雑記帳(Y)                       

 

川上純平         2011・4・30〜

 

 

2011年4月30日(土)

    

この度の地震について、日数が経つにつれ、また様々な調査や分析などによって、この地震がどれほど強大なものであったか、また、その被害がどれほど甚大なものであるかがわかってきたようです。私が今いる所も被災地域で、今でも地震による精神的なストレスは残っていますが、それ以上に甚大な被害に遭った地域の方々は、もちろん、支援等のボランティア活動に励む方々にも疲れの色が見え始めてきているようです。日本基督教団もそれに属する各地方の教区も取り組みを行なっています。神の癒しと平安があることを祈ります。

キリスト教会で読まれる旧約聖書、創世記では、神がこの世界と生き物、人間を創造したと記されていますが、自然災害と人間との関係については、人が自然の脅威、恐ろしさに出会うのも自然が神によって造られた創造物であるからであるとされます。神が自然世界を造ったということは、自然が人間に危害をもたらさないということではないようです。人間は神と関わりのある存在であり、神と向き合う存在であること、人間が神と同じくらい素晴らしいものだということ、人間が自然に出会って、人々に出会って素晴らしいと思うのも、人間が神によって造られたものであるからだとされています。逆に人間は自然を破壊したり、人間同士で争ったりする存在でもあります。人間に苦しみがあるのも、創世記に登場する最初の人類の象徴であるアダムとエバが罪を犯したからであり、それでさえも神の救いの歴史の一部であるとされます。

ところで、この地震で、それぞれの地域の村や町の「共同体意識」が大きく働いているということがあります。それは都会では失われてしまった絆に近いものであり、ある時には結束を強めるものであり、ある時には束縛を与えるものです。「東北の人は忍耐強い」という言葉を聞きますが、見えない部分で実際には悲鳴をあげているというのが現状です。政府、首都圏等の行政や企業等の大人数の団体による取り組みには感謝し、期待しています。もっとも原発問題に関しては恐怖と非常な憤りを覚えずにはいられないものがあります。様々な情報が錯綜する中で地震を利用した犯罪のニュースにも驚かされます。

節電を始めとして、備蓄等に対する理解が深まってきていることは、大変喜ばしいことです。一方で、被災地域での様々な行事等を自粛するムードと祭的なもので地域を盛り上げていこうとする態度とが共存しつつ復旧へと向かっています。余震や今後起こる大地震をはじめとする自然災害に備えるという構えは依然必要なようです。東北以外の地域や外国での様々なチャリティーコンサートや催し、支援活動、また地道な取り組み、「癒し〈慰め〉」のための活動も行われています。ただ健康や経済に対する不安は目に見える実質的なものによる解消を求めるものなのではないでしょうか。

ところで、地震のためにあまり取り上げられませんでしたが、4月22日に東京の最高裁判所で沖縄戦において軍隊による集団自決強制があったことが認められ、大江健三郎氏が勝訴したことや、今年の1月28日に東京高裁にて東京都教育委員会による日の丸・君が代強制処分に対して都職員400名が敗訴しましたが、3月10日は同じ東京高裁で東京都教育委員会による日の丸・君が代強制処分を取り消す判決が下され、都職員168名が逆転勝訴したという出来事も記憶されるべきでしょう。5月3日は弘前で行われる日本国憲法・戦争と平和・人権等について考える「5・3市民集会」が行われ、それに参加する予定です。

先日の日曜日、私が属する日本基督教団藤崎教会では津軽にあるキリスト教主義学校の一つである「東奥義塾高等学校」に入学した生徒の方々と共に礼拝を行ない、神の祝福を祈りました。また24日の日曜日には主イエスの甦りを喜び祝う「イースター(復活日)」の礼拝等を行ない、新しい年度の歩みを始めました。このような状況の中にありながらも、感謝を持って歩んでいきたいと思います。

家の外にあるプランタには冬の雪解けを待って夏や秋に植えた植物・野菜の種が土の中から芽を出し始め、新たに植えた「茄子」の種が芽を出しています。イースター(復活日)が「生命の息吹」を感じさせる季節に合わせて祝われるようになったことを想います。

 

 

2011年5月31日(火)

 

5月19日及び29日に日本基督教団に属する岩手県三陸沿岸の諸教会を訪れました。19日には大船渡教会に物資を持って訪れ、29日には宮古教会に主日礼拝説教を行なうために訪れました。どちらの教会も現在、その地域の被災者の方々に対する支援を行ないつつ、教会活動を行なっています。また大船渡・陸前高田・宮古の町を見学させていただきましたが、言葉を失うほどの家屋倒壊等の被害状況が今でも目に焼き付いています。被災地の方々が元の生活に戻れるまで、また町が完全復興するまではあと数年かかると言われています。疲れを覚えている方々も多く、今までにあまりにも多くの方々が訪問したこともあって、今は訪問しすぎるのは避けた方が良いのではないかとも思われます。神による深い慰めと癒しと平安とがそれらの方々にあることを祈ります。

また先週は日本基督教団奥羽教区総会が盛岡にて開かれ、それに出席しましたが、今回、新しく正教師になられた方の按手礼式が執り行われ、教区議・副議長・書記・常置委員らの方々の選挙が行われ、そこでも甚大な被害に遭った被災地の諸教会の紹介がなされ、エネルギー問題についての声明が決議されました。その声明は原子力に頼らず、核燃廃棄物リサイクル施設の稼働停止を求める声明でもありました。

