雑記帳([)
川上純平 2013・4・30〜
2013年4月30日(火)
先日、「ビジュアル聖書ソフトGlo(グロー)」(日本聖書協会)が発売されました。パソコンで聖書の世界を視ることができるソフトです。今まで発売されたどの聖書関連ソフトよりも写真や動画等を数多く盛り込み、リアルに聖書の古代世界を体験できるようになっています。聖書研究や説教の準備、学習会等にも使えるのではないでしょうか。今後もこのようなソフトが発売されることを希望します。
また柏木義円についての著作を何冊か購入しました。新島襄の影響を受けた日本基督教団安中教会の歴代牧師の一人です。『上毛教界月報』を発行して「非戦」を唱えたことで有名です。安中教会の会堂にもその肖像画が掲げられています。
また脱原発に取り組むグループの勧めで『福島原発と被曝労働 隠された労働現場、過去から未来への警告』(明石書店)という本を購入しました。この本を読むと、原子力発電所での労働の残酷で悲惨な実態がわかります。
今、政治家の一部の人たちは「憲法改正」を唱えていますが、そもそも「日本国憲法」は政治家たちが好き勝手な事をしないように作られた法です。「平和憲法第9条」は世界に誇る事の出来るもので、押し付けられたものでもありません。日本が戦争の出来る国にならないようにするためにも、「憲法改正」と言われているものが、実は「憲法改悪」であることを覚えるべきではないかと思います。それも「キリストの平和」の実現に通じることではないでしょうか。
原子力産業も福島第1原子力発電所放射能事故が未だに収束していないことや原発が核ミサイルへ転換可能であること等を始めとして、それが危険なものであることを考えると、原発の海外輸出はもちろん、国内原発の再稼働も、到底、促進してはいけないものなのではないでしょうか。
実は新約聖書の「ヨハネの黙示録」には興味深い言葉が記されています。ヨハネの黙示録8章10‐11節には「第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は『苦よもぎ』といい、水の三分の一が『苦よもぎ』のように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。」(『新共同訳聖書』、日本聖書協会、1987年)と記されています。偶然にもロシア語で「チェルノブイリ」という言葉は「苦よもぎ」という意味の言葉であるとされてきました。同時にヨハネの黙示録のこの箇所に登場する「苦よもぎ」は別の種類の「よもぎ」ではないかと言われていたり、「チェルノブイリ」という言葉も「苦よもぎ」の近縁種であると言われていたりします。
ロシアの「チェルノブイリ」にあった原子力発電所も1986年に原発放射能事故を起こし、世界各地へ放射能汚染が広がりました。今は廃炉となっています。原発は暴走すると人間には制御不可能な状態になります。
日本基督教団(日本キリスト教団)も既に3月11日に「福島第一原子力発電所事故3年目を迎えるに際しての議長声明」を発表し、それに対して台湾基督長老教会より「日本基督教団議長声明に対する台湾基督長老教会の応答」が発表され、そこでは教会がキリストの体であることから、苦しむキリストの体であることと長年の協力関係より、苦難を共に担い、日本基督教団のその努力に敬意を表すことが語られています。
過去を振り返った時に、日本の社会にとって一体何が勝利であったのでしょうか。オリンピックやノーベル賞のことではないようです。特に70年前はどうであったのでしょうか。最近、政治家たちが戦争を讃美することに繋がりかねない靖国神社参拝とオリンピックに関する問題発言を行なって批判される等、外交下手なのはなぜでしょうか。
4月に同じ地区の日本基督教団に属する諸教会・伝道所は津軽のキリスト教主義学校である「東奥義塾高等学校」「弘前学院聖愛高等学校・中学校」に新しく入学された生徒たちと一緒に日曜日に入学記念礼拝を行ないました。藤崎教会もこれらのキリスト主義学校と歴史的な繋がりがあり、その礼拝を行いました。5月3日には日本基督教団弘前教会で「5・3市民集会」が行われます。今回は「平和を実現するキリスト者ネット」の鈴木伶子代表に憲法について講演をしていただく予定です。
津軽ではリンゴの葉が開き始め、木に緑色がぽつぽつとつき始めました。桜の花もようやく咲き始めました。これから満開となります。
2013年5月31日(金)
岩波書店から出版されていた「岩波文庫 新島襄シリーズ(同志社編)」いわゆる「新島襄 岩波三部作」が、今年『新島譲自伝』を出版したことによって完結となりました。これらは新島襄自筆の文書を集めたものですが、その原文は主に『新島襄全集』にあり、それに依拠しつつ編集されたもので、新島襄自身の生涯と思想について手頃な形でふれることができます。もちろん私も購入しました。
「未受洗陪餐(キリスト教の洗礼を受けていない人が聖餐に与る形)」を行なったことで日本基督教団教師を罷免された北村慈郎牧師が日本基督教団を相手取り裁判を起こしましたが、東京地裁は今年2月25日に原告である北村牧師の訴えを却下しました。これについて『福音と世界 2013年5月号』(新教出版社)で当事者である北村慈郎牧師と元青山学院大学教授で、現在、日本基督教団神奈川教区巡回牧師の関田寛雄先生がそれぞれ寄稿なさっておられます。「未受洗陪餐」と北村慈郎牧師裁判についての論議は今後も続きそうです。
橋本徹大阪市長による「従軍慰安婦」と女性についての発言が物議をかもし、特に外国で反発を招きましたが、その後、謝罪がなされ、「従軍慰安婦」についての発言は撤回されずに現在に至っています。政治家の方々には発言に気を付けていただきたいと思います。
先日、元東北学院大学教員でオルガニストでもあった川端純四郎先生が、先頃、天に召されました。昨年、新教出版社から『3・11後を生きるキリスト教』を出版され、私も同氏によりその本を贈呈されたばかりでした。聖書、神学者やバッハやマルクス、キリスト者の生き方について平易に記されています。内容は同出版社による『福音と世界』に連載されていたものでもあります。先生の天国での祝福と地上に残されたご遺族の方々及び関係者の方々に神からの深い憐れみと慰めがあることを祈ります。
ところで、「教会」(「キリスト教会」という意味で「協会」とは異なる。)という言葉には多義性があります。信仰の視点で「教会生活を送る」という意味での「教会」、建物あるいは建築物としての「教会」、神学的概念としての「教会論」としての「教会」、社会から見た宗教団体としての「教会」です。これらは一つのものを表わしているにも拘らず、全て異なるものです。「教会」について話し合いをする時に、しばしば混乱するのはこのことを区別しないで用いていることが原因のようです。同時に私たちは様々な面から教会を見ることが出来るのです。
私が現在、牧師をしている日本基督教団藤崎教会はその会堂が近代建築を多く手掛けた桜庭駒五郎によって1925年に建てられましたが、そこには当時の信徒の方々、特に佐藤篤二と佐藤勝三郎の貢献があります。2010年1月〜3月に、この会堂は創立125周年記念事業として会堂改修工事が行われ、その後も豪雪や凄まじい大風等によって破損し、修理することもありましたが、建てられた当時の面影を残しつつ現代的な美しい会堂となっています。津軽地域に来る機会のある方は、一度、ご覧にいらして下さい。
