雑記帳(X)                       

 

川上純平         2010・4・30〜

 

 

2010年4月30日(金)

    

以前、この雑記帳の「2010年2月28日(日)」で、「コミュニティ・チャーチ“Community Church”」について少し述べさせていただきましたが、その際に述べたのとは違う意見として「キリスト教会は基本的には、その地域にある『教会(チャーチ)』である」ということがあります。それは、この世において倦み疲れ、癒しを求めて地域の人がキリスト教会にやって来る、あるいは、キリスト教会が地域での語らいの場になっている等、その内容は様々ですが、キリスト教会はこの世において存在するゆえに、全ての教会は「コミュニティ・チャーチ」であるということです。しかし、その詳細な定義付けが様々に異なり、多様な理解があるということです。ですから、その立場からするならば、ポナペの教会も日本の教会も「コミュニティ・チャーチ“Community Church”」ということになります。

ところで「自由」という概念は、聖書においては人間が罪から解放され、神に立ち帰るということを意味します。ところが、ギリシア哲学においても既に「自由」という言葉が語られ、キリスト教の歴史では、特に神学や哲学の分野で「自由」という言葉の意味が様々に展開されていきました。宗教改革から、聖書における自由を土台とし、良心の自由が主張されるようになりました。しかし、同志社を創立した新島襄がアメリカ留学時にニューイングランドで学んだイギリスの宗教改革を土台とした「自由」と19世紀から20世紀にかけてヨーロッパで隆盛を極めた「自由主義神学“Liberale Theologie」という名で呼ばれた神学的立場の主張する「自由」はかなり異なるものがあります。20世紀の神学者カール・バルトが晩年に主張した「自由の神学“a theology of freedom”」は歴史学や心理学を反映させたものでありますし、20世紀にラテン・アメリカで生まれた「解放の神学“Liberation Theology”」は政治的抑圧からの解放を唱え、「民衆の神学」「黒人の神学」「フェミニズム神学」等にも影響を与えました。現在、社会や政治等に関して一般的な意味で使われる「リベラル“liberal”」という言葉は、これらとは全く異なる意味で使われている言葉です。このように同じ言葉でも様々に異なるものとなっています。これらは、これからも研究の余地が十分にあるものでしょう。

キリスト教会の暦では、今年のイースター(復活日)は4月4日でした。私は今年度から日本基督教団藤崎教会に副牧師として赴任いたしました。藤崎教会は、この度、会堂の改修工事を終了しました。会堂を建設した当時の外観を残しつつ、新しく造り直した仕上がりになりました。この教会の創立年は1886年とされていますが、津軽藩士であった本多庸一が1872年に日本で最初のプロテスタント教会である日本基督公会(後の日本基督教会横浜海岸教会)でアメリカの改革派教会宣教師ブラウンとバラから洗礼を受け、本多は翌年の1873年に藤崎にて伝道を行ない、それがこの教会創立の礎になったとも言われています。藤崎教会の現在の会堂は1925年に信徒の献金によって建てられましたが、創立125周年記念事業としての会堂改修工事が行われました(2010年1月〜3月)。イースター礼拝は新しくされた、その会堂で行なわれました。

教会では昨年度の歩みを振り返り、今年度の計画を立て、皆で話し合う教会総会を終え、この津軽地域の、日本基督教団に属する諸教会・関係施設、キリスト教主義学校が集まる地区総会も終えました。5月には憲法9条と民主主義について考える「5・3市民集会」に参加し、日本基督教団奥羽教区の総会にも出席することにしています。神の導きを祈ります。

庭には4月にピーマンの種を植えました。気温が例年よりも低いこともあり、なかなか芽を出しませんが、必ず育ててみせます。昨年から植えられていたネギとパセリは、冬の間、雪の中で耐えていたみたいで、4月になってまた成長し始めました。

沖縄の米軍基地問題に関しては沖縄の人々の意向に沿ったものとなることを願います。70年前の戦争の悲惨さが想い起こされます。今はゴールデン・ウィークですが、皆さんはいかがお過ごしなのでしょうか。事故やケガ、病気に注意してお過ごし下さい。

 

 

2010年5月31日(月)

    

先日5月23日(日)には、世界中のキリスト教会で「ペンテコステ(聖霊降臨日)」の礼拝が行なわれました。「ペンテコステ(聖霊降臨日)」については雑記帳の2009年5月28日(木)」をご参照下さい。この日、私が属する藤崎教会の礼拝では「世界で最初の教会の誕生」「宣教の開始」等を覚えて聖餐式を行ないました。礼拝後には同じ地区の新緑の色合いがとても美しい山の中にある伝道所の牧師就任式に出席しました。最初は農業を支援する農村センター的な役割を持つ伝道所にする計画もありましたが、今は人々が自然に触れて考え、癒しを感じることのできる伝道所となっています。

その数日後には奥羽教区の総会に参加しました。教区内にある、およそ60の教会・伝道所・関係施設・キリスト教主義学校が集まり、課題を共有し話し合いの時を持ちました。また本来は6月に行なうものですが、教会のスケジュールの都合上、5月30日(日)には教会学校の子供たちと「子供の日・花の日」の大人との合同礼拝を行ない、礼拝後は子供たちと近くの公園にハイキングに行き、高齢者施設へお花とメッセージを書いたカードを持って行き、ご高齢の方々に大変喜ばれました。教会の受付には世界での度重なる地震被災者の方々の救援のための募金を設置してご協力もお願いしています。