福島にある原子力発電所の事故に関する情報が、かなり時間が経ってから流されてくるということで、その権限やシステム等が問題となっており、一方で放射能汚染に関しても様々な情報が飛び交う中で、どれが重要な情報か見極める目が必要とされるのではないかと思います。

津軽地域の日本基督教団の諸教会・伝道所・関係学校・関係施設等が属する地区ではキリスト教主義学校である東奥義塾高等学校の元塾長が裁判に勝利したことが報道され、同校の今後の歩みが期待されてもいます。

私が牧会伝道を行なっています日本基督教団藤崎教会では、来月、聖霊が降臨したとされる「ペンテコステ」の礼拝(「ペンテコステ(聖霊降臨日)」については雑記帳の「2009年5月28日(木)」をご参照下さい)、教会学校や教会とつながりのある藤崎幼稚園の子供たちと大人の方々が共に礼拝を守る「子供の日・花の日」の合同礼拝が行われ、また私の主任担任教師(主任牧師)としての就任式も行われます。また、今年度から私は毎週、藤崎幼稚園で子供たちの礼拝のお話、毎月、幼稚園教諭のための聖書を読む会も行うことになりました。これらのことを神に感謝しつつ歩んでいきたいと思っています。

 

 

2011年6月27日(日)

 

 今月は引越作業のために非常に忙しい1ヶ月間を過ごしました。私は2007年から今までは日本基督教団五所川原教会に住み、そこから日本基督教団藤崎教会に通勤していたわけですが、今月20日から藤崎教会に住むことになりました。また19日(日)には藤崎教会で私の主任担任教師(主任牧師)としての就任式も行われ、同じ地区の諸教会・伝道所・関係学校・関係施設の方々がお祝いにかけつけて下さり、教区の諸教会・伝道所からも祝電をいただきました。藤崎という町に慣れ親しみつつ、教会の宣教の業に励んでいきたいと思っています。最近では「聖と俗」の問題が理論と実践では異なるものであることもわかってきました。

 夏の7月には、五所川原教会の創立120周年記念式及び祝賀会、教育講演会、藤崎教会教会学校の「夏の集い」、8月には藤崎教会「召天者記念礼拝(既に亡くなった方々を覚えての礼拝)」、地区の牧師たちが集まる教師研修会、JR五能線の沿線にある「三教会(藤崎教会、五所川原教会、木造教会)合同礼拝」等が予定されています。先月、日本基督教団宮古教会で礼拝説教の奉仕をさせていただきましたが、地区による甚大な被害に遭った岩手県の諸教会への礼拝という形での支援活動も行われる続けることでしょう。地震の余震がある度に、一瞬恐怖を感じます。福島原発事故による放射能汚染の問題もこれから長く続きそうです。

今年は例年になく寒い春が続き、6月下旬でも最高気温が21度程度の日があり、体調を崩さないように気を付けています。庭で育てていたプランタ野菜も一緒に引越をして、一冬を越したパセリが生い茂り、ほうれん草は花を咲かせ、昨年咲いて土に落ちたコスモスの種は、今年の春になって芽が出て、今では茎が十センチ以上の高さになっています。神の創造について考えさせられています。

 

 

2011年7月31日(日)

 

今年、津軽の7月は全般的に涼しい日が多く続きました。7月の最高気温は31度、最低気温は12度で、夜と朝の温度差が激しいので体調管理が重要です。これらのことが農作物への良い影響となれば良いのですが、不安材料でもあります。各地では台風や豪雨のために苦難に遭った方々がおられます。その方々に神による癒しと平安があることを祈ります。また地震の影響とそれに関連する様々な出来事、情報は連日のように報道され、「再生」が少しずつ進んでいるという喜ばしい状況と、例えば放射能汚染の影響は風評被害をもたらす可能性があることを含めて、すぐにでも解決していただきたいのですが、なかなか解決せず長期的展望が必要であるという深刻な事態に陥り、信仰が試されているのではないかとさえ思わされます。国会では児玉龍彦氏(東京大学教授)による7月27日の厚生労働委員会での発言にも見られるように放射能汚染についての政府の対処の仕方に問題があることが指摘され、また専門家の間でも一致しないものがあるということです。発電に関しても政治家と企業との癒着、原子力発電所がなくても全国の発電力が十分に賄えるということが言われています。

私たちキリスト者は地震・津波被災ボランティアの専門家でも、原子力発電所による放射能汚染の専門家でもありませんが、このような状況にあって、たとえば、礼拝の中で被災した諸教会のことも含めて、そのことを覚えて祈る、あるいは、署名や募金等を行なっています。それは「救われた者らしく生きる」というキリスト者としての倫理であると同時に、キリスト教信仰における人間理解に基づくもので、聖書を土台としたものです。

地震により危険な原発から放射能が漏れて問題となり、次から次へと、その問題を解決していかなければならないような、人間の限界、終焉と可能性のある中で生きなければならないような状況でもって聖書が語る「神の国」が完成したとは言えないでしょう。