教会では5月に「聖霊(神の力)降臨」によって、キリスト教会が生まれ、世界宣教が開始されたことを喜び祝う「ペンテコステ礼拝」を行いました。「ペンテコステ」の色は教会では赤色で表現され、しばしば天から地上に向けて降る「ハト」が「聖霊降臨」のシンボルとされています。6月には「子供の日・花の日礼拝」が行われ、教会学校と隣接する藤崎幼稚園の子供たちが大人と共に礼拝を行ない、近くの高齢者施設に「花」を届けることになっています。また今年度から教会では毎週木曜日の午後、昼頃に祈りの時を持ち『御言葉に親しむ』(日本基督教団の故山下萬里牧師執筆)を聖書と共に読み祈っています。興味深い示唆に富んだ本です。
昨年12月に種から芽を出したプランタの「ホウレン草」は、冬の間、屋外で豪雪に耐え、また再び育ち始めました。津軽では今年の豪雪のため農作業を始めるのが遅くなりましたが、5月に開始されました。今年の秋の収穫が実り豊かなものとなりますようにお祈りします。
2013年6月29日(土)
藤崎教会は今年で伝道開始140年、創立127年になりますが、創立100周年の1986年に「百年記念誌」を出版しました。この教会は、そもそも本多庸一が伝道を始めた教会であったのでメソジスト教会や青山学院と深いつながりがあったわけですが、戦後は農村伝道神学校卒業の牧師が数十年、歴代牧師を務めてきました。しかし、その「百年記念誌」を読んでみますと、意外なところで同志社や組合教会とつながりがあることがわかります。まず創立時の有力信徒であった清水理兵衛は藤崎の町が村であった明治時代の初代村長でした。藤崎小学校創設時にも貢献し、次男滝次郎は東奥義塾を卒業後、藤崎小学校で教え、1885年、18歳で洗礼を受け、その後、同志社へ進学、卒業後、アメリカへ渡り、帰国後は実業家として活躍したとされています。1891年には同志社で学んでいた福井助五郎が藤崎教会の教会学校の前身である「日曜学校」で教師として教え始めたとされています。1909年には同志社大学神学部の原誠教授の祖父である原鉄太郎が洗礼を受け、信徒ととなり、その後、献身(牧師となること)しています。1962年には岩村信二先生(元日本基督教団大森めぐみ教会牧師)が来られて講演をして下さり、1986年には原誠教授が来られて創立百周年記念講演をして下さいました。その他、五能線沿線の三教会合同礼拝や聖書学校、地区、教区の集会等を含めると、より多くの方が来られています。このように藤崎教会は創立当初から同志社や組合教会とつながりのある教会でもあるのです。
ところで、今年はキリスト教史における様々な記念の年です。紀元313年にコンスタンティヌス帝のミラノ寛容令(勅令)によりキリスト教が公認されて1700年、1813年に実存主義哲学の祖セーレン・キルケゴールが生まれて200年、1833年にオベリン大学が創立されて180年、1843年に新島襄が生まれて170年、1863年にアメリカで奴隷解放宣言が宣言されて150年、1873年に日本でキリシタン禁令の高札が撤去され、東京基督公会が創立されて140年、1913年にドイツの哲学者エドムント・フッサールが『純粋現象学』を執筆、アメリカン・ボード宣教師グリーンが没し、上智大学が開校して100年、1923年に関東大震災が発生して90年、1933年にナチス・ドイツによる迫害が始まり、ナチスが「アーリア条項」を制定、ドイツ教会闘争が始まり、日本では酪農学園が創立されて80年、1943年にフランスの実存主義哲学者ジャン・ポール・サルトルの『存在と無』、波多野精一の『時と永遠』が発刊されて70年、1953年に国際基督教大学が創立され、日本基督教団木造教会が創立されて60年、1963年に、キング牧師がワシントン大行進を組織し、「狭山事件」で石川一雄さんが逮捕されて50年、1973年にベトナム和平協定が成立し、アジア学院が創立され、水俣病訴訟で患者側全面勝訴判決が下って40年、1983年に日本放送伝道協議会が発足して30年、1988年に原爆被爆地の長崎市で本島等市長が右翼団体の圧力に遭って25年、1993年にアメリカで世界貿易センタービル爆破テロが起こり、「原子力行政を問い直す宗教者の会」が宗派を超えた100名の人々によって発足して20年、2003年にイラク戦争が起こり(アメリカ単独の先制攻撃によって行われた)、同志社大学神学部・神学研究科が「一神教学際研究センター」(CISMOR)を設立し、日本で個人情報保護関係5法が公布、有事関連法が成立して10年です。全てが良い出来事ではありませんが、想い起す必要のあるものです。
藤崎教会では、教会学校教師と幼稚園職員のためのトーンチャイム講習会が地区のとある教会の牧師の指導で行なわれました。その2週間前に私は同じ地区の五所川原教会が創立120周年を記念して設置したパイプオルガンの奉献演奏会に出席しました。音楽で神を讃美することそのものが礼拝です。また奥羽教区にはまだまだ2011年3月11日の大震災や津波のために被災し、移転や再建を考えている教会、補修工事を行っている教会があります。そのことを覚えたいと思います。「宗教者9条の和」から『96条改定に反対し、憲法9条を守ろう』という宗教者共同声明が発表されました。これはいくつかの諸宗教が宗教の教義(?)の枠を超えて発表されたものです。
今月は同志社大学神学部を卒業して牧師や伝道師になった方だけではなく、組合教会に連なる方で信徒の方や同志社神学部を卒業したわけではない牧師や伝道師の方をも含めた集まりである「同信会」の東北支部会とも言うべき「東北同信会」が仙台で行われたので、それにも出席しました。そこでは久しぶりに会う方や初めて会う方も含めて近況報告がなされました。また奥羽教区の教会の信徒で、国会議員をなさっておられた方で、最近、西洋哲学の書物をキリスト新聞社から出版もされた菅原喜重郎さんから波多野精一の『時と永遠』と共産主義否定についてのお話、最近の教団の教会には哲学がないのでしっかりしていただきたいとの声を個人的にお聞きしました。
同志社大学神学部が出版している『基督教研究』の最新号第75巻第1号が送られて来ました。それには「聖餐」について触れられた論文が発表されていますが、これは興味深い論考です。
プランタの「ホウレン草」は立派に育ったので、収穫しました。その後は新しく「ミニトマト」「ネギ」等の種を植えています。プランタの「シソ」は放っておいても毎年のように土から芽を出してきます。リンゴ畑のリンゴの実も少しずつ大きくなっています。収穫の時まで神の守りを祈ります。
2013年7月31日(水)
今日「キリスト教神学のページ(T)」に書評「『シリーズ神学の船出03 神学の起源 社会における機能』(深井智朗著 新教出版社)」
という拙い文を載せましたが、「神学」についての興味深い一冊です。
7月10日(水)に未受洗者(洗礼を受けていない人)への聖餐式での配餐を理由に日本基督教団から「免職」の戒規処分を受けた北村慈郎牧師が提訴した控訴審裁判で、東京高等裁判所は宗教の教義、信仰に立ち入って判断することになるゆえに、北村慈郎牧師の訴えを棄却しました。しかし、まだこの争いは続きそうです。
7月12日(金)に東京都教育委員会による日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するという職務命令に従わずに停職処分を受けた東京都の元養護学校教員が東京都に300万円の損害賠償を求めた訴訟で最高裁判所は東京都の上告を受理せず、東京都に慰謝料30万円の支払いを命じた差し戻し控訴審判決が確定しました。日本国憲法が謳う「信教・思想の自由」によるものです。
第23回参議院選挙が終了し、自民党が圧勝、ねじれ国会解消となりましたが、原発再稼働問題や憲法が改悪されようとしている問題があります。戦後68年、またあの8月がやって来ます。真の民主主義とは何でしょうか?