藤崎教会では、この度、会堂改修工事が行なわれ、その際に津軽の有名な伝道者であり、藤崎教会の牧師でもあった藤田匡が12歳の時に書いたとされる漢詩の屏風が発見され、先日は青森の新聞社がそのことで取材にも訪れました。6月には、その会堂改修工事完成感謝式と私の副牧師としての就任式が行なわれる予定です。私は既に月の2週目の日曜日を除く、毎週の日曜日の主日礼拝説教を担当させていただき、主任牧師の先生の様々な事務処理のお手伝いをしつつ、信徒の方々を始めとする皆様と神の助けによって徐々に藤崎教会での教会生活に慣れ始めています。感謝の毎日です。

今年の春は本当に寒い日が続きますが、ようやく暖かい日がやって来ました。ピーマンの種も先日やっと芽を出し、一緒に芽を出したホウレン草と共にすくすくと育っています。ちょうど今の時期はたんぽぽの綿帽子が飛び始める頃でもあり、そうこうしているうちに初夏を迎えるのでしょうか。

今の内閣がどうなるのか、沖縄も北朝鮮も真の意味での平和の状態になることが望ましいのですが、米軍基地が撤去されなかったり、韓国と戦争になりそうになったりしています(韓国の長老派教会を始めとする諸団体からこのような声明も出されています)。平和を祈るものでありたいと思います。

 

 

2010年6月29日(火)

 

先日、『天使と悪魔』というダン・ブラウン原作の映画をレンタルショップで借りたDVDで見ました。カトリック教会の総本山であるバチカンを舞台にした映画ですが、内容はカトリック教会と科学との闘いが盛り込まれている一方で、アクション・サスペンス娯楽映画に近い描写もあり、主人公が宗教象徴学という実在しない学問の教授である事などファンタジーとして見るべき映画であることを思わされました。プロテスタント教会に属する私から見れば、違和感のある部分も多かったのです。

ところで、キリスト教神学はその人の実存における祈りから始まるとも言われています。それは、決して異教徒との論争・異端排除のために作られたまがいものではなく、学問的に信仰について考え、キリスト者の生・キリスト教会に寄与するものであるはずです。ところが、神学研究は全てが必ずしもそのようなものになるわけではなく、学問的に優れているということに重点が置かれるあまり、キリスト教会とはあまり関係のない研究になることもあります。その一方で、個人の信仰体験やその教派だけの伝統的な信仰に依存するあまり、神学の研究対象にならなかったり、他者には理解し難いものとなったりすることもあります。研究対象が神あるいはキリスト教信仰に起因するものであるゆえの困難さがあるのです。そうであるにもかかわらず、2000年以上にもわたってキリスト教神学研究が人の手によって行われ続けているのは、神の恵み、あるいは、信仰の豊かさがあるからではないでしょうか。

藤崎教会では無事、牧師就任式と会堂改修工事完成感謝式が執り行われました。この時期には同じ地区・教区にある諸教会・伝道所等でも牧師就任式がいくつか執り行われました。これからの先生方、諸教会・伝道所の歩みに神の祝福がありますように。

梅雨に入り、雨の多い日が続きますが、プランタでは「ほうれん草」をすでに収穫し、昨年から植えていた細ネギも白ネギほどの太さに育ったので、収穫しました。ピーマンも、先日、種を蒔いたばかりのコスモスと共に、すくすくと育っています。

スポーツの世界ではサッカーで盛り上がっており、一方ではアメリカの原油流出と宮崎県の口蹄疫による農家への被害等が未だに解決していません。神に祈りつつ生きる生活が重要です。

 

 

2010年7月30日(金)

 

先日、「キリスト教神学のページ(T)」にキリスト教会における『キリスト教教育』という言葉について」を載せました。しばしば誤解される「教会教育」について拙い文章を記したものです。「キリスト教教育」という言葉を「教会」に当てはめて用いていることについて述べたものでもあります。それは信仰聖書の神を信じるということ)に導くもの、信仰的な成長を促すもの等ですが。そこには共感理解等を含みます。またそれはキリスト教の教育であるゆえに、仏教寺院に始まり技術や知識を教えた寺子屋や儒教の師弟関係とは異なります。

もし「キリスト教信仰は頭を使うものである」という言葉を、キリスト教を理解してない人、キリスト教信仰を持っていない人が、そのままストレートに受け止めた場合、キリスト教信仰があまり有難くないもの、単なるグノーシス主義のような思想的なものと誤解するのではないでしょうか。キリストを信じる人の場合は「自らの親しむ礼拝の雰囲気が駄目になってしまう」という思いを持つようになることもあるのかもしれません。それはキリスト教会における『キリスト教教育』という言葉について」で述べたとおりです。それはキリスト教信仰を持ちにくくなるように感じるということです。ですからキリスト教会では、あまりこのような表現は用いられないようです。もちろん、教会によって異なりますが。

しかし、実際にはキリスト教信仰は頭を使っています。ですから、それは言葉の綾に似た部分があるのかもしれません。もし「キリスト教信仰は頭を使うものである」という言葉を人間が持つから、本当に聖書の神が汚されてしまうとか、聖霊の力が頼りのないものとなってしまうとしたら、それは神でも聖霊でもないでしょう。「神は聖なるお方である」ということの意味はそのようなものでもあります。それがキリスト教で信じられている神です。同時に、何もかもが論理的でないのが「キリスト教神学」の特徴でもあります。人間の知恵だけでは聖書の神は知り得ないとするのがキリスト教です。それは「ニヒリズム(虚無主義)」でもなく、全く何も考えない忘我の状態になる「神秘主義」でもありませんし、いわゆる心霊現象のような「精神世界」の話でもありません。「キリスト教神学」は、キリスト教信仰に基づく学、キリスト教信仰を対象とした学であるゆえに、少なくとも現時点で日本ではあまり知られていないものです。「キリスト教神学」は「キリスト教」という現象の歴史的必然性に基づく一形態であるとすることもできるのかもしれません。メロンだけが果物なのではなく、リンゴもみかんもメロンもマンゴーも果物であるということです。「キリスト教」と「キリスト教神学」が理解されるように頑張っていきたいと思います。