藤崎教会では7月は教会学校(子供たちの礼拝を中心とした集まり)の「夏の集い」を行ないました。夏休み中の一日を使って、今回は旧約聖書創世記6〜9章に記されている「ノアの箱舟」の箇所に基づいて、礼拝を行ない、聖書に学び、子供たちが聖書のその箇所に記された「契約の虹」を7色の絵の具を用いて手形で描きました。また子供たちが共同で昼御飯を作り、交流の時を過ごしました。普段、なかなかこのような機会を持つことは少ないと思います。幼稚園の先生や保護者の方にも手伝っていただき、子供たちにとって良い経験となったと思います。8月には「平和聖日礼拝」「召天者記念礼拝」「地区教師(牧師)研修会」等の研修会、諸教会の合同礼拝等もあります。

ところで、教会の玄関の「アジサイ」の花が7月下旬に開きました。この花は隅に咲いている花でありますが、しっかりと咲いています。最初は小さな草花のようなものだったと思います。それが、こぢんまりときれいな花を咲かせています。私たちは、その花よりも優れた存在ではないかと思います。家の庭で育てていたプランタ野菜も茄子は実を付け始め、紫蘇は立派に葉を生い茂らせています。

同じ地区にある日本基督教団五所川原教会は今年で創立120周年を迎え、その記念会に出席しました。藤崎教会に引越しして1ヶ月程しかたってないのに久しぶりに多くの方と会い、早くも懐かしさを感じさせる雰囲気に包まれました、また記念講演会も行われ、日本基督教団今治教会を歴任され、敬和学園高等学校校長も務めた榎本栄次先生(現在、日本基督教団世光教会牧師)からお話をお聞きし、これは良い励みとなりました。

青森では8月から「ねぶた祭り」の季節となり、町が非常に賑やかになりますが、他の地域同様、暑さ対策、節電を行ない、余震、放射能の恐怖にさらされながら、そうであるからこそ、キリスト者であるゆえに信仰を持って生きています。

 

 

2011年8月31日(水)

 

先日は宮城県仙台で行われた同志社大学神学部卒業生及び日本基督教団に属する旧教派「組合教会」に連なる牧師・信徒の団体である「同信伝道会」の「東日本」の集まりに参加して来ました。そこで日本バプテスト連盟東八幡教会牧師の奥田知志氏の講演をお聞ききしました。講演題は「教会の預言者性と祭司性 ‐ホームレス支援、そして震災」で、奥田氏は講演の中で「ホームレス支援を行っている中で、今回の震災に出遭った。被災支援にあたる中で『十字架のイエスは傷ついた神である』というこの知らせが“メタノイア(方向転換、生き方を変える)”を促すことを教えられた。これからも東北に支援に通いたい」と話されました。また、その後も発題者の話や報告、全体での協議等がなされ、中にはプロテスタント教会の牧師で仏教の僧侶、神社の神主と共に被災者の方々の遺骨を「弔う」儀式を行なったという報告をされた方もいました。“メタノイア”という言葉はギリシア語の言葉で新約聖書では「悔い改める」という意味の言葉です。震災という出来事といかに出遭い、その状況でキリスト者としていかに生きるかということを様々な観点から考えさせられ、また組合教会の将来についても共に考える時を持ちました。

8月最初の日曜日は「平和聖日礼拝」を行ない特に福島原発・六ヶ所村核燃料リサイクル施設等の危険性を覚えて「脱原発」を礼拝の祈りに取り入れました。中旬には藤崎教会で既に天に召された方々(お亡くなりになった方)を覚える「召天者記念礼拝」を行ない、地区教師一泊研修会では日本聖書神学校教授の古谷正仁氏を講師に迎え「礼拝」についてのお話を聞きし、「礼拝において神の民として牧師も信徒も慰められ、力を与えられ、福音によって生きていくことを自覚する」ことを学びました。教区の集まりでは「教会と国家」について考える会で東京都公立学校における「君が代訴訟」を行なっておられる佐藤美和子氏のお話をお聞きしました。そこでは「君が代」がかつての戦争に用いられたことによって子供たちの将来に危惧を与えていることに対する真摯な態度と、それとともに信仰は生死の問題であることが理解されてない裁判所の判決に抗う姿勢が語られました。また五能線沿線三教会合同礼拝では藤崎教会と五所川原教会と木造教会の三教会が合同で礼拝を守り、それぞれの教会が抱える「宣教の課題」について発題がなされ、話し合いの時を持ちました。これから秋に入りますが、9月も諸集会・諸行事で大忙しです。

ここ津軽では、全般的に8月は暑い日が続きました。8月中旬には初物の津軽りんごをいただき、家の庭のプランタの茄子も収穫することができました。8月下旬には休暇を取り、白神山地を訪れたり、東京の学士会館にある新島襄生誕地を訪れたりしました。かつてそこには安中藩の江戸屋敷があり、そこで新島襄は生まれたのです。また藤崎教会とゆかりがあり、メソジスト教会初代監督であった本多庸一が学院長を務めた青山学院にも訪れました。学校の入口にはメソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレーの銅像が建てられていました。

しかし、その頃、東京は集中豪雨に見舞われ東京都練馬区で1時間に90.5ミリという雨量観測記録が出たほどでした。日本各地でも豪雨等があり、多くの方が水害に苦しんだことと思います。今も台風12号が日本に向かって進んでいます。特に地震で被災された方々が水害などで苦しむことがないよう、農作物が秋に無事収穫出来るようお祈りしたいと思います。

 

 

2011年9月30日(金)

 