先週、福島第一原子力発電所で高濃度汚染水が地下水と混じって海に流出、3号機では湯気が発生し、最大で毎時2170ミリシーベルトと非常に高い放射線量が計測されました。それが風に乗って日本各地に飛散し、一時的に計測されています。福島県では子供たちに「甲状腺ガン」が見られるというニュースも伝えられています。
津軽の今年の夏は涼しく、農家の方々の心境をお察しします。台風や大雨による被害に遭われた方に神による癒しと慰めを祈ります。
藤崎教会では7月に「臨時総会」を行い、教会の牧師が居住するための建物である「牧師館」を維持するために積立て献金を行う事を決議しました。8月には教会の信徒と信徒関係者で既に亡くなられた方(教会では「天に召された」と言います)を覚えての「召天者記念礼拝」を行い、JR五能線の沿線にある日本基督教団の三つの教会が藤崎教会で合同礼拝を行う予定です。また日本基督教団の教会・伝道所・関係学校・関係施設の教師(牧師)のための津軽の地区(「北西地区」と言います)の研修会が行われます。
教会に隣接する藤崎幼稚園では幼稚園に一泊する「お泊り保育」という夏の行事が行われました。その幼稚園正面入口、道路脇に「花」が咲いています。風に乗って来たのか、そこに種が落ちたのかわかりませんが、普段は花が咲かないような所に咲いていました。それを見て聖書の一節を思い出しました。
2013年8月31日(土)
今年の夏、津軽のキリスト教と深いつながりのある弘前学院聖愛高等学校の野球部が甲子園初出場を果たし、2回戦まで勝利を収めました。次は甲子園での優勝となるのでしょうか。これからが期待されます。
8月5日に沖縄で米軍ヘリコプターが墜落事故を起こしました。しかも沖縄県は墜落原因の究明が出来るまで戦闘機の飛行はしないよう米軍側に求めていましたが、さっそく同じタイプのヘリコプターが飛行を再開するということに至り、非常に憤りを感じつつ、遺憾に思います。
私は、8月に休暇を取り、日本基督教団の中で旧教派では組合教会に属する京都教会、平安教会という二つの教会を訪れました。二つとも新島襄にゆかりのある教会です。平安教会の近くには同志社小・中・高等学校もあります。また安中教会初代牧師や同志社総長を歴任した海老名弾正にゆかりのある東京の弓町本郷教会も訪れました。
今、NHKでテレビ放映されている大河ドラマ『八重の桜』も京都編となり、新島襄がよく登場するようになってきましたが、興味深いことにアメリカン・ボード宣教師(新島襄も宣教師なのですが)が登場しており、彼らがどのような宣教を行なったのか部分的にですが、垣間見ることもできます。「宣教とは何か」、「伝道とは何か」ついて考えることは、これからも大切です。
また休暇の間に京都の鞍馬寺を訪れました。京都は仏教寺院が多く、様々な宗教について学んだり、「宗教学」の研究をしたりするには非常に良い環境にあります。私はクリスチャンなので、参拝が目的ではなくて、観光が目的で、鞍馬寺に行ったわけですが、仏教に詳しくない者にとっても興味深い仏教寺院なのではないかと思いました。この寺は奈良時代に鑑真和上の弟子によって創立されましたが、後に奥州に逃れた源義経がこの寺で牛若丸として幼少期を過ごし、天狗から剣術を学んだという伝説があります。この寺の宗派は現在、真言宗でも天台宗でもなく、鞍馬弘教という宗派だそうです。本尊は千手観世音菩薩、毘沙門天王、650万年前に金星から地上に降りてきたとされる護法魔王尊の三尊だそうです。私は、今回、貴船方面から入山し、かつて牛若丸が天狗との修行で走った道とされている山道を、かなりしんどかったのですが、登りました。いくら山の中で涼しいといえども、自然と汗が出てきて、普通の靴では歩きにくい山道でした。しかし、山を越えた後は、鞍馬寺の美術的・歴史的に重要な作品を見ることが出来、また、この「山岳信仰」は当時の貴族から庶民に至るまで浸透していたことがわかりました。
帰りは叡山電鉄の鞍馬駅にまで繋がるケーブルカーに乗りましたが、このケーブルカーは宗教法人としては珍しく鞍馬寺が事業として運営しているということです。このお寺では,やはり「自然と宗教」「偶像崇拝」について考えさせられました。同時に「霊場」という言葉が聞かれるお寺です。このようなことを考える時に「霊性」という言葉が思い当りますが、キリスト教で言う意味での「霊性」が他の諸宗教で言う意味での「霊性」と、何が同じで、何が違うのか、研究するにあたってはどのような方法論がふさわしいのかということもあるかと思います。今回の休暇でエネルギーが充電されたようです。
8月27日に、かつて同志社大学神学部で教授をしておられた樋口和彦先生が86歳で召天されました。先生は京都文教大学長や日本いのちの電話連盟理事長を16年間歴任されました。私も神学部の学生だった頃、先生の「実践神学概論」等の講義に出席しました。先生は牧師や教師・学者を育てただけでなく、ユング派の心理学者であり、その方面でも多くの人々に影響を与えた方です。先生の天国での祝福と、地上に残されたご遺族・関係者の方々に神からの深い憐れみと慰めが豊かにあることを祈ります。
気象庁が8月30日から「特別警報」の運用を開始しました。これは警報の発表基準をはるかに超える豪雨や大津波等が予想され、重大な災害の危険性が著しく高まっている場合に用いられるものです。なるべくそのような警報が出ないで済むように祈りますが(そのような自然災害が発生しないように祈りますが)、今年の夏、豪雨で各地に甚大な被害が既に出ています。
東京から青森県へ向かう飛行機で福島県上空を通過する際に、放射能測定器で空間放射線量を測定したところ、1時間あたり0.84μシーベルトになりました。福島県とその周囲の他県の方々の健康が懸念されます。同じ日に青森では1時間あたり0.05μシーベルト、東京では高い所で1時間あたり0.14μシーベルトになりました。福島第一原子力発電所での汚染水漏れ報告が後を絶ちません。どういうことでしょうか。
教会では8月に「召天者記念礼拝」、「五能線沿線三教会合同礼拝」が行われました。また北西地区では新免貢先生(宮城学院女子大学教授)をお招きして良き学びの時を与えられました。特に東日本大震災以後のキリスト教会について、ユダヤ教ラビのアブラハム・ヨシュア・ヘシェルについてお話をして下さいました。来月も教区の牧師のための研修会がありますので、それに出席します。
猛暑が続きましたが、庭ではプランタのミニトマトが立派に実りました。農家のりんごも素晴らしい収穫がなされるようお祈りしています。
2013年9月30日(月)
9月は2020年オリンピック招致決定で日本が沸きかえりましたが、一方、福島原発汚染水問題や2年半前の原発放射能事故に起因する様々な課題が残されていて、またやはり次から次へと汚染水問題関連の報告がなされています。