ところで、先日、教会学校のキャンプがありました。自分はそのスタッフとして参加したわけですが、青森県津軽の他のいくつかの諸教会の教会学校と合同で行いました。旧約聖書の創世記に基づいて「天地創造」と特に人間の創造について、聖書の話をしたり、果樹園で果物狩りをしたり、歌を歌ったり、紙粘土を用いたり、ゲームをしたりして様々なやり方で神の創造を子供たちと共に学び感じました。そのために尽力なさった方々お疲れ様でした。

また教区の集まりでは「他人に傾聴する」ということを学びました。そこでは自らが解放され、たとえ自分が自分を受け入れらないとしても、神は自分を受け入れてくださる、そのことによって、自分と向き合ったり、他人に共感したりすることができるということを聖書に基づいて学んだ時でもありました。8月には「平和聖日」の礼拝があります。他の諸教会との合同の礼拝です。

日本各地では豪雨による水害、そして猛暑が続き、被害に遭われた方、倒れた方も多いと聞いています。プランタではピーマンが育ち始め、昨年、実ったミニトマトの種からまたミニトマトの芽が出始め、すくすくと育っています。神の癒しと慰めと平安を祈り、神がこの世界をお造りになった意味と自分に出来ることを考えます。

8月末には京都で行われる「同志社神学協議会」に参加することにしています。皆さんはどのような夏休みをお過ごしなのでしょうか。

 

 

2010年8月31日(火)

 

昨日、8月30日(月)から31日(火)にかけて同志社大学と関西セミナーハウスにおいて「同志社神学協議会」が行われ、およそ400名以上が集まり、久しぶりに会う方々、また初めて会う方々等がおられ、大変賑やかな交わりの時となりました。これは同志社神学部を卒業して牧師や伝道師になった方だけではなく、「日本の会衆主義教会(組合教会)」に連なる信徒の方々や同志社神学部を卒業したわけではない牧師や伝道師の方々をも含めた会です。そこには「同信伝道会」の働きがあります。

この神学協議会の一日目には『会衆主義の伝統と希望』と題して神戸女学院大学教授・神戸女学院長の森孝一先生からご講演をお聞ききしました。森先生は今年の3月まで同志社大学神学部で教えていた先生で、特に「アメリカ・キリスト教史」がご専門です。私も学生の頃、先生の授業に出席した思い出があります。

先生のご講演をお聞きし、以前、自分が『キリスト教神学のページ(T)』に論文「日本の会衆派教会(組合教会)の歴史 その源流と発展 (1)イギリスの宗教改革からアメリカン・ボード来日まで」論文「日本の会衆派教会(組合教会)の歴史 その源流と発展(2)アメリカン・ボードの日本伝道から現代まで」を載せたことも思い出しつつ、「『会衆主義』とは神学ではなく制度であること」「イギリスの会衆派教会がピューリタンの精神に生きたこと」「今後、日本キリスト教団に属する会衆主義教会は共通項、たとえば、教団が合同教会であることや多様性が認められるべきであること等によって他の教会(会衆主義ではない教会)との連携を目指すべきであること」等の言葉が特に印象に残り、これらのことが重要であることを思わされました。同時に、日本キリスト教団に属する会衆主義教会はイギリスやアメリカの会衆派教会に、その歴史的起源を持ち、それらイギリスやアメリカの会衆派教会には、カルヴァンの影響を受けた信仰告白や信条があったわけですが、日本の会衆主義教会(組合教会)の特質は特定の信仰告白や信条に束縛されないということ、会衆派教会にとってはその特質である「会衆主義」の立場に立つことも重要であることも思わされました。それは個人の信仰をないがしろにすることではなく、推奨であり、自らの教派的特質の押しつけでもありません。

二日目には、会衆主義に連なる教会と同志社神学部の将来についても話し合いがなされました。また、この時に日本キリスト教団に属しつつ、会衆主義に連なる諸教会の牧師及び同志社大学神学部教授の水谷誠先生による『会衆主義教会のあゆみ 会衆主義教会パンフレット2』が配布されました。これは前回配布された『会衆主義教会について 会衆主義教会パンフレット1』に引き続いて発行されたもので、今回の冊子には主に日本における会衆主義教会の歴史が記されています。ちなみにこの冊子の最後のページには、第1巻に引き続いて組合教会(現在、日本キリスト教団に属する)の紹介がなされています。パンフレット1には1874年から1886年までに設立された組合教会が、パンフレット2には1886年から1895年までに設立された組合教会が、それぞれ紹介されています。しかし、組合教会はそれ以後も設立され続けましたので、これで日本の組合教会の歴史全て紹介されたわけではありません。こういったことに関心のある方は是非とも自分で勉強していただきたいと思います。