今月上旬に秋田県田沢湖まで教区の研修会に行ってきました。講師の同志社大学神学部教授で実践神学がご専門の関谷直人先生からお話を聞きしました。大変勉強になる会でした。牧師にはこのような形での研鑚の時が必要であることをあらためて思わされました。教会では11日に礼拝の中で地区が作成した大震災半年の祈りを祈りました。中旬に津軽の諸教会が共同で建てた墓地で「墓前礼拝」を行ない、天の神のもとに召された方々(お亡くなりになった方々)を偲び、また一方で近隣の教会の先生を招いて「六ヶ所村再処理工場」についての学習会を行ない、活発な質疑応答がなされ、「六ヶ所村再処理工場」に政治や経済が関わっていること、放射能が人間に害を与えるものであることを再確認しました。原子力から自然エネルギーへの転換が必要なようです。また下旬の日曜日には同じ地区内の諸教会・伝道所の牧師が他の教会・伝道所で礼拝説教を担当する「交換講壇」が行なわれ、それぞれの諸教会・伝道所の交わりと連帯を強めました。また藤崎教会に併設の幼稚園では運動会が開かれ子供たちが保護者の方々と楽しい一日を過ごしました。10月は幼稚園でバザーが行われる予定です。教会では信徒の方のお宅で聖書を共に読む「家庭集会」が予定され、教区では「社会問題セミナー」があり、原発・放射能と自然エネルギーについて学ぶ予定になっています。また私自身は9月下旬に三陸の新生釜石教会へ向かい「藤崎のりんご」をお渡ししました。新生釜石教会は各地から来たボランティアの方々と会堂修理を行なっていて、どのぐらいの高さまで津波が来たのか等、教えていただきました。釜石の町では復興活動が行なわれていますが、未だに信号の点いていない地域や地盤沈下で満潮時には海水によって大きな水たまりができる道路等、大地震から半年が経ち、復旧活動がなされているわけですが、悲惨な状況がまだまだ続いています。

ところで、当ウェブサイトのリンク・ページにネパール人のゴビンダ氏再審請求を求めるサイトがリンクされていますが、先日、その事件についての新しい証拠が発見されたというニュースがあり事態の進展がありました。またサンゴと言えば、普通は熱帯の海に多数生息するわけですが、山口県の瀬戸内海では珍しく「ニホンアワサンゴ」という種類のサンゴが多数発見され、環境庁が「海域公園」として保護する予定になっている一方で、近くに原子力発電所を建てる計画があるということがあります。さらには福島原子力発電所を含む各地の原子力発電所では東日本大震災以前から放射能漏れを起こしていたことがいくつかのデータにより確認されていることがわかったりしています。神による創造について考える日々です。

今年の9月は台風の月でした。日本各地で大雨と洪水により多くの方が甚大な被害を受けました。特に東日本では原発事故の放射能による風評被害が大震災以来、懸念されてもいます。青森県では放射能が検出されていないのに風評被害があります。神による癒しと平安をお祈りします。困難な状況が克服されますように。私が今住んでいる牧師館の前のプランタでは冬野菜の聖護院大根やネギを育て、コスモスが紫色の花を咲かせようとしています。本格的な秋の到来を感じます。

 

 

2011年10月31日(月)

 

今月は中旬に教区の「社会問題セミナー」に出席し、「原発事故による放射能汚染とエネルギー問題」について慶応義塾大学で教鞭をとっておられた藤田祐幸氏に講演していただき、学びの時を持ちました。これは放射能が環境と人体に及ぼす影響という視点から、神がお造りになった、この世界と人間に対する保全と人間の罪について、地域と共にある教会について考える時でした。講演では専門家という視点から、いわゆる「御用学者」とされた方々の意見とは異なり、放射能汚染が甚大、かつ危険で病気等を発生させるものであること、科学者や政治家、宗教家は反省しなければならないこと等、厳しい話がなされました。原発がなくても電力を賄えることや「風評被害」問題と「放射能汚染」問題では「放射能汚染」の問題が重要であり、産地はどこかということではなく、暫定規制値では安全ではないので、より厳しい測定法で他の放射能の数値が計測されて、安全であることが表示されなければならないこと等の意見も交わされ、特に福島県の子供たちの十年後あるいは数十年後を見通して考えることも必要であることが示されました。巷では日本各地で放射能が発見され、一方、農作物で出荷禁止にされていたものが解除される等の動きも見られます。太平洋の海流に乗った放射能がアメリカにまで達し、数十年後には日本に戻ってくるということ等、理解するには中学生・高校生時代の、あるいは大学生教養レベルの知識が必要とされていることもはっきりしてきました。それらを他者にわかりやすく説明するという事も必要なのでしょうか。私たちキリスト者はこの方面の専門家ではないので、ほとんどお手上げのような問題も含まれていますが、これからの取り組みが大切なようです。旧約聖書の「ヨブ記」に学ぶことで得られることもあるのでしょう。

教会で10月の様々な集会や行事を行ないました。信徒のお宅で行われた「家庭集会」では短い礼拝を行ない、話し合いの時を持ちました。「墓前礼拝」は9月に行なったものとは別の墓地で行なった礼拝で、教会に連なり、既に天に召された方々の遺族も交えてお墓の前で共に礼拝を行ないました。「町探検インタビュー」は町内の小学校の先生と生徒たちが隣接する幼稚園と藤崎教会の見学をするというもので、それも授業の一環なのでしょう。日曜日の礼拝ではマイクを設置して使用するようになり、また暖房を入れ始めています。11月には「教会が自然災害にどう向き合うか」ということで「地震」をテーマに「地区信徒研修会」が行われ、教会では「幼児祝福式合同礼拝」「収穫感謝礼拝」、教区では集会が予定されています。私は11月にキリスト教主義学校礼拝説教も担当することになっています。