自然災害の凶暴さにも驚かされる月でありましたが、同時にそれに人間の環境破壊が関わっていること、万が一を考えた防御・対処の甘さ等についても思わされました。今月2日には埼玉県を中心にして竜巻が発生、16日には台風上陸で京都嵐山等、日本各地に甚大な被害をもたらしました。ここ津軽の地でも特に河川や平地を利用したリンゴ畑を始めとする田畑には被害が出ています。私も教会の信徒の方の浸水したリンゴ畑を訪れました。中にはリンゴの木が倒されたものもありました。津軽の農家の方々の中には絶望している方もおられます。教会として、その方々への聖書の主(しゅ)なる神による慰めと癒しを求めること、希望が与えられますように祈ることが大切であることを思わされました。この度の台風や大雨による被害に遭われた方に神による癒しと慰めと希望が与えられますことを祈ります。
また報道によると、かつて1961年に米軍が水爆2個をアメリカ南東部で落下させていたことがわかりました。爆発していたら広島型原爆の260個分の破壊力があったそうです。核ミサイルは、もちろん原発に平和利用はあり得ません。
今月、私の属する奥羽教区で教師のための研修会があり、それに参加しました。主題は「希望に生きる教会」で、これは奥羽教区の「長期宣教基本方針」です。この会では佐藤司郎先生(東北学院大学文学部教授)をお招きして「カール・バルトの神学と宣教論」「教区の宣教方針」について学びの時を与えられました。私が東北学院大学にいた時に、まだ佐藤先生は来ておられませんでしたが、かつてカール・バルトについて論文を書いたことがありましたが、久しぶりにバルト神学について学びの時を与えられ、さらに教区の宣教について考えさせられました。
28日には、この津軽の地区の教会学校を中心とした日帰りのキャンプが行われ、この津軽の諸教会の教会学校が親睦交流を深め、バーベキューを楽しみました。29日には地区の講壇交換礼拝が行われました。この日は津軽の諸教会・伝道所の牧師がそれぞれ同じ地区内の別の教会・伝道所で礼拝説教を担当しました。私もある教会と伝道所で礼拝説教を担当し、藤崎教会の礼拝は別の教会の牧師が礼拝説教を担当しました。いつもとは雰囲気の違う礼拝で、それも良いのではないかと思います。その教会・伝道所の伝統や伝道・宣教姿勢があります。礼拝後、「八重の桜」の話で盛り上がり、地元で採れた果物・野菜を頂き、藤崎教会に戻ってその作物を皆で分かち合いました。隣接する幼稚園では運動会が行われ、子供たちと共に、そのご家族の方々も一緒に参加し、熱気に満ちた楽しい運動会となりました。今月に入り朝晩の涼しさは徐々に寒さに移行しつつあります。それによって収穫される作物が引き締まり、味も深まるのでしょう。牧師館のプランタでは新しく人参を栽培しています。
2013年10月30日(水)
今、テレビ放映されている大河ドラマ「八重の桜」には徳富蘇峰(徳富猪一郎)が登場するシーンがあります。今年は徳富蘇峰生誕150年です。彼は熊本バンドに参加し、東京英語学校に入学後、同志社英学校に転入学し、新島襄から洗礼を受け、クリスチャンとなり、ジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家、政治家として活躍、戦前から戦後にかけて大きな影響を与えました。本名は徳富
猪一郎。蘇峰の弟である徳冨蘆花(徳富健次郎)は熊本バンドの一人であり、洗礼を受けてクリスチャンとなり、同志社英学校に入学、小説家となりました。
16日(水)には日本各地で台風による被害があり、特に伊豆大島土砂災害では数十名の方がお亡くなりになられました。お悔やみ申し上げます。自然災害への備えを改めて思わされます。
津軽のリンゴ農家は収穫の時期です。毎日、毎日、収穫作業に追われておられます。この季節なら「紅玉」、「ジョナゴールド」、「陸奥(むつ)」等でしょうか。先日、近くにある弘前大学の藤崎農場に行ってきました。これは1938年に農林省園芸試験場東北支場が設立され、1940年にリンゴの品種「ふじ」が生まれた所で、「ふじ生誕の地」を記念する石碑等があります。果肉の赤いリンゴ(!)「紅の夢」もここで生まれました。「ふじ」はこれから出荷となります。藤崎教会の創立時の信徒であった佐藤勝三郎は宣教師ジョン・イングの影響を受けて、1885年に藤崎で大規模なリンゴ栽培及び販売を行い、「敬業社」を設立、本多庸一ら藤崎を始めとする津軽のキリスト者がそれに加盟・出資したとされています。「敬業社」は害虫や寒さ等がリンゴ栽培に支障をきたしたこともあり廃業しましたが、これは津軽のリンゴ栽培等に強い影響を与えました。
藤崎教会に隣接する藤崎幼稚園の行事として、今月バザーが行われ、これは毎年、地域の人々に親しまれています。11月には園庭で「焼き芋」が行われる予定で、子供たちは楽しみにしています。
藤崎教会は他のキリスト教会同様、2011年3月11日に発生したあの大震災以来、募金活動を行なっています。奥羽教区を始めとして他の教区、日本基督教団等への被災支援募金を続けています。教会学校では日曜日の朝、礼拝を行った後、分級の時間を過ごしていますが、9月、10月は「クッキング」、折り紙で作った風車(これには2種類ありますが、形だけのものではなく、風でクルクルと回転するタイプのもの)を作って「『聖霊(神の力)』で風車は回るのです」ということを子供たちに説明しました。新約聖書が記された言葉であるギリシア語(コイネー・ギリシア語)では「聖霊」に、神の「息」、「風」を意味する言葉が使われ、「神の力」を意味するものとされています。
10月中旬には「教区社会問題セミナー」が盛岡で行われ、それに参加しましたが、そこでは『カルト問題と教会』についての講演がなされ、クリスチャンに対してでさえも勧誘しようとする新興宗教団体に対して注意を喚起しておられ、興味深くお話をお聞きしました。また、その前には福島県で子供たちの放射能被曝の問題に関わっておられるクリスチャンで、会津放射能情報センター代表の片岡輝美氏による「脱原発講演会」が行われ、福島県の子供たちが放射能に晒されている状況をお聞きし、身悶えしました。
11月には津軽の地域で日本基督教団奥羽教区に属する教会・伝道所・関係学校・関係施設の教師や信徒が集まる「地区信徒研修会」が開かれ、奥羽教区の宣教方針を学び、地区としてどのように宣教に取り組んでいくことかを考えます。
先日、群馬県にある日本基督教団安中教会から藤崎教会が祈りに覚えられているという内容のお葉書を頂きました。安中教会は新島襄記念会堂がある教会で、以前、私が協力牧師として奉仕した教会です。新島襄が大切にしていたことを思います。最近、体の疲れは心の疲れにつながることを思わされています。皆様もお体をご自愛下さい。
2013年11月30日(土)
11月10日に「キリスト教神学のページ(T)」にレポート「『敬虔主義』とは何か? ‐特に『ドイツ敬虔主義』(M,シュミット著、小林謙一訳〈教文館、1992年初版〉)を中心にして考えたこと」を載せました。11月に北西地区の教師会(津軽地域の日本基督教団牧師の集まり)で発題させていただいたものに加筆訂正したものを載せました。学生時代にシュライエルマッハーとの関わりで少し学びましたが、カール・バルトが関わっているということもあって「敬虔主義」は興味深い運動であると思います。このウェブサイトも立ち上げて10年になります。だからと言って特別何かするわけでもありませんが、これからも「キリスト教神学」についての学びを深めたいと思います。