8月、私が属する藤崎教会では、日本キリスト教団の暦で8月1日は「平和聖日」(平和を覚える日)です。この日には近隣の二つの教会と合同で「五能線沿線三教会合同礼拝」を執り行い、弘前学院大学の先生に講演もしていただきました。15日には、藤崎教会に連なり、既に天に召された(「亡くなられた」の意味)方を覚えて(「想い起して」の意味)の「召天者記念礼拝」を執り行い、遺族の方々が礼拝に集いました。また藤崎教会では口蹄疫被害に苦しむ宮崎県の方々を覚え、日本キリスト教団九州教区を通しての募金も始めています。9月も教会・地区・教区の集会行事等に出席します。

自宅の庭のピーマンは8月に収穫できました。ミニトマトも実が育っています。「同志社神学協議会」の頃、青森では気温が29度でしたが、東京や京都が36度の気温という残暑の中にありました。まだまだ残暑が続きそうです。皆様お体をご自愛下さい。

 

 

2010年9月30日(木)

 

 今、私は19世紀の神学者シュライエルマッハーについての本を読んでいます。シュライエルマッハーについてまとめたものを近いうちにこのウェブサイトに載せたいと思います。20世紀の神学者カール・バルトがシュライエルマッハーについて最初、批判的であったのに対して、晩年には態度を変えていることも併せて載せるつもりです。折しも今年はシュライエルマッハーの『神学通論』第1版出版200年にあたります。最近、この本の改訳版が日本でも出版されました。シュライエルマッハーの『神学通論』は単に神学諸学科についての概説書にとどまることなく、後のキリスト教神学に大きな影響を与えた書でもあります。シュライエルマッハーについての研究は、ここ数十年の間にとみに増えたような気もします。

 ところで、神学校や総合大学神学部の神学生の場合、神学諸学科に関しては、基本的なことを学ぶのみにとどまり、専門的な研究を行なった場合は自らが専攻した研究内容に関してのみ知識を持ち、神学的思考を行なうのが常です。卒業して、例えば、教会の伝道師や牧師になって、初めて現場で学ぶことの方が多かったりします。それは理論と実践との必然的関係と言っていいかもしれません。

 今月は奥羽教区の牧師の集まりで宗教改革者マルティン・ルターの説教についての学習の時を持ちました。そこではルターが「罪人の救いにおける神の働き」を中心として、実存的で力動的な説教を行なったことと、手紙等を用いて魂の配慮としての説教の具体化を行なったこと等が講師の先生によって語られ、現代にも通ずる部分があることを思わされました。10月には奥羽教区の集まりで「同性愛」についての学びの時を持つことになっています。

 今月、藤崎教会では、藤崎教会を含む諸教会の合同墓地での墓前礼拝を行ない、また、信徒の方の家庭訪問を主任牧師と共に行いました。また今月末の主日(日曜日)に、津軽地域の日本基督教団に属する諸教会・諸伝道所の牧師たちが、いつもとは別の諸教会・伝道所で礼拝説教を担当する、「交換講壇」が行われ、私も普段は藤崎教会で礼拝説教を担当していますが、今回、他の教会・伝道所で礼拝説教を担当させていただきました。また他日には地区内の諸教会の教会学校の子供たちと一緒に礼拝を守って、畑でじゃがいも掘りをし、楽しい時も過ごしました。地区内で交流を行なったり、助け合ったりしていくのが、これからも重要なのでしょう。藤崎教会に隣接している幼稚園も秋の行事が続き、先日は雨が降ることもなく運動会のお手伝いをさせていただきました。

 庭ではコスモスが満開となり、トマトもようやく赤くなりました。昨年、紫蘇の花が咲き、実が実って、今年、その実から育った葉には、既に花が咲き、実がついています。津軽の秋は、突然、涼しくなります。今日も最高気温は21度程度でした。農家では今年の夏の暑さによるリンゴの日焼けや米の出来が平年より良くない等の状況も続いています。そのことも覚え、神に祈りつつ過ごしたいと思います。

 

 

2010年10月31日(日)

 

 キリスト教界において、今年は「エキュメニカル100周年」と言われています。それは今から100年前の1910年に「エディンバラ世界宣教会議」が開かれたことにちなむものです。この「エディンバラ世界宣教会議」は「世界教会運動」の出発点とされています。

「エキュメニカル」とは、もともとは「家」を意味する言葉である「オイコス」というギリシア語から派生した言葉で、「人の住んでいる土地」や「全世界」という意味を持つギリシア語の「オイクメネー」から来ており、後に、この言葉が広域の地理空間に散在する諸教会の会議に適用されるようになり、現在では「全世界に福音を宣べ伝える全教会の課題全体にかかわる全てのこと」という意味で「世界教会運動」、教会一致促進運動において使用されるに至っています。

「世界教会運動」とは今世紀初めに、全世界のキリスト者の一致を回復しようとする教派を超えた運動ですが、全てのキリスト者がイエス・キリストにあって一つであるという真理と信念のゆえに、それを土台として、あるいは、諸教会が直面する問題の解決のために行われる運動でもあります。