牧師館の前では、同じ地区の伝道所でいただいたコスモスの種が見事にきれいな花を咲かせました。農家ではリンゴの収穫(青森県名産の「りんご」は放射能の影響を受けておりません)真っ最中で、農家の方々は多忙の中にありますが、収獲の最後まで神が癒し、力を与えて下さいますよう祈ります。

 

 

2011年11月30日(水)

 

最近、神学関係の古本を何冊か購入しました。順不同に挙げますと、宮田光雄著『宗教と政治倫理』、大崎節郎著『神の権威と自由』、熊澤義宣著『ブルトマン』、上田光正著『カール・バルトの人間論』、カール・バルト著『祈り』、モルトマン著『希望の神学』、ブルトマン著『著作集11 神学論文集T』、ホーダーン著『現代キリスト教神学入門』、ツァールント著『20世紀のプロテスタント神学(上)(下)』、パネンベルク著“Systematic Theology”等です。どれも神学生時代から是非とも購入したく思っていたものばかりですが、経済的事情や大学神学部の図書館に行けば置いてあるということもあって、なかなか購入出来きませんでしたが、この度入手することが出来、大変嬉しく思います。「教会の機能としての神学」「教会なければ神学なし」を主張したのはカール・バルトでした。教会の何もかもが神学で出来ているわけではありません。マニュアル化された理論を実践(例:教会や付帯事業)に当てはめるのではなく、実践の現場からの神学の構築も必要であるとされています。難しいことでありますがそれも大切なことでしょう。先に挙げた本の中には著者や所有者の方のサインが入っているものもあります。いつかは読破したいと思っています。

11月は、地区や教区の集会に出席し、12月に行われる「藤崎教会創立125周年記念礼拝」、クリスマス諸行事の準備等を行ないました。祝い事続きなので、喜ばしい反面、それに追われて勉強する暇もほとんどありませんでした。しかし、12月の津軽地域の諸教会の牧師の集まりでは「伝道」や「礼拝」に関することで私が発表を行うことになっていて、そのための勉強の時間をなんとか設けることができ、感謝しています。

考えてみますと、今年も特別な年でした。サッカーチーム優勝の盛り上がりや国際宇宙ステーション、ダークエネルギー等、宇宙への関心も集まる一方で、様々な恐怖と絶望と怒りと悲しみの中にあって無気力にさいなまれる人々、また地震の被害が酷い地域の諸教会を想い(専門家たちの間で意見が異なることを含めて)、放射能問題の行く末を考え、人間が生きていくとはどういうことかを考えさせられ、ニヒリズムに陥ることなく生きていくことを想います。そこには「神義論」が合わさっていくのかもしれません。しかし、それにしても驚かされました。中沢新一氏による「原子力は一神教である」という主張や沖縄防衛局長の問題発言に代表される不快さがあります。フロイトやマルクスでさえも「宗教」について誤解することがありますし、政治家の問題発言や倫理観が問われたのは今に始まったことではありません。「宗教」について正しく理解するということと政治家としての態度を考え直すことがこれからも必要とされるようです。

今月、教会の礼拝の中では「幼児祝福式」を行なったり、「収穫感謝礼拝」での献げ物を「山谷まりや食堂」にお送りしたりしました。そこは仕事や住む場所がない人のために教会が建てた食堂です。また幼稚園の子供たちがクリスマスの「降誕劇(ページェント)」の準備を始めています。11月下旬よりクリスマスに向けて「アドべント(待降節)」(「アドベント」については「2009年11月29日(日)」をご参照下さい)の期間に入りました。どれも大切なものであることを実感しています。皆さんと力を合わせて行なっていきたいと思います。 

農家では収穫も無事終わりました。今年は猛暑のために「リンゴ」の収穫が少ないのだそうです。おいしい蜜が中に入っている「ふじ」は名産品なだけあって少し残念です。これから雪の降る日も増えていくことでしょう。庭の大根(聖護院大根)もそろそろ収穫が近づいています。自分にとって1995年や2004年等もそうでしたが、2011年という「自然」と「災害」と「人間」について体験させられ、考えさせられた年もあと一ヶ月となりました。皆様はクリスマスをどのようにお過ごしになるのでしょうか。疲れと弱さの中にある人々に神の恵みがあるよう祈ります。

 

 

2011年12月31日(土)

 

キリスト教会は1月6日の「公現日」を別にすれば、既にクリスマスの諸行事を終えました(「公現日」については「2007年12月26日(水)」をご参照下さい)。藤崎教会ではクリスマスイヴ礼拝で礼拝後に、フルートとパイプオルガンによる素晴らしい演奏が行なわれました。同月、創立125周年記念の礼拝と記念演奏も無事に行なわれ、礼拝では歴代牧師に説教をしていただきました。礼拝後は、ピアノ演奏とメゾソプラノ、バリトンによる歌が披露されました。多くの方々が集い、お祝いの言葉もいただき、教会の歴史を振り返る良い機会であると同時に、この教会がこれからも歩んでいくことの全てが神によって祝福されていることを今一度想う、そのような時でもありました。