11月上旬に北西地区の教会及び伝道所の信徒の方々の研修会が行われました。私も裏方として手伝わせていただき、藤崎教会の信徒の方と出席しました。内容は奥羽教区と北西地区の宣教の課題について学び、考え、話し合うという内容でした。教区の課題は「地区・各教会/伝道所」の課題であり、「地区・各教会/伝道所」の課題は教区の課題であるという意味で「一つなる教会」であること、宣教協力が大切であること等が語られ、話し合われました。
さらに「日本基督教団奥羽教区教師継続教育講座」に出席し、神学者カール・バルトの「エキュメニカル運動」について学びました。講師は9月にも講演していただいた佐藤司郎先生(東北学院大学文学部教授)で、「ドイツ教会闘争」との関わりで、カール・バルトのエキュメニカル運動(「エキュメニカル」については雑記帳の「2010年10月31日(日)」参照)についての考え方が基本的にはボンヘッファーのものと変わらないというお話でした。キリストに聞く信仰告白における諸教会の一致、罪責告白との関係について考えさせられました。
現在、NHKで放映されている大河ドラマ「八重の桜」ですが、いよいよ新島襄が亡くなるストーリーが放映されます。新島襄は1890年1月21日に大磯にて亡くなりました。臨終の場には新島八重、徳富蘇峰、小崎弘道らがいたそうです(小崎弘道は、海老名弾正、宮川経輝と共に組合教会三元老の一人であるとされています)。新島襄のお墓は、現在、京都東山若王子山頂に八重らの墓と共にありますが、そこに行くには若王子神社を通り過ぎた山道を登っていくことになります。私も以前、夏に登ったことがありましたが(2012年8月30日〈木〉)、汗を掻き、意外としんどかったことを思い出しますが、登るだけの価値のある場所です。「八重の桜」のドラマの中で伊勢時雄が登場しました。伊勢時雄は山本覚馬の次女と結婚し、後には横井時雄と名乗りますが、この人は1879年に設立された今治教会(現在の日本基督教団今治教会:愛媛県)の初代牧師となった人です。以前も少しふれましたが(2009年11月29日〈日〉)、私もこの教会の伝道師・副牧師を歴任したことがありました。今治教会の会堂の牧師室に歴代牧師の写真が飾られていますが、そこに“ちいろば先生”こと榎本保郎牧師らの写真と共に、この横井時雄の写真も飾られていたことを思い出します。彼は牧師だけでなく、同志社の社長(現在の総長)や衆議院議員をも務めています。
ところで、とんでもない法律が、今、日本国内を賑わせています。「秘密保護法」です。この法案の廃案に向けてキリスト者を含む宗教者だけでなく、様々な立場の多くの人々が反対運動をしています。私も反対しています。これは「何が秘密なのかも秘密です」という法案です。人の生存さえ危うくし兼ねない法案であるとも言われています。
今、私が牧師をしています日本基督教団藤崎教会は127年前に創立され、かつては町の中の文化・教育・農業・経済等の先駆的存在であり、最初は「美以教会(メソジスト教会)」に属していましたが、日本基督教団が創立され、それに属すことになり、「合同教会」としての特質を持つに至りました。戦後は無牧期間(牧師がいない期間)を経て日本基督教団奥羽教区から財政等の支援を受けた復興教会として、再び新しい歩みを始め、現在に至っています。藤崎という農業と商業によって成り立つ町の教会として、これからも地域にある宣教を行なっていきます。12月は「創立記念日礼拝」、そして「クリスマス礼拝」、「クリスマスイヴ礼拝」が行われます。また「教会学校(子供の教会、子供の礼拝)」ではクリスマスに「お茶の会」を予定し、クッキングを行ないます。隣接する藤崎幼稚園では「ページェント(降誕劇)」が行われます。24日の「クリスマスイヴ礼拝」では「礼拝」と共に弘前大学の「グラスハープ・アンサンブル」(グラスハープ:グラスの縁を水で濡らした指で擦って音を出し、楽器として使用する)による演奏が行われます。
藤崎町のリンゴ「ふじ」の収穫は終わりましたが、野菜畑に「アライグマ〈外来種〉」が出没、畑の野菜が被害に遭ったという話をお聞きしました。あまり有難くないことですが、どんな生態なのか、「アライグマ」を見つけてみようかと思ったりもしました。農家の方々に神の癒しと力が与えられますように祈ります。
11月上旬にフィリピン・レイテ島を直撃した台風30号がもたらした被害は甚大かつ悲惨で筆舌に尽くしがたいものがあります。そのため日本基督教団を始めとしてキリスト教関係団体でもこの台風で被災された方々を覚えての救援募金を行なっています。藤崎教会でも「クリスマスイヴ礼拝」で「東日本大震災被災教会支援募金」と共にこれを行います。寒さが厳しくなっていきますが、素晴らしいクリスマスを迎えることができますように(素晴らしいクリスマスとなりますように)祈ります。
2013年12月30日(月)
12月は上旬に悲しいことがありました。ネルソン・マンデラ大統領が12月5日に亡くなったのです。95歳でした。彼は「アパルトヘイト〈南アフリカ共和国における黒人に対する人種隔離政策〉」に反対し、そのこともあって「アパルトヘイト」が撤廃され、1993年に「ノーベル平和賞」を受賞、翌年、南アフリカ共和国大統領に就任しています。彼はプロテスタント・キリスト者でもありました。
悲しいことはこれだけではありません。ここ数日、阿部総理大臣の「靖国神社参拝」が問題となっています。「靖国神社参拝」は他の国々との外交に問題が生じるということもありますが、一国の総理の参拝であるゆえに「信教の自由」がないがしろにされた出来事です。キリスト者の視点から見た場合は、日本の戦争責任がないがしろにされていると言えることにもなります。
そして、沖縄の「辺野古米軍基地移設問題」があります。辺野古への移設は沖縄県知事の判断によるものですが、果たしてそう言って良いのかということがあります。と言うのは、これは沖縄県民の意思ではないからです。弱い立場にある沖縄の人々の意思をないがしろにしていないかと言えるのです。そこには“ジュゴン”のような保護を必要とする生き物を守らなければならないという自然環境破壊の問題もあります。キリスト者から見て戦後の沖縄との関わりでの戦争責任、そして神がお造りになった世界を破壊することになるという意味での環境破壊という点からおかしいと言えるのです。
NHKで放映されていた大河ドラマ『八重の桜』が最終回をもって終わりました。最近の放送の中で印象に残ったのは新島八重と徳富蘇峰との違いです。徳富蘇峰が日本による外国との戦争を肯定しているのに対して、八重が旧約聖書イザヤ書の言葉を用いて戦争が良くないものであると発言していることです。これについては同志社大学神学部教授の小原克博先生がそのことを含めて大学の講義で語っておられ、小原先生のウェブサイトでその講義の模様を見ることが出来るようになっています。『八重の桜』は元同志社大学神学部教授の本井康博先生が時代考証を担当なさっていたということもありました。本井先生の講演を以前、何度かお聞きしたことがありますが、先生は新島襄研究の第一人者でもあります。