しかしながら、「世界教会運動」の起源は、1910年よりもさらに遡ります。たとえば、「エキュメニカル」という言葉は、紀元325年の第1回ニカイア公会議以降の、広い諸地域に存在する諸教会の会議に適用されてきた言葉でした(神田健次著「エキュメニズム」『岩波キリスト教辞典』、岩波書店、2002年)。最近、読んだものでは、1810年に「超教派世界宣教師会議」が提唱され、1860年にリバプールで始めて会議が開かれたことが『福音と世界』で述べられています(岸本和世著「『エディンバラ2010』と日本基督教団の危機的状況」『福音と世界 2010年11月号』、新教出版社、2010年、40、41頁)。「世界宣教会議」自体も1880年のロンドンに始まり、1900年のニューヨークで「国際宣教会議」が行われた時にも「エキュメニカル」という言葉が使用されました。1921年には「国際宣教協議会(IMC)」が開かれ、そこでは国際的な意味での論議がなされました。1925年には「第1回〈生活と実践〉世界会議」が、1927年には「第1回〈信仰と職制〉世界会議」が開かれ、その二つが合流して、1948年にはアムステルダムで「世界教会協議会(WCC)」が結成され、カール・バルトが「世界の無秩序と神の救済計画」と題して基調講演を行なっています。さらに1961年には「国際宣教協議会」が「第3回世界教会協議会」でWCCの世界宣教伝道部門となりました。このような運動の影響でそれぞれの教派の「礼拝」が刷新されるに至ったという経緯もあります。日本国内でも「日本キリスト教協議会(NCC)」という日本のプロテスタント諸教派の協議機関が1948年に設立されました。

 今年は、ドイツのベルリン大学創立200周年の年でもありましたが、その創設期に尽力した神学者シュライエルマッハーは、ベルリン大学の初代神学部長と2代目学長を歴任しています。今日、キリスト教神学のページ(T)に、そのシュライエルマッハーについて拙いですが、まとめたものを載せました。シュライエルマッハーは、「実践神学」をの冠とした人でもありますが、先日、出席した奥羽教区の社会問題セミナーで「実践・事実が先にあって、理屈は後で形成される」ということを学びました。神学の構造の再構成、作り直しについても考えさせられました。それは聖書学の最近の研究成果や教会という現場が変化するということにもよります。特に(他もそうであるかもしれませんが、)同志社神学部卒業の牧師たち、組合教会の場合は、実践・現場から神学を捉え直すということを長い伝統の中で行なってきました。

 その現場は地域によっては、「自然」というものが大きく影響を与えている場合があります。「自然」は人間を揺さぶり、人間の感覚に触れることにより、人間が行なっていく物事の価値観、経済や教育内容等に影響を与えます。

11月には津軽にあるキリスト教主義学校での礼拝奉仕や、地区における「葬儀」について話し合い、東北同信伝道会(同志社神学部を卒業した東北地方在住の教師及び会衆派教会〈組合教会〉に連なる教会の教師と信徒の集まり)等に出席します。

藤崎教会では10月31日の主日礼拝(日曜日の礼拝)では「宗教改革記念日礼拝」を行ない、マルティン・ルターやカルヴァン、宗教改革の精神と彼らによって出来たプロテスタント教会を覚えて、礼拝の時を持ちました。11月の主日礼拝では、幼稚園の子供たちに神の祝福があるようにと祈る礼拝や神による収穫の恵みを感謝し喜ぶ収穫感謝祭〈「収穫感謝日」については「雑記帳 2007年11月29日(木)」の項目を参照〉の礼拝を行ないます。

一方、奄美大島の大水害や猛暑による陸奥湾の帆立貝の不出来等、神による癒しと平安を望む事態が起きています。津軽では、先日、初雪が降りました。庭では、新しくほうれん草やネギの種を植えました。さっそく芽を出しており、これらの冬野菜を育てたいと思います。皆様は、季節柄、お体にお気を付け下さい。

 

 

2010年11月30日(火)

 

11月は教会関係の行事が立て続けにあり、いつも忙しい生活を送っていますが、この1ヶ月はさらに忙しくなった日々を送っています。12月に入るとクリスマスの諸行事が待っています。神が共にいてくださるという信仰を持って喜びに溢れた一日一日を過ごすことができますことを感謝します。

 11月3日は、祝日でしたが、同じ地区の諸教会・伝道所の「教会役員(教会・伝道所によっては“長老”“執事”等とも呼ばれる)」のための研修会があり、「葬儀」について学びました。教会・伝道所で行う「葬儀」は様々な疑問が生じるものです。その会で私は「日本基督教団式文試用版」(日本基督教団出版局、2007年再版)という「礼拝式文集」を用いて「葬儀」の意味と一連の流れについて説明させていただき、その後、ベテランの牧師先生方の講義と質疑応答が行われ、皆、熱心にそれに聴き入り質疑応答していました。教会・伝道所によって様々な方法があることと、共通の課題があることがわかりました。

ところで、私が礼拝を担当し、出席しています日本基督教団藤崎教会のある町、藤崎町は「りんご」の産地として有名な所で、特に「ふじ」という品種のりんごの発祥地でもあります。11月は日曜日に「収穫感謝日礼拝」が行われ、地元で採れた米や野菜・果物等の作物を会堂の前に並べて礼拝を守り、礼拝後、それらを東京の山谷にある日本基督教団所属の伝道所が開いている食堂に送りました。それは仕事がなかったり、住む所がなかったりする方が集まる場所でもあります。

また11月の別の日曜日には、教会に隣接する幼稚園と教会学校の子供たち、そして、大人との合同の礼拝を行ない、その中で幼児祝福式を行ない、弘前学院大学ハンドベルクワイヤの演奏も行われました。この礼拝の司式は主任牧師の先生にしていただきました。