来年は沖縄日本返還40年、太平洋戦争勃発70年、カール・バルト『教会教義学』出版80周年、5・15事件勃発80年、カール・バルト『ローマ書』第2版出版90周年、全国水平社創立90周年、西南女学院創立90周年、近江兄弟社学園創立90周年、本多庸一召天100周年、エーベリング生誕100周年、ラインホールド・ニーバー生誕120周年、学生キリスト教運動(SCM)創立120周年、尚絅女学院創立120周年、高梁教会創立130周年、遺愛学院創立130周年、東奥義塾創立140周年、日本基督公会創立140年、ヘボン開塾150年、『レ・ミゼラブル』出版150年、ギュツラフ沖縄伝道180年、プリンストン神学校創立200周年、少年十字軍800年等の年でもあります。非常に喜ばしいものがあると同時に、忘れてはならない悲しい歴史にも目を向けなければなりません。

ところで、今年は仙台北教会と鳥取教会から創立120周年の記念誌をいただきました。それぞれ神学生時代と伝道師時代にお世話になった教会です。仙台北教会はこの度の大震災の被災教会です。神の癒しと平安があるよう祈ると同時に、両教会のこれからの宣教の歩みにも神の祝福を祈ります。

125周年と言えば、宮城英学校(後の東華学校:廃校となった後、学校職員が仙台北教会を創立)や共愛学園、山陽英和女学校(後の山陽学園)、松山女学校(後の松山東雲学園)、来徳女学校(後の弘前学院)、仙台神学校(後の東北学院)、小崎弘道が建てた番町教会、海老名弾正が建てた弓町本郷教会等も2011年に創立125周年を迎えました。おめでとうございます。ちなみに今年はカール・バルト生誕125周年、パウル・ティリッヒ生誕125周年でもありました。

先日、東北学院大学で教えておられた先生で、仙台北教会のオルガニスト等をなさっておられる川端純四郎先生が『さんびかものがたり X 平和の道具と信仰生活の歌』(日本キリスト教団出版局)という本を下さいました。その中で「讃美歌21」の曲を幾つか選んで執筆なさっておられますが、そこにカール・バルトが登場します。それは讃美歌21の484番「主われを愛す」についてカール・バルトが歌詞を引用したというエピソードですが、バルトは「バルト神学を一言で要約すると、どうなりますか?」という質問に、484番の一番の歌詞の一、二節を英語で口ずさんで見せて「これが全てです」と答えたということです。ある意味、バルトらしいコメントだと思います。

先日、「キリスト教神学のページ(T)」に信仰告白(信条)についてを載せました。これは地区の牧師たちの集まりで発表させていただいたものですが、読めばわかりますとおり、奥の深いものです。また最近気づいたことですが、かつてアリスター・E・マクグラスが来日した時の講演を収めた本『DVD付き 聖餐 その歴史と実践』(キリスト新聞社)で語られている内容を聴いて読み、改めて同感し、重要であることを想わされています。さらにこの10年の間に「キリスト教入門書」や「キリスト教基礎知識」に関する本がいくつかの出版社から立て続けに出版されているのは、知識あるいは精神的な糧としてのキリスト教に対する需要が高まったためでしょうか、あるいは宣教や伝道方針のようなものと関係があるためでしょうか。キリスト教関係の書物には『原発とキリスト教』(新教出版社)のような本も出版されています、皆様お読みいただければと思います。

クリスマスの讃美歌と言えば、「もろびとこぞりて」や「きよしこの夜」等が有名ですが、クリスマスに読む聖書箇所として、どのようなものがあるか以下に幾つかあげておきます。旧約聖書では創世記1章〜3章、イザヤ書11章1〜9節、40章9〜11節、ミカ書5章1〜4節、マラキ書3章20節、新約聖書ではマタイによる福音書1章1節〜2章12節、ルカによる福音書1章5節〜2章20節、ヨハネによる福音書1章1〜18節、フィリピの信徒への手紙2章5〜11節等です。ちなみにキリスト教会ではお正月の期間も含め1月6日までクリスマス期間として過ごすのが本当は正しいわけです。散々な年でもあった2011年とお別れし、2012年が良い年であるよう祈ります。

 

 

2012年1月31日(火)

 

今年も早いものでもう1ヶ月が過ぎてしまいました。今回、「キリスト教神学のページ」の「キリスト教史年表(Y)〈21世紀〜〉」中の「11年」を更新しました。年表を作成して、2011年がどのような年であったのかを考えさせられました。

ここ青森県・津軽の地もこの冬は例年にない大雪です。多い所で高さ4メートル程の積雪になっています。毎日、雪かきをしていますが、私が住んでいる藤崎町は、以前、私が住んでいた五所川原市とは雪の降り方が異なります。五所川原がいわゆる「地吹雪」という横から吹く風によって雪が舞い上がって降るのに対して、雪が真っ直ぐに上から下に降ってくる事が多いのが特徴です。そのせいか積もる雪の量が多いように感じてしまいます。この度の大雪のために事故に遭ったり、亡くなられたりした方もいます。リンゴの枝が駄目になってしまったという話しも聞いています。悲しみの中にある方々に神の癒しと慰めを祈ります。氷柱も2メートル以上のものが軒下に見られたりするような点は面白いのですが。青森の冬は雪の下にあるニンジンを掘って取った「深浦の雪人参」等、雪を利用した美味しいものがあるのも特徴です。