また音楽家坂本龍一がこのドラマの「メインテーマ」等を担当しています。坂本龍一は今までに様々な映画音楽を担当しています。キリスト教音楽との関係で言うなら、1983年、大島渚監督の「戦場のメリー・クリスマス」の音楽も坂本龍一が担当していますが、その中で讃美歌を2曲ほどアレンジして使用しています。讃美歌21‐120、21‐449です。
キリスト教会の礼拝について「理解するため」にはキリスト教会の礼拝に出席してみるのが一番でしょう。礼拝についての知識や説教の言葉と讃美歌の楽譜を目で見ることも必要ですが、それだけではキリスト教会で行われている礼拝の雰囲気を感じるものとは、ほど遠いものになるからです。ごくたまに“you tube”でもキリスト教会の様子がアップされていますが、もし今までに礼拝に出席したことがなく、可能であるならば、実際にキリスト教会の礼拝に出席してみて耳等の他の五感によって、また礼拝という空間に自らを置くことによってキリスト教の礼拝にふれるのが一番であると思われます。
ところで、「キリスト教神学」における『神』という言葉は「記号」にはならないとされています。なぜなら、これは幾らでも解釈可能な「神」という言葉を使っているのでもなければ、様々なものを『神』と呼んでいるということでもないからです。これは旧新約聖書が証しし、キリスト教信仰の土台であり、キリスト教会を造り、キリスト教の礼拝の対象である、救い主キリスト、聖霊として現れた『神』であるからです。
藤崎教会では、様々な方々のご協力によって既に「クリスマス礼拝」、「クリスマスイヴ礼拝」を済ませました。「イヴ礼拝」には教会員・教会関係者だけでなく、この町の方が会堂に集まり、讃美歌、聖書、お話を中心とした礼拝後に素晴らしい「グラスハープ」演奏を聞きました。来年に向けて救い主イエスに基づく希望を持つことが出来ました。
これから少しずつ雪の降る量も増えていきます。皆様、お体にお気を付け下さい。来年も神の祝福があるようお祈りします。
2014年1月31日(金)
2014年も早くも1ヶ月過ぎてしまいましたが、今年はどのような年になるのでしょうか。巷では新しい万能細胞「STAP(スタップ)細胞」や「ソチ五輪」で盛り上がっていますが、先日「キリスト教神学のページ」の「キリスト教史年表(Y)〈21世紀〜〉」中の「2013年」を更新しました。昨年は新ローマ教皇の誕生を始めとして様々なことが起こった一年でした。毎年のように聖書の考古学的発掘による新発見もありますが、昨年も興味深い発見がありました。
ところで、今年はキリスト教史における様々な記念の年としてどのような年なのでしょうか。紀元1014年にデンマークでキリスト教が国教となって1000年、1314年頃にダンテの『神曲』が完成しておよそ800年、1764年にアメリカのバプテスト教会によってブラウン大学の前身であるカレッジ・オブ・ロードアイランドが創立されて250年、1814年にフィヒテが没して200年、1844年に会衆派教会のイギリスのジョージ・ウィリアムズがYMCA(キリスト教青年会)を創立し、実存主義哲学の祖フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ生まれて170年、1864年に新島 襄がアメリカへ向けて函館より脱国して150年、1874年にアメリカで「アメリカ・キリスト教婦人矯風会(WCTU)」(後の「世界婦人キリスト教矯風会〈WWCTU〉」の前身)が発足し、アメリカン・ボードの宣教師ジョン・キン・ホイド・デフォレストが来日し、アメリカン・ボードによる日本で最初の教会(会衆派)である摂津第1基督公会(日本基督教団神戸教会の前身)が創立され、日本基督教団大阪教会の前身である梅本町公会、同教団横浜指路教会の前身である指路教会、同教団芝教会の前身である東京第一長老教会、同教団静岡教会の前身である日本メソヂスト静岡教会が創立され、アメリカ聖公会のウィリアムズによって立教学院(立教大学の前身)が創立され、アメリカ・メソジスト監督教会の宣教師ドーラ・E・スクーンメーカーが東京に女子小学校(青山学院の前身)を開校し、日本で最初の讃美歌集が刊行され、ヴェルディが『レクイエム』を発表して140年、1884年にカンバーランド長老キリスト教会の宣教師たちによってウィルミナ女学院(大阪女学院の前身)が創立され、カナダ・メソジスト教会の女性宣教師によって東洋英和女学校(東洋英和女学院の前身)が創立され、日本基督教団青森教会の前身である青森教会、同教団高崎教会の前身である西群馬教会、同教団甘楽教会の前身である甘楽第一教会が創立され、ドイツのプロテスタント神学者ルドルフ・カール・ブルトマンが生まれて130年、1894年にアメリカの神学者ヘルムート・リチャード・ニーバーが生まれ、ポーランドのフランシスコ会司祭マクシミリアン・マリア・コルベが生まれて120年、1914年に第1次世界大戦が勃発し、梅光女学院創立されて100年、1924年に清心高等女学校(ノートルダム清心学園の前身)設立されて90年、ドイツの神学者エバハルト・ユンゲルが生まれ、スイスの深層心理学者カール・グスタフ・ユングが『元型と集合的無意識(普遍的無意識)』を出版して80年、1954年に黒人のリズム・アンド・ブルースと他の音楽からの影響を強く受けたエルヴィス・プレスリーが“That’s All Right Mama”でレコード・デビューし、ネパール合同ミッション(合同宣教事業)が組織され、日本基督教団が「日本基督教団信仰告白」を制定し、日本基督教団賛美歌委員会による「讃美歌」が刊行され、日本でラクーア伝道が始まって60年、1964年にユルゲン・モルトマンが『希望の神学』を執筆し、キング牧師がノーベル平和賞受賞、アメリカで公民権法が成立、イギリスのロックバンドであるビートルズがゴスペル・ソングの影響を強く受けた“I Want To Hold Your Hand”をアメリカで大ヒットさせ、日本キリスト者平和の会が結成され、赤岩栄『キリスト教脱出記』を発刊し、キリスト教作家の三浦綾子が朝日新聞に『氷点』を連載開始し50年、1974年に日本基督教団弘前西教会の前身である弘前西伝道所が創立されて40年、1984年に神学者カール・ラーナーが没し、デズモンド・ムピロ・ツツ(トウトゥ)聖公会主教がノーベル平和賞を受賞され、日本基督教団が台湾基督長老教会との協約を締結し、日本の淀川キリスト教病院に日本で最初のホスピス病棟を開設して30年、1994年に南アフリカでネルソン・マンデラが大統領となり、日本で大江健三郎がノーベル文学賞を受賞して20年、2004年に「九条の会」が発足して10年になります。
