆でお互いに助け合って完遂させることができました。

ジャングルのような森の中での生活もなかなか大変なものがあります。環境は人間に影響を与えるようです。宿舎はオア・クリスチャン・ハイスクール内の建物で、ポナペ・ワークキャンプによって建てられた建物をお借りしました。休憩時間には神学書を読み、グループごとに自炊を、また各自洗濯を行い、毎晩、皆で聖書を読み、牧師の説き証しを聴き、祈りの時を持ち、ポナペについて学習し、禁酒禁煙の生活を行ない、夜は蒸し暑さの中でも疲れのためすぐに熟睡に至ります。またそこには親交がありました。

ところで、ポナペ島(ポンペイ州)があるミクロネシアには第2次世界大戦中の戦跡や傷跡が数多くあり、特に隣のチューク(トラック)島の海域には日本の戦艦や戦闘機が多く沈んでいます。未だに発見されていない、戦跡や傷跡もあるかもしれません。私たちが赴いたポナペ島はアメリカによる爆撃に合わなかったことと日本軍が従軍慰安婦を要求したことに対して日本の南洋伝道団から派遣されていた田中金造牧師(日本基督教団教師)が反対したということがありました。また戦後、特に日本基督教団に属する諸教会が中心となって数十年にもわたってその地で活動しました。もっとも戦時中の日本の軍隊及び多くのキリスト教会の国家追従的行為がポナペの人々に目に見える形で、また、ポナペの人々の心に傷跡を残していることでしょう。

現在において、ポナペの人々は親日的です。外国と言う場所は、私たち日本人に不安や戸惑いを感じさせました(もちろん、最初の頃に比べれば、不安はかなり緩和されましたが)。しかし、日曜日にはオア・キリスト教会(ポナペ合同キリスト教会の一つで、現在、ポナペ島には14、5のキリスト教会がある)の礼拝に出席し、会衆を前にして日本語の讃美歌を合唱したり、教会学校の子供たちに日本の遊びや歌を教える等して交流の時を持ち、私たちがこのような働きを行うことが許されていることを神に感謝し、ポナペと世界の人々に神による平和があることを祈りました。ポナペでは初対面の方が多いにも関わらず、子供から大人まで多くの人が私たちに笑顔で接してきました。そこにはポナペ島がアメリカの宣教師(アメリカン・ボード)によって宣教がなされ、キリスト者が多く、日曜日にはほとんどの人がキリスト教会の礼拝に出席しているということもあるのでしょう。

ポナペの人々の笑顔を始めとする彼らのキリスト教精神と照りつける太陽、澄み切った青空、突然の大雨のようなスコールによる湿気を伴った涼しい風、熱帯性の生い茂った植物と果物、そこ住む様々な鳴き声を持つ鳥たち、島の周りを取り囲むエメラルド・グリーンの海、美しいサンゴ礁(環礁:リゾート地開発で年々サンゴ礁が失われている)、色とりどりの魚たち等の自然は、世界のキリスト者と日本を含む他の地域の自然と同じく、神の創造と恵みに対する感謝の念とそれをないがしろにしてはならないという思いを重ねて私たちに与えました。それは貧しい南の島の人々のためにボランティアとして何かをしてあげようという自分たちが、何かを与えられたように感じるものでもありました。これからもポナペの方々を支援することができればと思います。しかし、残念ながら、ワークキャンプも来年で終わりを迎えるそうです。

これらのことは、すべてのことを神の導きとする信仰のゆえにできたことだと思います。このことはキリスト教信仰がアクセサリーではないことを示していると思います。

 

 

 

「ポナペ・ワークキャンプ(2010年第3次隊)」の感想         

2010・3・6  川上純平

 

今回のポナペ・ワークキャンプ(2010年第3次隊)は自分にとっては最後のワークキャンプとなりました。ポナペを訪れたのは今回で5回目、ワークキャンプとしては4回目となりましたが、毎回、朝、ポナペの鳥の声で目覚めることに感動させられ幸せでした。

今年はアメリカン・ボードというポナペに最初にプロテスタントの宣教を行なった団体が創立されて200周年という記念すべき年です。アメリカン・ボードは日本に会衆主義教会の流れを伝え、何回か荒川義治先生の学習会でのお話に登場しましたが、オア・クリスチャン・ハイスクール設立もこの宣教団体があってのことです。

私たちの目的であったこのハイスクールの男子寮建設という作業も蒸し暑い中を実質的には7日間もない程度で行ない、ほとんどが素人であったわけですが、荒川義治先生やプロの尾川さんの助けもあって皆でがんばって完成させることができたことは高校の生徒の方々や関係者の方々と私たちにとって喜びとなりましたし、このことを嬉しく思います。春名康範隊長(日本基督教団牧師)も気苦労が多かったのではないかと思います。このワークキャンプが押し付けでない形で行なわれたことも素晴らしいことなのではないかと思います。

キャンプ中に日本食が恋しくなったとしても(ポナペの食事も十分おいしかったのですが)きちんと食事を作って下さる方々のおかげで日本食を食することができ助かりました。また説教の題材を集めることができたり、初めて会った人を含めてのこのキャンプという共同体に人間の集りの不思議さ、そこには神の御手が働いたのでしょう、不思議なものを感じさせられました。そして、何よりも親しく知り合っているわけでもない私たちに笑顔で挨拶してくれるポナペの人々とポナペの花々の香りには毎回驚かされました。