ところで、最近、組織神学の大著、カール・バルトの『教会教義学』の日本語訳を全巻揃えました。全部で数十冊あり、古本屋から購入したものもあります。この本は今までに一部だけしか持っていませんでしたが、大変重要な本です。同時にこの度、改訂訳が出版されたプロテスタント神学最初の組織神学書と言われるジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』も全巻揃えることができました。今までは「綱要」の「綱要抄」とされる短くまとめたものしか持っていませんでしたが、「綱要」そのものを全巻揃えることができました。神に対して感謝します。

一方で、3月11日のあの大地震、それに伴う津波、人災も絡んだ原発放射能事故等によって苦難に遭っている方々が未だ数多くおられます。また青森県六ヶ所村再処理工場が再稼働してしまいましたが、大変、危険であるので一日も早く永久停止することを願ってやみません。私が今、属している日本基督教団奥羽教区でも再処理工場稼働に反対する声明等を今までに県や日本原燃に提出してきました。藤崎教会でもかつてこの問題に取り組む信徒の方々がおられました。最近もこの学習会を行ないました。六ヶ所村の財政のために受け入れたとされる施設です。日本各地でも、これから発生すると言われている地震や自然災害の問題があり、原発にまつわる問題があり、またTPPの問題があります。放射能汚染の問題は以前に比べれば、農産物や魚介類等に含まれる放射能物質汚染濃度が低くなってきているデータも見受けられますが、地面に落ちた放射能は、一度、地上が乾燥し、その後、風や雨によって放射能物質が別の場所に飛んで行ったり、福島第一原発から未だに放射能が微量ながら漏れていたり、食物連鎖等によって、最終的には人に到達するということがあり、予断を許さない状態が続いています。これらの問題に対する取り組みが神の御心に適ったものであることを祈ります。

藤崎教会では今年の1月1日に主日礼拝(主日礼拝は、創世記の中で神が世界を創造して7日目に休み、その日を聖別したとされること、主イエスの復活した日が日曜日〈週の初めの日〉とされたことにより、主の日である日曜日に礼拝するということです。)を行ないました。日本基督教団の教会暦では1月1日は「元旦礼拝」とされています。藤崎教会では「元旦礼拝」を行なっていないのですが、偶然にも今年度は「元旦礼拝」の時に日曜日なので、「主日礼拝」を行なうことになりました。礼拝前や礼拝後には、新年の挨拶を礼拝出席者でお互いに行ないました。1月は津軽にあるキリスト教主義学校の一つ、東奥義塾高等学校を卒業する生徒の方々と共に卒業記念礼拝を行ない、生徒の方々に祝福を祈りました。これは同じ地区の諸教会・伝道所でも行なわれたものです。2月には弘前で行なわれる「2・11市民集会」に出席することになっています。これは「憲法9条」や「平和」を覚えての集会ですが、今回はそれらとの関係で「福島第1原発」の問題について福島県の方を招いてお話をお聞きする集会となります。巷では「日の丸」「君が代」についての最高裁判決が出されました。その反応も様々ですが、これからもこの問題は重要です。インフルエンザが流行っていますので、皆様、どうぞお体をご自愛下さい。

 

 

2012年2月28日(火)

 

最近、インターネットでドイツやアメリカ等の古本屋から神学書を購入しています。そのために辞書やソフト、インターネットの翻訳機能も使って外国語のウェブサイトを日本語や英語に訳して購入・支払等の手続きを進めるわけですが、ソフトを使うと直訳や訳(わけ)のわからない訳になったり、こちらもこのような形での購入に慣れていなかったりで、随分と苦労しています。また古本によっては「ゴシック文字〈ひげ文字〉」や「花文字」(いずれも飾り付けされたようなアルファベットタイプのもので、いわゆる「ゴシック体」等とは異なります)で書かれていたり、初版と第2版以降とでは内容がまるで異なったり、改訂版がなかなか手に入らなかったり、保存の良い物も悪い物もある等、様々なことがありますが、神学的に重要なもの、特に“Dogmatik(ドグマーティク)関係の本を検索して探しています。“Dogmatik(ドグマーティク)とは日本語に訳すと「教義学」のことで「組織神学」で取り扱われます。ちなみに「教義学」と「教義」とでは意味が異なります。

青森県下北半島の風間浦という所にキリスト教主義学校の同志社大学を建てた新島襄が函館からアメリカに留学する前に立ち寄ったことを記念して碑が建てられていますが、それだけでなく風間浦の小学校や中学校の生徒、村の人々と京都の同志社中学校や同志社大学の留学生との交流が行なわれたり、そこで同志社関係者の方々により式典が行われたりしているわけですが、それも今年で20周年になるのだそうです。考えてみますと今から百数十年も前の出来事を記念しているわけで微笑ましいものがあります。一度訪れて見たく思います。

しかし、この下北半島には六ヶ所村再処理工場や原発等の施設があることも忘れてはなりません。人体に害をもたらす原子力発電所や核燃再処理工場は人口が少ない所ということで「僻地」に建てられたとされていますが、これは「差別」であると言えるのではないでしょうか。