11月下旬には弘前にある教会で教会の礼拝でのオルガン奏楽者の方々のための講習会が行われ、かつて東北学院大学で「宗教哲学」の教鞭をとっておられた、日本基督教団讃美歌委員、日本基督教団仙台北教会のオルガニスト、同教会教会学校校長等を務めておられる川端純四郎先生に讃美歌とオルガンについてのレクチャーコンサートをしていただきました。私が川端先生に会うのは久しぶりで、特に「聖書の言葉を音楽にのせて人に伝えたのが讃美歌の起源である」という話が印象的でした。また同じ下旬には日本基督教団奥羽教区の臨時総会が行われ、それに出席しました。そこでは「按手礼」が行われ、数名の方が日本基督教団の教師検定試験に見事合格し「按手」をお受けになりました(「按手」については「2008年11月25日(火)」をご参照下さい)。また11月28日から教会では「アドベント」に入りました(「アドベント」については「2009年11月29日(日)」をご参照下さい)。クリスマスを待ち望む日々を過ごします。

12月の最初の日曜日の礼拝では藤崎教会の「創立記念日礼拝」が行われます。藤崎教会は1886年に創立されましたが、バラから洗礼を受けた本多庸一が1873年に藤崎に伝道の種を蒔いたことによって創立されたとも言われています。本多庸一から聖書の話を聞いて、佐藤勝三郎、清水理兵衛、長谷川誠三、藤田溪疑、藤田匡、棟方定次郎といった人たちが洗礼を受けて、藤崎教会を建て、活躍するに至りました。その人たちは、当時、村であった藤崎にプロテスタントの教会を建てただけでなく、医者であったり、藤崎の小学校に力を注いだり、キリスト教主義学校の創立に関わったり、アメリカから来たりんごを藤崎で育てたり、藤崎に銀行を作ったり、藤崎村の村長や村会議員になったりして、村のために尽くした人たちでした。そこから、農家の人たちにも聖書の言葉が伝えられたのかもしれません。その礼拝は教会の創立と歴史を覚えての礼拝です。

 農家では「りんご」の収穫がほとんど終わりました。先日、教会の信徒の方からいただいた「渋柿」を「干し柿」にしてみました。数週間かかり、途中で失敗しそうになりましたが、しつこくない程よい自然な甘さの「干し柿」に仕上がりました。コスモスの花も既に枯れ、種が残りました。来年、種を植えてみたいと思います。

 最近では、尖閣諸島問題、北朝鮮と韓国の武力による衝突があり、主イエス・キリストにある平和を願う事態となっています。日本基督教団からの声明も出されることでしょう。祈りの日々でありたいと思います。

 

 

2010年12月30日(木)

 

今年も残すところあとわずかとなりました。日本では、この時期になると、どこも師走の暮れの忙しさで、大晦日やお正月に向けて、多くのご家庭が多忙な日々の中にあります。できれば12月31日までに様々なことをやり終えておこうとするのが常というものです。と言っても、キリストを信じる者は「アドべント(待降節)」(「アドベント」については「2009年11月29日(日)」をご参照下さい)からキリスト教会の一年が始まるとする者であり、来たる年の1月の最初の日曜日(教会によっては1月1日)から主日礼拝を守り、同時に、日本にいる場合、たいてい、師走の暮れは大晦日やお正月に向けて忙しさの中にあります。アメリカやヨーロッパ、中東、アフリカ、他のアジア諸国等のキリスト教だと様々に事情が異なります。

ところで、「キリスト教」及び「キリスト教神学」はこの数十年の間に様々な変化を遂げており、それを学習していくことが、神学を学ぶ者にとっては必要なことです。私も「キリスト教神学」の用語の定義づけあるいは、それについて詳しく調べるため辞書・事典類を参照することがありますが。それに関しては今までにいくつかの辞書・事典が出版されています。たとえば『キリスト教神学用語辞典』(日本キリスト教団出版局)、『キリスト教神学基本用語集』(教文館)等です。項目ごとに詳しく調べる場合には『キリスト教神学事典』、『キリスト教組織神学事典』、『キリスト教大事典』(共に教文館)、『現代キリスト教神学思想事典』(新教出版社)、キリスト教全般に関しては、先にあげた『キリスト教大事典』の他に『岩波キリスト教辞典』(岩波書店)等があります。それぞれに特徴があり、内容も様々ですが、重宝しています。

また私は学生時代、神学者カール・バルトの研究をしていましたが、最近、シュライエルマッハー関係の本を読むと、神学者カール・バルトとシュライエルマッハーには意外な共通点というよりも、内容的な類似性がいくつかあることに気づきました。それはバルトがシュライエルマッハーから影響を受け、シュライエルマッハーを批判しつつも、その影響を免れてはいないということです。神学者をキリスト教神学の歴史の中に位置づけることができることを表しています。

来年は1611年にイギリスで『欽定訳聖書(英国国教会と清教徒〈ピューリタン〉による最初の英語の統一訳聖書で、アメリカでKing James Versionと呼ばれる聖書)』が完成して400年、1711年にイギリスの哲学者デビッド・ヒュームが生まれて300年、1861年に宣教師バラが来日して150年、アメリカで南北戦争が始まって150年、1871年にゴーブルが最初の日本語聖書『摩太福音書』を刊行して140年、宣教師デーヴィスが来日して140年、1881年にドストエフスキーが没して130年、1891年に内村鑑三不敬事件が起こって120年、1911年に宣教師デフォレストが没して100年、1951年に神学者ボンヘッファーの獄中書簡集『抵抗と信従』、神学者ティリッヒの『組織神学』、神学者ヘルムート・リチャード・ニーバーの『キリストと文化』が出版されて50年、サンフランシコ講和条約(対日平和条約)と日米安全保障条約が調印されて50年、1971年に神学者ラインホールド・ニーバーが没して40年、東京に「いのちの電話」が開設されて40年、1991年に湾岸戦争が起こって20年、南アフリカで人種差別法であるアパルトヘイトが撤廃されて20年、2001年にアメリカ同時多発テロが起こって10年になります。これらのことは全てが記念として祝われるものではなく、そのことを覚えるというものを含んでいます。