このように様々なことを記念する年ですが、ただ全てが素晴らしい記念ばかりでないことは言うまでもありません。繰り返してはいけない出来事、忘れてはいけない出来事、悲しむべき出来事が含まれています。1944年に韓国の朱基徹(チュ・ギチョル)牧師が平壌で獄死させられ、日本基督教団が「決戦態勢宣言」を宣言し、全国一斉必勝祈願のための祈祷会を開催し、「日本基督教団より大東共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」が約一万部作成され、大日本戦時宗教報国会が結成されて70年、1954年にアメリカによるマーシャル諸島ビキニ環礁水爆実験により日本のマグロ延縄漁船第5福竜丸が被災して60年、1984年に中曽根康弘元首相が戦後初めて首相として靖国神社に年頭参拝を行って30年、1994年にオウム真理教による松本サリン事件が起こって20年、2004年に日本の自衛隊がイラクに派遣され、日本で新潟県中越地震が起こり、国民保護法が成立して10年になります。これらがそうです。1934年にドイツで「告白教会」が成立し80年になりますが、ナチス・ドイツの侵略行為やユダヤ人迫害等がなければ、それになびくドイツ・キリスト者がいなければ、必要なかったのです。神学者カール・バルトは「ドイツ告白教会を作ったのはヒトラーです」と語っています。1954年に統一教会(「世界基督教統一神霊教会」)が教祖である文鮮明によって創立されて60年ですが、統一教会は「家庭崩壊」を始めとして後に社会問題を引き起こすことになりました。2004年に沖縄の辺野古で米軍海上基地建設を阻止するための非暴力的阻止行動が始まって10年になりますが、米軍基地がなければ、このようなことは必要ないのです。
金曜日出版から『これでも罪に問えないのですか! (福島原発告訴団50人の陳述書)』 という本が出版されました。福島第1原発放射能事故の被害に遭った福島の方々が東電とそれに関わった政治家たちを告訴したわけですが、赤裸々に自らの苦しみを綴っておられ、薄くて読みやすい本であるので、是非ともお読み頂きたいと思います。
教会では1月6日は教会の暦で「公現日」とされています。この日は東方の博士が主イエスに会いに来たことによって、主イエスが公に姿を現したことを祝う日であるとされています。私は1月6日の「公現日」に「世界宣教」について考えます。神の栄光が公に世界の隅々にまで現れるということは、神によってなされるゆえに、決して「植民地主義」、「信教の自由の剥奪」ではありません。かつてキリスト教の歴史の中では「伝道」と呼ばれるものが無理矢理、人々を回心させ、その人の信じている宗教をキリスト教に変えるものと誤解され、そのように行われたということがあります。それゆえにキリスト者の中には、それに対する反省の上に立って、それまでの「伝道」という形に捕らわれない「宣教」を行なう人たちが現れ始め、現在に至っているということがあります。
また「教会学校」を行なっていますが、2月には「おしるこ」を一緒に頂いたり、「雪遊び」をしたりします。
2月11日にはこの津軽の地域で日本基督教団奥羽教区に属する教会・伝道所・関係学校・関係施設の集まりを北西地区と言いますが、その地区の社会委員会が主催で「思想、信教の自由を守る 2・11市民集会」が行われます。今回は「沖縄と特定秘密法」を主題とし、「沖縄から靖国を問う」という題での講演をお聞きします。
1月になってから雪の量が増え始めました。「雪かき」は大変ですが、昨年の今頃に比べるとたいしたことのない量です。しかし、雪害、交通事故等に注意が必要です。神のお守りがありますようにと祈っています。
2014年2月28日(金)
1月27日に、今までにこの雑記帳でも礼拝のことで記したことがありますが、元日本聖書神学校校長であり、日本基督教団隠退教師の礼拝学者今橋朗先生が81歳で召天(キリスト教で言うところの「逝去」)なさったそうです。先生の天国での祝福及び地上に残されたご遺族の方々に神からの深い憐れみと慰めが豊かにあることを祈ります。
「第10回世界教会協議会(WCC)」が2013年10月から11月にかけて韓国の釜山で行われましたが、この数か月、そのことの報告が日本各地でなされたり、それに関する様々なことが日本のキリスト教界で話題になったりしています。この時の主題は『いのちの神よ、私たちを正義と平和へ導いてください』で、世界中のキリスト教会から加盟教会345教会、およそ100ヶ国が集まって開かれ、日本基督教団からも参加がありましたが、特に3年前の3月11日の東日本大震災と福島第一原発放射能事故及びそれに関する事柄については今後も世界のキリスト教会との関わりで重要となります。
また昨年、「特定秘密保護法に反対する牧師の会」が結成され、新教出版社から「ブックレット『なぜ「秘密法」に反対か 開かれた平和な国のために祈りつつ』」が出版となり、そこに日本基督教団教師を含む超教派の牧師の方々が執筆しています。
ところで映画「ハンナ・アーレント」が巷で話題となっています。第2次世界大戦中にナチス・ドイツで数百万のユダヤ人を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担ったとされる人物アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレントについての映画です。一度、観ておきたい映画だと思います。また「標的の村」という映画も上映されます。こちらは沖縄でオスプレイ着陸帯建設に反対して座り込んだ沖縄県の住民の方々が日本政府に訴えられてしまった「SLAPP裁判」と2012年9月の米軍普天間基地封鎖を扱った映画です。2013年キネマ旬報ベストテン文化映画で一位となった映画です。
キリスト教では他の諸宗教同様、「教義」という言葉を用いますが、英語で「ドグマ」“dogma”と言います。これと「独断主義・教条主義」(ドグマティズム:“dogmatism”)とは全く異なるものです。例えばキリスト教の場合もそうですが、キリスト教の教えや教義がこのようなものなのではなく、これは「教義学」(ドグマティック)とも異なって、哲学で用いられた言葉です。「科学的な証明なしにドグマ(宗教上の教義や教条)にもとづいて〈世界の事象〉を説明することをいう」とされています(『CD−ROM版 世界大百科事典・年鑑・便覧 第2版』日立デジタル平凡社、2000年)。キリスト教が教えを伝えた時に自らの教え、例えば「神は天地をお造りになった」という教義を、特に科学が発達していない時代には、科学的証明なしに伝えたと思われますが、しかし、それによって人間が置かれているこの世界を説明したかどうかについては疑問です。つまり、それは「私、あるいは、私たちはこのように信じています」という信仰内容を伝えたということで、この世界がどのような構造で、何によって出来上がっていて、これからどうなるかについては説明していないということです。そして、この「独断主義・教条主義」という言葉は、後に宗教の教義を振り回し、その教義を無批判に信じ込むという意味で使われるようになった言葉でもあったのです。宗教には興味深い点があるのです。