これらのことについての教会としての取り組みは津軽においても数十年、行なわれてきました。先日2月11日には、この津軽地域の日本基督教団の諸教会・伝道所・関係学校・関係施設等が属する地区の活動の一つに社会委員会がありますが、その委員会も主催者である「2・11市民集会」が行なわれました。講師に地震や原発放射能事故によって甚大な被害を受けた福島県在住の方で農業に関わる方が来られて自らの置かれた過酷な状況をお話し下さいましたが、そこには熱意がありました。また3月11日にはこの地区が主催で「3・11追悼礼拝」が近くのキリスト教主義学校で行なわれることになりました。早いもので、あれから1年が経ちますが、その想いを風化させてはなりません。

教会では日本基督教団の暦の上で2月22日(水)を「灰の水曜日」としています。これは主イエスの苦しみと復活を覚える「受難節」の始めに人が最終的には「塵」になることを覚えて「悔い改め」を表す日であるとされています。この日から教会は「受難節」に入るとされ、この「受難節」の期間は4月の復活日(イースター)の前日まで続きます。(「受難節」については「2010年2月28日(日)」をご参照下さい)。3月には隣接する幼稚園の卒園記念礼拝が教会で行なわれます。

2月27日には、もうそろそろ終わりかなと思われていた降雪があり、数十センチ積もりました。そのような中で小鳥のさえずりも時々、聞こえ始め、春の訪れを感じさせています。

 

 

2012年3月31日(土)

 

今年度も今日で終わり、新しい年度に入ろうとしています。最近、当サイトがリンク・ページにリンクもしている原子力資料情報室編集の『原子力市民年鑑 2011‐12』を購入しました。福島第1原発事故に関する論文と原子力に関する様々な資料やデータ等が掲載されていて、なかなか興味深い一冊です。福島県のとあるキリスト教会では地震や原発放射能事故によって会堂が被害を受けたり、そこに住めなくなったために、その会堂では「礼拝」が行なえなかったり、信徒の方があちこちに避難することになって、教会としての活動が一時停止したりということがあるようです。避難解除がなされたとしても、やはり専門家が「何ミリシーベルトでは危険である」という見解を示していたり、キリスト教会としてはそれにどのように対処していくのだろうと考えたりしています。その専門家の意見が正しければ、健康を害した場合、一体誰が責任を取るのだろうということになります。食品の放射性物質の基準値も4月から新しくなっていますが、これも様々な意見や批判があります。そもそも昨年3月から今までの1年間の食品中の放射性物質の基準値にどのような意味があったのかということもあります。セシウムだけに反応する測定器というものがあるのでしょうか。疑問点は多くあります。

ところで、最近、公立学校での「日の丸・君が代」についての裁判が行われ、訴えた方の多くが敗訴という結果に終わっています。これは文部科学省や教育委員会や都道府県等の行政だけでなく、裁判所側に国粋主義色が濃くなっているということになりはしないか懸念しています。もしそうであるとするならば、一体何ゆえのものでしょうか。これも、かつての朝鮮戦争の時のように、お金儲けのためなのでしょうか。実は思想も言論も信教も何もあったものではない世界なのでしょうか(これはキリスト教から見れば「偶像崇拝」となる)。他国からの侵略行為に対処しなければならないから、そうすると言うのなら、それは、まるで根拠もなく、いささかヒステリックなのではないかということで司法や行政がこれでは問題なのではないでしょうか、まるで企業に振り回されているかのような印象さえ受けます。その一生懸命さは無意味そのものです。カール・バルトやディートリッヒ・ボンヘッファーの神学から学ぶべきことはまだまだ多くあります。むしろ取り組まなければならない課題は自然災害とその克服でしょう。自然災害と思われていたものが人災である場合もあります。

教会では今「受難節」を過ごしていますが、特に「イースター(復活日)」前の1週間を「受難週」として過ごします。「受難週」の最初の日曜日はイエス・キリストのエルサレム入城を覚える「棕梠の主日礼拝」で、この週にイエス・キリストが弟子たちの足を洗った「洗足木曜日」、イエス・キリストが十字架に架けられた金曜日の「受難日」の時を過ごします。この週は特にイエス・キリストの苦しみを思い祈る信仰生活を送ります(「受難週」については雑記帳の2008年3月17日(月)」もご参照下さい。)。子供たちが礼拝等を行なう教会学校も日曜日に行なわれていますが、イースターと同時に、卒園・卒業・進級の準備にあたっています。教会に隣接する幼稚園の卒園児たちを祝福する礼拝を教会で行なった後に、卒園式を幼稚園で行ない、卒園児たちが巣立っていきました。4月には入園式が行なわれます。またこの津軽地域の日本基督教団の諸教会・伝道所・関係学校・関係施設等が属する地区として3月11日には「3・11追悼礼拝」が弘前学院大学の礼拝堂で行なわれました。遺族の方々を始めとして未だに苦難の中にある方々のことを思いつつ、礼拝を行ないました。

また先日は「藤崎学プロジェクト」という藤崎の町をインターネットや冊子等を通して紹介する企画が藤崎の町によって行なわれ、取材がありました。藤崎教会と本多庸一についてのものですが、特に信徒が藤崎町のために貢献したことを改めて思わされました。

津軽では雪はかなり解けましたが、4月に入ってもまだまだ少し雪が降り続くようです。しかし、春の訪れは徐々に来ています。季節の変わり目です。体調管理にお気を付け下さい。

 

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