私にとっての今年のクリスマスは藤崎教会での初めてのクリスマスでした(「クリスマス」の起源については雑記帳の「2004年12月18日(土)」の項目をご参照下さい)。クリスマスの礼拝では洗礼をお受けになる方があり、クリスマスの前日の夜のイヴ礼拝では教会学校の子供たちがトーンチャイムの演奏を披露し、共に喜び祝うことが出来ました。ちなみに藤崎教会は来年で創立125周年になります。私が以前、出席していた五所川原教会は来年で創立120周年になります。

今年、この津軽地域の雪は多いのでしょうか。霜の被害から野菜を守るため、玄関内にプランタを置いてほうれん草を育てています。今年、一年の様々な出来事を神に感謝しつつ、この時にあって苦しみ、悲しみの中にある人々のことを覚えつつ、来年が神と共にある良い年であることを祈ります。

 

 

2011年1月30日(日)

 

2011年も、早くも一ヶ月過ぎてしまいました。早いものです。今月、私は日本基督教団埼玉和光教会で行われた「ポナペ支援会・オール・リユニオン」に参加して来ました。これは「ポナペワークキャンプ(ミクロネシア・ポナペ島でのキリスト教主義高等学校施設建設のためのキャンプ)」参加者が一堂に会する集まりで、私は2002年から昨年まで、計4回にわたり参加しました。現在「ポナペ支援会」は日本キリスト教団に属する教会の有志の方々によって運営されています。今まで30年以上にも渡って行われた歴史のあるキャンプで、受洗者・献身者も数多く、輩出してきたキャンプですが、この集まりでは、最初に礼拝で長くワークキャンプを指導して来られた荒川義治牧師より説教がなされた後、茶話会が行われ、集まった方々の口から聞こえた言葉は、神と人とに仕えることの喜ばしさ、キリスト者の交わりの素晴らしさ等に満ち溢れていたことと思います。最後に「こどもさんびか 131番 かなしいことがあっても」と「あきらめちゃいけない」(両方とも作者は生地義人牧師:日本基督教団高崎教会)を皆で歌って閉会となりました。これからも何らかの形でポナペを支援することは大切です。

 ところで、「キリスト教神学」は学問的な意味での信仰の証しでもあります。ギリシア哲学、ヘレニズム文化に精通している人々に対して、キリスト教、あるいは新約聖書、イエス・キリストについて伝えるということが、「キリスト教神学」の始まりでもありました。それは「伝える」ということから「伝道」でもありました。もっとも信仰の証しは、他にも様々にあります。それらは言葉によるものであったり、行いによるものであったりします。キリスト者であるということも信仰の証しの一つです。

 藤崎教会では1月の日曜日の礼拝で弘前にあるキリスト教主義学校である東奥義塾高等学校卒業記念礼拝が行われ、今年、卒業する方々の歩みを覚えて、祈り、祝福しました。2月には津軽地域の日本基督教団に属する諸教会・諸伝道所の牧師たちの集まりで礼拝説教と発表をすることになっています。2月11日には「憲法9条」「平和」を覚えての集会があります。この日は「信教の自由を守る日」です。第2次世界大戦中に国家神道以外の宗教が信教の自由を奪われたことを覚えての集会でもあります。現在、エジプトではコプト教会が迫害に遭ったり、日本では公立学校において、戦時中に戦意高揚に用いられた「君が代・日の丸」を拒絶した教職員が辞めさせられ、そのことで、最高裁で裁判がなされようとしていたりします。「君が代・日の丸」を拒絶した教職員を辞めさせたのは、明らかに日本国憲法違反です。「宗教とは何か」を理解すると同時に、信仰の証しは様々な意味で大切です。

ところで、他の地域もそうですが、青森は5年ぶりの大雪で、多くの方々が困難を強いられています。また最近、「こどもさんびか」と並んで幼稚園で歌われている「ようじさんじか」があることを知りました。購入して教会学校でも用いようかとも思っています。

火山の噴火、鳥インフルエンザ等も発生していますが、一日も早く、それらが鎮まることを願い、苦難の中にある方々を覚えて祈っていきたいと思います。

 

 

2011年3月1日(火)

 

最近は「聖書」や「キリスト教」を特集した雑誌がよく出版され、売れているようです。その根底にあるのは「キリスト教とは何か」ということを教義学的に理解するということも含まれているかもしれませんが、それ以前に「キリスト教」という宗教を現象学的に理解しようとすることの傾向の方が強いものなのでしょう。もっとも、もし本当にそうであるならば、それ共にキリスト教を体験するということが必要となるでしょう。キリスト教には、言葉、絵、映像、音楽等では表現しきれない要素があり、同時にそれらを用いての宣教や伝道があります。