ちなみに私は最近になってカール・バルトの「教会教義学」の原書“Die Kirchliche
Dogmatik”を古本屋で見つけ、購入することになりました。バルトによれば、教義学とは「神について語る自らの言葉の内容に関するキリスト教会の学的な自己検討」です。
日本各地の大雪(2月9日、14日)には本当に心を痛めました。これらは青森県津軽では当たり前の積雪量かもしれませんが、しかし、そのような積雪に慣れておられない地域の方々の心境をお察ししました。神の癒しと慰めと力が与えられることをお祈りしました。
教会の暦では「受難節」(3月5日から4月19日まで)に入ります。5日(水)は「灰の水曜日」で、この日から「受難節」(レント:主イエスの受難〈十字架の苦しみ〉を覚え、復活日に向けての信仰生活を歩む期間)」が始まります。(「受難節」の起源については雑記帳の「2010年2月28日(日)」の項目をご参照下さい)。「復活日」(イースター)は4月20日(日)です。主イエスの苦しみを覚えると言っても、自らを責めて、それで終わるということでは意味がありません。主イエスの苦しみをどのように受け止めるかということが大切です。キリスト教を信じる者が実際に酷い目に遭う事を望んでいるわけではないのです。
今月は「2・11市民集会」も行われました。この日は一般には「建国記念日」とされていますが、キリスト教会では異なります。それは、これが神話に基づくものであることと天皇制を美化し保持しかねないということで、かつて第二次世界大戦中に天皇が神とされ、キリスト教会が軍部に利用された国家神道によって迫害されたことと多くのキリスト教会も他の多くの諸宗教同様に、この戦争を讃美したという反省を込めて、これを思い起こし、未来に平和を築く意味も込めて「信教の自由を守る日」としているのです。この日、沖縄から講師を招いて沖縄の悲惨な歴史と現状が報告され、アメリカや日本政府が行っている戦争につながりかねない危険な政策・靖国神社合祀・特定秘密保護法に反対する思いをお聞きしました。
3月には地区の中で「東日本大震災三年を覚えての礼拝」が行われます。これは、あの「3月11日」以来、毎年、行なわれている礼拝ですが、今回は地区の二つの教会を会場として行なう予定です。藤崎教会では、今年度も隣接する幼稚園の園児が卒園することを記念し、祝福するための礼拝が大人の礼拝と合同で行われます。教会の高齢者の方々も子供たちの笑顔で心がほぐれるようです。津軽では雪はひと段落し、春の暖かさが徐々に感じられるようになってきていますが、3月に入ってからも雪は降るようです。私は3月には「東北同信伝道会」(同志社大学神学部を卒業、または組合教会に連なる牧師及び信徒の東北支部会)研修会にも出席し、「東北における宣教」について学びます。皆様、お体をご自愛下さい。
2014年3月31日(月)
先月、カール・バルトの「教会教義学」の原書“Die Kirchliche
Dogmatik”を古本屋で見つけ、購入することにしたことを記しましたが、先日、その本が届きました。索引も併せて14冊全部が一箱の大きな段ボールに入れられ届いたので、非常に重く驚いたわけですが、それ以上に驚いたことは、第1冊目(神の言葉論第1巻1分冊)にカール・バルトが秘書にタイプライターで打たせた手紙が入っていたことです。1961年にバーゼルで打たれたもので、カール・バルトの自筆のサインも入っています。このサインは他の書籍に見られるカール・バルトの自筆サインと比較して、そのクセや年代・手紙の内容から本物であることは間違いないようです。別にオークションに出したりするような意味での価値はありませんが、大切に保存しておきたいと思います。
この間、ある信徒の方から「キリシタン美術」の本を頂きました。主に長崎や五島列島のキリシタン美術・支倉常長・キリシタン大名・安土桃山時代の南蛮寺等に関するものが多いわけですが、中でも「隠れキリシタン」の人たちが大切に持っていた「マリア観音」等が目を引きました。江戸時代のキリシタン迫害のさなかにあって、いかにしてキリスト教信仰を守ろうとしたかが、目に見える形で示されていて、どのような生活をしていたのか想像させられました。
先日、ある元プロボクサーの冤罪事件の再審開始が決定されるに至り、釈放されたというニュースを聞かされ、嬉しく思うと同時に、その人の奪われた人生はどのようにして償われるのかと思います。無罪が確定し、このような冤罪事件が起きないことを望みます。
ところで、私が藤崎教会の主任牧師に就任して4年目が経とうとしています。この教会は1886年創立ですが、その時に作られた教会の印鑑は神社の神主によって造られたということで、「百年記念誌」にも、その写真が載せられており、明治時代の初期の「キリスト教伝道」においては「キリスト教」と他の諸宗教との共通要素を意識していたことがわかります。それが後に明確に分離されるようになったのは「キリスト教」の教え、信仰内容を重視する傾向、「神学」で言えば、「教義学」等によるものであるのでしょう。藤崎教会は今年で創立128年です。2年後には創立130年となります。そろそろ記念事業の準備も始める予定です。
また3月上旬には「東北同信伝道会」の研修会にも出席し、良き交流・学びの時としました。その研修会の二日目には宮城県仙台市荒浜・名取市閖上等の東日本大震災とそれによる津波の被災地を訪問し、震災と津波で甚大な被害に遭った方々に出会いました。そこでお話を聞かせていただいて声も出ず、その方々の悲しみに共感しました。そこで「受難節」の主イエスの苦しみを想わされました。被災地でのボランティア活動は家屋等にたまった泥の掻き出し作業等がなされましたが、現在では畑の農作業の手伝い等もボランティアとして行われています。その方々に津軽のリンゴを送っておきました。
「東日本大震災三年を覚えての礼拝」は9日(日)に行われ、日本基督教団五所川原教会と同教団青森松原教会で行われました。それぞれこの津軽の諸教会の数十名の方々が震災で苦難の中にある方々を覚えて礼拝するために集まりました。藤崎教会からは私を含めて2名が出席しました、その次の週の日曜日に藤崎教会では藤崎幼稚園を卒園する園児たちを祝福する礼拝を行いました。4月には同教団弘前西教会の創立40周年記念礼拝と記念式に出席します。藤崎教会では「イースター礼拝(主イエスの甦りを覚え祝う礼拝)」と東奥義塾高等学校及び弘前学院聖愛高等学校の入学記念礼拝も4月に行う予定です。4月下旬には地区の総会(日本基督教団に属する津軽の諸教会・教会・伝道所・関係学校・関係施設の集まり)も行われる予定です。今年度までの歩みを主(しゅ)なる神に感謝します。
リンゴ畑ではもう既に農作業が始まっています。今年度末には五所川原教会の川上清樹牧師が7年間の牧会伝道を終え、群馬県に帰りました。群馬県でNPO法人での役割を担うのだそうです。来年度も主なる神の祝福があるように祈ります。