先日は津軽地域の日本基督教団に属する諸教会・諸伝道所の牧師たちの集まりで私が礼拝説教と拙い発表をさせていただきました。発表ではスイスの宗教改革者カルヴァンが「祈りについて」述べたものをまとめた本を読んでの感想等を述べさせていただきました。「祈り」は信仰生活において基本的に大切なものです。ですから、このような本を読むことは意味のある学習であり、同時に、カルヴァンが置かれた状況・歴史等との関連が今一つ不明確なのが残念なものでもありました。2月11日の「憲法9条」「平和」を覚えての集会では、北海道で平和運動に携わっているキリスト者の方が日本におけるアメリカの軍事基地について、特にその危険性について話して下さり、また仏教のとある僧侶の方が武器を持って戦うことが美化・正当化されていくことに対する批判、そして武力を必要としない国にしていくこと等を様々な例を用いて話して下さり、考えさせられる会でした。

ところで、3月は卒園・卒業のシーズンでもあります。藤崎教会では、3月の日曜日に歩みを共にしている幼稚園の卒園児たちと共に「幼稚園卒園記念合同礼拝」を行なう予定です。巣立っていく幼稚園の子供たちに神の祝福を祈る礼拝です。同じ3月には同地区の教会の教会学校の子供たちが集まる生徒大会や教会・伝道所・関係学校・関係施設が集まって話し合う協議会も予定されています。また来年度から私は藤崎教会主任担任教師(牧師)として奉仕させていただくことになりました。

 以前、記しました自宅の玄関に置いてあった、プランタの「ほうれん草」は12月から2月までの間、寒さのために育つこともなくじっと春を待っているように芽だけ出していましたが、ここ数日は暖かい日が続いたためか、いきなり伸び育ち始めました。今年は久しぶりに雪が多く積もったため、外の雪はなかなか溶けない状態でまだ積もっています。

ニュージーランドの地震、耐震構造等が問題となり、地震の被害に遭われた方々、遺族の方々の悲しみを覚えてお祈りをさせていただきました。北アフリカ諸国の動向等、緊張感の漂う国々の動向も見守っていきたいと思います。

 

 

2011年3月29日(火)

 

3月11日に発生した「東日本大震災」で甚大な被害に遭われた地域の方々に心よりお見舞い申し上げます。また原発事故放射能による被害が一日も早く終息に向かうようお祈り申し上げます。現在、被災地でボランティア等の救援・支援活動に励んでいる方々の働きが祝され、また疲れが癒されますように。

今回のこの震災は日本国内観測史上最大の地震でした。宮城県で震度7を記録しました。私が今住んでいる津軽の地域では、震度4を観測し、11日から12日にかけて同地域でも停電となり、水道・ガスは無事でしたが、しばらくガソリンが底を突いた状態が続きました。それも復旧しましたが、現段階でそれらのライフラインが復旧していない地域もあります。速やかな復旧がのぞまれます。

ところで、キリスト教の信仰理解には様々ありますが、旧約聖書創世記の天地創造の物語に従い、神が世界をお造りになり、人間は神に似せて造られたゆえに、自然は尊ばれ、人間の尊厳は保たれなければならないという信仰の在り方も示されてきました。電気を無駄に使いすぎてきた生活も根本的に反省しなければなりません。人間による最先端の科学技術が人間を不幸にすることもあるようです。人間の中にある悪魔的な要素や限界を知ることも大切なようです。天罰ではなく、神がお喜びになることを求めたいものです。この地震が決して「天罰」ではないことを信じ、放射能による被害が出ないように対策が進められていくこと、今回の震災で大活躍した自衛隊の活動が、戦場での、また戦場への活動ではなく、これからは被災地における救助支援活動や原発事故等に対する処理活動に重点が置かれるようになること、これからは火力、水力、風力、地熱、太陽熱発電等原子力にとって代わるエネルギーが用いられることを願いつつ、歩んでいきたいと思います。

この地震の影響で3月中旬以降予定されていた地区の集会等は中止となりましたが、日本基督教団北海教区(道北地区)・奥羽教区・東北教区・関東教区等を始めとする支援活動があることを知り、昨日28日(月)には支援物資等を盛岡の奥羽キリスト教センターまで車で届けに行ってきました。新潟県中越地震の時にも支援活動を行なったことが、思い出されました。

途中、高速道路のサービスエリアで偶然にも同じ地区の教会の牧師先生方とお会いしました。甚大な被害を被った三陸方面にある海岸沿いの諸教会を一泊二日で訪問しに行くということでした。奥羽キリスト教センターには日本各地のキリスト教関係者・団体から様々な支援物資が届けられていて、奥羽教区を始めとする各地の教会関係の方々が支援物資の仕分け作業を行なっていましたので、それを手伝ってきました。私が今います藤崎教会でも募金活動を行なっていますが、日本だけでなく、世界規模で様々なチャリティー活動、募金活動もなされています。被災地における心のケアもそうですが、これらは長期間に渡って行われる必要があるようです。また現在、農家に対する風評被害や原発地域から避難している方々へのサポート、就業・就職・教育等の相談や支援も重要です。

津軽地域では今年の冬は雪が多かったのですが,徐々にその雪も解けてきています。ようやく春がやって来たという感じです。3月9日より日本基督教団の教会暦では「受難節」に入りました(「受難節」の起源については雑記帳の「2010年2月28日(日)」の項目をご参照下さい)。イエス・キリストの苦しみ、死と復活を想い起しながら、礼拝を行ない、信仰生活を送る時です。4月より新年度が始まります。教会と歩みを共にしている藤崎幼稚園では卒園する子供たちのために「祝福式」を執り行いました。また藤崎教会の兼務主任担任教師である松村重雄牧師が今年度3月末で同教会を辞任なさいます。松村重雄牧師の苦労が労われ、これからのご活躍に神の祝福があることをお祈りし、宣教の業に励んでいきたいと思います。

 

 

 

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